
帝産バスでは8月1日にダイヤ改編が行われ、
信楽線
にまた大きな変化が生じます。その変化点とは
・石山駅~信楽直通便の廃止
・信楽駅~信楽案内所間の廃止
。北黄瀬~信楽の廃止
です。石山駅~信楽直通便が大幅に減便かつ田上車庫乗継の実施が行われた2009年12月1日以来となる大きな変化となります。







かっては1時間に1本運行されていた
信楽線
です。石山駅を毎時20分に出発し、約1時間かけて信楽まで運行されていました。車両はもちろん大型車が充当されており、ブルドッグ、エアロスターK、エアロスターM、ニューエアロスター、ワンステと何でも入っていました。因みに毎時1本運行していた頃は120系統とつながっているケースが多かったため、ノンステは入っていませんでした。ワンロマも当然入った実績はあります。大昔は一部が京都市内の三条大橋まで足を延ばしており、この時が全盛期だったかと思います。
その後、2009年のダイヤ改正で朝夕2往復のみとなりましたが、引き続き大型車が充当されていましたが、うち1往復は低床車固定ダイヤとなり、758~763が入っていました。

2015年5月1日改正で信楽線が更に減便され、石山駅~信楽直通が朝の石山駅行き1本のみに削減された時にその便も低床車ダイヤとなったため、758~763が専ら入るようになっていました。同時にツーステが基本的に信楽へ行かなくなったという事になりますが・・・。

本当なのか疑わしいですが、信楽線に入ったノンステの1010です。信楽線の表示でやってきたので、撮影したものです・・・。

信楽線は2000年前後までは信楽駅には乗り入れていませんでした。当時は国道307号線をそのまま直進し、終点へ向かっていました。しかし、2000年前後に信楽駅へ乗り入れるようになり、幕も新しいものに変更されました。写真は信楽駅非経由だった時の表示で、信楽駅経由になった事により、経由地表示に信楽駅が付き、行先も陶芸の森・信楽になりました。
とはいえ、帝産バスの信楽駅非経由は明らかに鉄道線と競合しているかのような感じでした。バスの需要が旺盛だった昔は鉄道駅から離れた市街地の中心部に拠点を構え、鉄道駅を無視するケースが多かったのですが、帝産バスの信楽もその一例だったかと・・・(ただ、拠点は中心部の外れにありますが・・・)。


こちらは今回のダイヤ改正で廃止される
北黄瀬~信楽線
信楽地区の通学対応として平日朝に北黄瀬発1本のみ運行されているものです。帝産バスで唯一全区間が甲賀市内で完結する便です。これも歴史は長く、信楽線が京都へ足を延ばしていた頃も運行されていました。当時は信楽線の始発が石山駅発7時20分で、信楽には8時半ごろに到着するので、通学に対応するために石山駅発の前に設定されていました。そして、2009年12月ダイヤ改正でも大型車で残り、更に2015年5月の信楽線減便後も大型車で残っていましたが、ついに廃止されてしまいます。最晩年は信楽案内所到着後、石山駅行きとして折り返していました。




今回のダイヤ改正で廃止される
信楽案内所
です。信楽の中心部から南西に少し外れた場所にあります。ここが信楽線の終点であるとともに信楽における帝産バスの拠点として機能していました。大昔は営業所として機能していたので、待合室、窓口、事務室、乗務員宿泊室などが入った2階建ての建物でした。もちろん、車両や乗務員の配置もありました。そして、廃車車両の留置もここで行われていました。しかし、営業所としての昨日が無くなった後も夜間停泊はあったのですが、いつの間にかなくなっていました。
そして、2000年前後に機能縮小(敷地縮小)か移転かどちらか忘れましたが、小ぢんまりとしてプレハブの建物に変わって現在に至っています。建物には待合室、窓口、乗務員休憩室があるのですが、本当にコンパクトです。現在はバスが来てはすぐに折り返すダイヤになっているので、案内所としての機能は実質的に終わっているかと思います。因みに信楽線が1時間に1本運行されていた頃は長時間の休憩もあり、2台のバスが止まっているシーンもそれなりにありました。
今回の信楽案内所の廃止により、帝産バスは信楽における拠点を手放す形になりますね・・・。

こちらは
平和堂
です。今回のダイヤ改正で廃止される3つのバス停のうちの1つです。平和堂前にあり、かつ信楽案内所のすぐ近くにあります。このバス停の廃止により、帝産バスの「平和堂」の付くバス停が全て消える事になります。

こちらは
信楽栄町
です。今回のダイヤ改正で廃止される3つのバス停のうちの1つです。古くからの信楽の中心部に位置しています。大昔の信楽線は信楽駅を無視してこの中心部を通って終点に至っていました。今回のダイヤ改正でここを帝産バスが通らなくなってしまう形ですね・・・。
7年前までは1時間に1本運行されていた信楽線が大幅に減便され、しかも信楽における拠点を失うまで衰退するとは思いもしませんでした。かっての栄華を知る者としては寂しい限りです。
以上です。
信楽線
にまた大きな変化が生じます。その変化点とは
・石山駅~信楽直通便の廃止
・信楽駅~信楽案内所間の廃止
。北黄瀬~信楽の廃止
です。石山駅~信楽直通便が大幅に減便かつ田上車庫乗継の実施が行われた2009年12月1日以来となる大きな変化となります。







かっては1時間に1本運行されていた
信楽線
です。石山駅を毎時20分に出発し、約1時間かけて信楽まで運行されていました。車両はもちろん大型車が充当されており、ブルドッグ、エアロスターK、エアロスターM、ニューエアロスター、ワンステと何でも入っていました。因みに毎時1本運行していた頃は120系統とつながっているケースが多かったため、ノンステは入っていませんでした。ワンロマも当然入った実績はあります。大昔は一部が京都市内の三条大橋まで足を延ばしており、この時が全盛期だったかと思います。
その後、2009年のダイヤ改正で朝夕2往復のみとなりましたが、引き続き大型車が充当されていましたが、うち1往復は低床車固定ダイヤとなり、758~763が入っていました。

2015年5月1日改正で信楽線が更に減便され、石山駅~信楽直通が朝の石山駅行き1本のみに削減された時にその便も低床車ダイヤとなったため、758~763が専ら入るようになっていました。同時にツーステが基本的に信楽へ行かなくなったという事になりますが・・・。

本当なのか疑わしいですが、信楽線に入ったノンステの1010です。信楽線の表示でやってきたので、撮影したものです・・・。

信楽線は2000年前後までは信楽駅には乗り入れていませんでした。当時は国道307号線をそのまま直進し、終点へ向かっていました。しかし、2000年前後に信楽駅へ乗り入れるようになり、幕も新しいものに変更されました。写真は信楽駅非経由だった時の表示で、信楽駅経由になった事により、経由地表示に信楽駅が付き、行先も陶芸の森・信楽になりました。
とはいえ、帝産バスの信楽駅非経由は明らかに鉄道線と競合しているかのような感じでした。バスの需要が旺盛だった昔は鉄道駅から離れた市街地の中心部に拠点を構え、鉄道駅を無視するケースが多かったのですが、帝産バスの信楽もその一例だったかと・・・(ただ、拠点は中心部の外れにありますが・・・)。


こちらは今回のダイヤ改正で廃止される
北黄瀬~信楽線
信楽地区の通学対応として平日朝に北黄瀬発1本のみ運行されているものです。帝産バスで唯一全区間が甲賀市内で完結する便です。これも歴史は長く、信楽線が京都へ足を延ばしていた頃も運行されていました。当時は信楽線の始発が石山駅発7時20分で、信楽には8時半ごろに到着するので、通学に対応するために石山駅発の前に設定されていました。そして、2009年12月ダイヤ改正でも大型車で残り、更に2015年5月の信楽線減便後も大型車で残っていましたが、ついに廃止されてしまいます。最晩年は信楽案内所到着後、石山駅行きとして折り返していました。




今回のダイヤ改正で廃止される
信楽案内所
です。信楽の中心部から南西に少し外れた場所にあります。ここが信楽線の終点であるとともに信楽における帝産バスの拠点として機能していました。大昔は営業所として機能していたので、待合室、窓口、事務室、乗務員宿泊室などが入った2階建ての建物でした。もちろん、車両や乗務員の配置もありました。そして、廃車車両の留置もここで行われていました。しかし、営業所としての昨日が無くなった後も夜間停泊はあったのですが、いつの間にかなくなっていました。
そして、2000年前後に機能縮小(敷地縮小)か移転かどちらか忘れましたが、小ぢんまりとしてプレハブの建物に変わって現在に至っています。建物には待合室、窓口、乗務員休憩室があるのですが、本当にコンパクトです。現在はバスが来てはすぐに折り返すダイヤになっているので、案内所としての機能は実質的に終わっているかと思います。因みに信楽線が1時間に1本運行されていた頃は長時間の休憩もあり、2台のバスが止まっているシーンもそれなりにありました。
今回の信楽案内所の廃止により、帝産バスは信楽における拠点を手放す形になりますね・・・。

こちらは
平和堂
です。今回のダイヤ改正で廃止される3つのバス停のうちの1つです。平和堂前にあり、かつ信楽案内所のすぐ近くにあります。このバス停の廃止により、帝産バスの「平和堂」の付くバス停が全て消える事になります。

こちらは
信楽栄町
です。今回のダイヤ改正で廃止される3つのバス停のうちの1つです。古くからの信楽の中心部に位置しています。大昔の信楽線は信楽駅を無視してこの中心部を通って終点に至っていました。今回のダイヤ改正でここを帝産バスが通らなくなってしまう形ですね・・・。
7年前までは1時間に1本運行されていた信楽線が大幅に減便され、しかも信楽における拠点を失うまで衰退するとは思いもしませんでした。かっての栄華を知る者としては寂しい限りです。
以上です。
信楽案内所の跡地は田んぼになるようです。
信楽には仕事で良く行きます。
石山に住み始めた頃は石山駅から信楽行きのバスを夕方に朝は信楽発のバスをよく見ました。もう、見れなくなるのですね。
ちなみに信楽発のバスは石山駅に到着後、回送となり直通211 瀬田駅→龍谷大学に入ってました。(朝、通勤時に良く見てました)
コメントありがとうございます。
私も同感です。7年前まで1時間に1本あったのに今回で朝夕の田上車庫~信楽間の1.5往復のみに減るとは寂しい限りです。
確かに国鉄→JRバスも朝宮j経由で運行してましたね・・・。今は信楽高原バスとして石山寺まで運行してますが・・・。
コメントありがとうございます。
田んぼですか・・・。案内所周辺は田んぼというより荒れ地のような感じでしたが・・・。
確かに石山で信楽行きのバスを見かける事が出来なくなってしまった事を考えると寂しいですね・・・。
石山駅到着後は瀬田へ回送した上で龍谷大学直通に入るんですね・・・。ありがとうございます。
南海バスからの移籍車が多く入っていましたが、最近は神奈中の車両が増えてきていますね。
帝産湖南交通は三菱車がメインで在籍していますが、三菱で製造されたKC代以降のエアロスター(2代目)のリアを見ると、ナンバープレートの位置が、バス会社によって違いますね。
(最近だと阪神バスに入っているエルガのナンバー(リア部)がワンステ車とノンステ車で位置が違います)
だいたいのバス会社では(リアの)右側にナンバープレートが付いていますが、南海バスで導入された車両はバンパー部分に、京阪バスで導入された車両は左側に、京都市バスで導入された車両は中心部にありますね。(南海バス・京阪バス・京都市バスに導入されたMP38系や新35系のリア部分のナンバープレートは右側にありますが、南海と京阪のPJ車も、確か、右側にあったと思います)
リア右側にナンバープレートを付けていても、(ナンバープレートの部分が)へっこんでいたり、へっこんでいなかったりしています。
フロント部分のバンパーも高槻市バスや神奈中に導入された初期型は特殊なんですよね。
エアロスターを含む路線バスはナンバープレートの位置以外でも座席の位置やLED式の行き先方向幕・スピーカーの位置など、それぞれのバス会社で違っているので、バスの製造会社は、それぞれのバス会社で注文した仕様で製造するので大変だと思いますよ。
だから、新車で導入した車両を(導入したバス会社で)引退した後、他のバス会社へ移籍されますが、運転手さんも自分の会社の車両と他社からの移籍された車両を運転しないといけないので、仕様が違っていたら、若干、ややこしいのではないでしょうかねぇ。