ほぼ満員の特急に乗っていた時のことである。
私を含め、多くの人が立っていた。当然のことながら、停車駅に
近づくと、空きそうな席はないか、目を血走らせている。
その車両は、もちろん「自由席」車両だ。だが、これだけ多くの
人が乗っていると、車内での移動はおろか、姿勢を変えるのもまま
ならない。
これのどこが「自由席」なのだろう。
「自由」とは、制約を受けずに、思う通りに、という意味だったは
ずである……そんなことをぼんやりと考えていたら、また目の前に
誕生した空席を奪われてしまった。
そのいら立ちで、ますます疲労が濃くなってくる。ぼうっとした
頭に、ふと一つの考えが浮かんだ。
空席ができても座らない自由、座席に縛られない自由。それが、
この「自由席」の意味なのだ。
そう考えると、惰眠をむさぼっている乗客たちが、「座らない自
由」を奪われた哀れな人間に見えてきた。
その時、大きな駅に着き、たくさんの人が降りていった。目の前
に、いくつかの空席が生まれた。
心が制止しても無駄だった。
体が素早く反応したのだ。
気がついた時には、深々と腰を下ろし、安堵の息をついている自
分がいた。
そして、こう思った。
「不自由席も、そう悪くないものだ」
明日は「体育の日」。
秋晴れの下、長距離ウォーキングでもしようかなと思っています。
私を含め、多くの人が立っていた。当然のことながら、停車駅に
近づくと、空きそうな席はないか、目を血走らせている。
その車両は、もちろん「自由席」車両だ。だが、これだけ多くの
人が乗っていると、車内での移動はおろか、姿勢を変えるのもまま
ならない。
これのどこが「自由席」なのだろう。
「自由」とは、制約を受けずに、思う通りに、という意味だったは
ずである……そんなことをぼんやりと考えていたら、また目の前に
誕生した空席を奪われてしまった。
そのいら立ちで、ますます疲労が濃くなってくる。ぼうっとした
頭に、ふと一つの考えが浮かんだ。
空席ができても座らない自由、座席に縛られない自由。それが、
この「自由席」の意味なのだ。
そう考えると、惰眠をむさぼっている乗客たちが、「座らない自
由」を奪われた哀れな人間に見えてきた。
その時、大きな駅に着き、たくさんの人が降りていった。目の前
に、いくつかの空席が生まれた。
心が制止しても無駄だった。
体が素早く反応したのだ。
気がついた時には、深々と腰を下ろし、安堵の息をついている自
分がいた。
そして、こう思った。
「不自由席も、そう悪くないものだ」
明日は「体育の日」。
秋晴れの下、長距離ウォーキングでもしようかなと思っています。
