Web Master's Room

バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

覆面パトカー

2006-06-13 10:20:38 | 今日の出来事・・・
先日のツーリングでの事。

大分から別府方面に快調に飛ばしていた時の事。
道は海沿い、新しく拡張したのか片側3斜線。
天気は最高、海吹く風は気持ち良かったらアクセルが開くのが当たり前。
ガンガンいってました。

すると前を走っていたCBがスピードダウンのハンドサイン。
見ると前方に白いセダンのクラウンが走っている。
まったく飾り気の無いその車は法定速度で走ってる。
あぶない、あぶない。
危うく追抜くところだった。
減速してその車の後ろに付く。

しばらくしてその車の横を1台の車がスピードをあげて抜いていった。
かわいそうに…。そう思って見ていた。
・・・。
・・・。
・・・。
?。

なんで捕まえないの?

そう思いながその車の横について中を覗き込んだ。
なーんだ、普通のじっちゃんじゃん!。

ヘルメットの中で笑い転げた。
もちろんCBもいっしょに。

私はバイク乗り 8

2006-06-11 09:42:01 | 私はバイク乗り
弟はすでに自動二輪の免許を持っていたので
合法的にバイクに乗ることができました。
そこでついにバイクを購入する事を決めたのです。

私もそうでしたが根っからのYAMAHA党の弟は
車検の無い250ccの中で当時の一番人気はVT250でしたが
もちろんYAMAHAの中から車種を選びました。
それはライトウエイトスポーツSRX250!

細身のボディに250ccのDOHC単気筒エンジンで
それは非常に軽く足つきも非常に良いものでした。
単気筒エンジンなのにエキパイが2本出ているのはなぜだろう?
って、メカ音痴的な事を思ってました。
実際、私が跨ってみても
RZを少し大きくしたイメージであったのを思い出します。
その頃からレディースライダーなる物が認知され始め
後に女性に指示されたバイクとなりました。

弟は毎日の様にそいつに跨りどこかに飛んでいきました。
もちろん私は愛車のRZを気には入っていましたが
なんといっても50ccの原付自転車。
それは目の上のタンコブ状態でした。
そして兄貴としての威厳の問題もある。

当時すでに普通車の免許を持っていたので
大きなバイクは必要ないっと思っていましたが
メラメラっと対抗意識が芽生えてきました。
よーし、自動二輪の免許を取ってやる。
そう思って再度教習所の門を叩く事になりました。

つづく

Zapper 知覧で再起不能? 2

2006-06-10 14:08:23 | 思い出
でもメインスイッチをオンにすると
ニュートラルスイッチは点灯している。
一応念の為にすべてのヒューズを確認したが問題なし。
っと言う事はハーネス系か?

仕方なく歩道の上でバイクを分解。
キャリアに積んであったバックを降ろし、シートをはずし、タンクをはずし
フレームのみになった姿でハーネスを一本一本チェックする。
が問題はなさそう。

困った、原因がわからない。
電気系統であることは察しがつくが
持病のヒューズ飛びでなく
ハーネスに問題がなければセルモーター自体の問題か?
そうなればここでの修理はできなくなる。
とりあえずメンテをお願いしているバイク屋に電話するが
やはり電話では解決できそうにない。

時刻は14:00をまわっている。
ここから自宅まで約500km、高速をかっとんでも5時間くらいかかるので
もうこちらをでないと日が暮れるまでに帰り着く事は不可能な時間なのに
愛車はいっこうに動きそうにない。
愛車を置いて電車で帰宅か?っと考えたが
またこちらにバイクを回収に来なければならない。
ちょっと面倒。

幸い、私の弟が1BOXを持っていたので緊急回収命令を発動しました。
弟にとっては大変迷惑な話でしょう。
あと30分いろいろやってみるので
その間で回収の準備をしておく様に言ってました。

もう一回怪しい所を確認するが問題は解決できない。
やはりヒューズ関係か?
念の為にもう一度ヒューズをはずしてみる。
問題はない…。
このヒューズは丸管タイプでそれを挟み込むタイプになっている。
もしかして…。
その接点の場所をマイナスドライバーで磨いてみる。
そしてヒューズを取り付ける。
頼むぞ!
セルボタンを押す。
ブロロロローン!
かかった!

結局原因ってこんなものです。
きっと接点が熱で焼けていて
通電が不良になっていたんでしょう。
旧車は何処が壊れるかわからない。
でも原因は意外と簡単な事が多い。
人間関係といっしょだな。

急いでバイクを組み立て荷物を積んで知覧を後にする。


Zapper 知覧で再起不能? 1

2006-06-09 10:00:23 | 思い出
知覧つながりでもうひとつの話を。

やっぱり、涙・涙・涙の特攻平和会館を後にして
帰宅の途につこうとしたときの事。
駐車場を出発して赤信号で停車。
信号が変わったのでスタートしようとアクセルを開けた瞬間、エンスト…。
すぐさま再度セルのスイッチを押したがうんともすんとも言わない。
どうすることもできず、交差点を押して歩道に停める。
停車している車の運転手や横断中の人の熱い視線、カッコ悪~ぅ…。

当時の愛車はKAWASAKI Z650 通称Zapper。
その頃でもかなりの旧車で、あのZ750ことZ2の後に発売された
俊足を狙った日本人の体格にあった名車です。
そのバイクとの出会いは後日の“私はバイク乗り”のコラムで紹介します。

このバイク持病がありましてヒューズがよく飛ぶんです。
ハーネス自体が古くて硬化しているせいか原因がはっきりしませんでした。
なので予備のヒューズは必需品でいつも5~6本持ち歩いてました。
「あー、また飛んだかぁ」っとその時は思いました。
いつものようにサイドカバーをはずしヒューズボックスを開ける。
今ではお目にかからない丸管ヒューズだ。
いつものようにヒューズをはずし空に向かってかざして見るが
切れてる様子は見られない。あれ。
とりあえずいつものように交換用のヒューズをセットする。
いつものようにこれで修理完了のはずでした、が
セルボタンを押してもうんともすんともいわない。
「えー、うそぉー」
ここから自宅までは約500km。
どうすればいいのよぉー。

つづく

着ぐるみ冒険家

2006-06-08 07:59:02 | 最近思った事
朝刊を見てびっくりした。
北海道で話題になった彼がこちらに来ている。

去年の9月こと
以前ヤッコちゃんが行った北海道ツーリングのレポートの中に
日本中をウサギやパンダのぬいぐるみを着て
徒歩で日本一周をしている人物の事が書いてありました。
それはとても奇妙な光景で
何度となく警察から笑いながら職務質問を受けているらしのです。
まあ、それは仕方ないことでしょうけど。

目立つカッコはこちらから話しかけることも無くとも
相手からの質問攻めに合う。
でもほとんどが応援の声らしい。
そして多くの人達と出会ってきた。
ヤッコちゃんが出会った彼はその後北海道を南下
沖縄にも行って現在今R10を北上中で北九州に到着するらしい。

バイクで日本一周するのは容易いが
徒歩でしかも着ぐるみでの日本一周はさぞかし大変でしょう。
彼はこの旅を終えた時何を見つけるのでしょうか?

今はここを歩いています。 着ぐるみ冒険記
ヤッコちゃんが彼からもらった手書きの名刺には
“着ぐるみ冒険家”と書いてありました。

バイクで日本一周をした私は
果たして彼と同じ様に冒険家と言えるのだろうか?
きっとまだまだ未熟です。

涙・涙・涙

2006-06-07 08:47:23 | WebMasterお薦め
鹿児島県知覧町。
九州南端開聞岳が見える今は静かなお茶の名産地。
今から約50年前
ここが日本とそして生きる事との決別の地であったという事は想像できない。

寒い季節になるとどうしても暖かい場所にツーリングに行きたくなる。
当然南を目指す事になるのだが
砂蒸し温泉とカツオの町指宿も何度か足を運んだ。
また豪快なアップダウンと
ワルツのスッテップを踏むように曲がるカーブの指宿スカイラインは
開聞岳を目指す様に延びていて
いつもライダーズ・ハイにしてくれるコースだ。

その途中に知覧はある。
歴史を遡れば薩摩藩が武家屋敷として開き
そして太平洋戦争末期には特攻隊の基地となった場所だ。
戦争についていろいろ語られるが
この場所程、人間が生きる事を考えさせられる場所はない。
日本人として生き、現在の日本のあり方を考えさせる場所でもある。

そして今回それが映画化される。

“俺は、君のためにこそ死ににいく”

この知覧の町から飛び立っていった若き特攻隊員から
「特攻の母」と慕われた女性《鳥濱トメ》さんの眼を通して描いた
美しく雄々しかった若き特攻隊員たちの青春や
真実のエピソードを連ねた戦争群像劇である。

もともと鹿児島人は人に篤く祖先を敬う。
地元の老人たちは誰彼と無く話しかけ
お墓にはいつも綺麗なお花がそえてある。
そんな場所であるので“富屋食堂”の鳥濱トメさんの行動はもっとも事であり
またこんなのんびりした田舎が戦争の最前線だった事が信じられない。

その資料館 知覧特攻平和会館 も是非訪れて見て下さい。
きっと目から涙が止まらなくなるでしょう。
そして彼らのおかげで現在の日本がある事に感謝した。

月曜病という病気

2006-06-06 10:31:19 | 最近思った事
私は仕事柄、日曜日はだいたい仕事になり
月曜日が休日になっている。
だから月曜日にツーリングに行くことがほとんどだ。
そうなれば一人で走る事が必然的に多くなる。
が、世の中には月曜日になると発病する病気のおかげで
実はそうでもないのである。

この病気にかかると…
日曜日走ったにもかかわらず月曜日が天気がいいと知ると
どうしてもバイクで走らずにはいられないという
社会人にはとても困った中毒性の病気で
ついには慢性化していまう恐ろしい病気である。
これといった特効薬も無く
2日走れば疲れるのか、飽きてくるのかは不明だが
火曜日くらいには何とか普通の社会人として復帰できる。

私の友人がこの病気をよく発病し
ツーリングのお誘いのメールを送ってくる。
もちろん私には断る理由もないので、これからもいっしょに走るだろう。

彼の病気が早く完治いたしますように。
アーメン…。