日本人は「私は困ってます。誰か助けてください。」となかなか言えず「できるだけ自分で対処して頑張って我慢しよう。」
と考えがち。
人に迷惑かけない。
協調性が一番大切。と教育されてきたからだ。
みんな同じ。
私は違う所があるから直そう。
合わせなきゃ。
そこばかりに囚われると、心も身体もやむ。
介護を、してる方が「本当にどうもならなくなったらレスパイトやショートスティを頼もうと思う」と先日書かれてた。
自分のまだ大丈夫は案外大丈夫でなかったりします。
子供や孫には笑顔をみせて「大丈夫」と言う方が多いなあ。と私は思いますが。
自分も大切にしてくださいね。
「困ってる。」と伝えてください。そしたら誰か助けてれたり、アドバイスしてくれたり貴方が辛いことを聞いてくれます。
時には、運悪く変なアドバイスもらったりして大変な事になってるひともいます。
そこはチャント判断できる時に早めにしましょう。
震災で妹が困ってるとインスタに書いてたら、心配して手を差し伸へてくれた友達には本当に感謝。
私は「高野山の心の相談の講習をうけてから」
「今、こうあるから困ってる」
「こういう物が足りない」
「お寺のここを直して下さい」
「お寺の境内管理助けてください」
「こういう、ビジョン(将来的にこうしたい)」
「なにか、いいところない?」
とその都度、声に出すようにしてます。
すると直ぐにだったり。
忘れた頃だったりはしますが。
「前、こういってなかった?」と助けてくれる方が多いです。
そして、お寺でも相談に来られるとご祈願やお供養すると共にプロにも橋渡しします。
ひとには得意、不得意があります。
身体も悪くなります。だからこそ、助け合います。
「もう、バーンと爆発しそうだ!」という方が来られました。
「そこまで、こころに苦痛であったら、そこは、どうにもならないから自爆するよりは、諦めて他のやり方みつけてみませんか?」と話しました。
どうにもならないことも、生きてたらあるけど。
この人と距離をとったり、自分だけの時間を持つことも大切なんだろうなあ。と思います。
相手はかわらない事がおおい。
自分の対処しょの仕方を変えても無理なら離れるのがいいのかなあ?
と思うがなんで、私が損してまで。と思うと固執してしまう。
ばあちゃんが「損して特とれ〜」「生きなはい。生きとればどうにでもなる〜」「いのちとられんなら、うんと言っときなさい」と言ってた。
片目が見えないので、この子は結婚できないだろうと大阪の人間国宝の先生に、弟子入りさせられた。
きっと凄い苦労してるんだろうなあ。
そして、山がたくさんある家の次男と思って結婚したら〜大変で。
8人子供を産み2人幼くしてなくして、じいちゃんは仕事を辞め僧侶になりお寺を築いた。
祖母は浄瑠璃を教えて子供を育てた。
私は晩年のばあちゃんしか知らないがいつも、ニコニコしていた。
夕方一緒に散歩によく出かけた。それが色々な話しを聞けて良かった思い出になってます。
苦労したからこその言葉何だろなあ。と、本当に思う。
ばあちゃんも、いろんな人に支えられたんだろうなあ。て自分もささえたんだろうなあ。
「急にダニとシラミだらけの人をかわいそうと家に上げてご飯あげて家の畳にシラミがすごかった。そういう事が結構あった。家も貧乏なのに、もー。汚いし。臭いし。でもやさしお母さんやった。」という昔ばなしもある。
いま、苦しんでるんだったら声に出してみて下さい。
我慢しすぎはよくないです。
今どきの若いものは我慢ができん!とお叱りの声が多く届くが、みんながみんなそうではないし。
年代で一括りは辞めたほうがいいとおもう。
あと、自分の我慢できる許容範囲も、違うと覚えておいて欲しい。
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