「うちのコ変わってるんですよー😁」
「カワイイねえ。面白いね。大物やなあ😁」
とわらって話す。
のは、ほのぼの。
それが「うちのコ変わってるんです大丈夫かなあ。私の育て方が悪いんかなあ?」
となると危険。
集団生活で皆と考え方違ったり、目立ったりすると親は心配になる。
でも、人間って皆ちがう。
言葉の捉え方も、おんなじ用に聞いてても違う感じ方をする。
それは、違いであって、変ではないんだけど。
時には、自己肯定感が低くて「なんで、そんなふうに捉えたん?」となることもあるけど。
自己肯定感ってね。
くわばたりえさんのユーチューブでご主人さんが「なにか凄い能力もらえるとしたら何が欲しい?」
「私なんでも持ってるからなあ〜いらない。というか、できないことを、気にしない能力あるから」
ご主人が、「神の手をもつ、医者は?」
「誰かが神の手持って人助けしてくれたら嬉しい。私は貴方に愛される能力ほしいわ」
と言ってたのをみて、今の自分に、満足して幸せと思える能力持ってるって幸せなんやなあ。
とおもった。
周りと比べるから自己肯定感が低くなるし。
欲しいものも周りと比べたり、無理したり。
自分で自分や子どもわ苦しめてたりしてるのでは?
「ちょっといいかげんにしなさい!みんな学校で勉強しよう時間よ!」とつい注意の言葉にも誰かと比較した事を、いってる。
語彙力高めないと。
伝え方で、気分を、お互い害してしまうことの多いこと多いこと。
差別はダメだけと。
密教には差別(しゃべつ)みんな違う!ということを知った上で平等に利益が仏様から届きますように。
と僧侶は祈る。
私は
ニッカさん。
奥さん。
先生。
あきちゃん。
お坊さん。
お母さん。
娘さん。
お姉ちゃん。
篠原さん。
人からの呼ばれ方が私だけでコンだけある。
私は私なんだけど多面性もあるし。
私の中でもコンだけ違うと知る。
みんなやってみてください。
役職あったら、もっと増えるよね。
子どもも外では親の知ってる子どもでないこともある。
「子どもを信じてあげて。嘘でなくて、一人ひとり感じ方は違って、今苦しんでるんだから、強くなれ。我慢しろ。でなくてたぶん、今まで自分なりに我慢した限界の間際に親に助けを求めてるから。今を大切にね、いつかは親を頼らなくなる時も来るからさー。今は子どもファーストで😆」
わかってたつもりでも、親子でも感じ方は違うから。年齢と共にズレはててくる。
「先を考えたら甘やかしては駄目になる」
そんなの誰でもわかってるけど。
いま、の選択は生命をまもる。
だなあ。
とあとは、あとで、ついてくる。
そう強く思い神仏に祈ることは、大切だ。
人間みんな一緒だったら科学も医療も進歩してないか?凄くしてるか?
それもわからないなあ。
未来は未来。
苦手なことを自分が知って認めて感謝して暮らすのが幸せなんやろなあ。
つい自分の子供には欲が出る。
自分を、棚におき。
「昔はね。」なんて言っても「知らんし」と言われるような昔ばなしはいらないと思う。
私は昔ばなしを聞くのは好きだ。
それは苦しい時代の話しも、ここは楽しかったなあー。嬉しかったなあ。
と楽しそうに苦しい時代の話も話す人の話しは面白いからだとおもう。
「いまそれしたら、一発でアウトやなあ!ヤバイ!、」と言う感じです。
ゴールデンウィークでお子さんとの時間が増えます。
お仕事でそうもいかない方もいると思います。
「よそは、よそ!うちは、うち!」
よく聞く言葉ですが。
大人がそれが出来て無いことがおおい。
親子一緒の時間は人生あっというま。
そして、まだ親がいる方、子供として親といられる時間も、そんなには無いですよね。特に遠方にお住まいだと。
ゴールデンウィークに限らず。
せっかく縁あって親子になったんだから。
ケンカしたり
重荷になるようなこと、言ったりせずに平和に暮らしたいですね。
なんで、こんなこと話してるかっていうと。
新学期の疲れがいま出てる、お子さんが多くてゴールデンウィークはそれを、発散できる大切な時間だと思うから。
特別扱いとかでなく。
ゆっくり過ごす。
ハードに楽しく遊びが回る。
それもストレス解消それぞれですね。
お寺に来てお茶でお話でも良ければどうぞ。
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