「なんだろう?真剣味がないなあー。本当に思ってるのだろうか?」とずーっと思ってたら。
なるほどな。
と言うことが後々わかる。
本人は、いつも通りの、つもりなのだろうが、大人はなんとなく誰でも感じると思うんだよなあ。
親と子供や友達や近い存在にはなら「どうしたの?なんかあった?」とか「嫌ならやめなさいよー。」と言うけどそうでないなら聞けないよなあ。
後々分かった理由によって「そうだったのかー?大丈夫かなあ?」と心配したり。
「なんだ、気分が悪い。私は馬鹿にされてたなあ。」となることもある。
自分はうまくやってるつもりでも。案外と他者は分かってることが多い。
相談に来る方と話してると思う。
この前の人は、凄く凄く心配してたのに真逆でガッカリした。
自分はこの人の為だと、財力も時間も割いてヘトヘトになるほどボランティア感覚で一緒に過ごしてきてたけど、急に「やめましょう!」と言われドット老け込んでた。
きっと、この方が「いいよーいいよー。」と優しさで行ってた行為事態を相手は頑張って行ってくれてるとは、気がついてないのでは?
と言うと。
「いや!わかっとるよ。努力が嫌になり楽しい事に逃げたんやわ。私とのことは結果はすぐでらんけんなあ。私が死んだあとも、続いたら結果よりれきしに残るんじゃけどなあ。そう思ってしたんやけど。最近は心、ここにあらずやったけど。疲れとんなあ。とますます心配て色々差し入れしとったんじゃ」とのことでした。
この方は「まだ立直れんし。はがいいけん!自分が今度は主になってしよ!と思うよ。人の夢にのって応援したけど、自分の夢にしようと考えかえてみたわ。まだ、ちょっと休むけどなあー。やめんとおもうわー。」と最後には意欲を語ってましたが。
周りから「ほら見たことか!」と言われたのも辛ったとのことです。
「いや。他人にそこまでできる人はいないですよ。仏様はみてるよ。その人が貴方のことを利用してポンと乗り換えたんなら、自分に返ってくるよね。不思議とでも、自分がその人への怒りのイメージや憎しみを、抱けばボランティア精神で頑張って捧げたことも不のの、想いに変わるから同じ次元になるか、それ以下になるから、その上をいき。楽しい事が成功すればいいね。そして次は誰かのために尽力を尽くしなさいね。」位がいいよ。
「自分が怒りや憎しみに支配されたら身体も心も悪くなるよ。お不動様はみてるよ。
その時、その時他者が困ってるからと布施と下座行でその人を救おうと菩提心を捧げたこともお不動様はみてるよ。これからは、お寺に尽くしてね(笑笑)」とお茶をのんで帰られました。
相手に怒りつづけることは、アホらしい。
この前も「ご飯が食べれんほどキツイ。怖い。旦那に浮気された相手の生霊かなぁ?」「いやー。アンタが生霊飛ばすぐらい飛ばしてたんやない?と思うくらい憎んで怨んでるよね。それで心も身体もヘトヘトなんよ。きついよね。裏切られると、なかなか許せんよね。」と言うこともあります。 毎週、お参りに来て自分の心を浄化させていってます。
と言うこともある。
思えば旦那さんは、最近心ここにあらず。スマホばかり見ていたそうです。
眼の前にいる人を大切にしないと、相手はきがついてますよ。
もし相手は気がついて無くても仏様やご先祖様は見てます。
そこを忘れないことだなあ。
相手には気が付かれてない!と思って油断したり過信してると目の前から、大切な人を失うのになあ。
とお参りに来る方と対話で感じました。
人の縁不思議だし、大切にしないと切れてしまう。
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