すがる。
仏様にすがる。
あまり普通の方には、馴染みのない言葉だと思う。
うちのお寺には「すがり堂」があります。
私の小さな頃はたくさんの人が、父に参ってもらう前や後に、お百度を踏んで滝に入りすがり堂で、おすがりの行をする。
というのが普通だった。
お坊さんに参ってもらって、その上で自分も、修行する。
ってことを普通に信者みんな頑張っしてたなあー。
最近は「修行するぞー」って方は、お坊さんは要らない!自分が参れば大丈夫!!
とちょっと違う?なー。仏法僧と自分だよ。
と言っても「自由に参るから大丈夫です。本もネットもありますから?」なんて感じか?
お坊さんに参ってもらえばいい。
修行なんてだいそれた事は無理です。
といった感じが多いかなあ。
ばあちゃん。
おかあさん。自分。と代々お参りのされてる方でも修行をする方は減ってます。
是非、自他力。
自分と僧侶と仏様のバランスを大切にして欲しい。
ネットではダメなんだよーなあ。
一人一人にあった、その時の修行あるんです。
むやみやたらに、苦行それは違う。
身体と、心と社会状況と家族。
それを考えしなければ意味がなくなる。
さて今日は護摩焚きです。
すがる。
お不動様におすがりしませんか?
大きな声で「助けてー」と。
一心不乱に御真言を、お唱えしてみませんか?
不思議を絶対いただくぞ!!ではなく「なにかお知恵やご縁を導いてください。」とおすがりしてみましょう。
私達人間の力なんてちっぽけだけど偉大なる力も持ってるんです。
雨降りですが宜しくお願いします。
行きたくてもいけない!って方はラインやメール屋インスタグラムやお電話やFAXでもお申し込みてまきます。
コレなくても「助けてー」と添護摩を頼んで家からお参りしましょう。
こう言う、お話しはお寺へどうぞ。
本来はなにかあったから参るではなく。
毎月参るというのが信仰なのですがー。
そのよさがなかなか、伝わりづらいのかなあ。
父が「1年続けば良いと思え。みんなお参りは続かんのぞ、毎月お参りに来てる信者さんはすごいぞ!」とよくいっていた。
それは本当にそうやなあ。と思う。
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