人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

今帰仁 【3】

2015年10月25日 11時23分22秒 | 日記

  古宇利(こうり) <1>

古宇利(くぅーり)島は

恋の島、神の島であると言う伝承がある有名な島です

ほぼ円形の形をした降起サンゴ礁の小島で

面積は 3.13k㎡、で周囲は7.9キロメートル

(車で10分程度で回れる)


206世帯数

人口は368人(外国人含む、2014年12月現在)


今帰仁村(そん)運天より1.5キロ離れた離島です

運天港との間に船が運航して往来していた


現在では、古宇利大橋(1.96キロメートル)が

2005年2月8日に開通した


ワルミ大橋(315メートル)が2010年12月18日に

開通して今では車で往き来するようになり

とっても便利になっている


住民は農業約7割、漁業約2割で1割の方が

サービス業に従事している


農業ではサトウビや紅芋、などが中心で

漁業はウニが有名である


古宇利島は人類発祥のの地

信仰の島、恋の島(くいじま)として

観光地として全国的に人気を集めている


また、神の島

信仰の島として今も神々に囲まれたシマである

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今帰仁 【2】

2015年10月20日 00時02分30秒 | 日記

 今帰仁 <2>

今帰仁は(なちじん)は

両親が生まれ育ったムラである

私は大阪で生まれ5歳の時に両親のシマ 今泊まりに

家族とともに引き揚げてきた


当時は合併前で親泊(えーるまい)と言っていた

私は、小中校と親泊で育った...故郷である


そのころは電気も水道も家に無い時代であったが

海や山や川が流れ田園風景があり

自然豊かな森を保有する

美しい景観のある故郷であった


今でもシマを誇りと愛着を持っている

その頃は昔ながらの、神事、祭祀

祭りなど古式豊かに行われていた


沖縄本島北部を山原(やんばる)と呼ばれていたが

明治41年に北山の領域であった山原を国頭郡と言い

間切を村(そん)ムラ、シマを字(あざ)と呼ぶようになる


私達の年代は今でもふるさと今泊をシマと呼び

公民館をムラと呼んでいる


今帰仁を紹介するにあたり村(そん)を間切

字(あざ)をムラ、シマとし地名を方言読みで紹介する

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今帰仁 【1】

2015年10月15日 01時13分52秒 | 日記

 今帰仁(なきじん)<1>

今帰仁(なちじん)には

独特の自然風土や歴史文化がある

海や山や川が有り


現在も自然に恵まれ緑豊かな村である

那覇市とほぼ同じ面積(39.87k㎡)


また世界遺産に登録された今帰仁グスクを有している


1666年に今帰仁と伊野波(現在の本部)

の二つの間切(そん)に分割される


間切には地頭代はじめ総耕作当や夫地頭や首里大屋子や

掟などの役職があり、間切の長は地頭代

間切長さらに村長へと改称され現在に至っている


また、今帰仁は信仰の間切(村)でもある

御嶽は各ムラ(あざ)にあり

21カ所の神アサギがある


合併したムラ、玉城ムラ3カ所、書誌ムラ2カ所

今泊ムラ2カ所の神アサギがある


近年出来たムラ越地ムラ、呉我山ムラ、渡喜仁ムラには

御嶽や神アサギはない


祭事、祭祀のあるときは元のムラに参加している

管轄の神人(ノロ)が年間を通して決まった

祭祀を執り行っている


また、琉球開闢7御嶽の一つクバ御嶽(クボウ御嶽とも言う)が

今帰仁間切にある


今帰仁は今も多くの信仰を集め年間を通して

聖地として多くの御願(巡礼者)する方が訪れている


今帰仁間切には19のシマ、ムラ(あざ)がある


世帯数4233 

人口 9、628人外国人含む(2014年12月現在)


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沖縄の宗教【26】

2015年10月10日 00時03分52秒 | 日記

 ニライカナイ <2>

ニライカナイは「ニライ」「カナイ」の2文節にわけられ

ニライは根の方という意味と

考える説(伊波普猷説「あまみや考」)が有力である


カナイの解釈には沖縄語に多い韻をとるための

無意味な言葉とする説(伊波説)や

「彼方」を意味する説など諸説ある


谷川健一はニライカナイは根浦

カナイ金浦で金のように堅固な場所の意で

あるという「儀来河内」の漢字が当てられることがある


他界概念の呼称として

「ニライカナイ」という言い方が広く知られているが

ニライの文学的表現でニライのほかにも沖縄の各地によって

ニレ・ニヤニ・ニルヤ・ニラ・ニッジャなど

さまざまなに呼ばれている


また、梵語で「地獄」を意味する「ninaya」と

その音訳字「泥犂」の発音が「ニライ」と類似していること


また、同様に梵語で「消える」を意味する「kanaya」が

「カナイ」であるとしてニライカナイは

「地獄に消える」意だと主張もある

  

    沖縄の宗教1~26は、Wikipediaより転載、引用する。

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沖縄の宗教【25】

2015年10月05日 00時02分21秒 | 日記

  ニライカナイ <1>

ニライカナイとは

沖縄宗教信仰の重要な要素の一つである


ニライカナイ

遠い東の海の彼方、または海の底、地底にあるとされる異界

ニライカナイは豊穣や生命の根源であり神界でもある


年初めはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし

年末にはまた帰るとされる


また、生者の魂もニライカナイより来て

死者の魂はニライカナイに帰ると考えられる


沖縄では死後7代にして

死者の魂は親族の守護神になるという考えが信仰されており


後生(ぐそー・あの世)であるニライカナイ

祖霊神が生まれる場所であると考えられている

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沖縄の宗教【24】

2015年10月01日 00時01分14秒 | 日記

 他界概念

沖縄の宗教では

神がいる他界概念としてニライカナイ

オボツカグラを想定する、ニライカナイは海の彼方


あるいは地定にあると概念され

そこは豊穣と命の根源となる異界である


ニライカナイ信仰は東方信仰と混交して

東方にあると概念されるようになった


一方オボツカグラは天空にあると概念される異界である

もともとは国頭地方の信仰と考えられ

琉球王国時代に喧伝されて


王権神授論的な権威付に用いられた

ニライカナイは水平線上の庶民的な

オボツカグラは垂直にある権威的他界と云える


琉球王国が滅ぼされた現在では

ニライカナイへの信仰が一般的である

ちなみに西方には魔界があるとされている

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