人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

袋中良定【5】

2020年09月25日 00時00分26秒 | 日記

  袋中に厚く帰依した

馬幸明が琉球は神国であるのに未だその伝記がない

 

是非とも書いて欲しいと袋中に懇願した

袋中は旅行中の身であることを理由に断ったが

 

あまりに懇願するので

琉球神道記五巻・琉球往来記一巻を著わした

 

檀王法林袋中上人―琉球と京都の架け橋・飯岡西方寺関山記

寤寐集(ごびしゅう)などに、その経緯がしるされている

 

また、馬幸明という人物についても詳しく記述されている

馬幸明は那覇港に勤める士族、国土黄冠の中で

 

最高位となる位階三位で王府の高官であるとしている

しかし、琉球では、王、その一族、上級士族には

 

すべて家譜(系図)を作ることが決められていた

馬幸明に関する家譜がない

 

袋中の著書には、詳しく、多く記されている

そのため実在の人物であると推測されている

 

袋中の著書、琉球神道記から沖縄の正史である、

中山世鑑・地誌・琉球国由来記などは

 

参照、資料とされていることが多々あると

歴史学者の東恩納寛惇は述べている

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

袋中良定【4】

2020年09月20日 00時00分20秒 | 日記

  琉球に仏教が伝来したのは13世紀頃

禅鑑が来流し浦添に極楽寺を創建し住寺したと

 

中山世譜・琉球国由来記巻の琉球諸寺旧記序に

仏教が伝来したのが始めてであるとしているが

 

753年鑑真が来流したと云う伝承もある

その後14世紀頃、真言宗・臨済宗が伝来し布教した

 

両派の修行や難解な仏法の教に比べ

浄土宗の教は、易行・易修の教は

ただ念ずるだけで救われ

 

誰でも特別な修行をしなくても

念仏を唱えるだけで救われると教を説いたため

一般民衆に易行易修の信仰が広まった

 

琉球国由来記に「俗にやはらげて」初めて

那覇の人民に伝ふと記述があるように

 

土着信仰の強い

沖縄においてたやすく受け入れられたと記されている

 

浄土宗は、袋中帰国後継承者がなく

また、三年後(1609年)薩摩藩の侵攻があり

 

1659年薩摩で行っていた禁教を沖縄においても

キリスト教と浄土宗を禁教とした

 

そのため浄土宗は次第に衰微していった

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

袋中良定【3】

2020年09月15日 00時00分25秒 | 日記

  袋中は以前より

中国明に渡り仏法を学びたいと望んでいた

 

五十二歳(1603年)の時

意思を固め郷里の磐城を旅たち

 

明への便船を求め九州の長崎平戸より

出国したとされている

 

しかし当時は日本と中国明との関係は断絶状態であり

日本人は入国出来なかった

 

やむなく琉球に渡り

そこで渡明する機会を待つことにした

 

袋中が琉球に渡った経緯については

「袋中上人絵詞伝」と

 

「檀王林袋中上人―琉球と京都の架け橋」に

詳しく記されている

 

袋中は渡船を待つかたわら

念仏布教を熱心に活動していく

 

士族で王府の高官那覇港に勤めていた馬幸明が帰依し

また、儀間真常も深く帰依する

 

儀間真常は沖縄の五大偉人の一人である

中国から伝来したウム(甘藷)の普及、

 

砂糖の制法の伝播、琉球絣の木綿栽培、織などの

沖縄の産業の基礎を築いた人である、

 

袋中から儀間真常に「麻性家譜」に

袋中直筆の「受了徳公」書を賜ったと記された

掛け軸が残されている

 

時の七代目尚寧王も

袋中に厚く帰依して松下町に桂林寺を建立し

袋中は居寺し布教活動をしていく

 

多くの人々の信仰を集め

沖縄の文化に大きな影響を与える

 

「袋中上人絵詞伝」や

「檀王林袋中上人―琉球と京都の架け橋」に

詳しく記述されている

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

袋中良定【2】

2020年09月10日 00時00分21秒 | 日記

  袋中良定は、1552年2月23日福島県いわき市で誕生

1565年、十四歳の時出家し、袋中良定と称した

 

十六歳の時、如来寺に入寺

二十歳の頃に山崎の専称寺へ修行のため行脚し

さらに本山である、下野国大澤の円通寺にて修行

 

それから聖衆来迎寺で比叡山の高層泉僧正に

大戒の受得を願い円頓戒授けられる

 

1576年、二十五歳の時江戸増上寺に入寺

浄土宗白旗派の奥義を極め

 

また、足利学校において禅を学ぶ

1580年、二十九歳の時

 

故郷の成徳寺に住侍として就任し

成徳寺の十三世と成る

 

1599年、四十八歳の時、

大守岩城貞隆が袋中に帰依した

 

場内にて布教活動しながら

著作書を多数著わす

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

袋中良定【1】

2020年09月05日 00時00分39秒 | 日記

  袋中良定とは、沖縄に初めて浄土宗を伝え広めた

浄土宗の学僧で睦奥国磐郡の出身である

(現在の福島県いわき市常磐西郷町)

 

琉球国由来記や中山世譜に袋中上人の

功績、事績が記述されている

 

仏学を求めて

中国明へ留学を志して渡海する事を決意するが

 

その頃の国際情勢は、豊臣秀吉の朝鮮侵攻で

中国明王朝は朝鮮を支援していた

 

そのため日本人が明に入国することは困難な時期であった

まず琉球に渡り、渡明の機会を待ったが、

 

そのような国際情勢のなか、

外国船も日本人を恐れて乗船出来なかった、

 

琉球に三年滞在し渡明する機会を待ったが叶わなかった

その間、袋中上人は浄土宗を教え広めた、

 

熱心な布教活動で国王・王府の高官始め

多くの人々が帰衣する

 

また、琉球神道記5巻・琉球往来などを著わし

寺院の建立、伝承など多く残されている

 

琉球には袋中上人にまつわる石碑など多くある

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

儀間真常【4】

2020年09月01日 00時00分42秒 | 日記

  儀間真常は、ウム(サツマイモ)の栽培方法を普及

後に日本全国にも普及されていく

 

木綿(きわた)の栽培法と木綿織の普及

 

そしてサーター(砂糖)の製法を全島に広め

琉球国の産業の基礎を、国の主要産業として発展して行く

 

浄土宗学僧、袋中良定が仏学を求め

明国へ留学を志していたが

 

その頃の国際情勢は豊臣秀吉が朝鮮に侵攻によって

朝鮮を支持していた明国とは外交関係は悪く

 

日本人が明国に入国する事は困難な時だった

明国と外交関係あった琉球に1603年袋中五十二歳の時渡り

 

度明の機会を待ったが、琉球、外国船も

日本人を乗せるのを恐れて乗船できなかった

 

袋中は3年琉球に滞在することに成る

 

袋中は渡船の機会を待つかたわら

浄土宗の教えを、熱心に布教活動を行った

時の王尚寧や王府高官始め多くの人々が浄土宗に帰依した

 

真常も袋中の教えに深く帰依し

熱心な信者に成ったと言われている

 

真常は袋中から多くの教えを受け

そうして袋中から直筆の受了証たまわっている

 

仏学の願い叶わず、1606年袋中帰国する

その三年後1609年薩摩藩の侵攻を受け

尚寧王は薩摩に連行され

 

その後尚寧王一行(髄員約百人)は

将軍徳川秀忠に謁見のため江戸への道中

京都の伏見で尚寧王、真常も袋中上人と親しく再会している

 

那覇市奥武山町にある世持神社に蔡温、野国総官とともに

国の恩人として儀間真常も祀られている

 

儀間真常は功績により紫冠に叙せられ

儀間真常と称した

1644年八十八歳の時死去

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする