人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

久米三十六姓【5】

2016年06月25日 00時03分54秒 | 日記

 久米村は、中国明王朝の朝貢交易に

重要な担い手と成って、政治力、経済力を手にした

久米三十六姓の地位は極めて高く

流球国の政治に深く影響を与えて

朱明府と呼ばれるようになる

 

察度王(在位1350年~1395年)の時代

1392年に閩(びん)と呼ばれた現在の福建省から

渡来してきた人達を閩三十六姓と呼ばれた

彼らは大多数が福建省出身の

客家であったことが明らかになっている

 

客家とは漢民族で古代中国の中原(都)の

王族の末裔で政変によって王朝が交代したとき

権力の座からの追放、戦乱から逃れるため

中原から地方に落ち延びて

移住先から見てよそ者であるため、客家と呼ばれた

 

客家は移民のため土地の所有が困難のため

商業や流通に従事することが多く

そのため子弟には教育熱心であった

その客家が、東南アジア、東アジアに渡り

そして琉球にも渡来してきた

この客家が華僑のルーツだとされている

 

シンガポール初代首相の

りー・クァンリュー、二代、三代目首相

フィリピンの大統領、コラソン・アキノ

現ベニンク・アキノ大統領や

タイのタクシン・チナワット元首相

インラック・チナワット前首相

中国の元最高指導者鄧小平なども客家の出身である

 

沖縄の政治家に多数、

久米三十六姓の末裔の出身者がいる

前仲井間弘多知事(蔡家)(2006年~2014年)

元稲嶺恵一知事(毛家)(1998年~2066年)

元平良松那覇市長(馬家)(1968年~1984年)なども

久米三十六世の末裔出身者で

 

教育者、経済界にも多数の方が活躍して

沖縄の政治、経済に多大の影響力を与えている

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久米三十六姓【4】

2016年06月20日 00時02分23秒 | 日記

 中国明王朝の海禁政策の廃止

西洋諸国のアジア進出などで

衰退した琉球久米村は

 

1609年に薩摩軍が侵攻して

流球国は政治的独立失うが

薩摩の支配の中で琉球は

中国明朝との君臣関係を保ったまま

薩摩の政策監督によって

冊封朝貢交易を維持し推進して行く

 

王府は荒廃した久米村を

朝貢関係を維持する復興強化を図る

身分の保証、中国への官費留学

経済的優遇策などの特権も与えられた

荒廃していた久米村は往時の繁栄を取り戻した

 

諸外国との貿易を背景とした

久米三十六姓は政治的、経済的に

その地位は極めて高く大きな影響を与えていく

 

流球国の正史である、中山世監(1701年)を

編纂した蔡鐸や多くの政治家、三司官の鄭迵、祭温

王府の要職、学者、教育家など久米村から排出して

流球の発展に寄与していった

 

そうして久米村を朱明府と呼ばれるようになる

朱明府と呼ばれた、三十六姓によって

流球が廃藩置県になるまで

約500年の間、外交、貿易に従事した

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久米三十六姓【3】

2016年06月15日 00時02分16秒 | 日記

 久米村を「くんだ」久米村人「くんだんちゅ」と呼び

流球は「くんだんちゅ」によって

朝鮮、東アジア、東南アジアとの中継貿易よって

一時代を築き繁栄を極めた

 

それには中国明朝の朝貢冊封体制よる

海禁政策によって民間人の海上貿易を禁止し

正式な朝貢使節とのみ交易を行う

政策によって琉球は中継貿易として存在し、存在を増していく

 

中国明朝は、琉球を通して必要としていた

東南アジア、日本産品を入手していた

そのため琉球を重要視し海船も下賜し(30隻以上)

修理もしたと「歴代法案」に記述されている

 

流球は、1550年代には最盛期を迎える

 

1567年に中国の海禁政策が廃止され

中国の海商人が続々と、東南アジアへ進出し

西洋諸国もポルトガル、スペイン、オランダ

などもアジアへ貿易のため進出してきた

 

流球の中継貿易として失われ流球国は衰退していく

それに合わせて久米村も衰退し荒廃していき人口は激減した

 

1606年尚寧王の冊封のため来流していた

夏子陽は六家のみと記録している

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久米三十六姓【2】

2016年06月10日 00時03分04秒 | 日記

流球の中継交易の成功は

中国の明朝を中心とした

冊封朝貢体制という前提がなければ成立し得なかった

他の朝貢国と比べて優遇されていた

 

流球は、1474年では朝貢は制限なく年に

数回朝貢することが出来た

 

流球は、朝鮮、日本、東南アジアにいたる海域において

海上中継貿易で一時期を築き繁栄を極める

流球史ではこの時代を大交易時代と呼ぶ

これらの繁栄の原動力と成ったのは

久米三十六姓である

 

彼らは流球から与えられた地に定住し

自分たちの住む集落を唐栄、唐営

または唐中と呼び、後に久米村と称される

久米村は、城壁に囲まれ琉球国の

対外交易、外交の拠点となる

 

また、三十六姓は

流球に儒学、言語、社会組織、建築、宗教

中国文化など、各分野に多大な影響を及ぼし

沖縄文化の中に残し

現在も色濃く残している

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久米三十六姓【1】

2016年06月05日 01時07分47秒 | 日記

 久米三十六姓とは

今から約620年前察度王(1350~1396)の時代

中国の明朝洪武帝の時代に、閩から渡来し

浮島と言われる一角に居住し久米村を作った

浮島は、国場川、久茂川、安里川と海に面した島である

 

閩とは現在の福建省の古名で

三十六姓とは漠然とした数字で

大勢の人が閩から渡って来たため

久米三十六姓と呼ばれた

 

流球の正史と言われる、中山世譜(1701)に

1392年中国明朝洪武帝より他の下賜品に加えて

閩人三十六姓を賜ったとの記述があるが

しかし、中国明側の同時代の史料である「明実録」

等にはこうした記録が無いと言う

近年では研究者の間では、三十六姓の

下賜説については疑問視している

 

一般的には察度王の時代に中国明朝との

冊封体制関係に入り交易、商売目的に

中国、琉球間を往復しているうちに

居住し定住したとされている

その後も随時琉球に渡来してきている、と

 

流球は交易立国として

対外貿易、外交文書の作成

通訳、造船、航海術などを担う専門職能集団として

中国、東南アジアとの外交貿易などの交渉を遂行し従事した

 

流球は中継貿易によって大いに繁栄する

この繁栄は、久米三十六姓によって成し得た物である

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おもろさうし

2016年06月01日 00時00分40秒 | 日記

  おもろさうし

「おもろさうし」とは

12世紀頃から奄美、沖縄の島々村々で謡われ

伝承されてきた、歌謡を

 

第二王統4代目尚清王(1527~1640年)の

1531年から、8代目尚豊王(1621~1640年)の

1623年にかけて

琉球王府が収集し編纂した

沖縄最古の歌謡集(おもろさうし)で

全22巻収録されている

 

おもろは「思い(うむい)」の転訛りであり

おもろは神前で謡われた

祭祀歌謡だと考えられている

 

「おもろは」は主に

平仮名で書かれまれに漢字も混ざっている

今では使われていない


沖縄の古語が多く含まれ

難解で最初は何を書かれ何を歌われているのか

専門家も理解できなかった


近年になって

解読が進み大部分が理解されるようになっている

 

宗教的神謡が多く

祭祀、儀礼の場で謡われたのが中心で

14巻偶数を占めている

 

琉球開闢や天体・王・英雄・神職者・航海者・戦争

風景・築城・天象など謡われている

恋歌が少ない事などが特異である

 

短いものは二~四行のものもあり

長いものは四十行のものなどもある

韻文や対句を用いている

 

「おもろ」の謡数は1554首あるが

重複があり実数は1248首ある

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