人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

今帰仁城【8】

2016年03月25日 00時01分31秒 | 日記

 後昔北山時代 <2>

北山は、攀安知(はんあんち)の時代までに

交易などによって経済力、軍事力

政治力と北山は全盛期を迎える


史書中山世監、球陽に攀安知は

驕り、淫虐無動で善政を行わず独裁政治になり

北山側の各按司は離反していったとある

 

佐敷按司尚恩招は

1406年に中山王武寧を攻撃し滅ぼして

尚恩招が中山王になりその子尚巴志に命じて


1416年に、読谷按司、越来按司、浦添按司による

連合軍に北山から離反した

国頭按司、名護按司、羽地按司も中山連合軍に組して

大軍をもって北山を攻め


激しい攻防が繰り返されたが

北山城は難攻不落の城で

戦いは3日続いたが攻め落とせなかった


尚巴志は策を講じ

北山の重臣本部平原を買収し

味方に取り込み北山城はついに陥落し

攀安知は自害し3代94年続いた

王統も滅び独立国としての幕を閉じる

 

尚巴志は1421年父の死の後を継いで

1422年に中山王位に就く


1429年に南山王他魯毎を攻め滅ぼし三山を統一し

琉球国の最初の王統を成立させた

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今帰仁城【7】

2016年03月20日 00時01分25秒 | 日記

  後昔北山時代 <1>

1322年に一族同士の権力争いに勝ち残り

北山の領主に就いたのが怕尼芝(はねじ)である


怕尼芝・(みん)・攀安知(はんあんち)と続き

3代94年、北部地域を統治する


その支配地域は

伊江島・伊平屋・奄美大島地方

国頭・羽地・名護・金武、沖縄本島北部地域

北山を権力の中心として統治していた

 

中国明朝の史書明実録に北山

三王が朝貢を行なったと記録がある


北山に関する最古の文献である

この朝貢交易記録によって

後昔北山は歴史的事実として認められている


前昔北山・中昔北山は裏付ける資料がなく

神話伝説伝承の域は出ない

 

怕尼知は1383年中国明に使者を派遣し朝貢交易を行う

1390年までに6回行われたとある

明朝により、王称号、王冠帯、王依など下賜されたとある


2代目(みん)(1369年~1400年)は1395年に

1回のみ交易を行っている


3代目攀安知(1396年~1416年)は19年間に

11回の交易を行なわれた


三代94年北山を統治して、北部地域は隆盛を極め

繁栄し争いのない平和であった時代とされている

 

怕尼芝(在位1322年~1390年?)の在位期間が

68年と長く初代と、2代、(みん)とのの間に

もう一代あって四代あったと推測されている

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今帰仁城【6】

2016年03月15日 00時27分07秒 | 日記

  中昔北山時代

25代続いた天孫王統は

臣下の利勇の反乱によって1186年に滅亡した


そのため国乱れ四方騒乱になり

人民は塗炭の苦しみを受ける


混沌とした国を再興したのが浦添按司尊敦で

逆臣利勇を討ち善政お行い国を統一した

 

「この尊敦(後の舜天王)は

保元の乱で伊豆の大島に流刑となって

その途上船が嵐に遭い「運は天にあり」と今帰仁の運天に漂着した

地名を運天と呼ぶようになったと云う伝説がある


源為朝は豪族に成り

大里按司の妹と結婚し生まれたのが尊敦で


初代琉球国王であると

中山世監(1655年)正史では位置づけられている

源為朝伝説は史実として証明する史料は無く

伝説の域は出ていないが現在でも根強く語られている


また日流同祖論と関連づけられて議論されることが多い」

 

舜天王統は舜馬順煕・義本と3代72年続き義本王のとき

1259年英祖に王位を譲ったとされている

 

英祖王統は5代90年続くが4代目玉城王は酒色溺れ

政治を顧みず国政は乱れて

南山按司・北山按司が離反して、南山・北山と

小国を形成していったため


統一国家は崩れて

南山・中山・北山と三山時代となる

5代目酉威王のとき英祖王統は消滅する

 

中山は察度が中山王(1350年)として立てられる

この察度王が琉球国で初めて、中国明朝との朝貢を行う

 

北山は英祖王の次男湧川王子が北山の城主(1260年)になり

丘春按司の次の代仲宗根若按司で8代

仲昔北山時代135年続いたとされている


伝説、伝承によって語り継がれたものを

正史として編集された歴史書・外史・各地の門中の家譜によって

知り得た歴史を無理やり繋ぎあわせてみた

前昔北山時代・中昔時代である

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今帰仁城【5】

2016年03月10日 00時13分19秒 | 日記

  前昔北山時代

琉球の歴史書である

中山世監・中山世譜・球陽は琉球王府によるよって編纂された


正史に天地創造の

琉球開闢神話が記されている


天帝(天の最高神)が

阿摩美久(あまみく)と言う女神と

男神志禰礼姑(しねくり)を下界に遣し


沖縄の島々を創造し

九つの聖地と七つの森を創った

その七つが琉球開闢七御嶽として沖縄の信仰において

もっとも神聖な御嶽として聖地として位置づけられている


それから数万年を経て

阿摩美久は天上に上がり人間の種子を天帝に乞い

天帝は自分の子男女の神を降臨させた


女神が吹き通る風によって

三男・二女が誕生した


長男は天孫王統として琉球最初の王となる

次男は地方の按司

三男は百姓の始まりとなり

長女は君君(高級神女)

次女はノロノロ(地方の神女)の始まりとなった


歴史書によると

天孫王統のとき琉球を島尻・中頭・国頭の三国に分け

民に住居の建築や農耕、塩、酢の製法などを授けた


都城を築き首里と名付け

行政の間切を定め、按司を配置し国を治めた

この国頭が北山で今帰仁按司が城主となり

五代続いて国頭(山原地方)を統治する拠点となる


天孫王統は 25代17802年?、、 続いて

最後の王思金松兼が重臣の利勇の反乱によって滅ぼされ

25代続いた天孫王統は断絶した


天孫王統は伝説と伝承によって語り継がれたものを

琉球王府が正史として編纂したものだが


天孫王統は

神話と伝説の域を出ていない

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今帰仁城【4】

2016年03月05日 00時04分36秒 | 日記

  北山城(今帰仁城)

北山城は波乱に満ちた歴史である

前昔北山時代

中昔北山時代

後昔北山時代

監守時代


按司(あじ(主・あるじの転訛)である支配者が入れ替わり

その度に按司一族、家臣は沖縄全島に離散していった


北山から逃れた、按司一族・家臣は各地に子孫が住み

その地に先祖の墓所、石碑などがあり

拝所で今帰仁に向かって御願(うがん)をしている


一族、門中は、ムートゥヤはナチジン(もとは今帰仁)と言い

今帰仁を今でも心の故郷としている


北山の権力攻防に敗れ落ち延び

時代に翻弄された人々は各地に子孫が残り歴史を伝承して

北山由来記や各地の門中の持つ

家譜元祖由来記などの背景になっている


一族による、多くの伝承が語り継がれているが

伝承には理解出来ない物語も多く

脚色された物なのか


同じストーリーが多くあって何が真実なのか

詳細は分からないが歴史を想像し歴史の重みを感じる


史実として資料はないが歴史として

否定出来ないことも多く沖縄の歴史認識として

現在でも根強く語られている!!

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今帰仁城【3】

2016年03月01日 00時05分58秒 | 日記

   北山城

沖縄の歴史書『中山世監』[1665年]

『中山世譜』(1701年)『球陽』

などの歴史書は琉球の正史として編纂された


これらを見ると北山は

天孫王統が最初に北山城を築き

北部地域を支配していたとある


その後に舜天王統系

怕尼芝王統系と続き

中山按司尚恩昭によって滅ぼされる


天孫王統系が支配した時代を「前昔北山」


舜天王統系が支配した時代を「中昔北山」


怕尼芝王統系が支配した時代を「後昔北山」といい


その三代目の攀安知を滅ぼした

中山の尚恩招按司が北山を支配し監守を置いた


この時代を「監守時代」といって

四つの時代区分として北山を語られ


解説されている資料文献が多く残されている(17世紀頃から)


北山王が歴史的に史実として記されているのは

怕尼芝が中国明朝に朝貢した

1383年(史書明実録)から


それ以前は神話や口伝、野史などの

伝承によって語り継がれてきている


琉球国の歴史書は中山王統を中心に編纂されているので

真実の史書として正しく伝えているとは言えない


また、琉球の歴史は文字に記でた物は少なく

沖縄の各地を歩くと

さまざまな拝所

石碑などが多く


それらにまつわる一門の家譜や野史などによって

古い時代の伝承が語り継がれている


これらの伝承の中にも真実が多く含まれていると

特に資料が少ない


北山の歴史について多くあると

『琉球国の真実-琉球三山戦国時代の謎を解く』の

著者 伊敷賢は述べている

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