人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

門中 【10】

2018年02月25日 00時02分29秒 | 日記

 沖縄の士族には、名乗り(なぬい)と唐名(からなー)

童名(わらびなー)の三つの名前を持っていた

名乗りは和名、唐名は中国的な名前である

 

1689年に王府に系図座が設置されたときに

家譜(系図)の提出を命じられた

それと同時に、氏名・名乗りも定められた

 

それ以前は、主に童名であったと言われている

それ以後、士族には名乗りと唐名が明確に位置付けられた

 

童名の名前は、家族と仲間内で、一生童名で呼ばれたと言う

 

和名の名乗りには、最初の一字を名乗り頭(なぬいがしら)と言い

各門中事に、氏名と名乗り頭の一字の漢字が決まっていた

 

たとえば羽地按司「朝秀」の「朝」の字が名乗り頭である

家名(名字)-称号-名乗りを合わせて、和名と呼んだ

 

羽地按司朝秀の唐名は向象賢、「向」は姓名、象賢は諱で

これを合わせて、唐名と呼んだ

 

「向」と言う氏名は王家の分家

そして最初の一字が「朝」付いているのは

王族の子孫であることが分る

 

家名(名字)-称号―名乗りを合わせて和名と呼んだ

名字が違っても、氏名と名乗り頭の一字を見れば

同じ門中(一門)であることがすぐに分る

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門中 【9】

2018年02月20日 00時01分46秒 | 日記

 沖縄には、四百以上の士族門中があり

その個人が唐名と和名を持っていた

 

羽地按司朝秀と言う和名、向象賢と言う唐名である

 

向は名字で象賢は諱と言う唐名である

中国明・清朝との貿易、外交などの公文書に使用された

 

和名の姓名は、また例を上げると、羽地按司朝秀の場合は

羽地は家名・按司は称(位階)で朝秀は名乗りである

羽地間切(今で言う市町村である)を任職している

領地を、家名(ヤーヌーナー)とし

領地名から、名字として名乗るのが原則であった

 

もし領地替えが、あった場合は新しい領地名が家名

名字に代わっていた(家名、名字が6回も変わった人もいる)

 

そのため、親・兄弟であっても、その任職地によって

家名・名字も別々になる

 

和名は、日本との外交文書などの署名に用いられた

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門中 【8】

2018年02月15日 00時16分00秒 | 日記

  門中には必ず、氏名(うじ名)を持っている

氏名とは、中国風の「姓」事である

士族全員が、日本姓名以外に必ず唐名(からな)の姓名を持っていた

 

琉球王朝の本家は尚氏・分家は向氏で

名前も唐名を持っている

 

たとえば、日本名の羽地朝秀(政治家)の唐名は、向象賢と言う

この向姓は、琉球王の分家で

向姓がある場合は王族であることがすぐ分る

 

王族の直系・傍系も名乗り頭には「朝」が付いており

名前に「朝」が付いている人は王族の系統だとすぐに判断できる

 

沖縄には、四大名門門中がある

向氏・翁氏・毛氏・馬氏である

当時の王府の主要な役職は、すべて四門中が独占していた

 

四門中は首里士族の出身で、その氏名を名乗っていた

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門中 【7】

2018年02月10日 00時01分41秒 | 日記

 門中のムートヤー(本家)には

始祖以来の家譜(系図)があり

 

ヤーワカリ(分家)した末端の分家にも

家譜が作成されて受け継がれて来た

 

全ての士族に王府の命によって作らせた家譜は

士族の先祖代々の戸籍と官位・官職・賞罰などの

履歴を記述されたものである

 

士族門中は、四百以上あると言われている

本家・分家合わせると、三千から四千冊の

家譜があったと言われているが

 

去った沖縄戦で大半が焼失したと言われている

 

この家譜(系図)は、王府に仕える士族の

歴史を最も詳細に記録されたもので

 

沖縄の政治・外交・経済などを記述されている

沖縄の歴史を知る、貴重な史料である

 

また士族の身分は、家譜(系図)によって守られ

家譜によって身分は継承されて来た

 

そして、氏名と名乗り頭も定められた

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門中 【6】

2018年02月05日 00時01分46秒 | 日記

 門中はもともと、王府に仕える士族の同じ始祖を持った

血縁一門を表す言葉であったが

 

王府から地方に遣わされた士族役人よって

その土地で平民にも伝わり門中を作り始めたとされている

 

士族門中と平民門中の違いは系図の有無である

士族門中家譜は始祖から代々途切れる事なく

厳格に男系血筋の系図が記述された、家譜がある

 

平民門中は最初の頃

系図は持たなかったとされている

 

門中制度は、北部にはなく南部の集落に門中が多い

 

南部には王府に仕える士族の領地が多く

地方官として赴任していた

そのため南部の平民に伝わり現在まで残ったとされている

 

南部の平民門中は、門中を強く意識し

先祖の共同祭祀・神事は

一門そろって現在でも盛大に行われている

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門中 【5】

2018年02月01日 00時02分31秒 | 日記

 沖縄糸満市に、沖縄最大と言われる幸地腹(こうちはら)

赤比儀腹(あかひぎはら)(腹とは門中の意味)共同の門中墓がある

 

墓地の面積、5400㎡(1600坪余り)に

本墓・仮墓が建てられている

 

墓地の中央に、トーシー墓(本墓)シルヒラシー四墓(仮墓)

ワラビ墓(幼児墓)・納骨堂・洗骨場などがある

 

東側に幸地門中の墓・西側に赤比儀門中の墓

毎年、三十~三十五体程納骨され

現在まで五千五百人以上の先祖は祀られていると言われる

 

両、門中の伝統行事は正月・お盆と、最大の行事は

祖先を供養する、シーミー(清明祭)である

 

毎年三月から四月頃、一門が、墓前に集まり

各所帯事に、重箱詰料理とお酒、花を供えて

一同、心を合わせ御願をする

 

ウサンデー(お供え物をいただくの意味)として

供えた御馳走を皆でいただき、先祖に感謝し先祖を敬い

一門の絆を深め、門中の一員として自覚していく

 

現在は、幸地門中の会員は、約三千人

赤比儀門中は、約千五百人の会員を有していると言われる

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