伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

京都文化博物館・別館内部

2024年01月12日 | 京都の社寺と文化財


気持ちが浮ついているので、少し落ち着こう---。


京都文化博物館・別館の内部は以前も写真に撮ったし、それをブログに書いた。
けれどもとても好きな場所なので何度でも書くのだ。
というより文化博物館へ行くたびに写真を撮っている気がする…。
それくらい好きだからだ。

京都文化博物館・別館はもともと明治39年(19006年)、
旧日本銀行京都支店として建てられた。
設計は東京駅や日本銀行などの設計で有名な
辰野金吾とその弟子・長野宇平治である。
1969年に重要文化財に指定された。

1965年まで銀行として使用され、68年には平安博物館として開館した。
平安博物館(私立)は主に資料的な博物館として研究に用いられていた。
1988年に京都府京都文化博物館として新たに出発した。
2011年にリニューアル改修工事が行われ、
旧日本銀行京都支店の建物は文化博物館の別館として位置づけられた。
現在はイベントなどで使用され、
イベントがない時は解放され、自由に写真を撮っても良い。



京都文化博物館 公式サイト
https://www.bunpaku.or.jp/

別館ホール
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_gallery_hall/exhi_hall/

別館について
https://www.bunpaku.or.jp/about_us/bekkan_outline/

日本の近代建築の祖ともいうべき辰野金吾とその弟子・長野宇平治が設計し、
明治39年(1906)に竣工した日本銀行京都支店の建物です。
明治を代表する洋風建築として昭和44年(1969)に
国の重要文化財に指定されました。
三条通を中心とする「界わい景観整備地区」における
景観重要建築物のひとつとして保存公開しています。



別館は重要文化財なのに自由に出入り出来て、写真も撮れ、
市民に開放されているところがとても好きだ。
重文の建築を気軽に、間近で見られる所がいいのだ。



何度も写真に撮ってるが、とてもフォトジェニックな内部だと思う。

外観は煉瓦づくりで白のラインが美しく、辰野様式らしくて
重厚感があるとともに味わいがある。


内部はこげ茶色の柱や窓口、そして白の壁とのコントラストが
とても美しい。
あまりにも美しいのでいつも訪問するたびにため息が出るほどだ。



かつて銀行だった部分がそのまま活かされ、
客と対応する窓口もそのまま残されている。
アールヌーヴォー風の意匠が美しい。



白い壁にも美しい装飾が施され、柱はギリシャ風のデコレーションがされている。




天井のデザインも凝っていて、
木製の茶色の格天井と四角い天井窓が組み合わさっていて、
シャンデリアがぶら下がっている。
シャンデリアはいつも鈍い光を放っていて、薄暗い場内に存在感を見せている。




博物館内には博物館全体の模型が置かれていて、
建物の全貌を知ることが出来る。

三条通りに面した別館の後ろに本館がある。
別館はイベントが主なのに対し、
本館でいろいろな特集展示の展覧会が行われている。
また本館にはフィルムシアターが併設され、
席数は100と少しくらいだが、意欲的な映画を公開している。
文化施設として意義のある活動をしていると言える。




別館と本館を繋ぐ中庭には府のマスコットキャラクター、
まゆまろがいる。


このように美しい文化博物館・別館の内部が、
美しく保存されているなといつも思っていたが、
実は老朽化が進み、壁にひび割れや漏電などもあるそうだ。
一見、美しく見える白壁も、かなり傷んでいるのだという。

そういえば京都国立博物館の本館も長い間公開されないままである。
以前は本館で特集展示が普通に開催されていたのに。





それがメンテナンスのため非公開となり、
展覧会は平成知新館でのみ行われるようになって久しい。
それくらい本館は痛みが激しいのだろう。
いつになっても改修工事が完了したという告知がない。
ほったらかしというわけではないと思うが、
それだけ改修・保存が困難なのだろう。



文化博物館も京博も文化財であり、
文化財を守る努力はされていると思うが、
明治期の古い建築を保存・活用し、
維持管理してゆくのはそれほど難しいのだろう。
重文に指定されているのに、そしてだからこれら美しい建物を、
何とか後世へと残し、伝えてゆけないものだろうか。
維持管理する技術が進めばいいが・・・。



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平等寺(因幡堂)特別公開

2023年10月19日 | 京都の社寺と文化財
因幡堂(因幡薬師)の名前で知られている、
京都市下京区にある平等寺で普段非公開の本尊(薬師如来)が
特別公開されているのをテレビのニュースで知った。
歩いて行ける場所なので行って来た。


住所は 京都市下京区不明門通(あけずどおり)松原上ル
因幡堂・因幡薬師
京都十二薬師霊場各札所寺院、特別公開
10月7日~10月22日



いつもは烏丸通を五条通りから四条通へ右側を歩いていると、
「因幡薬師」の灯籠が見え、そこが因幡堂だと分かる。
不明門通の突き当りにある。


薬師如来とは左手に薬壺を持ち、
病気を治す仏様として尊崇されている。
因幡薬師として知られている平等寺のご本尊も、
病封じの仏さまとして信仰を集めているようだ。



本堂は何度か火災に合い、そのたび再建された。
特に幕末の蛤御門の変の時のどんど焼けでは堂宇ほとんどが焼失し、
現在のものは明治19年に再建されたものだという。
建立されたのは平安時代にさかのぼるらしい。
(西暦1003年だとか)
京都十二薬師霊場のひとつという。



今はひっそりとしていてとても小さなお寺だが、
建立された時はかなりの規模だったようだ。



ホームページ
https://inabado.jp/

現在は真言宗のお寺で、智山派智積院に属するという。
だから本尊は薬師如来なのだ。

今回、特別公開されたのは、
寺の境内の片隅に建てられた小さな収蔵庫のような所の内部だ。
境内からしてとても狭いが、本堂や収蔵庫も狭い。



その小さな収蔵庫の中に本尊の重要文化財である薬師如来立像があった。
本堂にはお前立が置かれてあり、
文化財の本尊は別に保存されているという、よくある形であった。

残念ながら収蔵庫内部の仏像は撮影禁止だった。
(古い文化財なので当然なのだが)



収蔵庫に保管されていたのは↓

本尊 薬師如来立像(重要文化財)平安時代
桜の木の一木造

脇侍 
如意輪観音坐像(鎌倉時代)重要文化財
釈迦如来立像(鎌倉時代)重要文化財

弘法大師像




本尊の薬師如来像は平安時代の創建当初のもので、
本堂は幾度も火災に合いながら本尊は守られたという。
一木造りだけあって、どっしりした造りで堂々としていて貫禄があった。
経年で黒ずんでいたのが歴史を感じさせた。
(画像はホームページより)


脇侍は如意輪観音と釈迦如来像という珍しい取り合わせだった。
そしてその左横に真言宗らしく、弘法大師の坐像があった。

もうひとつ、毛髪を編み込んだ経典?のタペストリーのようなものがあった。
ガラスケースの中に保存されていたが、
説明によると日本の文化財の中で似たようなものが見つからないので、
重文などの文化財指定が出来ないそうだ。
端っこを見たら、確かに編まれた黒い髪の毛が何本も無数に飛び出ていた。
何百年も前の髪の毛に情念を感じるのだった




洛陽三十三観音第二十七番霊場でもあるらしく、
こちらの観音堂には十一面観音が祀られているという。
(中までは見られなかった)




今は町の中の小さなお寺になってしまっているが、
古い時代から因幡薬師として篤く信仰されて来た
その片鱗が伺えるご本尊の公開だった。



狭い境内の中には新しい馬頭観音像(好き)もあったので写して来た。



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智積院の長谷川等伯

2023年05月16日 | 京都の社寺と文化財
NHK総合の「歴史探偵」という番組で、
京都・智積院が所蔵する長谷川等伯の障壁画について放送された。



「松に秋草図」(一部)


智積院(ちしゃくいん)の障壁画の一部が欠損しているのは
知っていたが、切り貼りされ再構築されていたまでは知らなかった。
番組はCG?でそれの復元を試みたものだった。


長谷川等伯 幻の障壁画 – 歴史探偵 – NHK
https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/L1MRMZ647K/
京都・智積院の国宝障壁画。
戦国の絵師・長谷川等伯の傑作だ。
現代へと伝わる中で切り貼りされて姿を変えた国宝。
現代の技術と研究成果を手がかりに復元される姿とは!?



[歴史探偵] 秀吉感激!!
長谷川等伯 一世一代の大仕事をCG復元 |
NHK
https://youtu.be/dMvBo67Jjl0



智積院というお寺は三十三間堂や京都国立博物館の近くにあり、
東山七条にある。
うちからはわりと近い。(市バスで4駅くらい)
いつか行きたい、そしていつかはあそこの等伯の障壁画を見たい、
と思いつつなかなか行く機会がなかった。
近いからよけいにいつでも行けると思って行かなかったこともあるかも…。

NHKが取り上げたこの機会に行ってみようと思い立ち、
とうとう行くことにした。


智積院ホームページ
https://chisan.or.jp/


智積院とはどんな寺院なのかと思っていたら真言宗のお寺だった。
「真言宗智山派 総本山智積院」というらしい。

宗祖が弘法大師だが東寺とはまた別の宗派らしい…
真言宗については全然分からない(>_<)。。




ただ入ってすぐのところに金堂があり、密教寺院らしかった。
が、見たいのは障壁画なので今回はそこには入らなかった。



明王殿という建物があり、
そこに密教らしく不動明王が本尊として祀られていたので
なるほどと納得した(内部の写真撮影は不可)。


「歴史探偵」を見ていたら、
豊臣秀吉が智積院に功績があったかのように思ったが、
実は現在地の東山七条に智積院があるのは、
徳川家康が中興の祖・玄侑(げんゆう)という僧正に
土地を寄進したからであった。
宝物館には家康の朱印状がいくつか展示されていたのも
そのつながりだからだろう。
秀吉は智積院というより、長谷川等伯に障壁画を描かせた、
秀吉が等伯を重用したのであった。




長谷川等伯といえば国宝「松林図屏風」(トーハク)が
もっとも有名かもしれない。
日本的な侘びさびの最高峰と言われていると思う。
でもあれは未完成だという話もある。下絵だという説もある。
自分も下絵説を支持しているが(←何様💦)、
水墨画としての筆さばきが見事である事には変わりなく、
単色でありながら空気感も感じさせる傑作であることにも変わりはない。


長谷川等伯は桃山時代を代表する画家であり、
「歴史探偵」で触れられていた通り、
能登の出身であり入洛して利休らと交流して人脈を広げ、
当時(いやずっと)主流であった狩野派絵師に実力で割って入り、
秀吉に認められ、
秀吉の子、早世した鶴松の菩提寺に障壁画を描くチャンスを得た。
その菩提寺が現在の智積院である。
智積院の障壁画は秀吉に認められた等伯の出世作であり、
代表作でもある。
桃山時代の華麗な画風と独自の個性が溢れ出ている。





智積院の境内はとにかく広く、名勝庭園(有料)や
あじさい園などがあるようだが、今回は宝物館のみ行って来た。
宝物館は真新しい建物でこの4月に開館したばかりだそうだ。
新しいからとてもきれいで立派な作りで、
外観を見ればかなり広そうに見えたが、展示品はあまり多くない。
(靴を脱いで裸足で入る)
料金は500円。




長谷川等伯とその一派による障壁画は6面で、常設展示されており、
それが宝物館のほとんどを占める。
すべて国宝でそれだけで壮観だった。





展示はまず家康の朱印状から始まって
密教寺院らしい曼荼羅図(両界曼荼羅、金剛界曼荼羅図)の
2面が展示されている特別展示室と、
そして国宝の障壁画が展示されている壁画展示室があった。
奥には再現展示室がある。

「昭和43年(1968年)まで障壁画が収められていた
大書院の上段の間が再現されており、
障壁画が本来どのような形で収められていたかも分かります。」

ということだそうだ。
(美術展ナビより)
https://artexhibition.jp/topics/news/20230510-AEJ1374147/

NHK「歴史探偵」で取り上げられていたのはこの再現展示室で、
この再現展示室の展示からもとの襖絵をCGで蘇らせる試みだった。


「歴史探偵」でも触れられていたように、
等伯(とその一派による)障壁画は火事による焼損や
盗難などを幾度も繰り返され、修正が加えられたりして、
切り貼りもされていたという。
展示されている障壁画も一部欠損している部分があった。
また展示の説明では現在よりもっと大きなものだったらしいし、
もとはすべて襖絵だったものを壁画のように仕立て直したものということだ。
大きさが揃っていないのもそのせいだろう。

それでも暗い照明の中、浮かび上がる障壁画は迫力があり、
細部まで見入ってしまった。

展示されているのは
「桜図」「楓図」「松に秋草図」「松に黄蜀葵図」「雪松図」
そして復元された「松に立葵図」という6作品である。



始めに展示されている「桜図」は等伯の息子・久蔵によるものとされている。
桜の描写に胡粉が使われ、立体的に浮き出ていて、レリーフのようだ。
この時代にこのような画法があったのかと驚くとともに、
派手好きの秀吉好みの華麗な作品でもあった。



「楓図」は等伯作とされる。
楓の大きな木だけでなく絵の下部には秋の花が描かれており、
それが画面を効果的に彩っていて美しい。
図版では何度も見たことがあったので、
実物をやっと見られて何とも感激した。
図版で見ていた時は、楓の木の左側に少し見えている川(?)、
或いは水(?)のようなものが気になっていた。
それが絵のアクセントになっているのは見て取れた。

実物を見ると、雲の合間に川の流れが少し見えている、
というような描写だった。
川の水の蒼い色が図版より鮮明で美しかった。
絵を見るという快楽を改めて感じ取れた。


「歴史探偵」ではこの絵と狩野永徳の国宝「檜図屏風」を比べて
永徳を何となくdisっていたが、
永徳の大胆さはそれはそれで迫力があるのに…。
等伯の「楓図」は木だけを描くのではなく、草花も散らされていて
より華麗で装飾的である。
狩野派に負けじと独自の個性を追求したのだろう。
桃山時代ならではの華麗さが心地よかった。




「松に秋草図」
これも松だけを描くのではなく、
金地の画面全体に秋の草花が華麗に描かれ画面を彩っている。
松の木や岩の描写は様式的で狩野派に学んだもののようだが、
それだけに留まらない桃山時代ならではの華やかな作品だった。





智積院の境内は広々としていて、行ってみて初めてその広さを知って実感した。
境内そのものは無料で、庭のような所に石が置かれていたりして
木々も茂っていてよい環境だ。
ただ建物(講堂?)に入る時には料金がいる。




七条にあるので観光客にはあまり知られていないが、
等伯の障壁画を見るだけでも見応えがある。
すべて国宝で常設展示されているし、
そして庭園を見なかったのでまた行きたい、
次回に行く時はゆっくり庭園を見てみたいと思った。




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京の冬の旅・上徳寺

2023年02月19日 | 京都の社寺と文化財

毎年行われている「京の冬の旅」の非公開文化財特別公開で、
今年はなんと、近くにあるお寺、上徳寺が含まれていた。

京都市下京区富小路五条下ルにある上徳寺は、
小さいお寺だが、近所ではよつぎ地蔵として知られている。
「京の冬の旅」で初公開されているというので行って来た。






よく前を通るが、中へは入ったことがない。
富小路通を歩いているととても小さいお寺に見えるので、
自由に入れる雰囲気でもなかった。
ただ子授け祈願・安産祈願のお寺なので、
子どもが欲しい人が参拝に来るのだろう。



寺の前には「阿茶の局墓所」という石碑が建っている。
阿茶の局、とは誰だろう、といつも前を通りながら考えていた。

徳川家康の側室の一人だそうである。
上徳寺は阿茶の局を開基として創建された。
家康ゆかりの寺だった。
パンフレットによれば1603年、何と家康によって建立されたとか。
浄土宗のお寺のようだ。
富小路通には浄土宗のお寺が多い。
ここもその一つなのだった。




内部はいずれもどこも撮影可能だった。



本堂の中へ入るとそこそこ大きくて、立派な厨子があり、
本尊の阿弥陀如来が祀られていた。




阿弥陀様は2022年11月、重要文化財に指定されたそうで、
現在は東京へその監査のために出張中(?)で、
今あるのはお前立だった。
写真でその姿を見せているだけだった。
見られないのは残念だったが、
近所の小さなお寺に重要文化財の仏像があるのは、
何だかすごいことだと思った。



富小路通にはこのような小さなお寺が沢山あり、
その中に重文指定の仏像もあったと思う。
富小路通は秘かにお寺のゴールデンストリートなのだ。


この本堂には今回の特別公開に合わせて、
寺宝が公開されていた。


釈迦涅槃図は細い線描が丁寧で、
恐らく江戸時代のものかな、と。


そしてその横には真ん中に阿茶の局、
両脇に家康、秀忠の三幅対の肖像画があった。





次に客殿へ行く。
外から見る限り狭いお寺に見えたが、
案外奥行きがあり、立派な客殿が備えられていた。
案内の人が客殿を見てくれと言っていたが、
なるほどこのような客殿があるとは思わなかった。
見てほしくなるのも無理はないと思った。



庭もとても立派な枯山水庭園だった。
町の中のお寺なので、背景が住宅なのは仕方がない。



そして世継地蔵が安置されている地蔵堂へ。


通常はお地蔵さんは、お堂の前で拝むだけだそうだが、
今回の特別公開ではお堂の内部まで入れ、
地蔵菩薩を横から拝観することが出来た。


全長2mほどもある大きな地蔵菩薩で、
間近に横顔が見られて感動した。
とても安らかな、穏やかなお顔をしておられた。

このお地蔵さまはこの寺の本尊を信仰していた清水という人が、
世継を失い、子が恵まれるようにと念じて堂に参籠した。
夢中に地蔵が現れ祈念するようにと告げられ、
その尊像を石に刻んで寺内に一宇を建立して世継を祈念した。
願いが叶い、子孫は繁栄、
以来「世継地蔵」として知られるようになった、とか。
(パンフレットより)




ほんの近所にこのような由来のあるお寺があるとは思わなかった。
というか、思ったより立派な客殿があったのに驚いた。
そして寺宝も沢山所持していることにも驚いた。
前を通るだけでは分からなかった詳しいことが分かり、
たとえ近所の小さいお寺、と思っていても
立派な謂れのある由緒あるお寺だということも分かった。

非公開文化財特別公開のこの機会に内部を見られて
良かったと思った。




非公開文化財特別公開特別公開は3月19日まで、
料金は1ヶ所800円。
京の冬の旅のキャンペーン期間は3月27日まで─




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東本願寺・大寝殿、白書院

2023年01月16日 | 京都の社寺と文化財

ここ数日は寒さが緩んで来たが、
それまでは朝、散歩で歩く時は、
寒すぎて手袋をしていても手の指がすごく冷たいというか、
痛いくらいだった。
冷たすぎて痛くてたまらないのだ。
朝、6時半ころ外を歩くのは真っ暗なうえ、寒すぎてつらい。

けれども昼になれば陽がさして来て、
コートを着ていたらとても暖かくて、歩くのが苦にならない。


今年の「京の冬の旅」は近くの東本願寺が含まれていたので、
早速行ってみることにした。



「京の冬の旅」はオフシーズンに観光客を誘致するため、
真冬に公開される京の冬の風物詩である。

非公開文化財特別公開として、毎年冬の時期に行われている。
非公開文化財特別公開は夏と冬、春と秋にも行われている。
春夏秋冬と行われていて、常に公開されている感じだが、
ラインナップはその都度変わっている。
東寺や知恩院など、いつも公開される所もあるが、
初公開の場所もいくつかいろいろある。





今回は東本願寺の白書院が40年ぶりに公開された。



今年は宗祖親鸞聖人の生誕850年の年に当たる。
それでお東さんも力が入っているのだろう。




お東さんはよく行っているが、
真宗の寺院なので境内やお堂は無料である。

書院があることは知っていたが、入ったことはなかった。
今回、800円で特別公開されていた。
いつもは無料で境内に入るので高いと思ったが、
文化財の保護のために使われるはずだ。
ケチなことは言わずに料金を払い、見て来た。


第57回 京の冬の旅
非公開文化財特別公開
~秘められた京の美をたずねて~
2023年1月7日(土)~3月19日(日)

https://ja.kyoto.travel/specialopening/winter/


公開されていたのは、
普段は非公開の東本願寺の白書院と大寝殿だった。

「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 
東本願寺 大寝殿・白書院
2023年1月7日(土)~3月16日(木)

https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=7331





大寝殿と白書院は、東本願寺の正面玄関ともいうべき
御影堂門(ごえいどうもん)をくぐり、
正面の御影堂へ行く前に右に曲がり、北へ向かった所に受付がある。
境内は広大で、
御影堂の北側にもいろいろ建物があるのは知っていたが。。


御影堂の北側の受付で靴を脱ぎ、
渡された袋に靴を入れて見学するという形だった。
書院へ行くまでにいろいろ建物があり、というか、
長い廊下があり、どこを歩いているのか分からないという(>_<)、
とても広い場所だった。



入り口近くに、親鸞聖人による直筆(?)の
教行信証が置いてあってびっくりしたが、
影印本とのことで、写真撮影した複製であった。
(ああびっくりした)
しかし本物そっくりで、
親鸞聖人の荒々しい筆遣いがそのまま表されていて、
思いがけず教行信証に出会え、うれしかったのは確かである。





順路どおりに歩いていくと、
まずとても広い「大寝殿」という所へ入る。
禁門の変(1864)の時焼失したあと1868年に再建されたそうで、
本山の中では最も古い建物だそうだ。
竹内栖鳳の障壁画がまわりを飾っていた。



とても広い場所で、係の人がいて、説明書きを読みながら、
東本願寺の正式名称は「真宗本廟」であるなどと説明していた。
周りには真宗と親鸞聖人の教えのパネルが張り巡らされていた。


東本願寺は幕末の禁門の変で焼けてしまい、
建築物はすべて明治になってからの再建である。
それでも貴重な巨大木造建造物ばかりなので、
多くのものが重要文化財に指定されている。

大寝殿は登録有形文化財だということだ。


竹内栖鳳の雀の図、そして竹の豪放な襖絵を鑑賞した。
ガラス張りで保護されていたが、
大変立派なもので、普段公開されていないのが残念だ。
しかし、そのせいで保存状態がとても良い。

写真はいずれも撮っても良いということだったので、
どんどん撮った。


竹内栖鳳の障壁画は「風竹野雀図」「歓喜図」「古柳眠鷺図」
ということである。


風に晒される竹の図は栖鳳らしかった。

ガラスで障壁(襖)が保護されているので、
きれいに撮れなかった。
雀の図は反射がきつくて撮れなかったのが残念だ。




廊下ですべての建物が繋がっており、
廊下自体も風情があった。
踏みしめると音がするので鴬張りなのかもしれない。




大寝殿から白書院へ行く廊下越しに能舞台が見える。
西本願寺の能舞台は有名だが(確か国宝?)、
お東さんにも能舞台があるのは…
多分、あるだろうとは思っていたのだが、
(お西にあるのだから東にもあるだろう、と)
現物を見て本当にあるのだと感動した。

明治13年(1880年)に建てられたものだという。
現在の位置には昭和12年(1937年)から設置されたそうである。
白書院から観覧するように建てられているという。
もちろん現在でも能楽に使われている。






白書院は明治44年(1911年)、
宗祖・親鸞聖人の650回御遠忌に際し再建されたものだそうだ。
来賓の接待などを行う場所で、書院造で、
上品な内部だった。


白書院という名称は柱などその他の用材が白木で、
漆を塗らずに仕立てられていることに由来するという。



中央部分に立派な格天井があり、目を見張るほどだった。

案内によると控えの間と上段の間が設えられており、
一の間は帳台構え、違い棚などを設えた正式の書院造で、
正式な対面施設だということだ。
現在も来賓接待等に使用されているとのこと。





一の間の手前にかけられている額は
「国豊民安」と書かれており、
閑院宮載仁親王(1865-1945)の筆によるものだそうである。




障子の上には壁面に装飾が施されていて、
欄間には木彫りの装飾もあり、
見どころの多い書院造りの部屋であった。
対面施設だけあって、設えに気品がある。
豪華というより質素ではあるが、
整った気持ちの良い空間である。



世界でもっとも巨大な木造建築とも言われる
御影堂に負けない重厚感のある書院で、
お東さんにこのような一室があるのをまったく知らなかったので、
大寝殿、能舞台ともども驚くばかりだった。

境内だけでも思ったより広大だった。
…確かに京都駅近くにあれほど存在感のある敷地であるし、
境内にいろんな建物があっても不思議ではない…。

東本願寺はまだまだいろんな非公開部分を持っていそうだ。




帰りに巨大な御影堂門を斜めから写す。
そうでないと全貌が入らない。


御影堂門の内部も荘厳である。
いつ本山へ行っても、
この巨大木造建築になぜか安心感を覚える。
木造建築が好きだからだろう。。


近くにあるのにまったく知らなかった、
お東さんのいくつかの建物を見ることが出来て、
まだまだ知らない東本願寺の姿があることを知る。
あらたな発見をした気持ちになった。



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