伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

砂の器

2011年09月18日 | テレビ
別サイトをほったらかしにしておいたら、
消滅してしまった。
まあそれも仕方ないか…、
と思ったのだけれどやっぱり勿体無いし、
僅かでも来てくれる人がいたら何の説明もないと失礼なので、
表紙のページだけ復活させた。
そのうち、ゆっくりとでも、
そのほかのページも復活出来ればいいなと思っている。


さて、この間、テレビドラマで「砂の器」をやっていた。

これはあの3月11日の夜に放映するはずだったのが、
見事にお蔵入りしてしまったドラマだ。

私は松本清張はそれほど好きではないけれども
(一応代表作は読んでいる)、
この砂の器は何か魅力的で無視出来ない作品なのだ。

前にも言った事があるが、
小説としてはトンデモで2流だと思うのだが映画の出来が良すぎた。

映画はある意味、原作を超えていた。
原作を超えてこれがスタンダード、
と言えるほどのものになっていた。
だからこの映画版によって、「砂の器」という物語に、
思い入れが出来てしまっているからなのだろう。
だからわざわざ、録画してまで今度の新しいドラマ版を見た。


で、ドラマでは犯人が逮捕され、
取調室で刑事と対峙し、落ちるところまでを描いていた。
何だか不満が…。

映画、原作とも犯人が逮捕される場面は描いていない。
その手前で終わる。
それが、余韻があってとても良いのだ。
でも今回のは、取調べでどこで落ちるか、
がクライマックスになっていて、少しがっかりした。
配役はとても良い人たちが出ていただけに、何だか勿体無い。


「砂の器」という話は特別のものなのだ。
だから、普通に取調べとかで何もかもが明らかになる、
などというごく普通の刑事ドラマのような設定はして欲しくなかった、
という感じか。。
脚本にもっと思い入れが欲しい、というか。


それで、2004年の中居版のクライマックスシーンを
ちょっと見直してみたら、これこれ、これなの、
これが欲しいのと思った。

親子が過酷な旅をするシーンがコンサートシーンにインサートされる。
旅の理由などはともかく、
こういう作り手側の思い入れたっぷりさが「砂の器」に欲しい。
さらっと流す、そんな話ではない、
というそんな思いがこちら側にある。


佐々木蔵之介は好きな俳優なので期待していたけれど、
殺人の理由があまりにも希薄に感じた。
クライマックスも映画のような、あっというしかけもないし、
中居版のような意外な展開もなかった。

ええっという驚きも
「砂の器」では必須アイテムだと思っているのだがなあ。
傑作だった映画版は別にして、
原作をそこそこ忠実に再現したバージョンをまたいつか見たいと思った。



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