伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

新聞連載の親鸞

2008年11月30日 | 本・書評
10月から、
地方新聞の朝の連載に五木寛之の「親鸞」が始まった。

富山や新潟など、
各地の地方新聞にいっせいに掲載されていると思う。
連載前に東西本願寺の待合室などで大宣伝していた。
母が大喜びで毎日楽しみにしている。


五木寛之といえば、
青年は荒野をめざすとか言ってロシアへ行って女を引っ掛け、
日本でも引っ掛け、
憂いを含んだポーズの写真を本の折り込みに挿入して
女性ファン受けを狙っていた女たらしの軽い作家、
というイメージがあった。


私も基礎教養として、
学生時代、一、二冊ほどその小説を読んだ気がするが、
読んだ端から忘れてしまい、一字一句覚えていない。
肌に合わなかったのだろう。

こんなに忘れてしまう小説は良いわけがないと思い、
それ以降読む気にはならなかったが、
五木本人はいつの間にか西本願寺に接近して
龍谷大学で勉強したりしたらしい。


年を取ると宗教に近づくのは誰でも同じなのかもしれない。
五木の場合は贖罪という感じなのか知らん?
ちょっと前には「蓮如」という小説も書いていたはず。

ということで、「親鸞」連載の前に、
親鸞を主人公として小説を書くことは、
作家として身震いがするほど、と
いう意味のことを言っていて、
まあ悪い人ではないかもと思い直した。



連載が始まってから親鸞はずっと8歳のままで、
いつまで経っても得度しない。

親鸞聖人が得度したのは9歳だったのだが、
あんまり話が進まないので、
このままずっと1年間得度しないで
子供のままなのではないかとすら思った。

親鸞は90歳近くまで生きたので、このままだと、
連載を90年間続けなくてはならないのではないかと心配になった。
と思っていたら最近やっと比叡山へ行った。


この小説の挿絵が面白い。

風俗、衣裳も上手でデッサンも確か。
適度なデフォルメ、シュールな部分もあり、
適度なはったりもきいている。

ひとつだけ?となったのは、比叡山のイラスト。
京の都から比叡の山を望んだ挿絵だったが、
都のどこから比叡山を見た場面だったのだろう。


我々一般人が住む所からは、比叡山といえば、
その前に必ず鴨川が見えるはずなのに、
それがなかった。

横(東西)に大通りが描かれていたが何通りだったのだろう。

ああいう風に見えるには
かなり北に行かなければならないと思うのだが、
そのころ、京都の都は今よりも遥かに小さく、
北部には都の大通りなどなかったと思うのだ。

都の北の端は、
多分今出川通くらいだったのではないだろうか。
それより北はものすごい田舎で、
町ではなかったと思う。

でもこんなことを気にするのは我々京都に住む、
その中のほんの一部の者だけだろう。


ともあれ私も結構楽しみに読んでるじゃん。
やおいな場面もちらほら、
親鸞に煩悩はつきものだしねェ。



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清水寺

2008年11月22日 | 京都の社寺と文化財

11月の初旬になるが、清水寺へ行って来た。




清水寺は、
我々京都の人間には最も行き難い場所のひとつだ。

わざわざさあ行こうか、と言って行く場所ではない。
観光地であり、デートコースでもある。
そんな所に一般の京都住民はお呼びでない。
せいぜい親戚が来た時に案内して行くくらいか。


紅葉だから、とか桜の季節だから、
といって積極的に行こうとは考えない。

そこが滅多やたらに混んでいることを知っているからだ。
何せ京都随一の観光地なのだ。


そんな私でも何回か行ったことはある。
行ったことだけは覚えている。
行ったことは覚えているが
どんなだったかをまったく覚えていない。
どんなだったか忘れているなら、行っていないも同じだ。
まったく情けない。


今回、行く気になったのは
「33年に一度だけ」開帳される本尊が今年
特別に公開されるからだ。

何でも、
「西国三十三ヶ所中興の祖である花山天皇の一千年御縁忌」
だとかで、それで記念に公開されるとのこと。
清水寺は実は西国三十三ヶ所のひとつなのだ。


そんなわけで、
ちょうど姪が里帰りしていたこともあり、
誘ってみたら行くと言うので行って来た。
こういうきっかけがないと、
どうしても足が向かないのが難儀である。





尤も清水寺の本尊と言ったって、
文化財的には値打ちがあるかどうかは分からない。
何の指定もなかったから。

清水寺の舞台などの建物は有名だけれども、
仏像と言ってもぴんと来ないのは、
仏像に関しては大したものが何一つないからだろう。

だからあまり古いものでもないと思う
(江戸時代くらい?)。
ただ、形がユニークだ。

千手観音の、
千本ある手(実際には四七本だっけか)のうちの
二本だけが頭の上ににゅっと伸びていて、
頭上で化仏を戴いている。
まことにケッタイな姿。

清水型として知られている千手観音の形だそうだ。
普段は、同じ形のお前立が建っている。


ところで、清水寺へ行ってびっくりしたのは、
まだ紅葉してなかったのに、想像以上に、
やたらに、滅茶苦茶に人が多かったことだ。

しかも、修学旅行生がいっぱいだ。

最近の修学旅行生は小グループでタクシー移動かと思っていたが、
20人とか、30人単位の団体がぞろぞろと次から次へとやって来て、
途絶えることがない。

あまりの人の多さにゆっくり見ている暇もない。
舞台もぎっちり人だらけ、人だかりで入り込む隙もない。
これは一体どうしたことだろう。

これで紅葉になったらどのような人出になるのか
(今まさにそうなのだけど)、
空恐ろしくて想像もしたくない。
ディズニーランドでもあるまいし、
なぜこんなに人だらけなのだろう。謎だ。






私と母と姪とで行ったのだが、
母が茶わん坂を上がったところで音を上げてリタイア、
清水の門の前で待ってると言って、
中へ入らなかった。

(何しに行ったと思うが、
足が弱くなった母には坂がしんどかったようだ。
気の毒だった)



そして中へ入るとものすごい人
(本尊開帳はそうでもなくて、わりと空いてた)、
そんなわけでゆっくり見ることが出来ず、
そそくさと出て来てしまった。

奥の院にすら行かなかった。
清水拝観なんてそんなものなのか。
しかし心残りではある。


やっぱり心ゆくまで見るためには一人で行くしかあるまい。

清水寺に一人で行くのはまったくの場違い、
浮きまくること確実。

でもお寺オタクのふりして(ふりしなくてもそうだが)
行くしかないだろうか。
ああ清水寺は敷居が高い。




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博物館最後の展示

2008年11月16日 | 展覧会・絵
このブログでつづくと書いてつづいたためしがないのだが、
今回は続ける。


そんなわけで、京都国立博物館は、
12月7日でとりあえず営業を止める。

そして、その直前にさよなら記念セール、
ではなかった記念展示をやる。
もうやっている。
国宝のオンパレードだ。

12月の第一週はさよなら記念で無料観覧ウィークになる。
珍しく太っ腹だ。
この機会に是非行ってみることを協力に薦める。



何が展示されているかと言うと、
まず「伝源頼朝像」とその仲間(平重盛)。

 でも博物館では「源頼朝像」として展示していて、
説明文にも、
近年頼朝ではないという説があるということにすら触れていない。
ここは京都博物館の意地でもあるのだろうか。


さらに「明恵上人像」、雪舟の「山水図」、
「鳥獣人物戯画」、親鸞の筆による「教行信証」など。
これらは全部国宝だ。


そのほかに狩野永徳の「仙人高士図」、
長沢芦雪の「百鳥図」、伊藤若冲の「乗興舟」など。

若冲の「乗興舟」は板木も一緒に展示されていて興味深い。
感動する。
芦雪の「百鳥図」は以前奈良で見たことがあるが、
とても素晴らしくて、再び見ることが出来て幸福だ。


もう終わってしまったが、
10月にも国宝がずらり並んでいた。


知恩院の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」、
「一遍聖絵」「華厳宗祖師絵伝」、「法然上人絵伝」、
「芦手絵和漢朗詠抄」などが国宝で、
この10月期も豪華だった。
さよなら記念で、もう在庫一掃という感じだ。


とくに有名な「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、
阿弥陀さまが家来を引き連れて
ある貴人の臨終に雲に乗って超特急でやって来る、
その特急で急降下する雲の描写がとにかく笑えるほど面白い。
リアルというか、現実である筈がないのに説得力がある。


「一遍聖絵」の小さな一遍上人の可愛らしさ、
「芦手絵」の構成の巧みさ、
そして「華厳宗祖師絵伝」、
これは祇園祭の放下鉾の水引が、
これをもとに織られている。
その元の絵をしっかり見ることが出来て感激だった。


考古室は変わり映えしないようではあるけれど、
実は「藤原道長展」関連のきんぷせん寺の経箱3個(すべて国宝)
がここの所ずっと展示されていて、
これはダークホース的見ものであった。

ちょっと前(夏ごろだったか)に道長展のアフターで、
源氏物語特集という触れ込みで、
経箱や経筒など国宝ばかりがずらりと並べられていた。
それのお残りのようだ。
自分的にはあまり興味がないが、
仁清の茶碗なんかも置いてあった。


仏像では、
人気のある「宝誌和尚」が最近ずっと飾ってある
(私が面割れ地蔵と名づけたやつ)。
清水寺の本尊開帳に合わせたのか、
清水型の千手観音が展示されているのも一興か。


仏像といえば、
もう何年もずっと展示されていた六波羅蜜寺の四天王のうち
「多聞天」と「広目天」。

六波羅蜜寺の宝物館が新しくなったので、
いよいよ里帰りするらしい。

これでやっと、元のお寺で4人が勢揃いするのだ。
博物館で見ることが出来るのはもう今期限りかもしれない。
博物館がリニューアルされた時には、
もう彼らの姿はないかもしれない。
そう思うと名残が惜しいことよ。



そう言えば、
ある時期からずっと展示されていた三十三間堂の千手観音は
最近姿を見なくなった。
あれはもとのお堂に帰っているのだろうか。

浄瑠璃寺の多聞天も何年もずっと展示されていた。
あれは国宝で、
浄瑠璃寺にはいろいろ国宝があるが、
多聞天一人だけが博物館に来ていた。
いつでも見られる国宝彫刻としてお馴染みさんだったが、
彼ももとのお寺に戻るのだろうか。


浄瑠璃寺といえばアライグマに荒されたことがニュースになった。
安易にペットとして飼っては捨てる人間の身勝手さが
呪わしいことよ。


それにしても、
この12月で平常館をいったん閉鎖ということは、
来年からはもう平常展通いが出来なくなるということだ。

毎月何が展示されるか楽しみで、
「博物館だより」をもらって来ては、
ホクホクしながら隅々まで展示物をチェックしていた、
平常展示ファンの私はまさに涙目。

近鉄の閉店と同じくらいのダメージだ。
来年から何を楽しみに生きていけば良いのか。
旧館で、
平常展に置いてあった物品を時々展示してくれれば良いのだが…。


平常展示で、絵巻のファンになった。

今思えば中国絵画の部屋さえ、
日本画にこういう風な影響を与えているのか、
と勉強になった。

着物、織物の部屋はたいていスルーしていた。ごめんよ。

漆器・刀剣・工芸の部屋では、
日本の職人の高度な技術に毎回驚いていた。
何が飾ってあっても屏風の部屋は楽しみだった。
ああ、何もかもがみな懐かしい。
あのすすけたうらぶれたさびれた展示室の何もかもが愛しい。

ああ、それでは見なれていた仏さんたちともお別れ。
名残惜しいことよ、
みんなもとのお寺に戻っても達者でいてね。



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博物館の建て替え

2008年11月14日 | 展覧会・絵
京都国立博物館の平常展示館は、
なんとこの12月をもって閉館する。

建て替え工事のためで、
平常展示館は年数が経って古くなり、
雨漏りなどもあるらしく(!)、
耐震補強もされていないので、
新しく建て替えることになったのだという。


平常展示館は新館と呼ばれ、
古い方の建物(本館/旧館)から90度の所に
南を向いて建っていた。
ここを壊して新しくするというのだ。

建てられたのは昭和に入ってからだったと思う。
旧館は明治のものなのに、
新しい方が古くなったから建て替えるというのも
何となくだらしがない気がするが、どうなんだろう。



尤も明治に建てられた本館は重要文化財だから、
建て替えたり出来ないだろう。

あちらの耐震補強もされてないと思うが、どうなのか。
心配なところだ。
本館はとても美しい建物だから、私のお気に入りだ。

個人的に、京都で1、2を争うくらい好きな洋館だ。
だからこの本館が変にいじくられない方が私としてはありがたいし、
ほっとするのではあるが。


その90度横に、
美しくも何ともない新館が建っているのが
どう考えてもそぐわなくて、常々あれを見るたび、
あっちは美しいのにこっちは…、とため息をつき、
不満を感じずにはいられなかった。



今回新しくするなら、
ぜひ旧館に負けない美しい素晴らしいデザインの建物にして欲しい。
そして東山の景観に溶け込む、違和感のない建物に。
そんな期待を抱いているが、
期待しすぎてがっかり、なんてことになるような気もして、
不安は尽きない。



京都の国立博物館は、
奈良のそれに比べて明らかに見劣りがする。

東京のには行ったことが無いけれど、
奈良に比べてもそうなのだから、
東京のとは比べるまでもないだろう。

いや、建物は美しい。
建物は小さいけれど、負けてはいない。
だが、あのさびれっぷりが…。あのうらぶれ感たるや…。


大きな展覧会では待ち時間が出るほど混雑する時もあるが、
基本的に閑散としている。

保有している品は国宝も結構多く、
良いものがあるのだが、いかんせん、
新館の展示スペースがしょぼく、建物もしょぼく、
力が入っていないこと夥しい。


奈良の博物館など、
グッズ売り場も広くて品揃えも充実し、
とても繁盛していて賑やかだ。
新館は高床式の正倉院作り(?)で、
奈良のイメージに合っているし、
敷地が広くてゆったりしている。
羨ましい。


京都の博物館はなぜあんなにしょぼいのだろう。
いや、建物は美しいのだ。
前庭も美しい。
あの庭と本館が一体となった雰囲気は本当に素晴らしい。
東山を背景にした環境も抜群だ。
でもしょぼい。
悲しい。



平常展示館で展示される平常展示は、
地味だがとても良い品である。
水準の高いものを常に並べてある。

…のに、
しょぼ感があるのは古代の出土品を並べてある考古室が、
いつ行っても同じものだからか。

仏像室のうち1つがいっつも(何十年来…)
同じ五智如来たちが鎮座しているからか。
あれはあれで良かったのだが…。

この平常展示の新館が狭いからなのだろうか。
だから良いものがあるのに、全部を見せられない。
でも、あまり沢山あっても一気に見られないから、
今くらいが私にはちょうど良いのだが。


昔は本館だけが建っていたのだろう。
それが、
そこだけでは手狭になったので平常展示館の新館を作った。
でも、それでも足りない。
だから今度直すのだと思う。
以前、新館を作る時に、なぜあのような、
調和の取れた全体の素晴らしい雰囲気を
壊してしまうような建物にしたのだろう。
それが分からない。

旧館の背が低いので、
新館もそれに倣って同じくらいの高さの2階建てにしてあった。
旧館以上に背の高い建物を建てることを躊躇ったのだろう。
それだけが、平常館の良い部分である。


リニューアル館は3階建てになるという
(地下1階)。
今の手狭さを思うとそうなって当然だと思うが、
美しい旧館を損なう高さになるのであれば、
それも心配である。


もともとの敷地が狭いのだ。
博物館は三十三間堂の北の向い側にある。
博物館のさらに北には豊国神社、方広寺がある。


いっそ、豊国神社をつぶしたらどうだ。
あそこを全部博物館の敷地にしたらどうか。
神社の宝物館などをちょっと移動させてさ。

どうせ秀吉の神社なんて誰も参らないのだからさ
(ひどい)。

だってあそこ、ものすごくさびれているのだ。
博物館のさびれようなんて目ではないくらい。
もともと博物館も方広寺の敷地だったのだ。
そこが、方広寺が寂びれてしまって、
博物館になった。
だからさあ、
あそこをつぶして博物館の敷地を広げようよ。
誰も文句を言わないよ。だからさー。

つづく



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ラナ・ターナーとは

2008年11月10日 | 人形
月日の巡るのは早く、急に寒くなって来た。

町のあちこちに紅葉が見られるようになった。
そんな今日この頃いかがお過ごしですか。


さてインテグリティのFRは、
本シリーズでハリウッド女優のラナ・ターナードールを発表している。
これについてちょっと気になることがあった。


BIC(Barbie in Chiba)というネットショップは、
このラナ・ターナーという女優は
「ルキノ・ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などに出演し…」
というような説明文を掲げている。

が、ヴィスコンティの『郵便配達』にはラナ・ターナーなど
どこにも出ていない。


第一、ヴィスコンティはイタリアの監督、
それが戦前にハリウッド女優のラナ・ターナーを使うなんていうことは
あり得ない。
ちょっと考えただけで分かると思うのだが…。

映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は
ヴィスコンティの処女作で、
ハリウッドとは無縁のところで作られた。
(ヴィスコンティはのち、
ハリウッド資本の協力を得るが戦前はまったく関係がない)

ヒロインのジョバンナ(原作小説ではコーラ)は
クララ・カラマイというイタリア女優が演じている。


ラナ・ターナーはハリウッドで作られたバージョンの
『郵便配達は…』に、多分出演していたのではないか。
資料によれば1946年にアメリカで作られていると書いてある
(ヴィスコンティのは1942年)。
多分それではないだろうか。
本当にね、ちゃんとして欲しい。
たるんでるんでないの。


ラナ・ターナーがいつの時代の女優かも
多分BICは知らないのだろう。
私だって知らない。
でも私の認識ではマリリン・モンローの一世代前の、
ちょっとお下品な肉体派女優、という感じだ。
少なくともニ流のグラマー女優であったことには違いなかろう。


FRのドールはやせぎすで背が高く、
手足が長すぎて、肉感的な女優のイメージが掴みにくい。

少なくともファッショナブルな女優ではなく、
自分の肉体の性的なアピールを売り物にする女優というイメージだ。


あまり着せ替えドールには相応しくないように思うのだが、
そこら辺、ジェイソン・ウーは何を考えて
こんなマイナーな女優を選んだのだろう。
いや、マイナーだから選んだのかな。
そう言えばインテグリティは以前、
しきりにベティ・ペイジドールを作っていたし…。


そう言えば、
トナーかどこかがジョーン・クロフォードのドールを出すという。
アメリカではこういうような、
ニ流女優のドールを作るのが流行しているのだろうか。
マテルのバービーがマリリン・モンローなどの
一流の名の通った女優を作るので、
対抗しているのだろうか。


ともあれウーという人はとても若いのだ。
バービーのカスタムをしていた時は、
まだ高校生くらいだったと思う。
Barbie Bazaarマガジンに良く彼のカスタムバービーが掲載されていた。

その頃の彼の写真を見たらまるで「坊や」。
東洋人だからよけいに若く見える。

FRにはオムという男性ドールのラインがあるが、
どうもまったく欲しいと思えない、
まったく無駄と思えるラインナップだ。
ウーはゲイだから(?)、
自分の好みだけで作っているのだろうか。




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