伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

70年代初期男優たち2

2016年08月30日 | 俳優・女優
元気出して次行こう。
中断していた、

70年代初期外国男優、ヨーロッパ編。

<フランス>

フランスでは何といってもまずアラン・ドロン。
嫌いだったけど。
すごくきらいだった。

ただ単に顔が好みじゃなかっただけなんだ。
イギリス系が好きだった私は、甘い二枚目って、
受け付けなかったのね。


60年ころに甘い二枚目で大人気になり、
70年代にはすでに中年にさしかかっていたころ。

ただの甘いマスクだけでは通用しなくなっていた時期。
で、67、8年ころに「サムライ」「さらば友よ」
などに出て、方向転換に成功。
(のちにビデオなどで見た)

70年代にジャン・ピエール・メルヴィルと組んだことは
ドロンにとってはとてもプラスになった。

まあ、見てない、それらの映画。
「シシリアン」「仁義」などのギャング映画は、
でもドロンを救った。

巨匠を切り捨てて、ギャング映画に邁進したのは
正解だったわね。


彼は嫌いだけど、
ものすごくスキャンダラスなエピソード持ちなので、
別個に語りたいわ。



ドロンとフランスで人気を二分していたのがジャン・ポール・ベルモンド。

私は彼の方が好きだった。


二枚目ではなく、ファニーフェイスだったけど、
のちには幅の広い演技派になった。

60年代にゴダール映画で出て来た、型破りな俳優。

70年代では、「大頭脳」とか「オー!」とか、
「暗くなるまでこの恋を」なんていうのも見たっけ。
とくに「オー!」が大好きだった。

私の好きなロベール・アンリコ監督作品で、
暗黒街でギャングの車の運転手から伸し上がり、
「ルパン+カポネ=オー」と言われて悦に入り、
そして転落してゆく。

大物を夢見て挫折してゆく、切なくむなしい、
ちょっぴり青春の苦さも加わった、
アンリコらしいギャング映画だった。

ベルモンドも哀愁を込めた、良い演技だった。

ドロンと共演した「ボルサリーノ」ていう
映画もあったっけ。
カトリーヌ・ドヌーヴと共演した「暗くなるまでこの恋を」
トリュフォー映画で、ドヌーヴに恋する一途な男を演じていて、
幅の広さを見せていた。


ほかのフランス俳優と言うと、
ジャン・ルイ・トランティニアン、
リノ・ヴァンチュラなどがいたかなあ。

ヴァンチュラは好きだった。
野獣みたいなワイルドなルックスだったけど、
純情さみたいなのもあったり。

やっぱりアンリコの「ラムの大通り」で
映画女優ブリジット・バルドーに憧れる
密輸船の、武骨で純情な船長を、切なく演じてたっけ。

60年代の「冒険者たち」もアンリコ作品。

手塚治虫が彼をモデルに丸首ブーンという
キャラクターを作った。


あとは、60年代に出て来た、ジャック・ペラン。

最近は自然回帰的なドキュメンタリーのプロデューサー
なんかやってるあの人は、70年代頃、
甘いマスクでラブストーリーに出演していた。

「二人だけの夜明け」はまだ60年代の映画だったかな。
胸キュンラブストーリーだった。



そして、ポスト・アラン・ドロンとして登場して来たのが
青春俳優ルノー・ヴェルレー。

「個人教授」で年上の女性に憧れる早熟な高校生を演じて、
人気爆発。

この人、二枚目でも美青年でもないのに、なぜか人気があり、
次々と恋愛映画に主演し続けた。

確か日本に呼ばれて日本映画のラブストーリーものにも
主演したはず。


彼は、ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」にも
招かれて出演しているのだが、なんかね、
ヘルムート・バーガーとの扱いの落差が、もうね。

完全にヘルムートの引き立て役。

ヴィスコンティさんたら、本当にもう
ヘルムートしか目に入ってなかったのね。

ヴェルレーはフランスではトップ俳優だというのに…。



それから、フランス俳優ではないのだが、
ここでチャールズ・ブロンソンを。


60年代から何となく脇役的にアメリカ映画に出ていた彼を、
アラン・ドロンがフランスに招いて
(たぶん自分の引き立て役にしようと思ったのだろう)、
「さらば友よ」を作った。

そうしたらブロンソンが大ブレイク。

それで、引き続きフランスで
ルネ・クレマン監督の「雨の訪問者」に主演。

この映画が大好きで、
フランシス・レイのサントラも大好きで、
甘ったるい、舌足らずなしゃべり方の、
キュートなマルレーヌ・ジョベール相手に
武骨さ全開のブロンソンが食い下がる、
このカップリングが絶妙であった。

この二作でブロンソンがフランス語を喋っていたのか、
全然記憶にないのだが、どうだったんだろう。

この後、ブロンソンはヨーロッパに軸を置いて
活躍していたはず。

嫁と共演した「狼の挽歌」などがあったけど、
見てないんだなあ。

いろいろと見落としているのがあって、
今となっては少し悔しい。


<イタリア>

イタリアではまずマルチェロ・マストロヤンニがいた。
70年代も活躍していた。
でもやっぱり私の好みじゃなかったなあ…
鼻の下が長すぎる、とか思ってたなあ。
ドヌーヴと恋仲になって、騒がれていたような時も
あった。

フェリーニはマストロヤンニを好きだったよね、
随分彼を使っていた。
フェリーニの「女の都」は面白かった。


あとイタリアには誰かいたっけ、
と思ってたら、マカロニ残留組がいた。

フランコ・ネロ、彼はマカロニ・ウエスタンで出て来て、
その後、一般の映画にも重宝されるようになり、
しかも演技もうまかった。

だから割と巨匠の映画にも出てたと思う。
私も、彼のハードなルックスは結構好きだった。

あんまり見たのはないけれど、ビデオで見た
「裏切りの荒野」、あれが大好き。
カルメンに翻弄されるドン・ホセ、
あの鋭い眼のやるせなさ、うまかった。

彼は確かヴァネッサ・レッドグレイブと恋仲になって、
ちょっとへんな映画を撮ったりしてたが、
相手が大物女優だったのでステータスが上がったのでは
なかったっけ。



もうひとりのマカロニの大スター、
ジュリアーノ・ジェンマもマカロニ衰退後、
一般映画にも出るようになり、
彼もルックスが良かったので、そこそこ活躍してた。
まあ、私の好みじゃなかったけど(こればっかり)

そのうち、ポルノまがいの映画にも出るようになって、
なんかフランコ・ネロに比べて残念な感じになったのかな。



そうして、70年初期と来たら、忘れてはならないこの人、
レイモンド・ラブロック。

ルノー・ヴェルレーと同じように青春映画のスターとして、
ものすごく騒がれたんだ。

甘いマスクの美青年で、哀愁漂うそのルックスに
日本中の女性が胸キュン。(ほんと?)

「ガラスの部屋」
男二人に女一人の三角関係を描いたこのラブストーリーで
ブレイク。

あのヒロシが自虐ネタをやっている時に使っていた
音楽がこの「ガラスの部屋」の主題歌よ。
今でも覚えてる。

ケ・ヴォレ・ケ・スタムジカ、スタ・セーラ…


「ガラスの部屋」は、「雨のエトランゼ」と並ぶ、
70年初期のラブストーリー2大怪作として
必ずあげられる映画なんだが、なんと私は見ていない。

見る機会がなかった。うーん。
見ておくべき映画だったんだけどなあ。
まあB級でも、「あのころ」を端緒に現している
映画として、必見だったな。


まあ、しかし、レイモンド・ラブロックは、
私には甘すぎて、ちょっと好みから外れてた。
(こればっかり)
でも本当に美青年だった。

彼はこの「ガラスの部屋」だけの人で、
あと何となくフェードアウトしてしまって、
気の毒な人になってしまった。


というわけで、あとのイタリア俳優、
その他のヨーロッパ各国の俳優については
もう思い出せないので、このくらいでおしまい…。




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テレビの羽生結弦

2016年08月28日 | 羽生結弦
お地蔵さんの当番になった。
朝、5時半に起きて、まっさきにお地蔵さんへ行き、
花の水をかえ、掃除する。

京都の町にはあちこちにお地蔵さんの祠がある。
少し歩けば、すぐにお地蔵さんにぶつかる。
あちこちにある、いつもまっさらの花が飾ってあり、
よく手入れされたお地蔵さんの祠。


昔、子供のころ、私はお地蔵さんが怖かった。
ずっと昔からそこにあって、
古びた着物を着て、そこにあるお地蔵さんが、
何だか怨念のようなものを発散させているような気がして、
とても怖かった。
だから早く朽ちてしまってあんなものがなくなってくれ、
見たくない、などと思っていた。
でも、お地蔵さんはなくならなかった。
ずっと今でも、そこにあって、お花が飾られている。

今はそのお地蔵さんを世話している。
私がお地蔵さんをお守りする役になった…




24時間テレビの羽生結弦コーナーを見た。
録画をしていたけど、9時10分までの設定だったので、
最後まで写ってなかった。
でもライブでは見てた。


くまモンや少女スケーターとのコラボなんて、
どう考えてもキワモノとしか思えない…
とか思ってたけど、
少女スケーターさんたちは、すごく上手で、
みんなアクセルやダブルジャンプを上手に飛んでいて、
びっくりした。
みんな、本格的なスケーターさんなんだ…
いつも一生懸命に練習してるんだろうなあ…



羽生くんはそのあと「ホワイトレジェンド」をひとりで…
これは、東北震災後にすべってたやつだね、確か
ショーナンバーで、ショートではなかったよなあ。
記憶がもう、ないんだ、ごめんね、記憶が…

これを、全部すべっている所は見たことがなかったと思う。
アクセルもやってたし、パンケーキツイズル、っていうの?
久しぶりにやってるの、見た。

吐く息の、白いのが良く分かって、寒そうだった。


でもなんか、もうひとつ本調子じゃないように見えた。
なんか疲れてるような、しんどいような。
つらそうな気がした。
このままでやっていけるんだろうか。
気のせいかな、心配してるだけかな。

だけど生の羽生くんを見たら、もう何も言えん。
何も言えんわ…



といいながらなんかかんか言うんだけど

今でもゲームとかしてるんかな。
時間のある時は、ゲームばっかりしてるのかな。
本は読まないんかな。

ゲームばかりしてたらアホになるんじゃないの。
本を読めば。
簡単な本でいいから。


「星の王子さま」なんてどう。
簡単だが深いよ。
羽生くんはそんな本すら読んでないんじゃないかな。

ポオはどう。
あれなら短いからすぐ読めるよ。
短くてもストーリー展開のうまさ、
見事なオチのついたラストは、ゲームより面白いよ。

そうやって情操を磨いておくことは大事だよ。
ゲームをしないから、偏見なのかなあ。




まあ、いくら膨大な本を読んでも身につかない
私の言うことでもないかもしれないけど。




ちょっと話が逸れるけれど、
梅原猛が京都新聞の社説(天眼?)に書いていた。

90歳を超えてから、
また魂の深部に響く書物に出会ったと。

梅原氏は、読書家で、無数の本を読んで来た。
今まで何冊か魂の糧としてきた書物があると。
人生を変えるような本にも出会って来たと。

90を超えて、
まだそうした書物に出会えるという感性に、
ただひたすら敬服するのみだ。

氏は、京都の宝なので、新聞で健在であることを知ると、
ほっとする。
(いつこの宝が消えてしまうか、もうあれなので…ごめんなさい)




私なんてなあ、何にもしないまま、ただ年だけ取ってしまった。
年を取ると、物事が良く分かり、分別もついて、
落ち着いて、心のゆとりが出来て、
立派な人になるんだとばかり思ってた。

でも、自分なんか、いつまでも成長しないし、
子供のままで年だけ取ってしまった。
心も狭いままで、偏ってて、何にも出来ない。


母は、あんたがいてくれるからなんにもせんでええ、
と言ってくれるけど、
なるべく手抜きして、しぶしぶやってるようなもんだ。
これでも役に立ってるんかなあ。

母は、私がお使いに行く時ごくろうさんと言ってくれるけど、
私は母にそんなこと思ったことあった?
当然と思ってたよね…


この年になって、人の心配してる場合じゃない。
自分だよ。やることをやって、自信をつけないと。
今頃何を言ってるんだ。


父は、心の広い人だった。
こんなにダメ娘でも、無条件に可愛がってくれた。
それに応えないと、ダメじゃんか。
弱音はもう、今回限りにしよう。
前をなるたけ、向こう。


なんか、羽生と関係ない話になってしまった。

でも何も言えん。
ただ見るだけだ。
最後まで見る。





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70年代初期の外国男優たち

2016年08月26日 | 俳優・女優

好きな俳優について書く前に、
まず、あのころ(70年代初期)活躍していた俳優たちについて、
順番に語っていこう。


何しろ年寄りなんで(しつこいなどうも)、
思い出話が好きなのでね。

私の青春というと、どうしても70年代初期。
そこにもう、いっぱい思い出が詰まっているんでね。
どうしても語ってしまうのよ、70年代初期を。


<アメリカ>

さて、あのころアメリカ俳優では、
「明日に向かって撃て」でブレイクしたロバート・レッドフォードが
一番人気があったのではないか。

それまではあんまりぱっとしなかったんだが、
ニューシネマに起用されて、ブレイクした。


金髪で二枚目だったから、人気が出るのは当然だっただろう。
その後監督やなんかで映画界に貢献し、名声も得た。
人生の成功組やね。

でも私にはあまりヒットしなかった。
金髪は好きなんだけど、
正統二枚目、ってあんまり…なのね。
なんかこのころから好みが偏ってたわ。

レッドフォードは「華麗なるギャツビー」とか「追憶」
があるけど、見てないし。


それから「明日に向かって」で共演したポール・ニューマンも、
すでに中年だったけど、これで再びブレイク、
まだまだ活躍していた。
彼も監督業をしたりして、成功組やね。

スティーブ・マックイーンも、中年になってたけど、元気だった。
あんまり好みではなかったんだけれど、
私が見ていたころの「ゲッタウェイ」はクールでよかったし
「パピヨン」など、出る映画が良かった。

でも何といってもリバイバルで見た「大脱走」、
ラストが湿っぽくなるかと思いきや、
マックイーンの明るさで救われた。

あの映画は大名作なので見るべし!なのよ。


さて、
アメリカ映画界が模索を続けていた時期、68年に
「俺たちに明日はない」「卒業」「2001年宇宙の旅」
という、三大名作が登場し、
のちのアメリカ映画に多大な影響を与えた。
アメリカ映画の転換点となる重要な映画たちだった。

その一つ「卒業」に出ていたダスティン・ホフマン。
彼がこの「卒業」でブレイクした。

この3本は、まだ私の映画前期のころの映画。
だから、あとのリバイバル上映で全部見た。


私が初めて彼を見たのが「真夜中のカーボーイ」。

ニューヨークの最底辺を生きる、
びっこをひいた肺病病みのペテン師ラッツォ。

ニューヨークの裏の裏、
そこでもがきながら、絶望に震えながら、
必死で生きる姿が鮮烈だった。


ダスティンはのちに「レインマン」で
オスカーを手に入れるが、私もそれを見たが、
その障害者演技より、「カーボーイ」の演技の方が
断然良かったと思っている。

あれがダスティン・ホフマンの最高の演技だったと思う。
思い出がそう思わせるのかもね。

二枚目でもなく、背も低かったが、演技が抜群にうまく、
のちも活躍をつづけた。

ミーハーな私が珍しく気に入っていた演技派俳優だ。


ミーハーだから、かっこいい人が好きなの。
で、ピーター・フォンダ。

「イージーライダー」で革ジャンを着こみ、
ぴっちりしたレザーパンツで、
改造オートバイに長い足を持て余し気味に乗ってた、
あのめちゃくちゃなカッコよさ。

彼は別項をもうけて個別に語るわ。



そして今思い出した。重要な俳優がいた。
ドナルド・サザーランド。

初めに見たのは「マッシュ」
ニューシネマの代表作。
(正確なタイトルはアルファベットなのだが、面倒なので略す)

野戦病院を舞台にしたイカれた群像劇だったが、
金髪にギョロ目、長身で、いやでも目立っていたので、
すぐに覚えた。

美男では決してないし、したがって私の好みでもないのに、
ひょうひょうとした風情で、なぜか好きになってしまった。

クリント・イーストウッド主演の「戦略大作戦」でも
第二次大戦の話なのに、そんなのおかまいなしにヒッピー風、
やたらと目立っていてますます好きになった。


そういえば、イーストウッド全盛期だったんだ…。
でも興味がなかった。ごめん。
「ダーティハリー」とかの良いアクションに出ていたんだけど。
何だっけ、メイクマイデイとかいうセリフだよね…


話はサザーランドに戻り、反戦運動真っ盛りの時に
ジェーン・フォンダといい仲になり、反戦活動。
二人が共演した「コールガール」、
(これでジェーンはオスカーを獲った)
タイトルはアレだけど、二人の共演はしっとりしていて、
サザーランドも今までとはまったく違う、
武骨な静かな演技で、幅の広い人だなと感心した。

70年代後半に入ると怒涛の活躍を見せるのだが、
ここは70年代初期のことなので、残念ながら省略だ。

だけどずっと彼は好きだったよ。




<イギリス>


イギリス俳優としては、まず最初にピーター・オトゥールを
認識した。

70年代は彼は「チップス先生さようなら」などで演技派として
活躍していたが、
リバイバルで見た出世作「アラビアのロレンス」が
何といっても代表作。

とにかく本人かと思うほどはまっていて、
ロレンスの密かな負の部分まで匂わすような、
すごい演技だった。

あの演技にアカデミー賞を与えなかったのは、
アカデミー史に残る失態だと思う。

オトゥール氏は結構大好きで、リバイバルで「おしゃれ泥棒」とか
「マーフィーの戦い」「将軍たちの夜」(テレビだったかな?)
「冬のライオン」(ビデオ)「ラマンチャの男」など見たのよ。


オトゥールの先輩格にリチャード・バートンがいたが、
私が見たのは「1000日のアン」くらいだったけど、
あのころ、リズ・テイラーと結婚していて、
ふたりして不思議な映画にばかり出ていた。

だけど私は、ああいう顔が結構好み。
ビデオで見た「荒鷲の要塞」カッコよかった。

彼の正統シェイクスピアが見たかった。
(じゃじゃ馬ならしとかは見たんだが、でも、もっと、
リア王とか、 オセロとか、ああいうのね)


そしてリチャード・ハリスがいた。
彼も断然私の好みの顔。

70年ころは、彼の映画を見ていなかったのだが、
顔だけ好みだった。

ビデオ時代になって見た「ジャガーノート」
めちゃくちゃかっこいい!

そして70年には見られなかった「馬と呼ばれた男」、
これインディアンになるための儀式の場面が強烈で、
特殊メイクだったのかな。
ちょっとすごかった。

彼はのちにハリポタに出たんだっけ?
それしか知らない人は、かっこよかった時代の彼を
ぜひ知ってほしい!


テレンス・スタンプもいた。
この人こそ私が最初に好きになった俳優だ。
だから、これものちに別項で。


デヴィッド・ヘミングスもいた。
彼も顔が好み。
彼の映画は例によってろくに見なかったけど、
好みだった。
「欲望」はビデオで見た。
ジェフ・ベックとジミー・ペイジが出ているやつよ。


あー、オリバー・リードもいたなあ。
最初ホラー映画で出て来て、
ケン・ラッセルの「恋する女たち」とか「肉体の悪魔」!
なんかでステータスを上げた。
ワイルドな感じで結構気に入ってたかも。


なんかね、イギリス俳優がやっぱり一番好みだった。
自分にフィットしたんだろうなあ。
イギリス俳優というと途端にテンションが上がるよ。



あー、忘れてた。
ダーク・ボガードがいた。

多分60年代ではイギリス映画で陰湿なオーラを
振りまいていたはずだが、
やっぱり彼の70年代というと、ヴィスコンティの2作。

でもやっぱり陰湿な暗いオーラが健在で、
ただ「ベニスに死す」ではそれが最大限に生かされ、
ダーク・ボガード一世一代の名演技だった。


「愛の嵐」も陰湿・暗いオーラを振りまく演技だったが、
私は最近、この映画に否定的なのだ。



この時期、イギリスにすごい俳優が現れた。
「IFもしも…」でデビューした、マルカム・マクダウェル。

不敵な面構えで、
それまでのノーブル系イギリス俳優と全く違った。
「時計じかけのオレンジ」でも無茶苦茶やって、
存在感抜群だった。

好みでなかったけど、のちのゲイリー・オールドマンの
鮮烈デビューを思わせる、すごい系の俳優だった。

でもアメリカへ行くと、たいてい駄目になってしまうんだよね…
イギリス俳優は。
それが残念だ。


うーん、ヨーロッパ俳優までたどり着けなかった…

ということでつづく




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羽生が帰国してたって

2016年08月23日 | 羽生結弦
羽生が帰国してたって?
今朝の京都新聞の記事で初めて知ったわ。
え、きのうからニュースでやってたの?
全然見てへんかったわ…
遅れてるわ、私。


そういうことはあらかじめ誰かが言っといてくれんと。
驚くから。
朝から動画巡りしまくったわ。

ギネス認定って、それは驚かないけど、
まあ当然だろうしね。


京都新聞にさえ記事に載るってことはでも
すごいことなんよ。
こんな地方新聞に載るって、ね。


それより気になったのは、
「だいぶ元に戻ってきた」
という表現、
「だいぶ」ということは、全部じゃないんよね…
まだ完全、ではないってことよね…
気になるな…


それと、スケカナまでに試合に出るかは、
足の状態を見ながら、と書かれていたのも気になる。

まだ状態が完全じゃないからだよね…

グランプリが始まる前に実践ひとつくらい
試しておきたいよね、でもそれも決まらないって…


それにフリープログラムはまだ明かせないって、
それも気になる。
でもプロは出来てるんだろうな…きっと
でもなんで言えないんだろう。


羽生の強気発言はいつものことと考えて、
うらはらに気になる羽生の状態。


なんか心配してる?
んで興奮してる?
まるでファンみたいだわ、自分。

冷静な観察者のはずの自分、どこ行った?



で、24時間テレビに出る、と。
ああ、それが来日(笑)の目的なのね。

…あの偽善的チャリティー番組ね…、
私あれが白々しくて、毎年見てない。
見ないようにしてるの。
あの障害者をだしにして、お涙ちょうだいばかりやって、
お金集めて、
なんかもうひとつ真摯に見られないの。

心がねじくれてるせいかなあ。


それに羽生が3年くらい出てたって?
全部見てないなあ。
やっぱファンじゃないのかもね、
自分がいやなものは見ないことにしてるから、
自分の感性優先。
何でもかんでも羽生羽生じゃないんだろうね、
自分の我の方が強いから。

ていうか、どうせエキシみたいなのだろうから、
大したプロでもないだろうと思ってるのかも。


羽生の出演部分の時間さえ分かったら、
それだけ見るんだけどな。
出演の時間って、分からないのかな。


今回はくまモンと何、少女スケーターとのコラボ?
なら、あまり激しいアクセルとか4回転とかは
なしだよね、とちょっとほっとする。

ならす程度にしておいてね。ステイヘルシーで。
激しいのはなしにして、ね。




ということで、まあ話変わって、
京都では夏が終わった。
新学期も始まった。


京都のお盆は、いろいろお供えとかをするらしいが、
真宗のウチは関係ないので何もしない。


大文字の送り火は、例によってテレビで見た。
まさかの大豪雨、大の字が見えない…
カメラは何を映しているつもりなんだ、状態…
ほかの4つは何とか見えたけど…
(「法」がいいかげんだったぞ)

こんなのは初めてだ。聞いたことも見たこともない。
NHKがBSで全国放送していたというのにそういう時に限って…
まあこういうことになるんだよなあ。


我が家の一階のテレビではBSは映らないから、
地元局のKBS京都で見ていたが、
左大文字の火を灯そうと、
必死になっている様子が分かった。
こんなでも、頑張るんだ。それに感動していた。
延期はないんだ…

一年間このために準備して来たから、伝統だから、と
大豪雨でも頑張るんだ…
京都の人、やっぱりすごいな。



そして地蔵盆があって、飾りつけに顔を出しただけだった。
子供がいない。
近所にも地蔵盆をしている町内があったがそこにも子供はいない。
子供のいない地蔵盆になってしまった…

こうして、京都の夏が終わる。
まだ、暑いけど
でも、京都の人は、こうして無理やり夏を終わらせる。
それが京都なのだ…



まあ羽生、強気もいいけど気持ちだけで空回り
しないでおくれ。落ち着いてね。
それからいつも呼び捨てでごめん、
くんとかさんとかつけるのがもう面倒になって来て。





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なぜ今、ダリ?

2016年08月21日 | 展覧会・絵
京都で、二つのダリ展が開かれている。




http://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/kmma/exhibition/2016_3_fiscal_Dali.html
京都市美術館の9月4日までのダリ展
先に京都で、次に東京で開かれるらしい…

http://salvador-dali.jp/



http://www.bunpaku.or.jp/
それと、京都文化博物館でのダリ版画展

http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special/now/

これも、9月4日までだ。



なぜ、今ダリ?

前のマグリットもそうだったけれど、
もう終わった画家とばかり思ってたら、
時々こうしていきなり浮上してくる。

絵画にも流行があると思っていたけど、
それでも一度名声を得た画家は忘れられていないということか。


私も、今、ダリと聞いて、今さらと思っても、
やっぱりちょっとは心が動くから。




私が初めてダリの絵を見たのは小学生の時。
(と、ここから思い出話が始まるよ)


家に置いてあった、近代絵画全集とかいう、
その中の一冊が、ダリだった。


展覧会で実際のダリの絵を見たことはあっただろうか。

シュルレアリスム特集の展覧会のようなところで
見たような記憶があったりもするけど、なかったかもしれない。

どうなのかあやふやだ。



でも、小学生の時、その絵画全集で、一番好きだったのがダリ。

そのほかの画家は、例によってゴッホとかゴーギャン、セザンヌ、
ルノワールなど、印象派と後期印象派を中心とした画家たち。
そのほかにはユトリロとかマティスとか。


そういう画家の絵は、良さが分からなかった。

この構図がのっぴきならない、とか、
りんごとテーブルクロスがまるでひっぱりあっているような…
とか、説明がついているんだけれど、
その構図云々はさっぱり私には理解できなかった。
(小学生だからね、なにしろ)


そのほかで比較的好きかもと思えたのは、
シャガールとクレー。
シャガールは結構好きだった。
ちょっと凝った時期があった。
ルネサンスや象徴派を知るまではね。
クレーは今でも好きだけど。



その時は、絵画全集と書いてあるので、
その全集に出ている画家が、
西洋画家の全員だとばかり思い込んでいた。

その全集にはスーラがなかったし、
あとでこんな画家がいたのかとびっくりしていた。

あの絵画全集の画家以外にも、画家はいるということが
小学生の頭にはどうしても理解できなかったのだ。


それと、その全集におさめられていた絵だけが、
その画家の絵のすべてだと思っていたので、
ダリのほかの画集を見た時、
ダリはあの画集のほかにも絵を描いていたのか、
とびっくりした記憶がある。

小学生の時の思い込みというか、すり込みは恐ろしい。


ダリは、ただ単純に面白かった。
小学生にも分かりやすかったし、楽しい絵だった。

一番好きだったのは、やっぱり「記憶の固執」。



今回の展覧会には出ていない。

小学生でも面白かったもん。

大人になってからも、結構ダリは気に入っていたし、
気になる画家だった。


ダリに関して、こんな文章がある。


「ダリのスキャンダルと自己中心の神話に対する偏愛は、
その冗談とも真面目ともつかない大言壮語癖とともに、
しばしば謹厳ぶった人たちをとまどいさせてきたが、

-----しかし、少なくとも私たちには、
そのような道化芝居の仮面の奥に、
一貫して変わらぬ彼の素顔を
透視することもできたはずである。
(中略)

その一風変わった幼児性欲的な
ナルシシズムやエキジビショニズムを
心ゆくまで満足させながら、
わが身は狷介な反時代の夢想に
どっぷり浸っていた。

ここらあたりに、ダリの芸術家としての狡智、
あるいはまた、
天成の倫理的潔癖さを見る。」


ダリという奇怪な人物像をふまえたうえで、
いやそこに焦点をあてつつ、
芸術家としてのダリも冷静に見据えるという、
的確な筆運び、

ここまでダリ(という人物)に関して真面目に
正面からきっちりと捉えた文はあまりないのではないか。



これは、澁澤龍彦の文章なのだけれど、
ダリのスキャンダラスな面もさらっと、
そしてちゃんと了解し把握していて、見事だ。


ダリに倫理的潔癖さがあったのかどうかは
判断できかねるが、
ダリ論としては最上級のものではないか。

いま、これだけの真摯な画家論を書く人が
果たしているのだろうか。
(しかも澁澤は美術評論家ですらなくフランス文学者だ)


でもまああれでもダリは一途に奥さんを愛していたし、
ただ目立つのが好きだったんだろうな。





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