伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

劇団四季・ジーザスクライスト・スーパースター

2024年04月25日 | 演劇・ミュージカル
4月20日から6月2日まで、
JR京都駅ビル内の「京都劇場」で上演されている劇団四季の
「ジーザス・クライスト=スーパースター」を見て来た。

エルサレム・バージョンでの上演だ。
以前から見たかったミュージカルだ。


劇団四季のジーザス・クライストはエルサレム・バージョンと、
ジャポネスク・バージョンがあるが、見たかったのはエルサレム・バージョン。
京都劇場で上演されるのを知り、
うれしくてうれしくて何としても見たいと思い、
チケットもわりと簡単に取れ、念願かなって見ることが出来た。

京都劇場は劇団四季のミュージカルをよく上演している。
ほかに演歌歌手のコンサートなども行っているが、
「美女と野獣」も「オペラ座の怪人」も、ここで見た。

京都駅構内(駅ビル内)にあって、家から歩いて行けるので、
こんなに近くでジーザス・クライストが見られるのがうれしい。

京都劇場の総席数は941席と大きくはないが、
客席は満員で女性が多いが品の良い?男性も多い。
京都の上流階級の人という感じ?
年代はさまざまだった。


*感想がとても長くなってしまった・・・
思い入れの強い作品なので…
(盛大なネタバレもあり)



劇団四季創立70周年記念公演
『ジーザス・クライスト=スーパースター』[エルサレム・バージョン]
https://www.shiki.jp/applause/jesus/


劇団四季:ジーザス・クライスト=スーパースター[エルサレム・バージョン]
:プロモーションVTR
shikichannel
https://youtu.be/dT8WYJy3GKA?si=_IXYGen5xAQFNOkd





若かりし頃、
映画で「ジーザス・クライスト=スーパースター」を見て感動し、
忘れられない映画作品の一つになった。
もともとはブロードウェイとロンドンで上演されたミュージカルで
(その大元のオリジナルはレコード制作だった)、
映画化はノーマン・ジュイソンが監督して、
イエスが活動したイスラエルそのものでロケした。
砂漠の荒涼とした感じと相反するかのような熱気がすごかった。

始めに映画で見ていたが、
劇団四季が上演しているのは古くから知っていた。
一度は劇場で見たいと思っていた。
ミュージカルはあまり見ないが、「ジーザス」が見たかったのだ。
今回、何十年も経て💦とうとうその夢が叶う時が来たのだ。

イスラエルは今、難しい時だが…
(第二次大戦時は被害者だったのが、
終戦後にアメリカの肝いりで建国したことで加害者になってしまっている)
昨今の国際情勢とは切り離して考えた方がよいだろう。
ユダヤの物語ではあるが、
同時に若者たちの愛と苦悩の物語でもある。

それ以上に俳優たちの熱演、歌唱力の素晴らしさ、
迫力に圧倒されっぱなしの2時間足らずだった。
(休憩なし)
生歌の迫力を肌でじんじんと感じた。




彼らの名前は誰一人知らなくて、
劇団四季に何の予備知識も持たないまま見に行ったから、
俳優たちは(自分にとっては)無名の人たちだ。
そのような無名の俳優なのにものすごい歌唱力、
まずそれに驚かされた。
マイクはいらないのではないかと思ったほどだ。

イスカリオテのユダ、マグダラのマリア、イエス(ジーザス)、
プロなのだから上手いのは当たり前だが、みんな上手い。
それぞれが圧倒的な歌唱力。
感情表現がダイレクトに伝わって来る。
イエス役の人は声質が良く、ハスキーな声に哀愁があり、
ハイトーンも楽々出していて感激した。

パリサイ人の大祭司・カヤパのバリトンもすごかった。
ものすごい低い声が出ていて、掠れることも聞き取りにくいこともない。
劇場じゅうに響くような低音なのだった。


日本語で歌うからオリジナルの英語の半分くらいしか訳されていない。
それが少し残念だった。
ただ意味は通じていたけれど。
日本語を原曲のメロディーに合わせて当てはめていくのは
とても苦労しただろうし。
ただ、日本語で歌うから原曲のメロディーが少し変わってしまっていた。
アンドリュー・ロイド・ウェバーの美しいメロディーが
少しだけ分かりにくくなっていたかな。





舞台上には荒野のセットが組まれていて、
奥に行くにしたがって傾斜がある。
奥に行くには坂を登る感じだ。
セットはそれだけで終始する。
暗転した時にセットの上に簡単な装置が置かれることがあり、
場面転換がある時もあるが、
基本的にはひとつのセットのみでストーリーが展開してゆく。

始めに映画の方を見ているからどんなふうに?とか
どうやって?と思っていたが、
場面転換がほとんどないから話がサクサク進む。

サクサク早く進むから素晴らしい歌唱でも
余韻に浸っている暇があまりないが…


---------

「ジーザス・クライスト・スーパースター」は
イエスが十字架にかけられるまでのイエスの最後の7日間を描く。

約2000年前、ユダヤはローマ帝国の支配下にあった。
ユダヤの民はローマへの税、ユダヤへの税、神への貢物、と
二重・三重の重税、圧政、形骸化した厳しい神の戒律に苦しんでいた。
そこへ新しい神の教えを説くイエスが現れ、
民衆は彼を受け入れ熱狂的に支持してゆく。

弟子のひとりユダは、その民衆の熱狂に不安を感じていた。
ユダヤの支配層に目をつけられるのではないか、
民衆はイエスの教えを信じるというより、
ただローマから解放してくれるのではないか、
病気を治してくれるのではないかという現世利益を求めているだけではないか。
ユダはイエスとの間に溝が深まってゆくのを感じていた・・・



(画像は劇団四季のHPより)


------------

劇が始まると、当たり前だが説明は一切ないから、
これは(新約)聖書を熟知している人でないと分からないと思った。

自分は中・高とプロテスタント系キリスト校に通っていたので、
毎日の朝礼(礼拝)の時に毎日賛美歌を歌い、
聖書の一節を開き、その一説に基づいた先生のお説教を聞く。
だからイエスと弟子たちの行状は親しいもので、良く知っていたし、
だからこそ「ジーザス」を見たいと思ったのだ。


が突然大祭司のカヤパとアンナスが登場して来ると、
それが誰だか理解できないのでは?と思ったり、
前半にローマ総督ピラトが夢を見たという独唱をするが、
それが誰か、お話を知らなければ誰だか分からないだろう、とも。

またホサナ、と群衆が合唱する場面は
新約におけるエルサレム入場の場面だが、
場面転換をしないので、やっとエルサレムにたどり着いた、とか、
ここがエルサレムであるという説明がないため、
なぜ群衆がイエスを称えているのか分からないのでは?
とも思った。


まあ劇場にジーザス…を見に来るくらいの人ならば、
物語のあらすじは分かっているのかもしれない。


始めの場面で沢山のイエスの弟子たちが登場するが、
その弟子たちがある場面ではユダヤの民になったり、
エルサレムで物売りの集団になったり、群衆になったりするのは
とても効果的だった。

あれほどイエスを慕っていた弟子たちや民衆が
最後はイエスを罵り、死刑にせよ、と囃し立てるのである。
その残酷さがよく表現されていた。


・・・ゲッセマネの場面(イエスの独唱)に来ると、
来た!、と心の中で叫んだ。

ただそれまでイエス役の人がハイトーンで美声を聞かせていたため、
独唱そのものが少し意外性がなかったかも。
映画では前半、イエスはそれほど聞かせどころがなかったはずで、
だからこそ、ゲッセマネでの血を吐くような神への問いかけが
心を打ったのだったが。。

ただ、曲の間奏部分、5拍子の変拍子に変わる部分で、
映画では古今の西洋絵画が描くイエスの磔刑場面が
フラッシュバックのように挟まれていくが、
そこを舞台ではイエスがロングトーンで長々とひと息で歌うのが圧巻だった。

イエス役は役柄上、やせ細っている設定なのに、
あの肺活量はすごいと思った。



イエスの鞭打ちの場面は目を覆いたくなるような残酷さで、
そのリアルさに震え上がった。

舞台上を引きずりまわされながら、鞭で打たれ続ける。
もちろん実際に鞭が当たってはいないが、
舞台を端から端まで引きずりまわされ無抵抗のまま、
されるがままにぼろ雑巾のように鞭打たれ続けるのである…

そして磔(はりつけ)の場面がやって来る。
この場面もあまりのリアルさに目を背けたくなるほどだった。
いや、釘付けになり、目が離せなくなった。
今、この場所でまさに磔刑そのものを見ている気になってしまった。


十字架にイエスを横たわらせ、イエスの手のひらに釘を打つ。
その時、釘を打つ音が劇場じゅうに響きわたる。
その残酷さ。
釘が打たれるたび、イエスの手のひらが痙攣するのである。

私の席は1階のかなり奥だったが、
イエスの手のひらが震えるのがしっかり見えた。
まるで実際に釘打たれているかのようだった…。

舞台の上に、イエスを張り付けた十字架が建ち上げられた時、
まるであの時代の磔刑の現場に居合わせている気持ちになった…


しかも映画では十字架を建てた時、
体が重みで十字架から垂れ下がるのを防ぐため、
両手首に縄を巻いていたが、この舞台では縄も見当たらない。
それでいて体が十字架に張り付けられたままでいる。
どうやってずり下がることなく
十字架に張付けられたままでいられるのか分からない。
実際に釘で打たれて、本当に磔刑にされているとしか思えないのだ。
あまりのことに驚きだった。

磔刑(はりつけの刑)とは十字架に釘で打ち付けられ、
十字架を丘に建てられて終わりではない。
磔刑に処せられた人物はまだ生きている。
十字架上にそのまま何日もさらされたまま、やがて飢えて
飢え死にするのを待つのである。
そういう残酷な刑であった。
目の当たりに磔刑を目にして言葉もなかった・・・。



--------------



(画像は劇団四季のHPより)


ジーザスの舞台はライティングが神で、
イエスが弟子たちといる時、イエスにだけライトが当たり、
イエスだけが光る。
まるでレンブラントの絵画のようだった。

磔刑の場面も舞台の真ん中に十字架がそびえたち、
回りを悲しむ人が取り囲む。
その場面は西洋絵画でよく見たイエスの受難の場面そのものだった。


芝居が終わり、カーテンコール(カーテンはないが)
はあるのかな?と思っていた、
こんなシリアスなストーリーにはカーテンコールは合わないなとも。
でもやっぱりカーテンコールはあった。
しかも何度も何度も。
舞台袖に引っ込んでは再び舞台に出て来て観客に挨拶する。
観客に手を振ったりもして。
もちろん場内は総スタオベで手を振り返したりした。
俳優の熱演に応えたい、感謝を表したい、
という観客の気持ちの表れのお手振りだった。



売店にはグッズまであった・・・


・・・長々と語ってしまった…
興奮が覚めやらないので…。

京都劇場のジーザスは6月頭まで上演しているので、
また見たくなった。。
何しろ徒歩で行ける距離なので(トイレが我慢できる距離)、
交通費が要らない。
気軽に行けるので出来ればもう一度、見てみたい・・




美術館・ギャラリーランキング

京都府ランキング

フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へにほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログへにほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへにほんブログ村


シネマ歌舞伎・桜姫東文章下の巻

2022年05月07日 | 演劇・ミュージカル
シネマ歌舞伎、「桜姫東文章」の下の巻を見に行った。

京都・新京極三条下ルのMOVIX京都で上映していた。


片岡仁左衛門と坂東玉三郎の共演で話題を呼んだ舞台なので、
映画館でいいからぜひとも見たかったのだ。
前半(上の巻)を見たので、今回の後半の下の巻も見に行った。
(5月12日まで)



MOVIX京都
https://www.smt-cinema.com/site/kyoto/movie/detail/?cinemaid=T0026980&mo=35892&type=0




連休中に行ったからか、前半(上の巻)の時より空いていた。

上の巻が4月に公開されていたので、
今回の下の巻では上の巻のあらすじも最初に紹介していた。
(そうだろうと思っていた)

そして映画館でのみ、2回とも片岡仁左衛門と坂東玉三郎の解説がつく。
解説というか、インタビュー。
冒頭に二人のインタビューが流されるのだ。
映画館のみの贅沢な試み。


仁左衛門がこの戯曲は玉三郎のために書かれたもののように思う、
と嬉しい言葉を言っていた。

玉三郎は自分は(舞台の間)休む時間があるが、
仁左衛門さんは清玄と権助の二役なので出ずっぱりで
大変だと思うと言っていた。


僧・清玄は稚児の白菊丸と道ならぬ恋に落ち、心中を図る。
しかし清玄は死にきれず、生き残ってしまった。

17年ののち、高僧となった清玄の前に現れた吉田屋の桜姫。
桜姫は色々な理由から出家しようとしていた。
清玄は彼女が白菊丸の生まれ変わりと知る。

清玄は美しい桜姫に執着し、落ちぶれてしまう。
さらに心無い者に殺されてしまう。


一方、桜姫はかつて自分を犯し、子供まで作らせた相手、
ならず者の権助が忘れられない。
偶然、再会して権助に身を任す姫…。


権助は桜姫を女郎に売り飛ばすが、桜姫は図太かった。
権助との底辺の生活にもいつの間にか馴染んでいるのだ。


この桜姫の特異なキャラクター…、
よく考えると性悪なキャラかもしれないのだが、
玉三郎が演じると、嫌味より可憐さや美しさが際立っていて、
女郎に身を落としてからも何となく背伸び感があるというか、
憎めないというか、どこかに上品さが残っている。
玉三郎の類い稀な美しさがそう感じさせるのだ。

そうでなくば原作者の意図通りにならないだろう。


布団を敷いて権助とじゃれあう場面は名場面である。

二人の名優がぴったりの息で演じていて、見ていて快感すら感じる。







女郎に身を落とした桜姫だが、
彼女の周りに不気味な火の玉のようなものが現れると噂になり、
権助のもとに返される。


不慮の死を遂げた清玄が、幽霊となってまでも桜姫に憑りついていたのだ。

清玄から権助の正体を聞かされた桜姫は、
権助に酒を勧めて酔い潰し、真相を探ろうとする。



仁左衛門の、だんだんに酔い潰れてゆくだらしのない演技が
あまりにもリアルで、本当に酔っているのでは?とすら思ったくらいだ。

歌舞伎という様式的な芝居であるのに、
セリフも歌舞伎独特の言い回しであるのに、
二人の演技にはリアリティがあり、思わず引き込まれてしまう。

今まさにここでドラマが繰り広げられているかのような生々しさがある。


仁左衛門と玉三郎という、
二人の人間国宝同士の至芸というに相応しい見事な演技だった。



権助は実は桜姫の家の吉田屋の家宝を奪い、
当主を殺した桜姫の家の仇であることが発覚する。

桜姫が酔い潰れた権助から証拠を見つけたのである。


あれほど権助を恋い慕っていた桜姫ではあったが、
やはり桜姫は一筋縄ではいかない姫だった。

お家の仇、と権助をその手にかけるのである。


桜姫の強かさが際立ち、鶴屋南北らしい退廃的な戯曲でもあった。



それにしても話があらぬ方向へとどんどん転がってゆく脚本もさることながら、
それを二人芝居で見せてゆく仁左衛門・玉三郎のコンビの演技に、
あらためて見とれるばかりのシネマ歌舞伎だった。


この仁左・玉コンビをリアルタイムで見られることはこれこそ眼福で、
現代の贅沢であり、幸せなのだとつくづく感じ入ったことである。




美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村



シネマ歌舞伎・桜姫東文章

2022年04月21日 | 演劇・ミュージカル
京都新聞に2021年だったか、歌舞伎座で公演があり、
チケットが即日完売したという、
片岡仁左衛門・坂東玉三郎共演の「桜姫東文章」のシネマ歌舞伎が
上映されているという記事が掲載された。


「桜姫東文章」は36年前、仁左衛門さんが片岡孝夫時代に演じられ、
玉三郎とともに人気を決定づけた演目だ。


玉三郎さんは長大な通し狂言で体力がいるから、もう演じることはないだろう、
というようなことを語っておられたような気がするので、
36年ぶりに「桜姫」が演じられると知り、
驚いたと同時に大いにうれしかった。

東京の歌舞伎座での公演は大評判だったようで、噂は関西にも届いていた。
仁左衛門と玉三郎の共演とあれば(仁左・玉コンビだし)、評判にもなるはず。
ぜひとも京都の南座でも演じてほしいと思っていたが、
叶わない夢だった。



ところが今回、シネマ歌舞伎として映画館で上・下に分けて公開されるという。
これはぜひとも見なければと思い、新京極の映画館へ出かけた。


「桜姫東文章」はずいぶん昔、ビデオの時代にテレビで放映され、
それを録画して持っている。


濡れ場がひどく官能的で、何度も見たい魔力があった。
これぞ歌舞伎という、美しいながらも何とも言えない退廃美が漂い、
衝撃を受けた。
孝・玉時代のコンビの代名詞的な演目だ。

もう二度と見られないと思っていたのに、
それが今や二人とも人間国宝になった今、再び演じてくれるとは。
評判にならないわけがない。


上・下に分けての上映なので、今回見たのは前半の2時間ほど。




桜姫東文章 上の巻 (本編:124分)

鶴屋南北作の退廃的な美の世界を描いた物語を、
片岡仁左衛門と坂東玉三郎が36年ぶりに同じ配役で演じた歌舞伎公演を映像化。

キャスト
片岡仁左衛門、中村鴈治郎、中村錦之助、中村福之助、
片岡千之助、片岡松之助、上村吉弥、中村歌六、坂東玉三郎



70歳を超えた玉三郎が稚児の白菊丸を演じるのはどうかと思ったが、
シネマ歌舞伎でアップになっても違和感はなかった。
さすが当代の美貌の役者だけある。


「四谷怪談」で有名な鶴屋南北の原作は江戸後期の退廃的な雰囲気があり、
話がどんどん悲惨な方向に転がり堕ちてゆく。

が、それが避けられない悲劇の展開として戯曲の魅力になっている。

話はとても複雑で長大だが、二人の演技が目を見張るばかりで、
瞬きするのも惜しいくらいだ。


仁左衛門の高僧・清玄の品のある身のこなしと、
二役で演じるならず者の権助のやさぐれた感じの演じ分けはさすがに見もので、
権助のふるまい(こなし)に目が釘付けになってしまう。

玉三郎も、しぐさや身のこなし、仁左衛門との息の合った演技に
贅沢なため息が出てくる。

特に権助との、かつて自分を犯したならず者に身を任せる濡れ場の場面は
36年前と変わらず衝撃的で、官能的で、見入ってしまった。

これぞ、仁左・玉コンビの最大の見せ場。
人間国宝同士の、今、日本で見られる最高峰の場面だと思う。




後半ではならず者の権助に従う桜姫が女郎に身を落としてゆく
波乱万丈の展開になってゆくが、
今回上映された上の巻では、
清玄と桜姫の夜の歯がゆいすれ違いの場面で終わっていた。


29日から下の巻が公開される。
それも、ぜひ見に行きたいと思う。




それにしても、歌舞伎は今、初音ミクと共演したり、
鬼滅の刃を題材にしたり、スーパー歌舞伎はもとより、
様々な試みを試して新たな客層を掘り起こそうとしているが、
この仁左衛門・玉三郎を見ていると、
彼らが場に出るだけで醸し出される何とも言えない華があるのは
疑いもなく、否応なしに目が吸い寄せられるのである。

それがスター性であり、華であり、役者としての存在感だろう。




映画のスクリーンで見ているとよく分からないが、
実際の舞台で玉三郎なり、仁左衛門が登場して来るだけで、
その場がさっと華やぎ、彼らに目が自然と釘付けになってしまう。
出て来るだけで、その場にいるだけで絵になるというか。


その時代に合った新しい試みも必要かもしれないが、
今の歌舞伎に観客が本当に求めているのは、このような、
一目で観客をとりこにする、存在感のある役者なのではないか、
そんなことを考えたのである。




美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村



紅テントと京都書院の頃

2021年03月20日 | 演劇・ミュージカル
NHK BSの「アナザーストーリーズ」でだいぶ前になるが、
唐十郎の紅テント・状況劇場を特集していた。

2021年2月16日「越境する紅テント ~唐十郎の大冒険~」



80歳を超え、脳挫傷という病を得ても今も活動を続けているのを知り、
感慨深かった。ずっと活動していたことに。
京都では演劇に関して、情報はあまり入って来ないのだ。



唐十郎の紅テント「状況劇場」はあの時代、1960年代後半、
70年安保に向け学生運動が盛んになって来た時と切り離せないと思う。



若者たちのアングラ文化が台頭して来た時期である。

当時の学生運動も、若者たちが社会や政治に関して自分の意見を持ち、
自己主張を始めたからであった。

時を同じくして、
音楽や美術などで新しい動きが始まり、
若者たちが新しいことに挑戦し始めたのは、偶然ではないと思う。



映画は「心中天網島」「エロス+虐殺」、

音楽では岡林信康や高石ともや、フォーククルセダーズ、
ロックでは村八分、頭脳警察など、
過激な主張やパフォーマンスをするバンドがあのころ急増したのは、
お仕着せの、与えられた歌だけ歌うのではなく、
自分が作り、歌い、主張する、その土壌が醸成されて来たからだろう。

学生運動の学生たちがそうであったように、
若者たちが自分の言葉を持ち始めたのだ。





それは演劇でも同様だった。

それまでの、新派や翻訳劇などのトラディショナルで、
出来上がったものではなく、
自分たちで考え、作り、自分たちの価値観で劇を一から作り上げる。

そのようなムーブメントが文化全般から押し寄せていた時代だった。


あの時代は若者文化という、一つの文化が出来上がった時代だった。

既存の価値観にとらわれない、
新しい表現のあり方を誰もが模索し形にしようとした。
それを文化にまで押し広げた、そういう時代だった。



唐十郎自身は丸顔で、気の良さそうな、普通の人だったので、
彼が過激な内容のアングラ劇を創出した人とはとても思えない。

紅テントの彼らが警官と乱闘騒ぎを起こしたりしたのも、
彼らは時代が要求していた存在だったのだと思う。





京都では紅テントはいつも、下鴨神社の境内で行われていた。



ある時から、私は四条河原町の京都書院という書店に入り浸っていた。

三条河原町にあった駸々堂とともにこの二つの書店が私の聖地だった。



京都書院は駸々堂に比べればあまり大きくない。
1階にはわりと普通の本を置いていた。

が、階段を上がって2階へ行くと、そこは異世界というか、
魔窟というか、まるで桃源郷のような世界が広がっていた。


澁澤龍彦、種村季弘、埴谷雄高、塚本邦雄、はもとより
マニアックな美術書がずらりと棚に並んでいた。


グスタフ・ルネ・ホッケの「迷宮としての世界」、
ヴァザーリの「画人伝」、マニエリスムに関する本たち…、

子供の私には高くてとても手が出ない美術書が欲しくて欲しくてたまらず、
京都書院へ行くたび、棚から引き出しては立ち読みしていた。


今でもルネ・ホッケの3000円以上した「迷宮としての世界」を
買えなかったことが心残りのまま…。

それでも京都書院の2階で「澁澤龍彦集成」を何冊も買い集めた。




その京都書院の2階へ行く階段の脇の壁に、
アングラ映画などのポスターが貼られていた。

そこに下鴨神社で行われる紅テントのポスターもあった。

京都書院の2階へ行く階段の脇の壁、それは魔界への入り口のようだった。




まだ子供だったあの頃、下鴨神社の紅テント・状況劇場のポスターに、
ただならぬ異世界的雰囲気を感じて、
これはどんなものなんだろう、
と想像しながらいつも2階への階段を上がっていた。




京都書院も今思えば、先鋭な京都文化を発信していたんだと思う。

京都はその頃(も今も)学生が多い、学生の町だったから、
学生向けの最先端カルチャーの町だったのだ。

円山音楽堂や京大西部講堂など…
京都でも独自の学生文化が華開いていた。

それだから、紅テントの状況劇場も受け入れる土壌が出来ていたのだろう。



まだ子供の私はとても紅テントに潜る勇気はない。
どんなものだろうと想像をめぐらすばかりだった。

あの時代、
安保闘争やアングラ文化からは遅れて来た世代だったので、
何事かの新しい波が押し寄せていたことは分かっていても、
自分の中に把握することは出来ず、それを見上げるだけだったのだ。



当時、唐十郎の戯曲は角川文庫からたくさん発売されていた。
それを買い漁って読んだりもしていた。
あまり理解は出来ていなかったと思うが…。




それからだいぶ経ち、大人になって就職してから、
また下鴨神社に紅テントが来るのを知った。

一度はどうしても見ておきたいと思い、
このチャンスにと知人を誘って見に行った。

その時の状況劇場は根津甚八がスターだったころだ。



紅テントの中に入ると通常の席はなく、
シートの上に地べたに坐る、それに驚いた。

そして一緒に行った知人が後ろの人の足が自分のお尻に触ると言い、
もう出ようというので、仕方なく途中で劇を見るのを止め、
テントを出ることになった。

そのため、たった一度見に行った状況劇場の劇を、
最後まで見ることが出来なかった、という顛末に、
後々まで知人を恨んだ。

劇の内容もまったく覚えていない。




私の紅テント体験はお粗末なものだったが、
「アナザーストーリーズ」で紹介されていた、
状況劇場がパレスチナへ行って上演したことは知っていた。


唐十郎の困難なこともどこまでも実現させてしまうエネルギーに
驚嘆した。
パレスチナという象徴的な場所で芝居をする、という
事実が必要だったのだろう。

あの時代の渦巻くエネルギーがそうさせたのかもしれない。



時代を駆け抜けた風雲児、という表現がぴったりのような気がする。

根津甚八は俳優を辞め、京都書院はとうになくなった。



角川文庫の唐十郎にしか出会えなかった私には、
懐かしさともどかしさが入り混じった思い出…。








美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村


蜊怜コァ縺ョ鬘碑ヲ倶ク悶?11譛

2018年12月02日 | 演劇・ミュージカル

縺。繧?▲縺ィ縺イ縺ィ諱ッ縲





閠宣怫陬懷シキ蟾・莠九?縺溘a縲∽シ鷹、ィ縺励※縺?◆蜊怜コァ縺ァ陦後o繧後※縺?◆蟷エ譛ォ諱剃セ九?鬘碑ヲ倶ク冶?陦後?縲
荳?譏ィ蟷エ縺ッ豁瑚?邱エ蝣エ縺ァ縲∵乖蟷エ縺ッ繝ュ繝シ繝?繧キ繧「繧ソ繝シ莠ャ驛ス縺ァ縺ィ縲∵オ∵オェ縺励※縺?◆縺後?
縺薙?縺サ縺ゥ閠宣怫蟾・莠九′邨ゆコ?@縲?蟷エ縺カ繧翫↓蜊怜コァ縺ォ蟶ー繧翫?∬。後o繧後◆縲


蜊怜コァ逋コ逾・400蟷エ縲∝漉蠎ァ譁ー髢句?エ險伜ソオ縺ィ驫俶遠縺」縺ヲ縲∝、ァ縲?噪縺ォ縺顔キエ繧翫b陦後o繧後?
隧ア鬘後↓繧ゅ↑縺」縺溘?


荵?@縺カ繧翫↓縲?1譛医??2譛医?√→2繝カ譛医↓貂。縺」縺ヲ闊郁。後′陦後o繧後◆縲

莉翫?12譛医?譁ー縺励>貍皮岼縺ォ縺ェ縺」縺ヲ縺?k縺後??シ域シ皮岼縺ッ邱丞?繧梧崛縺医↓縺ェ縺」縺滂シ
11譛亥?縺ォ霄ォ蜀?′繝√こ繝?ヨ繧貞叙縺」縺ヲ縺上l縺溘?縺ァ縲
菴募香蟷エ縺カ繧翫°縺ァ鬘碑ヲ倶ク悶∈陦後▲縺ヲ譚・縺溘?



蟶ュ縺ッ25000蜀?b縺励◆縲
?鷹嚴縺ョ繧上j縺ィ蜑阪?縲∬干驕薙?縺。繧?≧縺ゥ讓ェ縺ァ縲∽ソウ蜆ェ縺溘■縺後◎縺薙r騾壹k縺溘?縲
縺昴?豎励∪縺ァ縺瑚ヲ九∴縺溘j縺励※縲∝、ァ霑ォ蜉帙□縺」縺溘?



縺?d縺ゅ?∫エ?譎エ繧峨@縺九▲縺溘?

荵?@縺カ繧翫↓豁瑚?莨弱r隕九※縲∵─蜍輔?蠏舌□縺」縺溘?


莉∝キヲ陦幃摩縺輔∪繧定ヲ九↓陦後▲縺ヲ縲∵沒莠秘ヮ繧定ヲ九※蟶ー縺」縺溘?



陦後▲縺ヲ譚・縺溘?縺ッ譏シ縺ョ驛ィ縲


1豈帶栢?域ュ瑚?莨主香蜈ォ逡ェ縺ョ蜀?シ
2騾」迯?ュ
3諱矩」幄?螟ァ蜥悟セ?譚・蟆∝魂蛻?シ医?縺?>繧薙℃繧奇シ
4驤エ繝カ譽ョ?磯カエ螻句漉蛹嶺ス懶シ


?郁・イ蜷肴喚髴イ縺ョ蜿」荳翫?螟懊?驛ィ縺ァ縲∬ヲ九k縺薙→縺ッ蜃コ譚・縺ェ縺九▲縺滂シ




諡帙″縺ョ荳九↓蜷?シ皮岼縺ョ繧、繝ゥ繧ケ繝


笘?縲?豈帶栢縺ッ蟾ヲ蝨俶ャ。縺御クサ莠コ蜈ャ繧呈シ斐§繧九?


豎滓虻縺ョ謗ィ逅?ラ繝ゥ繝槭→縺?≧繧医≧縺ェ髱「逋ス縺?ア暮幕縺ァ縲

縺ゅk縺ィ縺薙m縺ョ蟋ォ縺後??ォェ縺碁??ォ九▽縺ィ縺?≧螂?羅繧呈戟縺、縺溘a縲
邵∬ォ?r遐エ隲?&繧後◎縺?↓縺ェ縺」縺ヲ縺?k譎ゅ?
縺昴%縺ォ諡帙°繧後◆荳サ莠コ蜈ャ縺後?∬?蛻??菴ソ縺」縺ヲ縺?◆豈帶栢?医→縺偵〓縺阪?繧医≧縺ェ繧ゅ??
?域ュ瑚?莨弱↑縺ョ縺ァ縲√ョ繝輔か繝ォ繝。縺輔l縲∝キィ螟ァ蛹悶@縺ヲ陦ィ迴セ縺励※縺?k縺ョ縺梧・ス縺励>?
縺瑚ク翫j蜃コ縺吶→縺?≧縲∝・?ヲ吶↑迴セ雎。縺瑚オキ縺薙k縺薙→縺九i縲
蜷育炊逧?↑?茨シ滂シ芽ァ」豎コ縺ォ閾ウ繧九→縺?≧縲√∪縺輔↓謗ィ逅?ー剰ェャ縺ョ繧医≧縺ェ螻暮幕縺ョ菴懷刀縲


遘√′豈帶栢繧貞?繧√※隕九◆縺ョ縺ッ迪ソ荵句勧?井サ翫?迪ソ鄙?シ溘°縺ェ?峨〒縲
縺溘o繧?繧後↓蟆丞ァ薙r縺九i縺九≧縺ィ縺?≧繝帙Δ繝帙Δ縺励>蝣エ髱「縺悟ー代@縺?縺代≠繧翫?
讌ス縺励°縺」縺溘?


莉雁屓縺ョ蟾ヲ蝨俶ャ。縺ッ螢ー縺後h縺上↑縺上?∝シオ繧贋ク翫£繧九→繧ャ繝ゥ繧ャ繝ゥ螢ー縺悟シキ隱ソ縺輔l縺ヲ縲
縺。繧?▲縺ィ閨槭″縺・繧峨°縺」縺溘?

蟾ヲ蝨俶ャ。縺ッ縺ィ縺ヲ繧ょ・ス縺阪↑蠖ケ閠?&繧薙□縺後?∬х蠖ケ縺ョ譁ケ縺悟?繧九→諤昴▲縺溘?




笘?縲?騾」迯?ュ

莉雁屓縲∵沒莠秘ヮ縺九i譚セ譛ャ蟷ク蝗幃ヮ縺ク縲
縺昴?蟄蝉セ幢シ?5豁ウ縺上i縺?i縺励>?峨′譟謎コ秘ヮ縺ィ隘イ蜷阪@縺ヲ縺ョ縲∬ヲェ蟄千ォカ貍斐?

譚セ譛ャ蟷ク蝗幃ヮ荳?螳カ?亥燕縺ョ莠コ縺ッ逋ス鮑壹→蜷堺ケ励k?峨?縺ゅ∪繧翫h縺冗衍繧峨↑縺上※縲
閾ェ蛻??繧「繧ッ縺ョ蠑キ縺?區鮑壹h繧翫b縲∽クュ譚大翠蜿ウ陦幃摩縺ョ譁ケ縺悟・ス縺阪□縺」縺溘?縺ァ縲
譟謎コ秘ヮ?育樟繝サ蟷ク蝗幃ヮ縲≫?ヲ繧?d縺薙@縺??ヲ?峨?豸域?縺ッ縺セ縺」縺溘¥遏・繧峨↑縺九▲縺溘?

縺薙s縺ェ縺ォ螟ァ縺阪>蟄蝉セ帙′縺?k縺ィ縺ッ遏・繧峨↑縺九▲縺溘?



縺薙?譁ー繝サ譟謎コ秘ヮ縺後≠縺セ繧翫↓繧らエ?譎エ繧峨@縺吶℃縺溘?

騾」迯?ュ舌?繝??繝槭〒縺ゅk繧峨@縺??
隕ェ迯?ュ舌′蟆冗劫蟄舌r隹キ蠎輔↓遯√″關ス縺ィ縺吮煤
縺ィ縺?≧繧医¥遏・繧峨l縺滄?ク隧ア繧偵?∬?雕翫〒螳檎挑縺ォ蜀咲樟縺励※縺?◆縲


騾」迯?ュ舌?繝?Ξ繝薙〒繧ゅh縺上d縺」縺ヲ縺?k縺九i縲??ュ繧呈険繧雁屓縺吶?縺後☆縺斐>縺ェ?

縺上i縺??縲∽サ翫∪縺ァ縺ッ霆ス縺?─諠ウ縺励°縺ェ縺?シ皮岼縺?縺」縺溘′縲
闊櫁ク翫↑縺ョ縺ォ縲∵隼繧√※?域?縺??蛻昴a縺ヲ?
縺薙?菴懷刀縺ョ繝??繝槭r豺ア縺乗─縺伜?繧九%縺ィ縺悟?譚・縺溘?


繝?Ξ繝薙〒縺ッ邨カ蟇セ縺ォ縺薙?霑ォ蜉帙?蜻ウ繧上∴縺ェ縺??ゅ☆縺斐>辭ア貍斐□縺」縺溘?


隕ェ迯?ュ舌↓驍ェ髯コ縺ォ縺輔l縲∬干驕薙r鬮倬?溘〒繝舌ャ繧ッ縺励※繧?¥縺ィ縺薙m縺ッ縲
菴薙?蠕後m縺ォ繝ュ繝シ繝励′縺、縺?※縺?※縲
闃ア驕薙?蠕後m縺ァ縺ウ繧??繧薙→蠑輔▲蠑オ縺」縺ヲ縺?k縺ョ縺九→縺輔∴諤昴▲縺溘¥繧峨>縲
蠕後m繧定ヲ九★縺ォ縲√∪縺」縺吶$繝舌ャ繧ッ縺ァ襍ー縺」縺ヲ繧?¥縲

闍・縺上※蜈?ー励□縺九i縺薙◎縺ョ霑ォ蜉帙□縲



荳?驛ィ縺ョ闊櫁ク翫?蝣エ髱「?井ク蛾Κ縺ォ蛻?l縺ヲ縺?k?峨°繧峨@縺ヲ縲
譟謎コ秘ヮ縺ョ雕翫j縺ョ菴薙′繧ュ繝ャ繧ュ繝ャ縲

縺?■縺?■繝昴?繧コ縺梧アコ縺セ縺」縺ヲ縺?k縺励??ゥ壹¥縺サ縺ゥ繧ォ繝?さ縺?>縲
諠壹l縺ヲ縺セ縺?d繧阪?√→縺?≧諢溘§縲


縲後%縺ョ蟄舌?∬ヲェ繧定カ?☆縺ュ縲
縺ィ縺?≧縺ョ縺後b縺」縺ア繧峨?隧募愛縺?縺」縺滂シ育エ?蜷搾シ峨?


荳蛾Κ縺ァ縺ッ縺?h縺?h隕ェ蟄舌〒縺ョ鬆ュ繧呈険繧区ッ帶険繧翫?
蝨ァ蛟堤噪縺ェ霑ォ蜉帙?


譟謎コ秘ヮ縺ッ蜿ー縺ョ荳翫〒縲∽ス薙′讓ェ縺ォ縺ェ縺」縺ヲ繧ゅ♀讒九>縺ェ縺励↓鬆ュ繧呈険繧翫∪縺上k縲

辷カ縺ョ蟷ク蝗幃ヮ縺梧沐繧峨°縺上?√∪縺輔↓蟄舌r隕句ョ医k繧医≧縺ェ諢溘§縺ョ陦ィ迴セ縺ォ豈斐∋縲
荳?逶エ邱壹〒縺後?縺励c繧峨↑蟆冗劫蟄舌?陦ィ迴セ縺ッ莉翫′縺セ縺輔↓逋サ繧願ェソ蟄舌?逶帙j縺ァ縲
繧ュ繝ャ繧ュ繝ャ縺ョ蜍輔″縺梧ク???@縺??

莠ャ驛ス譁ー閨槭↓繧、繝ウ繧ソ繝薙Η繝シ縺瑚シ峨▲縺ヲ縺?◆縺後?
隕ェ迯?ュ舌r謖ッ繧願誠縺ィ縺吝兇縺?〒貍斐§縺溘>縲√→縲

蟷ク蝗幃ヮ縺ッ縺?∪縺丞ュ蝉セ帙r閧イ縺ヲ縺溘↑縺ゑシ育ャ托シ峨→縺?≧諢滓Φ繧呈戟縺」縺溘?


縺。縺ェ縺ソ縺ォ騾」迯?ュ舌?蛻昴a縺ヲ隕九◆縲





笘?縲?蟆∝魂蛻

迚?イ。莉∝キヲ陦幃摩縺御クサ莠コ蜈ャ縺ョ繝?繝。逕キ繧呈シ斐§繧九?

繝?繝。逕キ繧呈シ斐§縺輔○縺溘i螟ゥ荳倶ク?蜩√?


隨ャ荳?蝣エ縺ァ縺励↑縺励↑縺ィ逋サ蝣エ縺励※隨代>繧定ェ倥≧縺後?
縺ョ縺。縺ョ謔イ蜉?r諠ウ蜒上☆繧九→縲√%縺ョ蜈ク蝙狗噪縺ェ縲瑚牡逕キ縲?≡縺ィ蜉帙?縺ェ縺九j縺代j縲阪′縲
蛻?↑縺剰ソォ繧九?

蛯セ蝓弱?譴?キ昴↓諠壹l謚懊″縲∽サ頑律繧ゆサ頑律縺ィ縺ヲ蟒馴?壹>縺?縺後?
驥代□縺代′縺ェ縺?クサ莠コ蜈ャ繝サ蠢?蜈オ陦帙?

繝ゥ繧、繝舌Ν縺ョ驥第戟縺。縺ァ縲∵「?キ昴r霄ォ隲九¢縺励h縺?→縺吶k蜈ォ蜿ウ陦幃摩縺ォ髮∵ャ。驛弱′謇ョ縺吶k縲

縺倥o縺倥o縺ィ蠢?蜈オ陦帙r霑ス縺?▽繧√k貍疲橿縺後≧縺セ縺??


蜃コ閾ェ縺ョ雋ァ縺励&縺ィ驥代?辟。縺輔r縺輔s縺悶s萓ョ霎ア縺輔l縲
縺、縺?↓謌第?縺ァ縺阪★縺ォ?井サ翫〒縺?≧?牙?驥代r讓ェ鬆倥@縲
蟆∝魂繧貞?縺」縺ヲ縺励∪縺?け繝ゥ繧、繝槭ャ繧ッ繧ケ縲

蟆丞愛繧呈焔縺九i縺倥c繧峨§繧?i縺ィ貊代i縺吶◎縺ョ蟆丞愛縺後く繝ゥ繧ュ繝ゥ縺ィ繝ゥ繧、繝医↓蠖薙◆繧翫?
閭ク繧堤ェ√°繧後k繧ッ繝ゥ繧、繝槭ャ繧ッ繧ケ縺?縺」縺溘?

蟆∝魂繧貞?縺」縺ヲ縺励∪縺」縺溘°繧峨↓縺ッ縲∵ュサ鄂ェ縺ッ蜈阪l縺ェ縺??
隕ウ螳「縺ッ縲∽クサ莠コ蜈ャ縺ィ譴?キ昴?陦後¥譛ォ繧偵b縺?衍縺」縺ヲ縺励∪縺??


莠御ココ縺阪j縺ォ縺ェ縺」縺溷ソ?蜈オ陦帙?譴?キ昴↓縲
縲鯉シ井ク?邱偵↓?画ュサ繧薙〒縺上l縲∵ュサ繧薙〒縺上l縺医?繝シ?√?

蜿ォ縺カ逕キ縺ョ諠?¢縺ェ縺輔→蛻?↑縺輔?√d繧九○縺ェ縺輔?

縺薙l縺後ム繝。逕キ縺ョ莉∝キヲ陦幃摩縺ョ逵滄ェィ鬆ゅ□縺」縺溘?


譴?キ昴↓謇ョ縺吶k縺ョ縺ッ迚?イ。蟄晏、ェ驛弱?ゆサ∝キヲ陦幃摩縺ョ諱ッ蟄舌〒縺ッ縺ェ縺九▲縺溘°縺ェ縲

髮∵ャ。驛弱?縺?∪縺??りレ縺ョ菴弱>縺ョ縺?縺代′髮」轤ケ縺?縲ゅ%繧後□縺代?莉墓婿縺ェ縺?¢繧後←繧ゅ?
閼?スケ縺ァ蟾ヲ蝨俶ャ。縺悟?縺ヲ縺?※縲√d縺ッ繧願х蠖ケ縺ョ譁ケ縺悟?繧九→蜀崎ェ崎ュ倥@縺溪?ヲ




笘?斡繝カ譽ョ

鮓エ螻句漉蛹怜次菴懊?縲∫區莠墓ィゥ蜈ォ?域?荵句勧?峨→縲
蟷。髫城劼髟キ蜈オ陦幢シ育區鮑夲シ峨′閧晁ユ逶ク辣ァ繧峨☆縲∵ウ・譽抵シ磯峇蜉ゥ?峨◆縺。縺梧ス懊?譽ョ縺ョ荳ュ縺ァ縺ョ荳?蟷輔?

讓ゥ蜈ォ縺ィ豕・譽帝#縺ィ縺ョ谿コ髯」縺梧ョ玖剞縺ェ縺ョ縺ォ繝ヲ繝シ繝「繝ゥ繧ケ縺ォ謠上°繧後?
繝悶Λ繝?け繝ヲ繝シ繝「繧「縺ィ險?縺」縺ヲ縺?>縺?繧阪≧縲


逋ス鮑壹?蜻ょセ九?蝗槭i縺ェ縺?h縺?↑蜿ー隧槫屓縺励′豌励↓縺ェ縺」縺溘?
縺薙l縺ッ蠖シ縺ョ迚ケ蠕エ縺ェ縺ョ縺?繧阪≧縺九?
縺ゅ∪繧雁・ス縺阪↓縺ェ繧後↑縺九▲縺溘?




笘??笘



縺ィ縺?≧繧上¢縺ァ縲?1譛医?鬘碑ヲ倶ク悶?譏シ縺ョ驛ィ縺ク陦後▲縺ヲ譚・縺溘′縲
蠕悟濠縺ョ12譛医?縺セ縺滄&縺?シ皮岼縺梧純縺??

?亥哨荳翫?繧ゅ≧縺ェ縺?h縺?□?


諢帑ケ句勧縺後?悟シ∝、ゥ蟆丞Ι縲阪r繧?k繧医≧縺?縲

縲檎區豬ェ莠比ココ逕キ縲阪?譛牙錐縺ェ繧上j縺ォ縺ッ貊?、壹↓貍斐i縺ェ縺?→諤昴▲縺ヲ縺?◆縲
莉翫∪縺ァ蜊怜コァ縺ァ隕九◆縺薙→縺ッ縺ェ縺九▲縺溘?

豬懈收螻九?蝣エ髱「縺ィ縲∝兇謠?>縺ョ蝣エ髱「縲∝?驛ィ繧?k繧医≧縺?縲


蠑∝、ゥ縺ッ縲∵?昴≧繧医j縺ッ髮」縺励>縺ィ諤昴≧縲

遶句スケ縺後d縺」縺ヲ縺ッ螂ウ陬?r縺励◆譎ゅ?√>縺九▽縺吶℃縺ヲ讒倥↓縺ェ繧峨↑縺??

縺九→險?縺」縺ヲ縲∝・ウ蠖「縺梧シ斐§繧後?縲
螂ウ陬?r隗」縺?※髢九″逶エ縺」縺滓凾縺ョ蜃?袖縺後↑縺九↑縺句?縺帙↑縺?□繧阪≧縲

諢帑ケ句勧縺ェ繧峨■繧?≧縺ゥ縺?>繧医≧縺ェ豌励′縺吶k縲




莉∝キヲ陦幃摩荳?螳カ?域收蠍句ア具シ峨′荳我サ」謠?▲縺ヲ蜈ア貍費シ育セゥ邨悟鴻譛ャ譯懊〒?峨☆繧九?繧
隧ア鬘後↓縺ェ縺」縺ヲ縺?k縲



莉∝キヲ陦幃摩縺ョ蟄ォ縺ッ蜊?ケ句勧縺ィ險?縺?◎縺?〒18豁ウ縲


莉∝キヲ陦幃摩縺ォ繧医k縺ィ縲
縲後d縺ッ繧顔┌逅?↑闕キ迚ゥ繧定レ雋?繧上&縺ェ縺?→縺?¢縺ェ縺??

縲後∪縺?30繧ュ繝ュ縺ョ闕キ迚ゥ縺励°謖√※縺ェ縺???↓60繧ュ繝ュ繧呈倦謌ヲ縺輔○繧九?
60繧ュ繝ュ繧呈戟縺ヲ縺ェ縺上※繧ゅ?√◎繧後↓謖第姶隕悶☆繧九%縺ィ縺ァ谺。縺ォ30繧ュ繝ュ繧
謖√▽譎ゅ?讌ス縺ォ縺ェ繧九?


蜊?ケ句勧縺ッ逾也宛繝サ莉∝キヲ陦幃摩縺ォ縺、縺?※
縲後え繝ォ繝医Λ繝槭Φ縺ィ蜷後§縺上i縺??繝偵?繝ュ繝シ縺ァ諞ァ繧後?
蟆代@縺ァ繧りソ代▼縺代◆繧峨?

?井コャ驛ス譁ー閨槭?11譛?1譌・莉假シ



莉∝キヲ陦幃摩縺ョ繝。繧ス繝?ラ縺ッ縲
髢「菫ゅ↑縺?°繧ゅ@繧後↑縺?′縲∬ェー縺九r諤昴>蜃コ縺輔○繧九?
縺昴?縺薙→繧剃ク?莠コ縺ァ閠?∴縲√d縺」縺ヲ縺ョ縺代k荳也阜邏壹?繧ケ繧ア繝シ繧ソ繝シ縺?縺後?

蜊?ケ句勧縺上s縺ョ逋コ險?繧ゅ?
豁瑚?莨守阜縺ァ縺ッ縺薙≧縺励※闃ク縺檎カ呎価縺輔l縺ヲ繧?¥縺ョ縺?縺ェ縺ィ縲

縺昴l繧ゅ?√?檎カ呎価縲阪r讓呎ヲ懊☆繧句スシ縺ォ郢九′繧九?
蟷ク縺ゅl縲


縲??奇シ奇シ



鬘碑ヲ倶ク門セ悟濠繧よ悄蠕?、ァ縺ァ縺ゅk縲

?育ァ√?陦後¥縺薙→縺ッ蜃コ譚・縺ェ縺?′縲√%繧後°繧芽。後¥莠コ縺ッ譛溷セ?@縺ヲ縺?>繧医≧縺ェ?



諱剃セ九?蜊怜コァ蜑阪?螢ョ鮗励↑諡帙″縲ょ?繧√※謦ョ繧九%縺ィ縺悟?譚・縺溘?



蟷輔↓縺ッ蟷ク蝗幃ヮ荳?螳カ縺ョ隘イ蜷肴喚髴イ險伜ソオ縺ョ蜷榊燕
縺吶$讓ェ縺ォ闃ア驕



蜊怜コァ縺ョ譁ー縺励¥縺ェ縺」縺滓?シ螟ゥ莠輔?




莠コ豌励ヶ繝ュ繧ー繝ゥ繝ウ繧ュ繝ウ繧ー


莠ャ驛ス蠎應コャ驛ス蟶ゅΛ繝ウ繧ュ繝ウ繧ー

縺ォ縺サ繧薙ヶ繝ュ繧ー譚 鄒手。薙ヶ繝ュ繧ー 鄒手。馴荘雉槭?隧戊ォ悶∈
縺ォ縺サ繧薙ヶ繝ュ繧ー譚?/a>