神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

富士山本宮浅間大社(駿河国式内社・その1)

2010-07-31 20:02:11 | 神社
岡山から静岡に引っ越してきました。岡山では「備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)」(http://blog.goo.ne.jp/junko-f1/) というブログをやっていました。地域限定的なブログにしてしまったために、続けるのが難しくなってしまったので、改めて、似たようなブログで更新していこうと思います。
さて、最初は駿河国に来た記念に、まず一宮を始めとする式内社巡拝から。

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)。祭神:木花之佐久夜毘売命。
場所:静岡県富士宮市宮町1-1。JR身延線「富士宮」駅の北西または「西富士宮」駅の東、それぞれ約1km。駐車場有り(30分以上有料)。
駿河国一宮「富士本宮浅間大社」は、駿河国式内22社のうち、唯一の名神大社。東西に広い静岡県では、今は東部(大井川以西)・中部・西部(富士川以東)という3地域に分けて語られることが多い。もともと伊豆・駿河・遠江という3国が1つの県になったのだが、駿河国と伊豆国との国境は富士川でなく、伊豆半島の付け根までが駿河国だった。そもそも、「スルガ」はもともと「珠流河」と書き、富士川という「急流」がある国を意味したとされる。そして、そこには日本一の霊山「富士山」があった。しかも、宝永4年(1707年)まではたびたび噴火があった。これを崇め、噴火を鎮めるための祭りが必要だったことは当然である。当神社の主祭神は浅間大神(アサマノオオカミ)こと木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤビメ)であり、一般には「火中の出産」に因んだ火の神だから、と思われているが、当神社によれば、本来は水の神であり、水で火を鎮めるのだという。
社伝によれば、垂仁天皇3年(紀元前27年)頃に富士山麓で浅間大神を祀ったのが最初で、この頃は社殿はなく、景行天皇の御代になって「山宮」に磐境を設けた。大同元年(806年)、平城天皇の命により坂上田村麻呂が現在の鎮座地に社殿を造営した、という。なお、現在でも、富士山の8合目以上は当神社の奥宮の境内であるとされる。
思うに、①元の鎮座地である「山宮」には本殿が無く、富士山そのものを祀っていたこと(次回予定)、②現在の鎮座地はもともと式内社「富知神社」(主祭神:大山祇神)の鎮座地であったこと、③本来はアイヌ語に起源があるらしい「アサマ」が「センゲン」になったのは、早くから神仏混淆して「浅間大菩薩」と称されるようになってかららしいこと、④修験道の開祖とされる役行者は流刑地の伊豆から抜け出して富士山に登り、富士山開山の祖ともいわれていることなどから考えると、元の神(浅間大神)は富士山そのものであり、木花之佐久夜毘売命になったのは後世のことだろう。


富士本宮浅間大社のHP:http://fuji-hongu.or.jp/sengen/index.html

玄松子さんのHPから:http://www.genbu.net/data/suruga/asama_title.htm


写真1:巨大な赤い鳥居。観光バスもひっきりなしにやってくる。


写真2:2階建の本殿(浅間造)。


写真3:境内の「湧玉池」。富士山からの伏流水が玉のように湧き出している。霊山「富士山」そのものもそうだが、この豊かな水こそが神の恵みであっただろう。
コメント
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