神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

賤機山古墳

2010-11-30 23:50:23 | 古墳
賤機山古墳(しずはたやまこふん)。
場所:静岡市葵区宮ケ崎町102-1(「静岡浅間神社」の住所)。「静岡浅間神社」境内にあって、式内社「大歳御祖神社」裏から緩やかな石段を登っていくか、「八千矛神社」脇の急な石段(通称:百段)を登ったところにある。「静岡浅間神社」の駐車場を利用。
直径約32m、高さ約7mの円墳(方墳という説もある。)で、築造時期は6世紀後半とみられている。かなり大きな石を使った、静岡県内最大の横穴式石室があり、中に縄掛け用の突起が付けられた大型の家型石棺が置かれていた。石室に使われた石は近くの安倍川からも採取される玄武岩だが、石棺は伊豆産の凝灰岩を刳り貫いたものとされる。
江戸時代以前からも有名な古墳だったらしく、石棺内部も盗掘にあっていたが、その周囲から金銅製の装身具や武具・馬具、須恵器などが出土した。被葬者は不明だが、大型石棺や豪華な出土品からして、この地の首長クラスの墳墓とみられている。昭和28年(1953年)に国の史跡に指定された。
式内社「大歳御祖神社」本殿(樹木に囲まれ、殆ど見えない。)のすぐ後ろ(北側)に位置している。賤機山古墳群の3号墳とも呼ばれており、更に北側に「麓山神社(はやまじんじゃ)」があるが、その後方に2号墳(麓山神社後古墳:石碑があるが、古墳としては残骸のみ)、3号墳(一本松古墳:小さな円墳?)もある。ちなみに、「麓山神社」は大山祇命を祀り、現在は境内社の扱いであるが、かつては「山宮」と呼ばれ、「惣社」(神部神社)・「浅間社」(浅間神社)・奈吾屋社(大歳御祖神社)・山宮(麓山神社)は四社同格とされていた、という。


静岡市のHPから(国指定史跡賤機山古墳):http://www.city.shizuoka.jp/deps/bunkazai/bunkazai_tyousa_shizuhatakohun_index.htm


写真1:「史跡 賤機山古墳」の石碑。背後が古墳。


写真2:横穴式石室の入口


写真3:石室内部。珍しい家型石棺が置かれている。


写真4:「賤機山古墳」の北側にある「麓山神社」。祭神の大山祇命は、「浅間神社」の祭神・木之花咲耶姫命
と「大歳御祖神社」の祭神・神大市比売命の父神にあたる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大歳御祖神社(駿河国式内社・その14)

2010-11-26 23:20:52 | 神社
大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)。祭神:大歳御祖神(神大市比売命)。
場所:静岡市葵区宮ケ崎町102-1(「静岡浅間神社」の住所)。
創建時期は不明。一説に、応神天皇(在位:270~310年?)の御代という。祭神の「大歳御祖神」というのは、大年神(オオトシ)の母神という意味で、本名は神大市比売命(カムオオイチヒメ)という。大山祇神の娘で、櫛名田比売命の次に須佐之男命の妻となり、宇迦之御魂神(稲荷神)と大年神を産んだ。この2神はいづれも農業神であり、神大市比売命も本来は農業神であったものと思われている。しかし、神名に「神大市」が含まれることから、「市場」の守護神として信仰されるようになったとされる。子の大年神は、年(季節)の移り変わりを神格化したものとも思われ、秋の収穫をもたらす神であった。更に、大年神の子には御年神(ミトシ)、大国御魂神(オオクニタマ)、奥津日子神・奥津比売神(オクツヒコ・オクツヒメ)、大山咋神(オオヤマクイ)など、重要な神々がいる。余談だが、正月のお年玉は、本来「御年魂」であるという説もあり、もしそうなら、御年神は子供にとって最重要の神かもしれない。
ところで、当神社は、江戸時代の文書等には「奈吾屋社」・「奈吾屋明神」などと称されていた。「ナゴヤ」というと、愛知県の県都「名古屋」が連想されるが、「ナゴヤ」というのは固有名詞ではなく、一定の地形・地勢を示す地名であるらしく、他所にもある。例えば、伊豆国の式内社「金村五百君和気命神社」の現社名は「奈胡谷神社(なごやじんじゃ)」となっており、これは鎮座地名(現・伊豆の国市奈古谷1399-1)をとったものと思われる。地名の由来の話に深入りはできないが、少なくとも「ナゴヤ」と祭神は無関係とみたほうがよい。
要は、当神社の祭神である大歳御祖神=神大市比売命は、多分(現・静岡市の基となった)「安倍の市」の守護神として祀られたとみられるが、「安倍の市」の所在地には争いがあり、その論争について当神社の鎮座地が関係してくるということである。このことについては、別項(「安倍の市」)で書くことにしたい。
ただ、「奈吾屋社」が「大歳御祖神社」とは本来別の神社だったとした場合、現鎮座地の背後の賤機山という名前などからして、それは「倭文(しずり、しどり)」など織物の神を祀るものだったのではないかと考えられている(なお、駿河国富士郡の式内社「倭文神社については、2010年8月27日記事参照。)。
ところで、「静岡浅間神社」のうち、「神部神社」と「浅間神社」は2社同殿で、賤機山の東麓にあって社殿は東向きに建っている。当神社は、南に延びた賤機山の先端に位置し、社殿も南向きである。賤機山は、遠く南アルプスから延びてきており、こうした山の先端(先・鼻)には神が宿ると考えられてきた。その意味では、当神社こそ、静岡平野のなかでも、神のエネルギーが籠もる最も良い位置にあると言えるのではないだろうか。


玄松子さんのHPから(浅間神社・神部神社・大歳御祖神社):
http://www.genbu.net/data/suruga/asama2_title.htm



写真1:「大歳御祖神社」正面鳥居(通称:「赤鳥居」)。社号標はシンプルに「大歳御祖神社」。


写真2:拝殿


写真3:参道入口の鳥居。参道の両側に「宮ヶ崎」の商店街が連なる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若宮八幡宮(静岡市葵区浅間町)

2010-11-23 19:45:10 | 神社
若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)(正式には、単に「八幡宮」)。主祭神:誉田別命。
場所:静岡市葵区浅間町1-40。「静岡浅間神社」の「神部神社」・「浅間神社」の北東、約100m。「石鳥居」正面の道路(通称:長谷通り)のすぐ北側だが、いったん約150m東に進み左折(北へ)、すぐまた左折(西へ)して正面。駐車スペースあり。
社伝によれば、崇神天皇7年(91年)、志貴家(大和国磯城郡出身)が式内社「神部神社」の神主を命じられ、この地に赴任した際、屋敷(私邸)内に稚日女尊(ワカヒルメ)と大己貴命(オオナムヂ)を勧請したのを創祀とする。その後、誉田別命(ホムタワケ)を併せて奉祭し、「若宮八幡宮」と称されるようになったという。「若宮八幡宮」と称する神社は多いが、①八幡宮の若宮、即ち応神天皇の子の仁徳天皇を祀るものと、②八幡宮の本宮(「宇佐神宮」・「岩清水八幡宮」等)から勧請した新宮、従って応神天皇を祀るものがあるとされるが、当神社は後者ということになる。創祀時期はともかく、明治21年(1888年)までは、志貴家が式内社「神部神社」の神主を世襲していた。
ところで、大和国磯城地方(現・奈良県桜井市)といえば、大和国一宮「大神神社」があり、大神(大三輪)氏の本拠地である。志貴家が大和国磯城地方の出身なら、当然、大神氏の一族と思うのが自然だろう。また、「静岡浅間神社」が鎮座する賤機山の西側には、広く「美和地区」と呼ばれる地区がある。式内社「神部神社」の祭神が最初から大己貴命であったかは不明であるが、もし志貴家の伝承が正しいなら、「大神神社」の祭神は大物主命、即ち大己貴命の別名であるから、式内社「神部神社」の祭神が最初から大己貴命だったかもしれない。もし、そうなら、「神部神社」という名は「ミワベ」であったかもしれない。
さて、現在、当神社の境内で目を引くのは大きな楠の木で、幹周囲約10m、推定樹齢は千年以上(当神社では2千年としているが。)とされる。徳川家康も、鷹狩り等の途中でたびたび訪れ、木陰で休んだという。静岡市の指定天然記念物。


写真1:「若宮八幡宮」正面


写真2:境内の大クスと社殿


写真3:「駿河国総社宮内神社」。「若宮八幡宮」の南隣にあり、「長谷通り」に面する。詳細不明だが、同じ敷地にある美容院「しき」は、式内社「神部神社」旧社家の志貴家の方が経営されているらしい(第90代とか。)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神部神社(駿河国式内社・その13)

2010-11-19 23:17:00 | 神社
神部神社(かんべじんじゃ)。祭神:大己貴命。
場所:静岡市葵区宮ケ崎町102-1。JR「静岡」駅の北西、約2km。駅前の大通り(県道27号線(井川湖御幸線))を北上し、「片羽」交差点を右折(東へ)。大きな赤い鳥居のところから「静岡浅間神社」の境内だが、当神社は先に進んで左(北)に回り込む。駐車場あり(30分無料)。
創建時期は不明。社伝によれば、崇神天皇の御代(在位:紀元前97~紀元前29年?)という。祭神は大己貴命(大国主命)で、国土開発の神であり、また当神社が「駿河国府」に近かったため、少なくとも平安時代末には「駿河国惣社(総社)」となっていた。
ただし、神社名の「神部」の由来は不明。式内社に「神部神社」は3社あるが、当神社のほかは隣国の甲斐国に2社あるのみである。しかも、甲斐国の2社のうち、旧・山梨郡の「神部神社」には論社があるが、1社(塩山市)の祭神は神直日神、もう1社(山梨市)の祭神は大山咋神となっている。また、旧・巨麻郡の「神部神社」の祭神は大物主命である(こちらは、神社名もかつては「ミワベ」と称したかもしれないという。)。大国主命と大物主命は同神であるとされるが、では、なぜ神名を書き分けるのかはわからない。このように同じ「神部神社」でも、祭神は一致していない。こういうこともあって、当神社の元の祭神は大己貴命ではなかったのではないか、ともいわれている。
さて、現在では、当神社と、同殿となっている「浅間神社(あさまじんじゃ)」、式内社「大歳御祖神社」の3社を中心に「静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)」と称している。「浅間神社」は、社伝によれば、延暦元年(901年)に醍醐天皇の勅願によって駿河国一宮「富士本宮浅間大社」(2010年7月31日記事)の分霊を勧請したものといい、本宮に対して「富士新宮」と通称された。ただし、実際の勧請時期は、社伝よりは遅く、平安時代末か鎌倉時代初めかとされている。
これら3つの古社が同じ境内に鎮座するようになった時期は不詳であるが、「神部神社」は駿河国総社であり、「浅間神社」は駿河国一宮の分社であり、「大歳御祖神社」は駿府の元となった「安倍の市」の守護神である(このことは別項で書く予定。)ということを考えると、これは偶然ではなく、政治・祭祀・経済にわたる駿河国の信仰を全て集める意図の下に行われたと考えるべきであろう。


静岡浅間神社のHP:http://www.shizuokasengen.net/index.html


写真1:「静岡浅間神社」前の鳥居(通称:石鳥居)。社号標には「神部神社」と「浅間神社」が並列して記されている。


写真2:豪壮・華麗な拝殿(いわゆる浅間造)


写真3:本殿、向かって右が「神部神社」


写真4:同じく、向かって左が「浅間神社」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉桂山 華陽院 府中寺

2010-11-16 23:20:57 | 寺院
玉桂山 華陽院 府中寺(ぎょくけいさん けよういん ふちゅうじ)。浄土宗。
場所:静岡市葵区鷹匠2-24-18。静岡鉄道「日吉町」駅の南西、約50m。北側は静岡鉄道の線路に接し、東側と南側で面する道路はいずれも一方通行なので、注意。駐車場なし。
「華陽院」は、永正9年(1512年)に智短上人が開基した真言宗の寺院で、元は「智源院」と称していた。徳川家康公(幼名「竹千代」)は、8歳から19歳まで今川義元の人質とされ、駿府(現・静岡市)の式内社「小梳神社」の門前、少将井宮前町(現・静岡市葵区鷹匠町)に住まわされていた。日常生活の世話を祖母(生母の母)である源応尼(於富の方)から受けるとともに、住まいの近くの「智源院」で智短上人から文筆を学んだという。永禄3年(1560年)に源応尼は亡くなり(このとき、家康公は今川義元の尾張攻めに参加するため浜松にいた。)、「智源院」に葬られた。後年、家康公が大御所として駿府に引退したあと、源応尼の法名である「華陽院殿玉桂慈仙大禅定尼」から、寺の名を「玉桂山華陽院」と改め、あるいは「府中寺」と呼ぶようにさせた。また、このとき、宗派も真言宗から浄土宗に改宗したとされる。一時は、寺内に塔頭7宇(徳養院、鳳龍軒、正見庵、永林庵、一照院、智源院)があったという。境内には、源応尼(華陽院)の墓と並び、7歳で没した家康公の6女・市姫(一照院殿)の墓などがある。慶長14年(1609年)には、源応尼(華陽院)の50回忌が盛大に営まれ、以後参勤交代の際には各大名が必ず参詣をしたという。
こうしたことから、江戸時代には、当寺の境内地は広大(寺は南安東村にあった。)で、門前(当時の東海道)も賑わったといい、横田町の1丁を区分して「華陽院門前町」がつくられた。なお、明治5年には、町内にあった「誉田神社」に因んで「誉田町」と改称されたが、昭和15年に伝馬町と日吉町に分割された、という。


「静岡見て歩き」さんのHPから(玉桂山華陽院):http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/jiin/keyouin/keyouinn.htm


写真1:「華陽院」本堂。境内には保育園(「日吉町保育園」)がある。


写真2:徳川家康公の外祖母である源応尼(於富の方・華陽院)の墓


写真3:同6女の市姫の墓


写真4:境内にある「誉田八幡大神」の石祠。この地にあったという「誉田神社」の跡だろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする