神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

鎮守山 帰命寺

2017-03-25 23:19:21 | 寺院
鎮守山 帰命寺(ちんじゅさん きみょうじ)。通称:八橋観音。
場所:秋田県秋田市八橋本町2-3-37。旧国道7号線「八橋一里塚」交差点から西へ約330m、「八橋」バス停付近から「八橋陸上競技場」へ向かう道路に入り(南へ)、約80mのところで狭い道を西に入り、直ぐ。駐車場なし。
寺伝によれば、明暦3年(1657年)、唱嶽長音上人を開基として浄土宗系・弾誓派の念仏布教の拠点として創建され、当初の山号は「念来山」であった。天和2年(1682年)、久保田(秋田)藩第3代藩主佐竹儀処が瀧川将軍家の御霊屋(「東照宮」)を曹洞宗「萬固山 天徳寺」(現・秋田市泉)内に造営したが、元禄13年(1700年)頃に現・秋田市八橋に移した。その別当寺として「寿量院」を建立したが、禁令により新たな寺院の創設は認められなかったので、「帰命寺」を「唯常院」と改名して、「寿量院」の塔中とした。このとき天台宗に改宗したという。明治維新により「寿量院」は廃寺となったが、「唯常院」は「帰命寺」に戻り、現在まで存続している。本尊は、中央に観音菩薩、右に大日如来、左に阿弥陀如来を置く三尊仏安置法により、これは「比叡山 延暦寺」の「横川」の流れを汲むとされる。秋田(久保田)三十三観音霊場の第33番札所(打止め)とされている。なお、平成29年1月現在の秋田県宗教法人名簿によれば、包括法人名は「羽黒山修験本宗」となっている。
ところで、当寺院には石田三成の墓がある、との伝説がある。正史によれば、「関ヶ原の戦い」に敗れた石田三成は、慶長5年(1600年)9月21日に捕縛され、10月1日に京都・六条河原で斬首された。その後、首は京都「龍宝山 大徳寺」の塔頭「三玄院」に引き取られ、ここに今も墓がある、ということになっている。一方、当地の伝承では、西軍壊滅後、石田三成は自らの所領があった近江国(現・滋賀県)に逃走し、ここで影武者と入れ替わった。その後、京都の浄土宗「光明山 阿弥陀寺」に身を隠し、弾誓上人のもとで得度して唱嶽長音と名乗った。そして、常陸国(現・茨城県)から出羽国・秋田に移封されてきた佐竹義宣(久保田藩初代藩主)を頼り、当地に移り住んだ。佐竹義宣は京都「知恩院」から名僧を招いたとして、東西70間・南北74間という広大な寺院を建立し、寺領50石も与えた。これが当寺院であるということになっている。当寺院入口に卵型の石塔が並んでいるが、その中に「唱嶽長音上人 宝暦三年」と刻されたものがあって、それが実は石田三成の墓なのだという。因みに、唱嶽長音上人は一名・木食上人とも呼ばれ、寛永10年(1633年)、生きながら鉦を鳴らして墓に入り、音が絶えたら死んだものと心得よと言い残して即身成仏したとも伝えられている。
上記の通り、当寺院は秋田における「東照宮」との関わりが深いが、この「東照宮」は、「関ヶ原の戦い」において中立の立場を採ったために睨まれた佐竹氏が徳川幕府の御機嫌を取るために建立したものらしい。佐竹氏が「関ヶ原の戦い」で中立であったのは、藩中の意見は東軍に与すべきというものであったが、当時の当主・佐竹義宣が石田三成と親交があったことから躊躇した結果ともいわれている。このように曖昧な態度であったために減封のうえ遠隔地に追いやられたということになるが、それでも取り潰しにならなかったのは、佐竹氏が源氏の名門だったからかもしれない。元はと言えば、八幡太郎・源義家の弟、新羅三郎・源義光の嫡流に当たる。徳川氏も源氏を称するが、系図ははっきりしていないのと対照的である。さて、少し横道に逸れたが、徳川家康の神号を「東照大権現」としたのは南光坊天海(慈眼大師)であり、俗説によれば、天海=明智光秀という説もある。ともに名を変えた石田三成と明智光秀がここでクロスするというのも面白い。
しかし、唱嶽長音上人=石田三成というのは、やはり伝説に過ぎないものと思う。いくら影武者が本人に似ていたとしても、源義経の場合とは違って、生存中に捕まって処刑されている。影武者ということに気が付かなかった、というのは無理があるだろう。それに、唱嶽長音上人の素性というのにも諸説あって、石田三成ではなく、その弟であるとの説、長男であるとの説もある。さらに、江戸・神田の松五郎という義賊であったとか、江戸幕府の隠し目付であったとかいう伝承もあるらしい。どうやら、俗名が石田姓であったことから、石田三成に擬せられたというのが真相のようである。背景として、佐竹義宣が石田三成と親交があったということがあり、西軍の敗残者が秋田に流れてきたということもあったようだ。未見であるが、秋田県大館市の「起業山 専念寺 一心院」には真田幸村(信繁)の墓がある。こちらには「信濃屋長左衛門事 真田佐衛門佐幸村之墓」と刻された墓石もあり、大館市のHPにも記事があるくらい有名らしい。


写真1:「帰命寺」本堂(大悲殿)


写真2:阿弥陀如来の石像と念仏の石塔


写真3:狭い境内だが、池がある(弁天池?)。


写真4:卵型の石塔が並ぶ。歴代住職の墓だろうが、どれが「唱嶽長音上人」(石田三成?)の墓なのだろうか。

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八橋山 不動院

2017-03-18 23:46:34 | 寺院
八橋山 不動院(やばせさん ふどういん)。通称:庚申堂。
場所:秋田県秋田市八橋本町4-1-70。旧国道7号線を「八橋一里塚」交差点から西へ約220m。駐車場なし。旧県社「日吉八幡神社」(秋田市八橋本町1)の随神門(北参道)の向かい側に当たる。
当寺院は、明暦3年(1657年)、宥専が開基。真言宗智山派に属し、本尊は青面金剛童子。現在は比較的こじんまりとした境内地であるが、多くの石仏や石塔などが設置されている。「庚申堂」と通称され、「日本三庚申」の1つという。「日本三大〇〇」というのは多いが、いずれも諸説あって、3つに決めがたいことが多い。「庚申」とは、元来は道教に由来し、人の体内に居る「三尸(さんし)」という虫が、60日又は60年に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日に天に昇って天帝にその人の罪を報告する。そうすると、その人が早死にするということで、庚申の日には堂に集まって、「三尸」の虫を体内から出さないようにするため眠らないで身を慎む。これを「庚申待ち」といい、その守り本尊が青面金剛(童子)という神様で、「庚申様」とも称したという。「三庚申」の場合、京都市の「金剛寺 八坂庚申堂」、大阪市の「四天王寺 庚申堂」、東京都台東区の「入谷庚申堂」をいうのが一般的だそうであるが、このうち「入谷庚申堂」は現存しない(ただし、「小野照崎神社」境内に「庚申塚」がある。)とのこと。で、その代わりに岐阜県中津川市の「下野庚申堂」とか、東京都台東区の「浅草寺 庚申堂」(これも現存しない。)とかが挙げられていたりする。ということで、当寺のことはあまり出てこないが、寺伝によれば、天平時代、天竺(インド)の婆羅門僧正が奈良の大仏開眼法要のため日本に渡来し、その後、日本の国土開発を祈って3体の庚申尊(青面金剛)像を彫刻して「金剛寺 八坂庚申堂」・「四天王寺 庚申堂」に納め、残る一体を行基が羽後国秋田郡舞鶴(現・秋田市太平?)に安置したが、後に当寺院に納められたという。よって、当寺院を「日本三庚申」の1つという、ということらしい。しかし、その「青面金剛童子」像は、明治19年の所謂「俵屋火事」(現・秋田市内の約3千5百戸が一夜にして灰燼に帰した大火事)により惜しくも焼失してしまったとのこと。
なお、当寺院の境内に亀趺に載った石碑があるが、第42世住職の善恵という人の墓で、「羽陰温故誌」によれば、「明治初年に発願して生のまま土葬されることを希望し、生きているうちに石の唐櫃を作って境内に埋めて入定しようとしたが、政府が許可しなかった。」ということがあったらしい。古老の話として、21日間の断食の後に唐櫃に入れられて埋葬されたと伝わるが、その時生きていたかは不明という。


写真1:「不動院」境内入口。巨大な「岩之山 太平山 三庚申」と刻された石碑がある。また、傍の標石柱にも「日本三庚申霊場 不動院」とある。


写真2:参道両脇に多くの石碑がある。


写真3:「鶏卵塚」。当寺の北西約2kmのところにある「古四王神社」(2015年8月15日記事)信仰により四足二足の食のタブーにより現・秋田市寺内地区等では鶏卵を食べなかったが、病気療養等のため止む無く食べたときに、こうした供養塔が建てられたようだ。


写真4:本堂
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富士山(秋田県秋田市)

2017-03-11 23:16:51 | その他
富士山(ふじやま)。通称:日本一低い富士山、明田富士(みょうでんふじ)。
場所:秋田県秋田市東通明田。JR「秋田」駅の南、約500mの「明田地下道」(アンダーパス)から東に約380m、「北都銀行明田支店」の角を南に約370m進むと道路が急に狭くなるが、そこから正面の丘が通称「明田富士(山)」。登り口は南側にあるので、更に約420m進んで回り込む。駐車場なし。山頂へは徒歩約5分。周囲の道路は狭く、近くに駐車場もないので、徒歩か自転車利用が便利(JR「秋田」駅から約1.7km)。
静岡県と山梨県に跨る日本最高峰(標高3,776m)である「富士山」は、「不二山」(二つとない山)とも書かれるが、全国各地に「〇〇富士」と呼ばれる山は多い。山形県と秋田県に跨る「鳥海山」も一名「出羽富士」ともいうが、「富士(山)」という名の付く山のうち、標高が最も低いのが秋田県秋田市にある「明田富士」とされている。その標高、35m。山頂には、日本山岳会秋田支部の「日本一低い富士山という標柱が立っている。これは、昭和63年に静岡県富士市の富士商工会議所がその認定を行い、以来、同支部が植林やベンチ設置などの整備をしてきたというものらしい。
さて、「富士山」という名の由来であるが、伝承によれば、鎌倉時代頃、当地には「冨士太郎」という豪族の居館があったという。「秋田市史」では、「富士太郎」の名前は資料にないが、江戸時代以前には「香哥某」の居館があったとしている。香哥氏は、源頼朝に倣って「富士権現」を祀ったため「富士太郎」と呼ばれたのではないかと推測されるが、元亀元年(1570年)頃の合戦で滅んでしまったらしい。因みに、現在のJR「秋田」駅周辺は、近世以前は殆ど湿地帯であり住みよい場所ではなかったが、「富士山」の直ぐ下には太平川が流れており、近くで石器も見つかったとされているので、この辺りは太古から人が住み着いた土地だったと思われる。なお、江戸時代に佐竹氏が久保田城を築く際、「富士山」からも土地取りをしたらしく、元々の大きさの四分の一くらいになってしまったとのこと。
ところで、最近の調査では、愛知県の「佐久島」という離島にも「富士山」があり、こちらの標高は31mで、自然の山としては最も低い「富士山」ということになっている。人工の山で良ければ、秋田県大潟村に「大潟富士」があり、こちらは標高0m。どういうことかと言うと、元々、大潟村は浅い湖だった「八郎潟」を干拓してできた村で、海水面より低い土地も多い。そこに、高さ3.776m(「富士山」の千分の一)で、かつ標高(海抜)0mになるように築山を造ったということらしい。これより低い山はまず無いと思われるのだが、人工の山ということで、国土地理院の地形図には掲載されていないという。


写真1:「(明田)富士山」全景


写真2:同上、登り口


写真3:中腹にある「明田稲荷大明神」祠


写真4:山頂に祀られている「富士大権現」(祭神:木花咲耶姫)


写真5:「日本一低い富士山」標柱。山頂からは秋田市の市街地が見下ろせる。
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浮木神社(秋田県仙北市)(三湖物語・その8)

2017-03-04 23:24:34 | 神社
浮木神社(うきぎじんじゃ)。別名:漢槎宮(かんさぐう)、潟尻明神。
場所:秋田県仙北市西木町西明寺字潟尻。国道105号線から秋田県道60号線(田沢湖畔線)に入り、東へ約5km進むと田沢湖畔に出る。「田沢湖ローズパークホテル」(旧・「田沢湖プリンスホテル」)のすぐ北側。駐車場なし。
伝承によれば、田沢湖の西岸の近くで、浮き沈みする大蛇のような浮木があった。これを貴重な香木ではないかと思った村人が一部を切り取ったところ、一家もろとも病死してしまった。これを恐れた人々が「浮木の宮」として祀ったという。そして、その浮木はやがて、やや南の岸に流れ着いたため、そこに「浮木神社」として祀られた。明和6年(1769年)、久保田(秋田)藩士で漢学者・俳人であった益戸滄州によって「漢槎宮」と名付けられ、「田沢湖」を「漢槎宮湖」又は単に「槎湖」と呼ぶようになったとのこと。当神社の祭神は金鶴姫之命といい、田沢湖の主である「辰子姫」の本名とされる「金鶴子」である、という。近世までは「辰子姫」という伝承は無く、湖畔の「田子ノ木集落」に因む田沢湖の旧称「タッコ潟」から名付けられたともいわれているらしい。
また、上記の伝承では、必ずしも「辰子姫」とは関係がないように思えるが、「八郎潟」の主となった「八郎太郎」が「辰子姫」を慕って田沢湖を訪れる際、この辺りから湖に入っていくということになっており、その姿を見たり、音を聞いたりしてはいけないという。「八郎太郎」は毎冬、田沢湖を訪れ、そのために(留守になる)「八郎潟」は凍って浅くなり、「田沢湖」は凍らず深くなるとされる(なお、「田沢湖」の水深は423mで、日本一深い湖である。)。そして、「浮木神社」の直ぐ傍に黄金色の「たつこ像」が設置され、「田沢湖」で最も人気のある観光スポットとなっている。


仙北市のHPから(漢槎宮)

仙北市のHPから(たつこ像)


写真1:「明神堂」(古称:「浮木の宮」)(場所:仙北市西木町桧木内。「浮木神社」から秋田県道247号線(相内潟潟野線)を北へ、約1.6km)。


写真2:「浮木神社」


写真3:「たつこ像」。舟越保武氏製作のブロンズ像。「浮木神社」のすぐそばにある。薄物を纏い、何だか西洋神話のニンフのようだが...。

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