爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

ご親切な物たち

2007年12月26日 | ブログ

昨今の家電製品 電子レンジ、洗濯機、炊飯器などからは、「ピーピー」と終了のご挨拶を、更に作動順序や操作ミスがあれば、おしゃべりでご案内するものもある。

昔は家の中で音で教えてくれるものは時計ぐらい、今や家電製品の「ピーピー」音が、うるさいとか、余計な機能が多すぎるとか、命令調に聞こえるとか、諸々のご意見の主もおられるが、、確かに、お知らせなくとも大きな支障はないかも。

爺のマイカーの運転席と助手席はシートベルトを着用するまで「ピーピー」と催促、安全面からご親切な機能であるが、人と物の区別はしてくれない、助手席に乗せた10キロの「コシヒカリ」にもシートベルト。

銀行のATM、お金をおろす時にカードと現金が一緒に出てくるけど、現金を財布にしまうのに手間取っていると「ピーピー」と早くカードを取れと催促、年寄は動作が鈍くなることを、ご理解いただけないようで、ご親切にどうも。

爺のブログ編集室の石油ストーブ、3時間毎に「ピーピー」と更新手続きのお知らせは、人差し指で捺印して手続き完了であるが、ガス欠で給油せよとの「ピーピー」 何故か一番寒い時間帯に鳴り渡る。

石油保管場所は家中で一番の寒冷地、給油作業は手動、給油完了の「ピーピー」は無い、満タンになるまで油量計から目線を離さず、寒さに耐えながら爺には骨身にしみるひと時。


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頼もしいお年寄り(4)

2007年12月20日 | ブログ

昭和28年から5年間を過ごしたK市の下宿先 Mさん宅へ50年ぶりの訪問。

周りの環境は様変わり、当時の面影は殆どなく、一抹の寂しさを覚える中でMさん夫妻の以前と変わらない暖かいお人柄に触れ気持ちも和む。

ご主人は91歳 奥様は88 体の動きは多少ゆっくりだが、相変わらずの「ほうじ茶」をいただきながら、あまりにも積もる話が多すぎて何からお話するかも分からないままに、殆どがご夫妻からの話題で終始、約1時間の時を過ごす。

町内会長としての実績と、ご夫妻のお人柄で、お付き合いの範囲も広いので、お喋りする機会も多いが、冠婚葬祭のお付き合いも忙しいというご夫妻、少々大変だが几帳面に出席しているのも元気を保つ要因だと言う。

思えば、ご夫婦共に何時も穏やかで、大声での夫婦の会話や子供達を叱りつける声は聞いた覚えがない。長生きしているお年寄は、表情が明るく、大らかで、くよくよしていないのが共通しているよう。

帰り際、今度来るときは、泊りがけで来てくれと声をかけるあたり、年齢を忘れているのかと思うほど、元気を与えてくれる頼もしい年寄のモデルが、また一組増えた。


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「シジュウカラ」の巣立ち

2007年12月14日 | ブログ

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6月、新しく作り変えた我が家の巣箱から昨年に続いて6羽の「シジュウカラ」が元気に巣立ち。

新しい巣箱は警戒して巣作りをしないと言うので少々心配はあったが3月下旬 巣箱を出入りしている2羽の「シジュウカラ」を確認。

立ち去った後を確認したら、出入り口の角張った部分を口ばしで削りながら

滑らかに手直し作業、大工さんでも出来ない匠の技。

4月下旬 巣作りのための苔運びが頻繁になり、産卵の時期は不明だが、5月中旬 2羽の親鳥が雛への餌運び、餌をおねだりしている小鳥たちの鳴き声は耳に心地よい。

最後に巣立った末っ子、未熟だったのか、親鳥から追加の餌を貰い、何とか巣箱から飛び出すものの、地面に落ち、次に濡縁まで飛び、そして月桂樹に、たどり着いた瞬間を夢中でシャッター、お迎えの親鳥の元へ飛び立つ。


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鉄道官舎の記憶(2)

2007年12月08日 | ブログ

子供の頃過ごした鉄道官舎は今は面影もないが、一緒に遊んだ仲間たちと周りの環境への想いが爺にとっては、心の故郷。

戦時下で、遊び道具などは、全く、なかつた昭和17年から19年頃、稲刈りの終わった田んぼでの野球、グローブなし、バットは竹、ボールは、ぜんまいの綿を布で包み込んだもの、ベースは板切れ、ゴロを打てばイレギュラーするので、また面白い。

兵隊ごっこ、上級生が2等兵から大将までの階級を決め、厚紙で作った手書きの階級章を渡すのと最後は敵味方に分かれて竹棒を振り回しながらのチャンバラで終わったのを覚えている。

川原での水遊び、ジャガイモを持参する者、魚(はぜ)を捕まえる者、焚き火を拾うもの、石を囲って釜を作る者、魚を串刺しにして焼く者 芋を焼く者、みんなで分担作業。最後に上級生が、低学年から順に公平に分け与えてくれる。

園児だった頃の孫に話して聞かせたら「おじいちゃんは貧乏だったの」と思いもかけない問い。昔々の物語で、貧乏なおじいちゃんと、おばあちゃんが、お米がなくてお芋を食べたという話を思い浮かべたのだろう。


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食あたり

2007年12月04日 | ブログ

一昨年、下痢、嘔吐、咳が激しく、S病院に二泊三日の外泊、原因は「生がき」による胃腸炎と診断されたが、ノロウィルスによる食中毒でなかったかと、確認されたわけでもないが。

ナースセンター前の個室で、ひっきりなしに入院患者が訴える声と対応する看護師の声で睡眠も出来ないままに、体内の汚物を出し終わり、退院できたが、あれ以来「生がき」を食べることはない。

赤痢が集団発生した昭和30年代~40年代、 知人のT氏、隔離病棟に二度も入棟されたという珍しい御仁、二度あることは三度あると言う格言もあるが「生もの」には、積極的に手を出さなかったのも頷ける。

昭和48年、職場の同僚で、「ゲテモノ食い」では定評のあるN氏を中心に数人の仲間がさばの刺身で酒を飲み交わし、N氏を除く全員が食中毒症状、N氏だけは翌日、平常どおり勤務についたという話は当時の一粒話として記憶に残る。

平成8年頃、大きな社会問題になったO-157による食中毒事件以来 生ものに対する認識が変わった方も多いようだが、同じものを食べても全員が同じ症状になるとは限らない。個々の免疫力の差もあるのかも。


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