爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

昔の通勤仲間

2021年11月25日 | 日記
昭和49年だった、個々にマイカー通勤していたAさん、Iさんと小生の3人が交代で運転する通勤体制を組んだ。燃料節約、疲労軽減、事故防止、体調不良時の交代など、メリットは大きかった。

当時 Aさん50代、Iさん30代、小生40代と年齢差のある3 人だったが、通勤途中の車内では、持ち寄りの話題で尽きることもなく、周囲が羨むほどに気の合うコンビであった。

ある日、A氏の運転日に、けたたましくサイレンを鳴らした白バイのお兄ちゃんから停車を命じられた。「おはようございます、お急ぎでしたね」と優しい声を掛けられ、青色の反則切符をいただいた。

両人とも、還暦を待たずに天国へ旅立ってしまったことを、後に風の便りで耳にした時は寂しかった。陽気な性格でお喋り好きのIさん、彼の地の待合室で小生の来る日を待ち焦がれているかも。


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初の職員旅行

2021年11月20日 | 日記
社会人になって初の旅行は、昭和28年5月3日~4日、スキー場で有名な妙高市の赤倉温泉だった。信越線妙高高原駅から約30分程のバスの車窓から見た白樺林の美しさが今も強く印象に残っている。

当時は、土曜日の午後から日曜日にかけ、汽車やバスを利用して温泉旅館での懇親会、翌日は観光しなから帰宅の途に就く程度の旅行である。行動範囲も県内か隣接の県境近くの温泉に限られていた。

色々な親睦行事の中でも年に一度の職員旅行が最も楽しみな行事だった。旅行当日の服装は、男性は普段着だが、女性は、この日のために新調した洋服か、よそ行き用の洋服を着てきた。

翌日の朝食後、唯一カメラを持っいたN氏に誘われ、小生の他にF子さん(25歳)とS子さん(20歳)の4人で高原を散策、女性と寄り添ったり、肩を組んでの写真撮影に20歳の爺、少々震えていた。


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子育て時代

2021年11月15日 | 日記
子育て支援制度もなく、男女共同参画社会でもなかった時代に、二人の息子を社会に送り出すまで共働きしてきた。当時は共働き家庭に対する周囲の視線は暖かいものだけではなかった。

共働きで安心して子育てできたのは、知人から紹介された誠実なお人柄の西沢様ご夫妻と出会った幸運である。息子たちが小学校卒業まで通算15年を4人の我が子と一緒に育ててくれた。

共働きしながらの子育ては忙しかったが、辛いとか、疲れを感じたことはなく、仕事以外は全て子供と一緒に過ごすことを心掛け、家族の一体感があった一番楽しい時代だったと思う。

細やかな夫婦喧嘩を繰り返しながら結婚63年になる。半世紀にわたる宮仕えを卒業、我が子を社会に、両親を彼の地へ送り届け、三つの大きな役割を果たした今は、遠くから孫たちの成長を見守っている。


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年賀状の添え書き

2021年11月10日 | 日記
今年も年賀状の発売が始まった。昨今は、多くの人がメールやSNSで新年の挨拶を済ませている。孫からの年賀も「あけおめ」の文字を添えたスタンプが一個、嬉しいが物足りない感が残る。

お正月に届く年賀状には、何故か暑中見舞いなどとは違った特別な思いがある。過去にご縁のあった知人や仲間の手書きの添え書きを読むのが一番の楽しみであり、改めて心が通じ合う。

高齢化で足腰膝の痛みを訴える添え書きが多いのは分かるが、ある70代の後輩から「年末はゆっくり過ごしたいので年賀状の交換を辞退させていただきたい」とは、納得しがたい。

手書きの添え書きが無い印刷された年賀状は生存証明書になってしまう。余裕だらけの爺、下手な人よりも下手な字でも一人一人を思い浮かべながら、読んで貰える一言をを考えよう。

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床屋さん

2021年11月05日 | 日記
普通の床屋さんから安い床屋さんを利用するようになって2年になる。加齢とともに髪の毛も少なくなり、長時間椅子に座り続けるのも厳しくなって、20分ほどで終わるのが誠によろしい。

床屋の入り口には、青赤白のサインポールがまわっている。由来は諸説あるが、昔の床屋さんは外科医を兼ねていたことから、赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表しているとも言われている。

床屋さんの商売道具と言えば、ハサミ、クシ、バリカン、カミソリ、髭剃り用石鹸と洗髪用シャンプーと蒸しタオルを巧みに使う技術屋の商人であり、子供の頃から変わっていない。

変わったところと言えば、電気バリカンになったこと、洗髪時に移動しなくてもよくなったこと、椅子の上げ下げが電動になったこと、若者の利用者が少なくなったことかな。


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