爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

今年も僅か

2021年12月25日 | 日記
勿体ないとか、老い先短い年寄りが使い道もないのにとか言われながら、今年も大安吉日に年末ジャンボを買って神棚に保管、大みそかの抽選日まで、一人密かに楽しんでいる。

大晦日の抽選発表後には、孫の言う通り勿体ないと思う。また行動範囲も限られている、一つの体に衣類も沢山要らない、老夫婦の食べる量も限られている等々、周りの声はごもっとだと思う。

年賀状も、餅つきも、手抜きしながらの部屋のすす払いも終わり、神棚の掃除を済ませて、鎮守様で新しいお札を買って納めたし、一昨日は、孫たちに餅など送って、今年の仕事納め。

スーパー店内のメロデーも「ジングルベル」から、「もういくつ寝るとお正月に」 変わる。今年もコロナウィルスと共生しながらの一年だつた。一年最後の挨拶「良いお年を」になるよう願いたい。

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お医者様との縁

2021年12月20日 | 日記
幼い頃から米寿の今日まで、内科、外科、耳鼻科、眼科、歯科の数えきれないほど大勢のお医者様のお陰で生き続けている。お医者様だけには、何を言われても逆らうことなく忠実に従ってきた。

現在は3年前の心筋梗塞の術後、最寄りのかかりつけ医で月に一回の診察を受けている。一日一回、朝食後に血液サラサラほか数種類の薬を飲み忘れることもなく、真面目に服用している。

爺が小学生時代を過ごした昭和10年代の小さな村には、産婦人科の医院が一軒あっただけだった。手術を要する外科と歯科以外の患者さんを診察していたので、何時も大勢の患者で混んでいた。

小学生のとき中耳炎になった。専門医の治療を受けなかったので慢性中耳炎になってしまったと、後に耳鼻科のお医者様から聞いた。米寿を迎えた今も時々受診、長いご縁が続いている。


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年の瀬

2021年12月15日 | 日記
年の瀬は大掃除を始め、お歳暮の手配、年賀状の作成など用事があって何かと忙しい。米寿を迎えた今も、大掃除は手抜きしているが健康である限り変わることなく続いている。

今年も、老夫婦の元気な証としてのお歳暮を贈ることが出来た。お互いお歳暮が届くたびに、お礼の電話で話が弾み、長電話になることもあるが、元気を確かめ合う機会でもある。

これから神棚の掃除をしたり、新しいお札を納めたり、宝くじを買ったり、餅をついたり、年賀状を書いたり、師走だけの用事が控えていると心ぜわしいのも、元気の証拠である。

今日15日は今年最後の物書き仲間の定例会とあって終了後はランチ、平均年齢80歳の口達者な老々男女によるお喋り日である。食欲も旺盛で頼もしい仲間と元気を交換し合う。

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小学生時代の道路

2021年12月10日 | 日記
爺が県北の田舎の小学校に入学したのは昭和14年である。当時の道路は、穴ぼこだらけの砂利道で、時々荷物を運ぶ馬車か牛車が往来する程度で、登下校時に自動車に会うことは無かった。

たまに町で停車中の貨物自動車を見つけると、一目散に近寄り、発車するまで待って、後に残る排気ガスの匂いを嗅いでた覚えがある。まして交通安全と言う言葉とは無縁の時代だった。

路上には馬糞や牛フンが所々に散在しており、乾燥するか風雨で自然になくなるまで取り除くことはない。交通事故の危険はないが、うっかり穴ぼこに足を取られたり、糞を踏むことはあった。

今では遠い昔のことだが、道路全体が歩道であり、遊び場として利用しながらの通学である。荷馬車に出会えば、荷台に乗せてもらったり、無断で乗っても叱られることも無い、ゆったりした時代だった。


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雪  道

2021年12月05日 | 日記
道路除雪体制の無かった頃は、雪の深みにはまり、友達の肩を借りて片足づつ靴の中に入った雪を靴底を持って、たたき出していた。ふっくらした足の人は隙間が無いので羨ましかった。

昭和34年~42年、職員アパート生活の時だった。大雪の朝は、3人づつ交替で幹線道路まで約50メートの間を「かんじき」で雪を踏みしめて、すれ違い出来る道幅を確保したもの。

大雪の朝の早い時間帯は一列縦隊で歩くしかない。すれ違い時には「どうぞ」と道を譲り合う、譲られた大人は「すみません」、子供たちは「ありがとう」と言う、豪雪地でのマナーがあった。

 
大勢の人が歩いた後の雪道は滑りやすいので、歩幅を小さくして、ペンギンのような歩き方になって、あちこちで滑って転んでいた。起き上がるのに誰となく手を貸している情景が懐かしく思いだされる。


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