爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

公衆トイレ

2024年03月25日 | 日記
トイレの言い方は、 便所、厠(かわや)、雪隠(せっちん)、はばかり、ご不浄お手水(おちょうず)など色々あるが、現在では「トイレ」が普通であり、日本語として認知されている。

「厠(かわや)」は、現在では使われていないが、昔の日本の軍隊では公式の用語であったそうであり、確か爺が子供の頃の昭和10年代のお年寄りたちが使っていたのを覚えている。

和式から洋式へとトイレの中も変わったことで、座りながらスマホに触ってしまうという人が多くなり、落書をするのではなくスマホからメッセージのやり取りをしているとか。

「トイレットペーパーを持ち帰らないでください」と書いた貼り紙が目立ってきた、あるところで、貼り紙の「ペーパー」の部分をマジックで黒塗りしてあったのを見て思わず苦笑い。

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好きな食べ物

2024年03月20日 | 日記
食糧難時代を体験したためか、食べ物に好き嫌いが無い爺、91歳まで生きた要因のひとつかも、「好きな食べものは」と問われると、迷わず「赤飯、桜餅、甘納豆」と答えてきた。

生前の義弟(家内の弟)が、我が家に来るときは何時も赤飯を持ってきたもの、また、爺の誕生日には知人のS氏 から赤飯が届く、家内は赤飯が苦手とあって殆ど爺が一人で食べる。

今年もご近所のAさんから自家製の桜餅をいただいた、ご先祖様と愛犬が眠る供養塔の写真前にお供えして、仏様が食べ終わるまで待ち遠しかったが、市販の桜餅とは風味が全く違う。

下宿生活だつた独身時代のこと、職場のM先輩が酒を飲んで朝帰りした時は、爺と一緒に過ごしたことにしてアリバイ作り、手土産は何時も甘納豆、奥様からのお礼も甘納豆だった。

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愉快な飲んべたち

2024年03月15日 | 日記
酒は百薬の長と言って適量の酒はどんな良薬よりも効果があるが、飲み方次第で毒にもなる代物。色々な酒癖の人と出会ったが、ちょっと愉快な3人の飲んべを紹介する。

昭和34年頃、同じ職員アパーの2階に住む田村氏、酒を飲んで帰宅の際は、決まって3階の我が家のドアをノックする、施錠していない時は、玄関に入り込んできたことも。

昭和46年の職場の友の山口氏、帰宅前に居酒屋で晩酌する飲んべ、話し相手に何回か誘われた。爺が何を飲もうが、食べようが無頓着、無理強いもしない、面白くもない話をしながら喜びに浸る。

2度、職場を共にした婿養子のK氏、外で飲んだ時は奥様がマイカーで迎えに来る、「こんなに遅い時間に女性の方から送っていただきありがとうございます」と丁重にお礼の挨拶をする。

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91歳になった

2024年03月10日 | 日記
先輩はもとより、同期の仲間の殆どが石のシャッポを被って彼の地でお休みなさっている中で、この世に取り残された吾輩は3月8日には無事に91歳の誕生日を迎えた。

見た目で姿勢がいいとか、声に張りがあるとか、元気だねとか、色々言われるが、爺には内緒で心身ともに老化が進んでおり、日頃の言動から年を取ったことを痛感するこの頃である。

掃除も厳しくなって、手抜きしながらも一部屋ごとに一休み、思い物を持っては手首を痛め、寝違えてあちこちの痛みで、何時も体のどこからか湿布の匂いかする無理できない体になった。

厚労省の調査資料によると、91歳の平均余命は3年とあるが、いくつまで生き延びられるのかは運命に従うしかない。時々年上の元気で明るく話好きな高齢者と語り合いたい気持ちになる。


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好きだった上司

2024年03月05日 | 日記
58歳まで半世紀の公務員生活から第二の人生は造園業界の事務局へ、異質な環境の中で戸惑う爺に全面的な信頼を寄せてくれた責任者の片岡氏(故人)を懐かしく、時々思い出している。

陸軍士官学校出身で身長180センチ近い大男、終戦時の位は佐官クラス、戦時下であれば近寄りがたい存在、戦後は会社を設立、市議 商工関係の役職など地域の名士として活躍された御仁である。

過去の市議、商工関係、軍人時代の話題は自らは殆どしなかったが、南京虐殺事件と沖縄戦に関して一部を反論しながら自身の認識を語ってくれたことが印象深く、納得できる内容だった。

造園業の社団法人代表として、当時80代半ばだったが、元気はつらつ、若い会員にも何時も同じ目線で話しかけ耳を傾けてくれる姿は好々爺といったところ。心が温まる存在だった。

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