爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

年賀状

2020年11月25日 | 日記
今月1日に年賀状の発売が始まってから、年賀欠礼挨拶状がボチボチ届く。販売ノルマが廃止されたことで配達員による注文も来ないので、想定される枚数を窓口で買ってきたところ。

年賀状住所録に残っている職場仲間も、先輩は一人だけ、同期の仲間は皆無となり、後輩だけになってしまった。今年は70代の後輩の奥様から、主人が永眠しましたと悲しい挨拶状が複数。

親戚でもなし、長いこと会っていないし会う予定もない人たちは、自然消滅してしまい、形式だけの年賀状は無くなった。今は親族を除くと最高時の半数程になってしまった。

まだまだ加齢による年賀じまいをする気は全くない。懐かしく思い出す後輩には、近況を知らせたり、尋ねたり、退職後に縁あって元気をいただいている仲間達には感謝の意を伝えたい。

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土曜半ドン

2020年11月20日 | 日記
平成生まれの若者は知らない人が多いと思うが、爺の現役時代は、土曜日は学校や役所・企業などの多くが現在のような週休二日制ではなく、午後からお休みで、土曜半ドンと言っていた。

半ドンとは、オランダ語で日曜日をzondagという言葉が訛ってドンタクになり、休日を意味するようになり、官庁が土曜半休となった折に、半分のドンタクなので「半ドン」と呼ばれたとある。

昭和46年から2年間の単身赴任だった頃は、半ドンの土曜日が待ち遠しかった。金曜日になると、明日は半ドン、小学生だった二人の息子たちに会えると思うと、気分も浮き浮き、仕事の能率も上がった。

加齢とともに、今はすっかり気弱になってしまった。医療機関が半ドンや休日になると、風邪を引かないように、転ばないように等々気配りしながら月曜日や大型連休が明けた日は、ほっとする。


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お会式(おえしき)

2020年11月15日 | 日記
お寺(日蓮宗)の娘だった家内との縁で、お寺の定例の行事や法要に出席することが多かったので、お寺を支えてくれる檀家総代や世話人の方たちとの親しい関係が長いこと続いている。

日蓮宗では、宗祖日蓮聖人が亡くなった日である10月13日を中心に、お会式と言う行事が行われている。新潟県内の日蓮宗の寺では、一か月遅れの休日を中心に行われている。

11月8日、住職が兼務する柏崎市にある正平寺のお会式に出席してきた。今年はコロナ禍で、マスク着用、手洗いの徹底、お斎もなく、万全のコロナ対策のもと、約一時間の読経だけで終了した。

終了後、爺は総代さん達と歓談、家内は何時も行事の度にお手伝いしてくれる裏方の奥様達に、お礼として手作りの編み物をプレゼントして、感謝の気持ちを伝えながら過ごした。

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旗日と国旗

2020年11月10日 | 日記
祝日には日の丸の国旗を掲げて祝うことから旗日と言っていた。今では死語になって殆どの若者は知らない。昭和一桁生まれの爺は、今も普段から国民の祝日のことを旗日と言っている。

結婚した昭和33年から27年間を城下町である旧高田市(現上越市)で過ごした。旗日には商店街や多くの家庭で国旗を玄関先に掲げる習慣があり、我が家も昭和42年新築を機に掲げていた。

日の丸の国旗=右翼や戦争という間違った連想で抵抗があるとも言われている。文化の日の11月3日、訪れた県北の城下町である旧村上市内で、何軒かの一般家庭の玄関から国旗が見えた。

新潟市民になって32年になる。最近は一部の公的機関や市内を走るバスやタクシーの前面に掲げている程度で一般家庭から国旗は見られない。旗日を祝う気持ちは薄れてしまったようだ。

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県北の方言

2020年11月05日 | 日記
昭和20年4月、田舎の小学校から県北の古い城下町にある旧制村上中学校に入学した当時、向かえには士族が通った村上本町(もとまち)小学校が、その裏側に町民が通った村上町小学校があった。

村上弁も、もとまち言葉と、まち言葉があった。戦後に学校が合併されてからは、まち言葉に飲み込まれてしまったらしい。元々もとまちの人たちは言葉に対する誇りがあったと聞いている。

 村上弁の方言は沢山あるが、最も代表的なのは、「あたりまえだよ~」とか「もちろん」というのを「だぁまた~」または「だぁまたせ」と言い、アクセントやイントネーションに特徴がある。

今はテレビやラジオの影響で言葉が平均化されて、村上弁も若者たちからは聞こえてこない。高齢者でなければ使えなくなったお国言葉が消えてしまった淋しさを感じている人も多い。

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