爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

懐かしい体験

2011年09月25日 | ブログ
 

ペン先を差し込んだペン軸、インクつぼ、吸いとり紙、トンボ鉛筆、消しゴム、ソロバンの事務用具一式を机の引き出しから取り出し一日の仕事始、掛け算、割り算、率の算出には騒々しい音を発しながらタイガー計算機とやらを手動で回す。<o:p></o:p>

 

数枚の紙を挟むために針金を曲げて作られたクリップ、掃除をする度に必ず落ちている、知人の教師曰く、学校の教室は画鋲が、事務室はクリップが沢山落ちているところだと、重要書類は和紙で作ったコヨリを使用していたが。<o:p></o:p>

 

昭和20年~21年、通学の帰り何回か蒸気機関車D51の助手席に乗せてもらった事が、冬は寒く、夏は暑く、横揺れが激しく、機関士も助手も重労働、親父も大変だったろう、今の世では、考えられない体験だが。<o:p></o:p>

 

蚊帳を使用しなくなって久しい、蚊帳の出入りの仕方を、子供のころに親から厳しくしつけられ、親になって子供に厳しくしつけたもの、覚えのある方も多かろう、下宿生活では、冬も寒さ防止に蚊帳を使用したもの。<o:p></o:p>

 




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ぶらり旅

2011年09月19日 | ブログ
 

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年齢相応の無理のないドライブを楽しみながら、健在な先輩達への声掛け、お互い唯一のお土産は、元気をやったり、貰ったり、訪問先によっては、近くの静かな湯の宿に泊って心の栄養補給、家内は趣味の編み物を、爺はパソコン持参でのぶらり旅。<o:p></o:p>

 

1年ぶりに、91歳になるY子さん宅へ、娘夫婦と孫達に支えられながら、相変わらず、庭の花や野菜づくりで土との触れ会いが日課だと言う、当日も娘さんが買ってきた派手なガーデニング衣装をまとい、口紅とおしろいでお化粧しての草取り中。<o:p></o:p>

 

現役時代は保健婦として市民の保健指導にあたり、活発な人柄で遠慮のない言動で定評のあったご仁だったが、故人となったノンベーのご主人だけは、もてあましていたようで、今は、お年寄りに成りきり、かっての面影なく、お静かな婆ちゃん。<o:p></o:p>

 

小さな旅も、お天気と気分次第、前日又は当日の朝に何となく決まる、老夫婦が普段、家で並んで喋ることなどないが、車の中では否応なく。<o:p></o:p>

 



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小さな村

2011年09月13日 | ブログ
 

新潟県内に112あった市町村も、平成の大合併で、20市6町4村に、役場と言う呼び名も懐かしく貴重な存在に感じる中で、周囲23キロ、産業は漁業だけ、人口400人に満たない小さな粟島浦村が今も独立している。

 

本土からフェリーで1時間30分、高速船で55分の小島でも、村長、収入役、教育長の特別職と職員十数人、村会議員も8人を擁した、れっきとした自治体で、行政と住民が一体となった家族といったところ。

 

昭和60年、役場の幹部と夕食を共にした時の話、乾杯の音頭を指名された爺、「粟島が無人島にならないことを祈念して乾杯」と本音で発声、島の女性は本土で就職、結婚、男性は自らの婚活で島へ連れてくる者以外は独身を余儀なくされる。

 

5月の島開きで、観光客や釣り人達は、50軒近くある民宿を利用、夏の間だけ交番が開設され、警察官を見ることが出来るという平穏な土地柄、マイカーの持ち込み禁止なので、散策は民宿の車か自転車で、名物料理は「わっぱ煮」。

 




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軽い犯罪

2011年09月07日 | ブログ
 

刑法とは別に公衆道徳に違反する程度の軽い犯罪を定めた軽犯罪法と言うものを改めてお読みしたところ、34項目が列記されている、おそらく殆どの方が、いずれかの違反行為を経験されているのでは。<o:p></o:p>

 

◆「街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者」<o:p></o:p>

 

汚い話だが、出物、腫れ物、所嫌わずと言うとおり緊急事態ともなれば法を犯しても行動するであろうし、みんな思い当たるのでは、立ち小便400回繰り返した71歳の男性が書類送検された記事がO県の地方紙に。<o:p></o:p>

 

「公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、もも、その他身体の一部をみだりに露出した者」<o:p></o:p>

 

昭和30年代、K市の海岸近くに下宿していた当時、海まで徒歩で10分程度、いつも仲間と海水パンツ姿で歩いて水浴びに行ったもの、たまたまパトロール中の職務に忠実過ぎる巡査に口頭注意を受けたことが、どうやら、この規定に違反したらしい。<o:p></o:p>

 

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お薬の話し

2011年09月01日 | ブログ
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「薬も過ぎれば毒となる」薬に関わる諺だが、昨今インターネットサイトから個人輸入の薬、医師や薬剤師の指導も受けず素人が服用する薬による副作用で健康障害が起きているというが。<o:p></o:p>

 

昭和40年頃だと思うが、辺地が多い旧Y町のベテラン保健婦Mさんの活動の一こまを紹介しよう、地域の老人達のバス旅行に同乗することになったMさん、先ずは、乗り物酔いに不安を抱いている者を事前に把握。<o:p></o:p>

 

今日のように薬の豊かでない時代、密かに胃酸を包んで人数分を用意、酔い止と称して事前に希望者に飲ませたたところ、誰も車酔いもなく、「保健婦さんから戴いた薬は良く効いた」と感謝の言葉が返ってきたという、昔の年寄りの素朴な姿を垣間見る。<o:p></o:p>

 

識者だらけの現代の年寄りには、通用しない手段だろうが、機転を利かせたM保健婦の手法は当時の仲間達の語り草となっているのも事実、日頃から地道な訪問活動を重ねてきたM保健婦との信頼関係がなせる技でもあろう。<o:p></o:p>

 

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