爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

生活道路

2013年08月25日 | ブログ




運転免許を取得した昭和42年当時と今とでは道路状況は大きく様変わり、基幹道路は全てバイパスが出来て旧道は生活道路として、交通量も減り静かな街並みになっている。<o:p></o:p> 

久しぶりに通る旧道は懐かしさを呼び起こしてくれる、お墓参りの帰り路、小学校低学年の頃に歩いた道へ回り道をして約500メートルの町街並みをゆっくりと車窓から眺めながら走行。<o:p></o:p>

 

記憶の中にある自転車店、電気店、食料品店、薬局、氷水とアイスキャンデー店の姿は無く、通院、往診で受診したお医者様の看板だけが昔の名前のままあったが、もう孫の時代であろう。<o:p></o:p>

 

生活道路は、拡幅されることによって、車の流れは良くなっても、お向かいさんとの日頃の会話が少なくなり、疎遠になってしまったと言う老人のボヤキ話を聞いたことがある。<o:p></o:p>

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑い暑い夏

2013年08月19日 | ブログ
 

今年も暑い暑い夏、毎日のように「熱中症、水分、塩分、」と言う単語を耳にしない日が無い、昔はこんなに騒がれたことはなかったのに,誰かが地球をいじめているのだろうか。<o:p></o:p>

 

子供の頃、近所の年寄り達が集まって自家製の漬物でお茶飲みをしていた風景を思い出す、先達のこんな生活習慣が、結果として水分と塩分を補給していたのかも。<o:p></o:p>

 

今は夏でも閉め切った部屋での生活だが、昔は何処の家も夏は窓や戸は開けっ放しにして風通しも良くしている、買い物で留守にする時でも、鍵も掛けず、お隣へ声をかけるだけ。 <o:p></o:p>

 

もっとも、当時の一般家庭に高価なものもないし、ましてや、現金ともなれば、財布に入っているだけの生活だったのでは、借家住まいの家に泥棒が入った話は聞いたことも無い。<o:p></o:p>

 




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も元気

2013年08月13日 | ブログ
 

毎朝5時半、ワンちゃんとの散歩から一日が始まる、八十路の爺も13歳のワンちゃんも、今日も元気、散歩中に軽く挨拶しながら馴染みになった人達もみんな元気な方ばかり。<o:p></o:p>

 

朝の歯磨き、髭剃り、洗面の所要時間、自前の歯も髪の毛も髭も少なくなり、それぞれ短くなったとはいえ、毎日しなくても特に支障も無いのに、根気良く続いている。<o:p></o:p>

 

男性の平均寿命は80歳でも健康寿命は70歳と言うから、差の10年は、何らかの介護や支援を受けながら生活していることになる、何時かは通る道であろうが、先送りして短期間にしたいもの。<o:p></o:p>

 

親から受け継いだ体質と生活習慣等々、色々な要因が重なって、今日も呼吸がしっかりしている、生活動作は年令相応に、無理せず楽せず、動いて、喋って、食べて。<o:p></o:p>

 





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もの貰い

2013年08月07日 | ブログ


 

もの貰いとは、瞼の裏側にできるオデキのことと、人様から金銭や食べ物を恵んで貰うことと二通りあるが、後者の話しとして、最近、一般家庭には御目見いしないが、お寺には、今も恵みを求めてお出でになると言う。<o:p></o:p>

 

御寺は、昔から金銭や寝食を縋ったり、悩み事相談の場として利用され、珍しい話しでもないが、東北大震災後の一時期は、避難して来られた被災者が多かったと聞いている。<o:p></o:p>

 

最近は、職を探しているが見つからず困っていると言って、来られる中年の男性が多く、食べ物はいらないが御金をくださいと言う、お寺さんとなれば、無下にもできず、なにがしかの施しをするとか。<o:p></o:p>

 

施し後は、墓の掃除などを申し出たり、歌を歌ったりする人もいるそうで、中には、就労意欲があるのか疑わしい者もおり、一晩お世話した人が、後に留置所に泊っていたりして。<o:p></o:p>

 



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家事労働

2013年08月01日 | ブログ

    

昭和28年から5年間の下宿生活だったチョンガ時代、週に一度の家事労働と言えば、タライ、洗濯板、固形石鹸の3点セットでの洗濯、面倒くさくて、きつい動作、給料前の金欠の時は暇つぶしにはなったが。<o:p></o:p>

 

昭和33年結婚当初の間借り生活では洗濯機の利用施設が無いので、タライで二人分を洗濯する家内の負担は大きく、半年後アパート入居と同時に買った洗濯機が新婚生活に余裕時間を与えてくれる。<o:p></o:p>

 

当時の3種の神器とも言われた「テレビ、洗濯機、冷蔵庫」、豊かさの象徴とされていたが、家事労働の短縮に最も貢献した電気製品を問われれば、洗濯機と冷蔵庫であろうか。<o:p></o:p>

 

洗濯機で最初の夢が叶い、翌年の夏に冷蔵庫が、翌々年にはテレビが我が家にお出でになる、今や家電製品は、使いこなせない程の多機能なものばかり、、便利さの半面、細かい生活動作まで奪ってしまった面も。<o:p></o:p>

 







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする