爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

手を合わせる

2018年01月25日 | 日記

日蓮宗の住職である義弟から、例年どおり暦が届いた、暦の上部には月ごとに日蓮上人の御遺文である聖語と解説文が書かれている、仏心が出たのか初めて熟読をした。

一月の聖語

「人間に、生を得る事、都て(すべて)希れなり」。

解説文

人間の存在は奇跡の連続の賜です。両親が出会って生まれ、両親も祖父母がいてこそ生まれました。この奇跡を10代遡りますと1024人になります。この中のひとりでも欠ければ現在の命はありません。今を生きてる私たちの命は奇跡の連続が生み出したものです。この尊い「いのち」に合掌する姿を育てる一年にしていきましょう。

義母(家内の母)が時々我が家に来てた頃、先ずは部屋に供えてある日蓮宗のお札(オフダ)に手を合わせる、食事の前後、お客様の送迎時、戴き物に対して等々、ことある毎に自然に手を合わせていた姿が思い浮かぶ。

独身時代は墓参りもしなかった爺も縁あって寺の娘と結婚、今では、毎朝ご位牌に向かって、お礼を述べたり、ご加護を求めたり、手を合わせて今日の一日が始まる。


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漢字の日

2018年01月20日 | 日記

漢字の日の12月12日、昨年の世相を表す漢字は、日本漢字能力検定協会の一般公募で最多だった「北」に決まり、京都の清水寺貫主が特大サイズの和紙に大筆で一字をしたためた。

昨年の我が家の漢字は,7月に救急車で病院に運ばれ痛風と診断された爺は「痛」に決まり、9月に駐車場の車止めにつまずいて転倒した家内は「転」に決まり、今年は明るい漢字にしたいもの。

漢字と言えば、小学生時代の漢字の書き取り、中学生時代の漢文は得意な教科だったが、パソコンにひらがな入力して,漢字変換してもらってからは、読むことが出来ても書けなくなってしまった。

 或るアンケート調査によると、読めるが書けない漢字のランキングは、第一位薔薇、第二位 挨拶、第三位 憂鬱、第四位 醤油、第五位 携帯とあったが、爺は、薔薇と憂鬱は昔から書けないままである。


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思いがけないドカ雪

2018年01月15日 | 日記

1月11日~12日、新潟市内は平年の8倍と言うドカ雪で、スコップ、スノーダンプ、長靴、軍手を用意、車の周りと玄関前の雪に挑んだが、12日の朝は、かんじき履いて道路までの歩道だけ確保。

長い豪雪地での生活で雪の扱いに慣れているとは言え,、大量の雪と除雪車が配給した雪塊の処理は、八十路を超えた爺には誠にきつい、12日午後~13日、何とか車の出入りを可能にした。

雪の少ないこの地に住んで30年、老いてから体験する大雪に少々心細くなっているところへ、息子や豪雪地で毎年苦労されている仲間達からの雪見舞いの電話に、元気づけられたところ。

周りの駐車場では、大学生が仲間の応援を得ながら、80センチほど積もった雪の中から車の掘り出し作業をしている、中でも北海道旭川ナンバーの大学生、さすが服装も用具も万全、除雪作業もお見事だった。


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懐かしの事務用品

2018年01月10日 | 日記

今も保存されている昭和28年3月1日付の辞令によって、県職員になった喜びを胸に、着任した事務所の爺の机は引き出しが一つだけ、中に事務用品一式が用意されていた。

総務課末席の爺、ペン軸、インクつぼ、ブロッター、鉛筆、ナイフ、消しゴム、ソロバンを机の引き出しから取り出して仕事始まり、掛け算、割り算、率の算出用として、手動のタイガー計算機が用意されていた。

知っている人も少なくなった当時の事務用品として、針金で作ったクリップ、和紙で作ったコヨリ、スタンプ台、指サック、スポンジ、ナンバリング、ガリ版、鉄筆、カーボン紙等が思い浮かぶ。

ソロバンを習い始めた小学校4年生から親父の五つ玉ソロバンで覚えてしまった爺、職場が変わるたびに、周りから理由を問われて説明する煩わしさを味わってきたが、何個目かの五つ玉ソロバンが今も健在。


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塩引き鮭

2018年01月05日 | 日記

昭和60年から3年間、爺と職場を共にしたA氏は、保健婦だった家内から健診後の保健指導を受けていた、たまたま家内が手編みの製品を奥さんにプレゼントしたことから、気楽なお付き合いが始まった。

年の暮れには、自ら加工した塩引き鮭をいただいて30年になる、昨年は鮭が不漁だと言うので、A氏に電話で様子を尋ねたら、我が家の分は確保して加工中だと言うので、鮭が泳いで来る日を待ち続けた。

家内が包丁研ぎ、切り身、冷凍までの一切を処理してきたが、昨年の暮れは気配りして、切り身にして奥さんと一緒に持ってきてくれて、70代のA夫婦と80代の爺夫婦による元気の交換会になった。

家内から奥様への手土産は何時ものとおり自ら編んだ手編み製品、奥さんの喜ぶ様は何時ものように子供心に帰る、今も慕ってくれるA氏夫妻とは互いに余生の親友同士と言ったところ。


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