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トスカーナの春を描いた美しい「花野」をみて~わたしたちがいつか忘れても大地は記憶しているー歴史はくりかえさない。ただ歴史は警告する。2018.4.21 Anno Kazuki 

2018-04-22 17:25:53 | 平和 戦争 自衛隊
トスカーナの春を描いた「花野」
トスカーナの春を描いた「花野」をみて、確認したかったことがあった
Anno Kazuki 2018.4.21
記憶
白寿記念「堀文子展」より
 
枯れたひまわりを描いた「終り」に出逢いたかった。戦後の復興期に浜辺であそぶ人びとを描く「海辺」にも再会したかった。だが、わたしが近代美術館葉山へ出かけたのは、なににもまして、トスカーナの春を描いた「花野」をみて、確認したかったことがあったからである。
 
最初、この絵を銀座のちいさい画廊でみたとき、恐怖を感じた。それが不可解だった。野の花々が描かれている。限りなくうつくしい。恐怖を覚える理由などない。
 
錯覚だろうか。たしかに、「海辺」は二重写しになっていて、浜辺であそぶ現在の人びとの姿を映すと同時に、戦争で非業の死をとげた過去の人びとを描いていた。こう解釈する人は数少ない。文子はなにも語らないからだ。
 
「海辺」には読み解くきっかけとなるヒントがあった。文子の分身がふたつ絵のなかに佇み、それぞれ昼と夜、光と影、現在と過去、生と死、繁栄と滅亡を見つめていたからだ。
自動代替テキストはありません。
 

だが、「花野」にはそんなヒントは見当たらない。ふたたびこの絵の前にたち、みつめつづけた。うつくしい、この世のものとはおもえないくらいに・・・。花々は生きている。生命がある。植物として季節をめぐり咲いているのではない。野の花は失われた人びとの霊魂を宿して咲く。

 
わたしたちがいつか忘れても大地は記憶している。目に映るものだけが現実ではない。さまざまな記憶のベールが幾層も折り重なった現実がある。
 
いま銀座の街をあるくとき、わたしたちには何をみているか。平和と繁栄を享受する人びとがみえる。日日うまれかわる街並みがみえる。しかし、空襲によって焼けつくされた銀座はみえない。有楽町駅のトンネルをぬけようとして、ずたずたに裂かれた死体をみるひとはいない。あの日、疎開する人びとであふれた駅を爆弾が直撃していた。
 
東京で暮らす人は70年ほど前に数十万人が殺害されたことをもう忘れている。黒焦げの死体の山が築かれた。まだ燃えている死体の火で暖を取った人びともいる。その街をわたしたちはアイスクリームをたべながらあるく。火をのがれて隅田川に浮かぶ人びとを火が舐め、顔を焼いていった。いまとなっては川沿いの桜をたのしむばかりだ。
 
わたしたちがみようとしないだけで、東京の隅々に霊が宿っていたとしても不思議はない。
 
▽ ピオンビーノの反乱
 
1943年9月10日、トスカーナ地方ピオンビーノの港にドイツ海軍の小艦隊が停泊しようとした。港管理局はこれを拒絶するが、イタリア軍湾岸警備部隊の将軍が入港を許した。
 
ドイツ軍は上陸すると横暴なふるまいをみせ、ピオンビーノを占領しようと始動する。町の住民はイタリア軍に毅然とした対応をするようにもとめ、反乱の覚悟を示すが、イタリア軍の司令官は戦車をならべ住民にむかって砲撃した。
 
すると、イタリア軍の将校たちが命令にそむき、指揮系統を掌握し、住民に武器を提供して、イタリア軍兵士とともに防衛戦に打って出た。戦闘は午後9時15分にはじまった。ドイツ軍の反撃は11日の夜明けまでに退けられ、ドイツ兵は120人が戦死し、200人から300人が捕虜となった。
 
しかし、イタリア軍の将軍が捕虜に武器をかえしたうえで解放した。ここから戦況が一変し、イタリア軍の将校と兵士は住民たちとともに町を捨て、森へ逃れた。
 
トスカーナのパルチザンはここにはじまる。
 
▽ サンタンナ・ディ・スタッツェーマ村の虐殺
 
1944年8月12日、トスカーナ地方のサンタンナ・ディ・スタッツェーマ村において、イタリア・レジスタンス運動を鎮圧するために作戦を展開していたナチス親衛隊がファシスト民間武装組織「黒い旅団」の支援を得て、村人と地元難民560人を虐殺した。そのうち130人はこどもだった。
 
ナチスとファシストは村人と難民をいくつかの納屋に閉じ込め、機関銃で射殺し、あるいは地下室など密封された空間に押し入れ、手榴弾を投げ入れて爆殺した。教会には100人ほどの信者があつまっていたが、まず神父が至近距離から拳銃で頭を撃たれ、信者たちは機関銃で射殺された。8人の妊婦がいた。そのうちのひとりは銃剣で腹を切り裂かれ、胎児が引き出され、母と子がべつべつに殺害されている。
 
すべての家畜も殺され、村には火が放たれた。3時間の惨劇だった。そのあと、ナチス親衛隊は村の外にすわりランチを食べている。
 
▽ 花のいのち
 
歴史はくりかえさない。ただ歴史は警告する。わたしたちを導く。ナチズムとファシズムに戦いを挑んだ人びとがいる。虐殺された人びとがいる。歴史はわたしたちが共有する記憶だ。この記憶のなかに、警告も教訓も希望もある。
 
空は覚えている。大地も記憶している。野の花々は犠牲者の魂を宿しながら春を咲き継ぐ。文子が描いたのは記憶をとどめた空と大地と花々だった。
 
もし忘れてしまったのなら、また思い出せばいい。きっと花々がおしえてくれる。文子がみていた世界はいつかわたしたちの眼にもみえる。
 
その日は、わたしたちがおもっているよりも、ちかい。
 

 
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<追記>
 
ああ、なんてばかなんだろう。絵の中にヒントなんかなくていいんだ。イタリア映画「ひまわり」の花畑も夥しい数の死者をあらわす。背景はナチスドイツと枢軸国によるソ連侵略戦争だ。ソ連の犠牲者は兵士500万人、民間人2500万人だった。枢軸国も100万人の戦死者を出している。

フォークソング Where Have All the Flowers Gone? の歌詞でも、花は死者をあらわしている。男たちはすべて戦場で死に、女たちはひとつのこらず花を摘んで、男たちの墓を花で埋め尽くした。

わたしたちの記憶のなかでは花と死者が結びついている。いまおもいだした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「お前は国民の敵」自衛官から罵声浴びた 民進 小西参院議員 2018.4.17 NHK / ”国民の敵” その言葉で始まった悲劇は数々 世間の反映か(毎日新聞) 

2018-04-18 22:36:21 | 平和 戦争 自衛隊

シビリアンコントロールが崩壊し、文民に対して自衛隊が牙をむいてきた!!

 

「お前は国民の敵」自衛官から罵声浴びた 民進 小西参院議員

民進党の小西洋之参議院議員は参議院外交防衛委員会で、16日夜、国会近くの路上で、防衛省の統合幕僚監部に所属する現職の自衛官から、「お前は国民の敵だ」などと罵声を浴びたことを明らかにしました。

この中で民進党の小西洋之参議院議員は、16日午後9時ごろ、東京・永田町の参議院議員会館の前の路上で、現職の自衛官と名乗る男性から「お前は国民の敵だ」などと繰り返し罵声を浴びたことを明らかにしました。

小西氏が「現職の自衛隊員であれば発言は法令に反するのではないか」と諭すなどしたところ、男性は最終的に発言を撤回したということです。

小西氏は17日朝、警察から、男性が統合幕僚監部の現職の自衛官だと知らされたということで「自衛隊員としてあってはならない行為で、法令に照らしてしかるべき対処を行うべきだ」とただしました。

これに対し小野寺防衛大臣は、すでに報告を受けたとしたうえで「仮にそういうことがあれば自衛隊員の服務の問題になるので、事実関係を確認し、適正に対応したい」と述べました。

発言は統合幕僚監部の3等空佐(30代)

防衛省によりますと、民進党の小西参議院議員に不適切な発言をしたのは東京・市ヶ谷にある統合幕僚監部の指揮通信システム部に所属する30代の3等空佐です。

職場から帰宅したあとランニングに出かけた際、16日午後9時ごろ、参議院議員会館の近くでたまたま小西議員と会って発言したということです。

自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長は17日午後、小西議員を訪ねて謝罪し、報道陣に対して「国民の代表である国会議員に対し、幹部自衛官が暴言ともとられる発言をしたことは大変不適切で、極めて遺憾だ。事実関係を調べたうえで、必要があれば処分を行う」と話しました。

小西議員「何度も言われた」

自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長は17日午後、参議院議員会館を訪れ、小西氏に陳謝しました。

これに対し小西氏は、厳正な処分やシビリアンコントロール・文民統制を徹底するための再教育などを求めました。

このあと小西氏は記者団に対し「身の毛がよだつような話だ。現職の自衛隊幹部が国会議員に対し『国民の敵だ』と何度も言い放った暴挙は民主主義において許してはならない。小野寺防衛大臣は即刻辞任すべきだ」と述べました。

防衛相「思うことはあると思うが」

小野寺防衛大臣は記者団に対し「不快な思いをさせたのであれば申し訳ない。国民の一人として当然思うことはあると思うが、それを口にするかどうかは自分が置かれた立場をおもんぱかって対応すべきだ」と述べました。

 

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小西参議院議員に「お前は国民の敵だ!」と罵声を浴びせたのは統合幕僚監部所属の空自の三佐。防大卒。昔の皇軍ならば「参謀本部勤務の天保銭組」。
軍令の中枢、エリート中のエリート。そんな人物が近代や民主主義の諸原則を踏みにじっとる。国家統治の底が抜けとる。クーデター5秒前みたいな状態だ。


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小野寺防衛大臣の「若い隊員であるので様々な思いがあり、国民の一人として当然思うことはあると思うが、」との発言は、2.26事件の勃発直後にクーデターを賞賛した川島陸軍大臣の声明
「諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム」と同じと思えてならない。(ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム」と同じと思えてならない。

「諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム」 陸軍青年将校らによる2.26事件を賛美した川島陸軍大臣の声明(告示)の原本。幹部自衛官の暴言を擁護する小野寺大臣に対し、政治家と社会が本気で声を上げないと、将来間違いなく自衛隊によるクーデターが起きるだろう。

 

 【関連記事】田中龍作ジャーナル2018.4.18
次はクーデター 幹部自衛官が国会議員に「お前は国民の敵だ」
 小西議員は度肝を抜かれた。暴言の主は、30代の3等空佐だったのである。バリバリのエリート将校だ。しかも所属は統合幕僚監部ときている。
統合幕僚監部は陸・海・空の3自衛隊を束ね指揮する中枢組織だ。今回の日報隠しでは中心的な役割を担っていた。渦中の組織に所属する幹部自衛官が国会議員を「お前は国民の敵だ」と言ってのけたのである。

 

 

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国民の敵

その言葉で始まった悲劇は数々 世間の反映か

 

 民進党の小西洋之参院議員が16日夜、国会近くの路上で防衛省統合幕僚監部の3等空佐から「お前は国民の敵だ」と繰り返し罵倒された問題は、過去の暗い歴史を思い起こさせた。シビリアンコントロール(文民統制)の下にある現職自衛官が語った言葉の意味や影響を考えた。【和田浩幸、中川聡子】

5・15事件でも「国民の敵」スローガンに

 「日本国民よ! 国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ! 祖国日本を守れ」

 1932(昭和7)年に海軍青年将校らが首相官邸を襲撃し、当時の犬養毅首相を暗殺した5・15事件。青年将校らは檄(げき)文にこう記していた。「憲政の神様」と呼ばれた犬養首相は「話せば分かる」と説得したが、将校らは問答無用で殺害。犬養内閣は戦前最後の政党内閣となり、以後、日本は軍部独裁の戦争の道を歩んだ。

 戦前ならば将校に当たる3佐が、国会議員を「国民の敵」と断じた問題をどうみるか。井上寿一学習院大学長(日本政治外交史)は「威嚇する言葉としては戦前ほどのインパクトはないが、許されない言動だ。『国民』を都合良く権威付けて自身の考えを正当化することで、根拠もなく『自分こそが国民で、お前は国民ではない』と言いたかったのではないか」と分析する。

小西氏は国会で日報問題を追及

 3佐が勤務する統幕は昨年2月、自衛隊のイラク派遣に関する資料提出要求を受けたが、3時間程度の調査で「見つけられなかった」との国会答弁案を作成。当時の稲田朋美防衛相も「残っていないことを確認した」と国会で断言した。その後の調査で陸自などに残っていたことが判明し、今月16日に約1万5000ページを公表。文民統制のほころびに批判が起きている。

 小西氏は国会でたびたび稲田氏や小野寺五典防衛相の管理責任を追及。2015年9月に成立した安全保障関連法の審議でも「狂信的な官僚集団」と発言して紛糾するなど、激しい追及ぶりで知られていた。井上さんは「リアルな現場を知る自衛官として、国会論戦は空理空論に思えたのかもしれない。根底には与野党を問わず政治家そのものへの不満があったのではないか」と推測する。

統幕は文民統制を支える組織

 自衛隊は国内最大の組織であり、武器を持つ実力集団だ。文民統制は政治が実力集団を統制することで暴走を防ぐ仕組みで、自衛隊法は自衛隊員に対し、選挙権の行使を除く「政治的行為をしてはならない」と規定。さらに政令では特定の政党や内閣を「支持し、またはこれに反対すること」を目的とする行為を禁じている。また、統幕は部隊の運用について、陸海空の3自衛隊と連絡を取りつつ防衛相を一元的に補佐する機関で、文民統制を中核的に支える組織と言える。

 軍事評論家の前田哲男さんは今回の問題について、安保法制が一因になったとみる。「第2次安倍政権以降に自衛隊の権限が拡大し、現場に高揚感が広がる一方で、日報問題で批判されることに焦りもある。引き裂かれた感情が、防衛省に批判的な小西議員に向かったのではないか」と指摘。「実力組織の指揮官候補として不適格な振る舞いだ。北朝鮮の核・ミサイル問題で国民の不安が広がっているが、こうした暴言に同調せず、言論への暴力だという問題意識を持つことが大切だ」と語った。

各国で「国民の敵」名指しの悲劇

 「国民の敵」という言葉で始まった悲劇は国内にとどまらない。旧ソ連の独裁者スターリンは反対派を「人民の敵」と名指しして粛清。同じ言葉が中国の「文化大革命」でも使われ、毛沢東の政敵や知識人らの迫害につながった。

 最近では、米国のトランプ大統領が批判的なメディアをけん制する際にも使用した。井上さんは「考えが異なる人を分断して攻撃し、支持を得る手法が世界的に広がっている。立場を忘れてまで相手を非難した3佐の発言は、そうした潮流が一般国民にも浸透し、感覚がまひしている表れかもしれない」と語る。

 「職業上の立場から抑制が働くべき自衛官が、抑制が利かない状態になったことが問題だ。国民全体の奉仕者としてどう教育してきたかが問われている」。旧防衛庁出身で内閣官房副長官補を歴任した柳沢協二さんはこう語る。「今回は一種のヘイトスピーチで、他者を排斥する心情の表れだ。自衛隊は世の中の縮図であり、世間に充満した雰囲気が表れたのではないか。分断と排斥が現代の戦争の要因になっていることを肝に銘じるべきだ」と警鐘を鳴らした。

 

 【関連】

 

 

 

 

 

 

 


【シリア、サリン使用の確証なし!】 ”化学兵器による攻撃ではなかった” 英インデペンデント紙 / OPCW、シリア高官と相談 調査開始 2018.4.16 スプートニク日本

2018-04-17 11:30:59 | 平和 戦争 自衛隊

 

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戦争とプロパガンダ
Anno Kazuki 2018.4.17
 
化学兵器による攻撃はなかった。
 

英インデペンデント紙のロバート・フィスクによると、4月7日、ダマスカス近郊の街ドゥーマでは、シリア政府軍の砲撃と爆撃によって、粉塵が巻き上がり、それが住人たちが避難していた地下室に流れこんだ。...


https://www.independent.co.uk/…/syria-chemical-attack-gas-d…

 
粉塵を吸った人びとは呼吸困難になり、地下クリニックへとむかった。すると、そこにいたホワイトヘルメットのひとりが、「毒ガスだ!」と叫んだ。人びとはパニックに陥り、化学物質を流し落とそうとして、水を体にかけあった。
 
フィスクを迎えた医師はにこやかに、あの映像はここで撮影された本物だと言った。しかし、人びとの症状は粉塵吸引による低酸素症であり、毒ガスが原因ではないと明言した。
 
米英仏の三大国は毒ガス攻撃を口実として、シリアを爆撃している。化学兵器の使用は国際法で禁じられており、国際社会の規範を乱す。そのために三大国は、国際社会の規範を破り、国際法に違反して、違法な攻撃を行った。
 
この果てしない欺瞞。
 
しかし、主流メディアと知識人は批判しない。かれらも欺瞞に加担している。いや、自分たちが事実を隠蔽していることにさえ気づいていないかもしれない。
 
たとえ、シリア政府軍が実際に化学兵器を使用していたとしても、三大国による攻撃は正当化できない。攻撃は違法行為であり、国際刑事裁判所が認める四つの犯罪のうち、侵略犯罪に該当する。
 
戦争において最初の犠牲者は真実だといわれている。プロパガンは有効な武器となり、敵を攻撃し、自らの違法行為を正当化する。
 
日本では、過激右派政権と軍事産業が戦争を乞い願っている。他国との衝突がちかくなれば、プロパガンダと嵐となるだろう。情報操作はすでにはじまっている。

 

 

OPCW調査団、シリア高官と会談 化学兵器疑惑で調査開始

 スプートニク日本  https://jp.sputniknews.com/politics/201804164786058/
2018年04月16日 10:30(アップデート 2018年04月17日 03:36)

シリア軍は東グータ地区ドゥーマ市での化学兵器使用疑惑を調べる化学兵器禁止機関(OPCW)の現地調査団は15日、首都ダマスカスでメクダド副外相と会談した。時事通信がAFP通信の報道を引用して報じた。

 

調査の進め方やシリア側の対応などを協議したとみられる。

OPCW調査団のシリア入りは当初の予定より遅れ、14日夕にずれ込んだという。化学兵器の使用現場とされる東グータのドゥーマを近日中に訪れ、調査を進める。結果判明は数週間後とみられる。

トランプ大統領はシリアに対して英仏との合同作戦の開始を宣言このシリア攻撃は4月7日、東グータ地区ドゥーマ市で行われたとされている化学兵器による攻撃が口実となっている。

 

トランプ大統領は軍事作戦はこれから英仏と合同で行われ、その目的は「大量破壊兵器を使用した新たな攻撃を許さないため」だと語った。

トランプ大統領は、米軍はシリアにおいて「長々と終わりなき」プレゼンスを行うつもりはないものの、シリア政府が化学兵器使用をやめない場合、米国の軍事報復は「継続したもの」となることを明らかにしている。

4月6日、シリア軍は東グータ地区ドゥーマ市から武装戦闘員を一掃する作戦を開始。ドゥーマは東グータ-の居住地区でアサド大統の政府軍に掌握されていない最後の場所だった。その後、ロイター通信は反政府勢力からの情報として、ドゥーマ市に塩素爆弾が投下されたと報道。また神経麻痺ガスが使用されたという情報も現れた。シリア政府は自国に向けられた非難を否定している。ロシアは米国に対し、シリアに攻撃した場合、深刻な結果を招くと警告を発していた。

 

 

 【追記】2018.4.18

ヤフーニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180418-35117947-cnn-int

米軍のシリア攻撃、「政権軍がサリン使用」の確証はなし

4/18(水) 11:53配信

CNN.co.jp

(CNN) 米軍などが13日に行ったシリア攻撃について、シリア政権が市民に対して神経剤のサリンを使用したという確証がないまま、米英仏がシリア攻撃に踏み切っていたことが、複数の関係者への取材で明らかになった。それでもトランプ政権は、攻撃を正当化できるだけの十分な証拠があったと強調している。
・・・・
結局、シリア政権がサリンを使ったかどうか完全には確認できないまま、米軍などはシリア攻撃に踏み切った。

 

 

 

 


「大臣。われわれがあと何人死んだら、日本政府は帰国させるのでしょうか」〜25年前、「市街戦そのものの戦場」に派遣された日本のPKO隊員の死。の巻(雨宮処凛)2018.4.11

2018-04-16 23:14:58 | 平和 戦争 自衛隊

第443回:「大臣。われわれがあと何人死んだら、日本政府は帰国させるのでしょうか」〜25年前、「市街戦そのものの戦場」に派遣された日本のPKO隊員の死。の巻(雨宮処凛)

 
 

 「存在しない」はずだった陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が発見された。 続けて、航空自衛隊の日報も発見された。

 そんな中、国会では森友学園の問題についての追及が続いている。

 森友学園の文書書き換え問題について、南スーダンの日報隠蔽問題との類似点を指摘する声が少なくない。南スーダンに派遣されていた部隊の日報について、防衛省は廃棄されたと言っていたのに、実は廃棄されていなかったという問題である。その日報には、「戦闘」という言葉が何度も使われていた。が、国会では繰り返し「戦闘ではなく衝突」などと答弁されていた。自衛隊派遣の継続のためには決してあってはならなかった「戦闘」という言葉。よって日報は廃棄されていなればならなかった。国会答弁のために、事実の方が歪められる。なんとも森友問題と酷似した構図である。

 さて、この文書書き換え騒動の中にもかかわらず、安倍首相は3月25日の自民党大会で「いよいよ憲法改正に取り組むときがきた」と気勢を上げている。

 そんな折、改憲や自衛隊の海外派遣などについて、あまりにも深く考えさせられる一冊と出会った。それは告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』(講談社)である。著者はNHKディレクターの旗手啓介氏。2016年8月に放送されたNHKスペシャル「ある文民警察官の死〜カンボジアPKO 23年目の告白」をご存知だろうか。この番組はギャラクシー賞テレビ部門大賞など数々の賞を受賞している。私も放送当時観て大きな衝撃を受けたのだが、その取材をもとにして書かれた本書を読み、ただただ言葉を失った。

 本書で取り上げられるのは、日本が初めて本格的に参加したPKOの地・カンボジアで93年、一人の隊員が殺された事件である。亡くなったのは、岡山県警警部補の33歳の高田晴行氏。当時のカンボジアは、ポル・ポト派、シアヌーク派、ソン・サン派、プノンペン政府などが入り乱れ、20年以上にわたって続いた内戦がようやく終結した頃。そんなカンボジアに自衛隊が派遣されるということで世論は揺れに揺れたが、自衛隊派遣の影で、文民警察官も75人、派遣されたのだ。殺された高田氏は文民警察官の一人。ちなみに文民警察官に求められた役割は、現地警察の指導や監視。当然、武器は非携行。

 そうして92年、75人の文民警察官はカンボジアに派遣されるのだが、「選ばれた警部補以下の隊員たちのほとんどは海外勤務をしたことがなく、当然ながらPKOについて特別な訓練を積んだこともない、ふつうの”お巡りさん”だった」というから驚く。これに対して、他国の文民警察官は、軍警察や軍事訓練を受けた警察官で構成され、防弾ヘルメットや背面まで覆う防弾チョッキを装備していた。が、日本の装備や研修はあまりにもお粗末。「紛争地域に行くのではない」という建前があるため、十分な装備を要求することもできないままに始まったPKO派遣は、最初から波乱に満ちていた。

 まず、文民警察官はいくつかの地域に分かれて配属されたのだが、亡くなった高田警部補が配属されたのは「無法地帯」と言われ、毎日のように殺人事件が起きていたアンピル。自衛隊が派遣されたタケオは「カンボジアでも安全な地域のひとつ」だったのに対して、アンピルは「カンボジアの中で最も困難な地域のひとつ」だった。何しろ、当時のカンボジアでは普通の農民でさえ自動小銃やロケット砲を平然と持っている。現地を視察した隊員は、「せめて機動隊の爆発物処理班が使用するような耐爆用ヘルメットを持っていきたい」と感じていたものの、「文民として『安全な場所』に派遣されるという建て前がある手前、過度な装備品を要求できる空気ではなかった」と語る。そして、以下のように続けるのだ。

 「PKO協力法の根底にあるのが、紛争地域に行くのではない、和平条項が締結されて安全なところに行くんだと。(中略)文民警察はあくまで文民なんだ、平和なところへ行くんだ、だから(過度な装備は)必要ないじゃないかと。誰かがそう言ったわけではないけれど、そういう根底からの雰囲気ですよね。たぶん上層部にかけあっても、『なんだ、安全なところに行くんじゃないのか』という話になる。紛争地を想定することはPKO協力法を根底から覆すことになりますから」

 派遣中、彼らは現場の実態と、「紛争地ではない」という建て前に翻弄されることになる。その後、彼らの状況は「市街戦そのものの戦場」「頭が狂い出しそう」「戦闘が起こると防空壕に身をひそめるしかなかった」という過酷なものになっていくのだが、辿り着いたアンピルは、生活環境も劣悪だった。

 ヘリコプターでジャングルを超えて降り立った集落は、雨季のため道路が寸断され、陸の孤島状態。そのため、水や食料の確保は困難をきわめ、先に来ていた他国の文民警察官は沼の水を煮沸して飲むという「原始時代のような生活」を強いられていたのだ。しかも乾季になるまでは通信基地に行くことができないため、本部との連絡は一切とれない。もちろん電気もなく、あるのは長い内戦で埋められた無数の地雷ばかり。マラリア蚊や、夜でも35度を下らない暑さにも苦しめられる。

 隊員の一人は、手記に以下のような言葉を残している。

 「このような実態をUNTAC本部はまったく知らない。もちろん明石代表も知る由がない。(中略)強固な砦の中で、革張りの椅子に座り、偉そうにアドバイスしている文民警察本部の高官に呆れてしまう」

 隊員たちは地雷原のすぐ近くに宿舎を確保するが、アンピルはポル・ポト派など反政府三派が混在する地。その上、総理府が手配して日本から持参した発電機は、日本国内で使う100Vのもの。220Vのカンボジアではなんの役にも立たない。しかも、発電機は100Vなのに変圧器は220Vから100Vに変換するものなのでやはり使えない。一事が万事、この調子なのだ。

 しかし、日本政府は彼らが派遣された場所がどれほど危険か、知りもしないし知ろうともしない。そのうちに治安は劇的に悪化していき、「市街戦そのものの状況」になっていくのだが、恐ろしいのは、日本政府は自衛隊にばかり気をとられて、文民警察官の派遣そのものを忘れているように思えることだ。当時、実質の責任者だった河野洋平氏は、取材に答えて以下のように語っている。

 「正直いいますといちばん気がかりで気にしていたのは自衛隊なんですね。直接日本の自衛隊という組織が何かトラブルに巻き込まれ、小競り合いを起こすようなことがあると、これはもう非常に問題だということがいつも頭にあったものですから、自衛隊のことはしょっちゅう見てたわけです。その反面、文民警察はですね、本当に申し訳ないことだけど、個人的に(カンボジア各地に隊員が)散っているものですから、毎日、非常に注意深く全部見るということまで手が回っていたかどうかですね」

 まるで他人事のような言いようである。もし、自分の家族など大切な人が派遣されていても同じことが言えるのだろうか。しかし、「偉い責任者」の本音はこんなものだろう。

 そうして政府もマスコミも世間の関心も低い中、状況は悪化していく。カンボジアに派遣された一部の隊員たちは自らの身を守るため、自動小銃を調達し始める。また、隊員の中からは、ナパーム弾で攻撃されるような日々の中、精神状態が限界に達し、鬱のような状態になる者も出始めた。彼は緊張に耐えられず、職場放棄したことを告白している。貧しい家族のために文民警察官の任務につくことを希望したバングラデシュ人に、1日100ドルで自分の身代わりとして勤務してもらったのだ。バングラデシュ人の自国での給料は月15ドル。1日100ドルは破格である。が、そのバングラデシュ人は、彼の身代わりとしてついた任務で銃撃され、足に重傷を負ってしまう。

 イラクやインド洋など海外に派遣された自衛隊員のうち、54人もが帰国後に自殺しているという話はよく知られている。また、今年3月、南スーダンに派遣された自衛官のうち、2人が帰国後に自殺したことが明らかになった。南スーダンに派遣された自衛隊員の中には、家族にLINEで「死体がゴロゴロ」などと伝えていた者もいることが報じられている。本書でカンボジアの状況を細かく知れば知るほど、「戦場」で、人の精神がどのようにして蝕まれていくかが恐ろしいほどのリアリティをもって迫ってくる。

 さて、高田警部補が殺される1ヶ月前には日本人の国連ボランティアがポル・ポト派とみられるグループに拘束されたのち、殺害されている。それから数日後、アンピルで日本人の文民警察官が襲撃されている。そうしてポル・ポト派のラジオでは、日本人の殺害予告が流れる。内戦の中、一時はタイに難民として逃れていたものの、カンボジアに戻っていた人々が、再びタイに脱出を始めていた。そうして93年5月、高田警部補は殺害される。

 6台の車で移動中、車列がポル・ポト派らしき兵士にRPG対戦車グレネード砲で襲われたのだ。1台目は逃げたものの、2台目、3台目の日本文民警察隊の車は銃弾の雨を浴びる。車内で伏せるものの、弾丸が顔の肌をかすめ、何発かが髪を通過して髪の毛がバラバラと落ちる。頭から大量の血を流している者もいる。「また当たりました」「今度は、腹に来ました」「俺も当たったよ。悔しいが生きて帰れないぞ。覚悟してくれ」といった会話が車内で交わされる。頭部のほか、腹部に7発、背中を5発撃たれた者がいば、背中に5センチほどの穴が開き、内臓が見えるほどの重傷を負った者もいた。しかし、命は助かった。が、高田警部補はこの銃撃で命を落とした。銃弾に首の付け根から肺を貫通され、胸から足まで無数の弾丸に貫かれながらも2時間以上生き続けたが、絶命した。

 これが、カンボジアPKOの文民警察官の実態である。しかし、それでも日本政府は「停戦合意は崩れておらず、撤退はしない」と決断。大臣がカンボジアを訪れた際には、隊員たちは切実な思いをぶつけている。

 「日本の警察官は戦場のようなところで仕事をするための訓練は受けていない」
 「大臣。われわれがあと何人死んだら、日本政府は帰国させるのでしょうか」

 恐ろしいのは、この事件が20年以上にわたって忘れ去られていたことである。取材のきっかけは、事件の23年後に元隊長から記録の提供を受けたことだという。

 また、日本政府は、この文民警察官の派遣に対して、まともな検証など行っていない。スウェーデンでもオランダでも、カンボジアPKOに関する検証がなされているにもかかわらず、だ。

 さて、ここまで読んで、あなたは「建て前」と現場の落差について、どう思っただろうか。

 だからこそ、自衛隊が海外で駆け付け警護なんて言語道断、という意見もあれば、だからこそ改憲や法整備が必要、というような声もあるだろう。ここにひとつの証言がある。現地で当時、治安担当少将をしていた男性は、高田警部補が撃たれた理由を、彼と一緒にいたオランダ海兵隊が銃を持っており、応戦したためと見ているのだ。

 「ポル・ポト派は殺すために襲撃をしたのではなく、UNTACの人たちを車から降ろし、車を奪い、人質にしようとしたものと考えられます。しかし、オランダ海兵隊のボーイ氏が銃を持っており、応戦したため、ポル・ポト派も本格的に応戦したと思います。その結果、日本人の高田さんが撃たれたと私は考えています」

 高田警部補が殺された日、当時の宮澤首相は軽井沢でゴルフをやっていた。事件が伝えられると、「しかたないな」と発言して問題になったという。

 本書には、派遣された隊員たちの「怒りの声」が多く収録されている。現実を知らない日本政府や国連関係者など、多くの権力を持った者たちにそれは向けられている。「命令する側にいる偉い人」たちは、決して過酷な現場へなど行かない。安全な場所から、無理難題を押し付けるだけだ。しかも発電機の一件が象徴するように、最低限の情報すらも持たないまま。そんな中、一人の命が奪われた。その責任を、誰一人としてとってはいない。

 イラク派遣の際の日報が存在したことを受けて、久々にテレビで当時の小泉首相の答弁を見た。

 「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域です」
 「どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域か 今 この私に聞かれたってわかるわけないじゃないですか」

 この程度の認識の人が、イラク派遣の責任者だった。カンボジアPKOで一人の命が奪われたことなど、何ひとつ教訓にすらしていない。

 この事件には、今だからこそ考えなければならないテーマが詰まっている。


4月6日、官邸前で開催された「森友学園公文書改ざん問題の真相究明を求める緊急行動」にて
 
 
 
 
 
 
 

「戦時中・人体実験」731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示 2018.4.15 京都新聞

2018-04-16 17:33:00 | 平和 戦争 自衛隊

731部隊の実名開示 国立公文書館

 国立公文書館が開示した関東軍防疫給水部(通称731部隊)の隊員らの実名が記載された留守名簿(西山勝夫・滋賀医科大名誉教授提供)
                                                                         by産経WEST2018.4.15 

 

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 731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示

京都新聞 http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180414000132

2018年04月14日 22時25分

 ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。

 軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。

 今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。

 また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。

 14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。

 

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