異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

萩生田・官房副長官を証人喚問!せよ!安倍官邸と加計学園の闇 〔サンデー毎日 2017年7月9日号〕

2017-06-28 18:33:50 | 加計疑惑

サンデー毎日7月9日号は6月27日発売

 

http://mainichibooks.com/sundaymainichi/society/2017/07/09/post-1616.html

萩生田・官房副長官を証人喚問!せよ

 官邸で「学園紛争」――萩生田氏の「役目」と「役回り」

2017年7月 9日号

安倍官邸と加計学園の闇
萩生田・官房副長官を証人喚問!せよ 官邸で「学園紛争」――萩生田氏の「役目」と「役回り」

「指摘があれば、その都度真摯に説明責任を果たす」。記者会見で、安倍晋三首相は加計学園問題について国民にこう約束した。直後に「腹心の部下」の萩生田光一官房副長官に関する新たな文書が飛び出したが、果たして約束は?

 安倍首相は6月19日夕、恒例の通常国会閉会(18日)後の記者会見に臨み、加計(かけ)学園(岡山市北区)の獣医学部新設問題について、調査に時間がかかったことをわびた。世論調査で、内閣支持率が急落したことが背景にあるのは言うまでもない。森友学園(大阪市淀川区)の問題と併せ、自身にまつわる疑惑の追及に時間が割かれた国会について、またも野党を引き合いにこう釈明した。
「国民に大変申し訳なく感じている。印象操作のような議論に対して、つい強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として、政策論争以外の話を盛り上げてしまった」
 まるで反省の色が見えないのだが、その数時間後、追い打ちをかけるように新たな「爆弾」が炸裂(さくれつ)した。NHKの報道番組「クローズアップ現代+」が、文部科学省作成の新たな文書の存在をスクープしたのだ。「10/21萩生田副長官ご発言概要」と題された文書の中身は次の通りだ。
〈和泉補佐官からは、農水省は了解しているのに、文科省だけが怖(お)じ気(け)づいている、何が問題なのか整理してよく話を聞いてほしい、と言われた。官邸は絶対やると言っている〉〈総理は「平成30年4月開学」とおしりを切っていた〉
 生々しい指示や説明が並んでおり、想像で書けるような内容ではない。文面からは、閣議決定された獣医学部新設4条件を重視し、慎重姿勢を崩さない文科省に対し、萩生田氏がせかしているように読み取れる。「和泉補佐官」とは、和泉洋人首相補佐官である。
 文科省は翌日、文書が省内の共有フォルダーに存在することを認めたが、全面的に萩生田氏をかばった。
「個人のメモ。萩生田氏の発言でないものも含まれている」(松野博一文科相)
 文科省によると、常盤豊・同省高等教育局長が昨年10月21日、萩生田氏と面会した後、専門教育課課長補佐の女性が内容を聞き取ってメモを作成。「誤って共有フォルダーに保存」し「複数の職員にメールで送信」もしたが、あくまで「個人メモ」と主張している。2人とも優秀と評判の官僚なのだが、詳細について記憶

 

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「萩生田官房副長官を証人喚問せよ!」  各種内部文書が明らかになっていますが、萩生田氏の立ち位置がいまいちわからなかったのです。それが先日、前川喜平氏が記者会見で解説したことによって、文書との平仄が合うなあと。そこに絞って書いています。  7月9日号 27日発売

 

 

 

 


安倍首相の改憲私案に小沢一郎氏「巧妙にできているが反対」 〔ニューポストセブン 2017.6.27〕

2017-06-28 12:17:07 | 憲法

 

NEWSポストセブンhttp://www.news-postseven.com/archives/20170627_566704.html

安倍首相の改憲私案に小沢一郎氏「巧妙にできているが反対」

2017.06.27 16:00

 

 従来の自民党の憲法改正草案と全く違う独自の私案(※注)を読売新聞で発表した安倍晋三・首相は、国会を閉じると早速、自民党内に改憲手続きを進めるよう号令をかけた。

【※注/5月3日付の読売新聞に掲載されたインタビューで、安倍首相は「憲法改正2020年施行目標」を掲げ、現行憲法9条の1項、2項を残しつつ「自衛隊の存在を記述する」とした。2012年の野党時代に作成された自民党憲法草案には「国防軍を保持」などと明記されており、大幅に異なる内容となっている】

 憲法改正論議がいよいよ本格化するが、国民の間に奇妙な現象が起きている。

 安倍首相こそが“正統な改憲論者”とされ、その方針に反対する政治家は改憲論者でも「改正反対派」「護憲派」のレッテルを貼られる。野党第一党の民進党が「安倍首相の手による憲法改正には反対」という非論理的姿勢で議論を拒否していることもその風潮に拍車をかけている。


 20年前から改憲試案を世に問うてきた小沢一郎氏は、この改憲論議をどうとらえているのか。政治ジャーナリストの武冨薫氏がインタビューした。

──安倍首相の改憲私案をどう読んだか。

小沢:特に9条についてはものすごく巧妙にできている。9条の1項と2項を残し、自衛隊の存在を追記するという内容は、国民にいかにも平和主義というイメージを与えつつ、『自衛隊は災害活動を一所懸命にやっている。憲法に明文化するだけならいいんじゃないか』という雰囲気にさせる。

──あなたも反対できない?

小沢:いや、反対する。9条は「国権の発動」たる戦争と武力の行使の放棄を定めている。すなわち自衛権を海外で行使しないと書かれている。安倍政権は昨年の安保法制で海外派兵を可能にして、事実上、9条を骨抜きにした。いまさら平和主義を守るというなら、まず安保法を廃棄せよ、と。それが筋です。

──小沢改憲試案(1999年)の9条改正案と今回の安倍私案は似ているという指摘がある。

小沢:僕があの中で書いたのは、日本が国際社会の平和活動に積極的に参加すると明記してはどうかという提案で、米国との集団的自衛権を行使して自衛隊を海外派兵する安倍さんの考え方とはまるで違う。

 もし、9条に加えるとすれば、日本国は「急迫不正の侵害」に対して反撃する権利を有するし、そのための戦力保有を妨げるものではないという規定をおけばいい。

──教育無償化も盛り込むと言っている。

小沢:教育の権利と義務については現憲法にすでに明記されている。無償化などは法律で決めればいいこと。憲法のテーマではない。改憲の議論をするなら国会の二院制のあり方とか、他に議論すべきことがある。

──安倍私案は自民党の草案ともまるで違う。

小沢:自民党はよく何も言わないね。『総理、わが党にはすでに草案があります。それを変えたいなら、党の憲法調査会にあなたの案を出して説明しなさい』とぴしゃっと言うべきである。

──それどころか「読売を読め」といわれて一所懸命読んでいる。

小沢:政治家の劣化だろう。政治家の劣化は同時に国民の劣化を意味する。すなわち、最終的には主権者たる国民がしっかりしなければならない。

※週刊ポスト2017年7月7日号

 

 

 


アベ友の準強姦罪を葬った中村氏が共謀罪所管〔溝口敦 日刊ゲンダイ〕~安倍周辺の許しがたい縁故主義

2017-06-28 00:36:17 | 共謀罪 治安維持法

溝口敦の斬り込み時評(日刊ゲンダイ)

https://twitter.com/Trapelus/status/879230371577028608

アベ友の準強姦を葬った組織犯罪対策部長が共謀罪所管 縁故ゆえに物事の正しさを踏みにじり、法まで打ち捨てる中村格氏が暴対法ばかりか共謀罪も所掌する。
やがては一般国民にまでその爪牙を伸ばすことは間違いなかろう 溝口敦の斬り込み時評(日刊ゲンダイ)

 

【関連記事】

安倍政権御用記者、山口敬之氏の「準強姦疑惑事件」の全内幕をニューズ・オプエドで上杉隆氏が暴露! 〔激動の時代を読む!~ Change The World ~〕
(2017-06-10 19:13:37

 

 

 

 


【東京都議選】こりゃースゴイ!初・他党が共産党を応援~自民・公明政治もういらないで一致 /公明党は?

2017-06-27 18:27:27 | 都議選

こりゃースゴイ!
自由党の小沢一郎代表、青木愛議員はじめ、民進党支部長、緑の党市議、無党派市議のみなさんが「共産党伸ばそう!」と赤旗に登場。
こんなこと都議選史上初ッス。
みんな「自民・公明政治もういらない」で一致してる。
共産党伸ばして、野党共闘をさらに前へ!東京から流れ変えよう!

 
 
 
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自民と袂を分かった公明は!!!
 
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【必読】内田樹の研究室「対米従属を通じて「戦争ができる国」へ。」・・・主権国家となれず、脱しきれない対米従属の歴史

2017-06-26 10:41:09 | 外交、国際

 <お断り>この記事は、2015年06月22日 のものですが、手短に日本の現実を知るには最適の記事と思います。必読です。

内田樹の研究室http://blog.tatsuru.com/2015/06/22_1436.phpより転載

対米従属を通じて「戦争ができる国」へ。

ある月刊誌のインタビューで安倍政権の進める安保法制についての所見を求められた。
「戦争ができる国」になることが安倍首相にとって「主権国家」と等値されているというところに現政権の倒錯があるということを縷々述べた。
いつもの話ではあるけれど、あまり目に触れる機会のない媒体なので、ここに再録。

── 「安倍政権は対米従属を深めている」という批判があります。

内田 先日、ある新聞社から安倍政権と日米同盟と村山談話のそれぞれについて、100点満点で点をつけてくれという依頼がありました。私は「日米同盟に関する評点はつけられない」と回答しました。
日米同盟は日本の政治にとって所与の自然環境にようなものです。私たちはその「枠内」で思考することをつねに強いられている。
「井の中の蛙」に向かって「お前の住んでいる井戸の適否について評点をつけろ」と言われても無理です。「大海」がどんなものだか誰も知らないんですから。
そもそも日米が「同盟関係」にあるというのは不正確な言い方です。誰が何を言おうが、日本はアメリカの従属国です。日米関係は双務的な関係ではなく、宗主国と従属国の関係です。
現に、日本政府は、外交についても国防についても、エネルギーや食糧や医療についてさえ重要政策を自己決定する権限を持たされていない。年次改革要望書や日米合同委員会やアーミテージ・ナイ・レポートなどを通じてアメリカが要求してくる政策を日本の統治者たちはひたすら忠実に実行してきた。
その速度と効率が日本国内におけるキャリア形成と同期している。
つまり、アメリカの要求をできる限り迅速かつ忠実に物質化できる政治家、官僚、学者、企業人、ジャーナリストたちだけが国内の位階制の上位に就ける、そういう構造が70年かけて出来上がってしまった。アメリカの国益を最優先的に配慮できる人間しか日本の統治システムの管理運営にかかわれない。そこまでわが国の統治構造は硬直化してしまった。
アメリカの許諾を得なければ日本は重要政策を決定できない。しかし、日本の指導層はアメリカから命じられて実施している政策を、あたかも自分の発意で、自己決定しているかのように見せかけようとする。アメリカの国益増大のために命じられた政策をあたかも日本の国益のために自ら採択したものであるかのように取り繕っている。そのせいで、彼らの言うことは支離滅裂になる。
国として一種の人格解離を病んでいるのが今の日本です。

── いま、日本のナショナリズムは近隣諸国との対立を煽る方向にだけ向かい、対米批判には向かいません。

内田 世界のどこの国でも、国内に駐留している外国軍基地に対する反基地闘争の先頭に立っているのはナショナリストです。ナショナリストが反基地闘争をしないで、基地奪還闘争を妨害しているのは日本だけです。ですから、そういう人々を「ナショナリスト」と呼ぶのは言葉の誤用です。彼らは対米従属システムの補完勢力に過ぎません。

── どうすれば、対米従属構造から脱却できるのでしょうか。
内田 まず私たちは、「日本は主権国家でなく、政策決定のフリーハンドを持っていない従属国だ」という現実をストレートに認識するところから始めなければなりません。
国家主権を回復するためには「今は主権がない」という事実を認めるところから始めるしかない。病気を治すには、しっかりと病識を持つ必要があるのと同じです。「日本は主権国家であり、すべての政策を自己決定している」という妄想からまず覚める必要がある。
戦後70年、日本の国家戦略は「対米従属を通じての対米自立」というものでした。これは敗戦国、被占領国としては必至の選択でした。ことの良否をあげつらっても始まらない。それしか生きる道がなかったのです。
でも、対米従属はあくまで一時的な迂回であって、最終目標は対米自立であるということは統治にかかわる全員が了解していた。「面従腹背」を演じていたのです。
けれども、70年にわたって「一時的迂回としての対米従属」を続けてるうちに、「対米従属技術に長けた人間たち」だけがエリート層を形成するようになってしまった。
彼らにとっては「対米自立」という長期的な国家目標はすでにどうでもよいものになっている。それよりも、「対米従属」技術を洗練させることで、国内的なヒエラルヒーの上位を占めて、権力や威信や資産を増大させることの方が優先的に配慮されるようになった。
「対米従属を通じて自己利益を増大させようとする」人たちが現代日本の統治システムを制御している。
安倍首相が採択をめざす安保法制が「アメリカの戦争に日本が全面的にコミットすることを通じて対米自立を果すための戦術的迂回である」というのなら、その理路はわからないではありません。アメリカ兵士の代わりに自衛隊員の命を差し出す。その代わりにアメリカは日本に対する支配を緩和しろ、日本の政策決定権を認めろ、基地を返還して国土を返せというのなら、良否は別として話の筋目は通っている。
でも、安倍首相はそんなことを要求する気はまったくありません。
彼の最終ゴールは「戦争ができる国になる」というところです。それが最終目標です。「国家主権の回復」という戦後日本の悲願は彼においては「戦争ができる国になること」にまで矮小化されてしまっている。「戦争ができる国=主権国家」という等式しか彼らの脳内にはない。
アメリカの軍事行動に無批判に追随してゆくという誓約さえすればアメリカは日本が「戦争ができる国」になることを認めてくれる。
それが政府の言う「安全保障環境の変化」という言葉の実質的な意味です。そこまでアメリカは国力が低下しているということです。もう「世界の警察官」を続けてゆくだけの体力もモチベーションもない。けれども、産軍複合体という巨大なマシンがアメリカ経済のエンジンの不可欠の一部である以上、戦争は止められない。でも、アメリカの青年たちをグローバル企業の収益を高めるために戦場に送り出すことには国民の厭戦気分が臨界点を超えつつある今はもう無理である。だから、アメリカは「戦争はしたけど、兵士は出したくない」という「食べたいけど、痩せたい」的ジレンマのうちに引き裂かれている。
そこに出て来たのが安倍政権です。アメリカがこれまで受け持っていた軍事関係の「汚れ仕事」をうちが引き受けよう、と自分から手を挙げてきた。アメリカの「下請け仕事」を引き受けるから、それと引き替えに「戦争ができる国」になることを許可して欲しい。
安倍政権はアメリカにそういう取り引きを持ちかけたのです。
もちろん、アメリカは日本に軍事的フリーハンドを与える気はありません。アメリカの許諾の下での武力行使しか認めない。それはアメリカにとっては当然のことです。
日本がこれまでの対米従属に加えて、軍事的にも対米追随する「完全な従属国」になった場合に限り、日本が「戦争ができる国」になることを許す。そういう条件です。
しかし、安倍首相の脳内では「戦争ができる国こそが主権国家だ」「戦争ができる国になれば国家主権は回復されたと同じである」という奇怪な命題が成立している。自民党の政治家たちの相当数も同じ妄想を脳内で育んでいる。
そして、彼らは「戦争ができる国」になることをアメリカに許可してもらうために「これまで以上に徹底的な対米従属」を誓約したのです。
かつての日本の国家戦略は「対米従属を通じて、対米自立を達成する」というものでしたが、戦後70年後にいたって、ついに日本人は「対米従属を徹底させることによって、対米従属を達成する」という倒錯的な無限ループの中にはまりこんでしまったのです。
これは「対米自立」を悲願としてきた戦後70年間の日本の国家目標を放棄したに等しいことだと思います。

── どうして、これほどまでに対米従属が深まったのでしょうか。

内田 吉田茂以来、歴代の自民党政権は「短期的な対米従属」と「長期的な対米自立」という二つの政策目標を同時に追求していました。
そして、短期的対米従属という「一時の方便」はたしかに効果的だった。
敗戦後6年間、徹底的に対米従属をしたこと見返りに、1951年に日本はサンフランシスコ講和条約で国際法上の主権を回復しました。その後さらに20年間アメリカの世界戦略を支持し続けた結果、1972年には沖縄の施政権が返還されました。
少なくともこの時期までは、対米従属には主権の(部分的)回復、国土の(部分的)返還という「見返り」がたしかに与えられた。その限りでは「対米従属を通じての対米自立」という戦略は実効的だったのです。
ところが、それ以降の対米従属はまったく日本に実利をもたらしませんでした。
沖縄返還以後43年間、日本はアメリカの変わることなく衛星国、従属国でした。けれども、それに対する見返りは何もありません。ゼロです。
沖縄の基地はもちろん本土の横田、厚木などの米軍基地も返還される気配もない。そもそも「在留外国軍に撤収してもらって、国土を回復する」というアイディアそのものがもう日本の指導層にはありません。
アメリカと実際に戦った世代が政治家だった時代は、やむなく戦勝国アメリカに従属しはするが、一日も早く主権を回復したいという切実な意志があった。けれども、主権回復が遅れるにつれて「主権のない国」で暮らすことが苦にならなくなってしまった。その世代の人たちが今の日本の指導層を形成しているということです。

── 日本が自立志向を持っていたのは、田中角栄首相までということですね。

内田 田中角栄は1972年に、ニクソン・キッシンジャーの頭越しに日中共同声明を発表しました。これが、日本政府がアメリカの許諾を得ないで独自に重要な外交政策を決定した最後の事例だと思います。
この田中の独断について、キッシンジャー国務長官は「絶対に許さない」と断言しました。その結果はご存じの通りです。アメリカはそのとき日本の政府が独自判断で外交政策を決定した場合にどういうペナルティを受けることになるかについて、はっきりとしたメッセージを送ったのです。

── 田中の失脚を見て、政治家たちはアメリカの虎の尾を踏むことを恐れるようになってしまったということですか。

内田 田中事件は、アメリカの逆鱗に触れると今の日本でも事実上の「公職追放」が行われるという教訓を日本の政治家や官僚に叩き込んだと思います。それ以後では、小沢一郎と鳩山由紀夫が相次いで「準・公職追放」的な処遇を受けました。二人とも「対米自立」を改めて国家目標に掲げようとしたことを咎められたのです。このときには政治家や官僚だけでなく、検察もメディアも一体となって、アメリカの意向を「忖度」して、彼らを引きずり下ろす統一行動に加担しました。

── 内田さんは、1960年代に高まった日本の反米気運が衰退した背景にアメリカの巧みな文化戦略があったと指摘しています。

内田 占領時代にアメリカは、日本国民に対してきわめて効果的な情報宣伝工作を展開し、みごとに日本の言論をコントロールしました。しかし、親米気運が醸成されたのは、単なる検閲や情報工作の成果とは言い切れないと思います。アメリカ文化の中には、そのハードな政治的スタイルとは別にある種の「風通しのよさ」があります。それに日本人は惹きつけられたのだと思います。
戦後まず日本に入ってきたのはハリウッド映画であり、ジャズであり、ロックンロールであり、レイバンやジッポやキャデラックでしたけれど、これはまったく政治イデオロギーとは関係がない生活文化です。その魅力は日本人の身体にも感性にも直接触れました。そういうアメリカの生活文化への「あこがれ」は政治的に操作されたものではなく、自発的なものだったと思います。
同じことは1970年代にも起こりました。大義なきベトナム戦争によって、アメリカの国際社会における評価は最低レベルにまで低下していました。日本でもベトナム反戦闘争によって反米気運は亢進していた。けれども、70年代はじめには反米気運は潮を引くように消滅しました。それをもたらしたのはアメリカ国内における「カウンター・カルチャー」の力だったと思います。
アメリカの若者たちはヒッピー・ムーブメントや「ラブ・アンド・ピース」といった反権力的価値を掲げて、政府の政策にはっきりと異を唱えました。アメリカの若者たちのこの「反権力の戦い」は映画や音楽やファッションを通じて世界中に広まりました。そして、結果的に世界各地の反米の戦いの戦闘性は、アメリカの若者たちの発信するアメリカの「カウンター・カルチャー」の波によっていくぶんかは緩和されてしまったと思います。というのは、そのときに世界の人々は「アメリカほど反権力的な文化が受容され、国民的支持を得ている国はない」という認識を抱くようになったからです。「ソ連に比べたらずっとましだ」という評価を無言のうちに誰しもが抱いた。ですから東西冷戦が最終的にアメリカの勝利で終わったのは、科学力や軍事力や外交力の差ではなく、「アメリカにはカウンター・カルチャーが棲息できるが、ソ連にはできない」という文化的許容度の差ゆえだったと思います。
統治者の不道徳や無能を告発するメッセージを「文化商品」として絶えず生産し、自由に流通させ、娯楽として消費できるような社会は今のところ世界広しといえどもアメリカしかありません。
アメリカが世界各地であれほどひどいことをしていたにもかかわらず、反米感情が臨界点に達することを防いでいるのは、ハリウッドが大統領やCIA長官を「悪役」にした映画を大量生産しているからだと私は思っています。アメリカの反権力文化ほど自国の統治者に対して辛辣なものは他国にありません。右手がした悪事を左手が告発するというこのアメリカの「一人芝居的復元力」は世界に類を見ないものです。
アメリカの国力の本質はここにあると私は思っています。
これはアメリカ政府が意図的・政策的に実施している「文化政策」ではありません。国民全体が無意識的にコミットしている壮大な「文化戦略」なのだと思います。

── 長期的にアメリカの国力が低下しつつあるにもかかわらず、親米派はアメリカにしがみつこうとしています。

内田 アメリカが覇権国のポジションから降りる時期がいずれ来るでしょう。その可能性は直視すべきです。
直近の例としてイギリスがあります。20世紀の半ばまで、イギリスは7つの海を支配する大帝国でしたが、1950年代から60年代にかけて、短期間に一気に縮小してゆきました。植民地や委任統治領を次々と手放し、独立するに任せました。その結果、大英帝国はなくなりましたが、その後もイギリスは国際社会における大国として生き延びることには成功しました。いまだにイギリスは国連安保理の常任理事国であり、核保有国であり、政治的にも経済的にも文化的にも世界的影響力を維持しています。
60年代に「英国病」ということがよく言われましたが、世界帝国が一島国に縮減したことの影響を、経済活動が低迷し、社会に活気がなくなったという程度のことで済ませたイギリス人の手際に私たちはむしろ驚嘆すべきでしょう。
大英帝国の縮小はアングロ・サクソンにはおそらく成功例として記憶されています。ですから、次にアメリカが「パックス・アメリカーナ」体制を放棄するときには、イギリスの前例に倣うだろうと私は思っています。
帝国がその覇権を自ら放棄することなんかありえないと思い込んでいる人がいますが、ローマ帝国以来すべての帝国はピークを迎えた後は、必ず衰退してゆきました。そして、衰退するときの「手際の良さ」がそれから後のその国の運命を決定したのです。
ですから、「どうやって最小の被害、最小のコストで帝国のサイズを縮減するか?」をアメリカのエリートたちは今真剣に考えていると私は思います。
それと同時に、中国の台頭は避けられない趨勢です。この流れは止めようがありません。これから10年は、中国の政治的、経済的な影響力は右肩上がりで拡大し続けるでしょう。
つまり、東アジア諸国は「縮んで行くアメリカ」と「拡大する中国」という二人のプレイヤーを軸に、そのバランスの中でどう舵取りをするか、むずかしい外交を迫られることになります。
フィリピンはかつてクラーク、スービックという巨大な米軍基地を国内に置いていましたが、その後外国軍の国内駐留を認めないという憲法を制定して米軍を撤収させました。けれども、その後中国が南シナ海に進出してくると、再び米軍に戻ってくるように要請しています。
韓国も国内の米軍基地の縮小や撤退を求めながら、米軍司令官の戦時統制権については返還を延期しています。つまり、北朝鮮と戦争が始まったときは自動的にアメリカを戦闘に巻き込む仕組みを温存しているということです。
どちらも中国とアメリカの両方を横目で睨みながら、ときに天秤にかけて、利用できるものは利用するというしたたかな外交を展開しています。これからの東アジア諸国に求められるのはそのようなクールでリアルな「合従連衡」型の外交技術でしょう。
残念ながら、今の日本の指導層には、そのような能力を備えた政治家も官僚もいないし、そのような実践知がなくてはならないと思っている人さえいない。そもそも現実に何が起きているのか、日本という国のシステムがどのように構造化されていて、どう管理運営されているのかについてさえ主題的には意識していない。それもこれも、「日本は主権国家ではない」という基本的な現実認識を日本人自身が忌避しているからです。自分が何ものであるのかを知らない国民に適切な外交を展開することなどできるはずがありません。
私たちはまず「日本はまだ主権国家ではない。だから、主権を回復し、国土を回復するための気長な、多様な、忍耐づよい努力を続けるしかない」という基本的な認識を国民的に共有するところから始めるしかないでしょう。