昨日の午前中に訪れた木津川市加茂町銭司。
氏神社・春日神社の遷宮仮宮期の砂撒きを拝見していた。
その場におられた氏子のひとり。
我が家でも同じように方形格子状仕様の砂撒きをしている、と話してくれたIさん。
おっと、この機会を捨てるワケにいかない貴重な暮らしの民俗。
かつて銭司(ぜず)では、24軒の家々がカドニワに砂撒きをしていた、という。
木津川河川にあった綺麗な砂を採取。
袋に詰めて軽トラに載せる。
家まで運んでいたが、現在は真砂。
乾くと白くなるが、購入した状態では水分を含んでいるので黒っぽい真砂。
春日神社は30日だから、お家に砂を撒くのは一日ずらした大晦日に行っている。
本来なら午前中に撒いていたのを、私たちの取材に合わせて大晦日の午後1時にしてもらった。
格子状に砂を据える。
肩にかける肥料置きに用いる道具に砂を入れて玄関前に砂撒き。
ニワツチ(※庭土)がある場に、砂を撒く。
石畳とか、コンクリートの場に砂を撒けば滑ってしまうので危険。
だから土にあるところだけに砂撒きをする。
格子状に象るのは、迷って神さんが住まいする社殿に入り込まないようにする仕切り。
魔が入らんようにするのが役目の砂撒きは、お家でも同じ考え。
いわば清めの砂であり、神さんの領域でもある印し。
お家に魔が忍び込まないように砂を撒くなど、砂撒きに関する貴重な話題を伝えてくれた。
さて、お忙し大晦日に伺った加茂町銭司に住んでいるI家の砂撒きである。
昨日もご一緒していた写真家のKさん。
待ち合せ時間を決めていた。
場所は、このあたり。翌年の正月は明日。
3日後に行われる行事の取材に、村指定の駐車場。
来られるまでのちょっとした時間にふらりと・・
そこに見た民家の井戸。
まさか、目を疑ったその井戸に、しめ縄飾りがあった。
旧村に暮らす人たちのすべてではないが、お家によっては、屋内のみならず屋外施設にもしめ縄を飾る。
もちろん、屋外トイレやガレージ、農小屋などなどの箇所に多くのしめ縄を飾っている。
しめ縄は、やや小ぶりの小〆縄。
井戸も暮らしを支えるお家の設備。
あるお家は、井戸は神さん。
供えるのはお家と同じ。
井戸に神棚を祭るお家もある。
これこそ暮らしの民俗だ、と判断し撮らせてもらった井戸神さん。
そうこうしているうちに時間も・・
どうやら、約束いただいているI家に向かったようだ。
ここから山の方に向かって走る。
くねくねする山道。
細い山道は、茶畑もある。
お家が数軒見られた、そこがI家だった。
写真家Kさんと合流し、今日の取材によろしくお願いします、と当主に挨拶。
そろったところでしましょう、と青いバケツ。
肩にかける肥料置きに用いる道具を置いてあった家屋の壁に、なんと・・
今では使うことのない農具がそこにあった。
かつて農耕の主役は牛だった。
家族同然とみていた働き牛が曳いていた唐耒(からすき)である。
昭和30年から40年代はじめのころまでの農耕は、働く牛が主役。
東海道新幹線の開通。
東京オリンピックに大阪万博の時代に人々の暮らしは大きく転換した。
農家さんの暮らしの民俗は、牛から機械化した耕運機に入れ替わった。
つまりは、世の中みんなが文化的な生活に暮らしぶりが変化した時代。
牛のいない農具は博物館行きもあれば、廃棄。
生きてきた暮らしの道具は愛おしく、こうして保存されたI家の所有の文化財。
なんせ、古墳時代遺物の発掘調査に出土していた事実がある唐耒(からすき)。
原型は、そのときから大きな変化もないスゴ腕道具だけに、ずっと眺めていたい唐耒(からすき)は、了解を得て写真に収めた。
その下に見た干しもの。
竹編みの籠においた白い餅。
正月の餅に見えたが、そうではなく真っ白な肌の大根。
大きく包丁を入れた乱切り大根。
干すテーマにこれも撮らせてもらった。
そしてはじまった砂撒き作業。
乾いている真砂(まさご)を肥料置きバケツに入れてカドニワに運ぶ。
玄関前には、すでに立てていた門松。
一対の門松それぞれに砂撒き。
一本の筋を引くように撒く真砂。
肥料置きバケツから一握り。
それをカドニワに撒いていく。
撒くというよりも、落とす作業に見える砂撒き。
門松の幅に合わせて撒いていく直線的な砂のカタチ。
垂直に、そして水平に撒いた砂は格子状のカタチ。
前日は、氏神社の春日神社の境内と同じように・・・
面積は、神社境内よりも狭いが、ここI家に年神さんを迎える場を調えた。
同行の写真家Kさんが記念にと、当主のIさんを撮っていた。
傍で私も撮らせてもらった記念の一枚。
この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第だ。
砂撒き作業は、およそ15分。
去り際に拝見した茶摘み道具。
おそらく現役の竹編み籠。
翌年もはじまる茶畑栽培に活躍が見込まれる。
そして、この日から3日目。翌年の正月3日に行われる村行事。
春日神社の遷宮仮宮期の勧請縄かけに再訪した際に、再びお逢いしたIさん。
この正月の三日間。
門松の松の上から”けんぎょ”と呼ぶネコモチ或いはカレーパンやラグビーボールのような形の餅を薄く切ったヒラヒラの餅を、上からぱらぱら落としながら、こう囃した。
「としとくさん としとくさん としとくさん・・・」と、ひと摘まみなくなるまで唱える。
としとくとは歳徳さん。
その年の福徳を司る神さん。
来訪神は年徳、歳徳、正月さんでもある、と話してくれたお家の習俗。
数々の民俗事例を記録してきたが、その作法は、初見聞き。
また、I家にお伺いできますように・・
(R3.12.31 SB805SH/EOS7D 撮影)
氏神社・春日神社の遷宮仮宮期の砂撒きを拝見していた。
その場におられた氏子のひとり。
我が家でも同じように方形格子状仕様の砂撒きをしている、と話してくれたIさん。
おっと、この機会を捨てるワケにいかない貴重な暮らしの民俗。
かつて銭司(ぜず)では、24軒の家々がカドニワに砂撒きをしていた、という。
木津川河川にあった綺麗な砂を採取。
袋に詰めて軽トラに載せる。
家まで運んでいたが、現在は真砂。
乾くと白くなるが、購入した状態では水分を含んでいるので黒っぽい真砂。
春日神社は30日だから、お家に砂を撒くのは一日ずらした大晦日に行っている。
本来なら午前中に撒いていたのを、私たちの取材に合わせて大晦日の午後1時にしてもらった。
格子状に砂を据える。
肩にかける肥料置きに用いる道具に砂を入れて玄関前に砂撒き。
ニワツチ(※庭土)がある場に、砂を撒く。
石畳とか、コンクリートの場に砂を撒けば滑ってしまうので危険。
だから土にあるところだけに砂撒きをする。
格子状に象るのは、迷って神さんが住まいする社殿に入り込まないようにする仕切り。
魔が入らんようにするのが役目の砂撒きは、お家でも同じ考え。
いわば清めの砂であり、神さんの領域でもある印し。
お家に魔が忍び込まないように砂を撒くなど、砂撒きに関する貴重な話題を伝えてくれた。
さて、お忙し大晦日に伺った加茂町銭司に住んでいるI家の砂撒きである。
昨日もご一緒していた写真家のKさん。
待ち合せ時間を決めていた。
場所は、このあたり。翌年の正月は明日。
3日後に行われる行事の取材に、村指定の駐車場。
来られるまでのちょっとした時間にふらりと・・
そこに見た民家の井戸。
まさか、目を疑ったその井戸に、しめ縄飾りがあった。
旧村に暮らす人たちのすべてではないが、お家によっては、屋内のみならず屋外施設にもしめ縄を飾る。
もちろん、屋外トイレやガレージ、農小屋などなどの箇所に多くのしめ縄を飾っている。
しめ縄は、やや小ぶりの小〆縄。
井戸も暮らしを支えるお家の設備。
あるお家は、井戸は神さん。
供えるのはお家と同じ。
井戸に神棚を祭るお家もある。
これこそ暮らしの民俗だ、と判断し撮らせてもらった井戸神さん。
そうこうしているうちに時間も・・
どうやら、約束いただいているI家に向かったようだ。
ここから山の方に向かって走る。
くねくねする山道。
細い山道は、茶畑もある。
お家が数軒見られた、そこがI家だった。
写真家Kさんと合流し、今日の取材によろしくお願いします、と当主に挨拶。
そろったところでしましょう、と青いバケツ。
肩にかける肥料置きに用いる道具を置いてあった家屋の壁に、なんと・・
今では使うことのない農具がそこにあった。
かつて農耕の主役は牛だった。
家族同然とみていた働き牛が曳いていた唐耒(からすき)である。
昭和30年から40年代はじめのころまでの農耕は、働く牛が主役。
東海道新幹線の開通。
東京オリンピックに大阪万博の時代に人々の暮らしは大きく転換した。
農家さんの暮らしの民俗は、牛から機械化した耕運機に入れ替わった。
つまりは、世の中みんなが文化的な生活に暮らしぶりが変化した時代。
牛のいない農具は博物館行きもあれば、廃棄。
生きてきた暮らしの道具は愛おしく、こうして保存されたI家の所有の文化財。
なんせ、古墳時代遺物の発掘調査に出土していた事実がある唐耒(からすき)。
原型は、そのときから大きな変化もないスゴ腕道具だけに、ずっと眺めていたい唐耒(からすき)は、了解を得て写真に収めた。
その下に見た干しもの。
竹編みの籠においた白い餅。
正月の餅に見えたが、そうではなく真っ白な肌の大根。
大きく包丁を入れた乱切り大根。
干すテーマにこれも撮らせてもらった。
そしてはじまった砂撒き作業。
乾いている真砂(まさご)を肥料置きバケツに入れてカドニワに運ぶ。
玄関前には、すでに立てていた門松。
一対の門松それぞれに砂撒き。
一本の筋を引くように撒く真砂。
肥料置きバケツから一握り。
それをカドニワに撒いていく。
撒くというよりも、落とす作業に見える砂撒き。
門松の幅に合わせて撒いていく直線的な砂のカタチ。
垂直に、そして水平に撒いた砂は格子状のカタチ。
前日は、氏神社の春日神社の境内と同じように・・・
面積は、神社境内よりも狭いが、ここI家に年神さんを迎える場を調えた。
同行の写真家Kさんが記念にと、当主のIさんを撮っていた。
傍で私も撮らせてもらった記念の一枚。
この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第だ。
砂撒き作業は、およそ15分。
去り際に拝見した茶摘み道具。
おそらく現役の竹編み籠。
翌年もはじまる茶畑栽培に活躍が見込まれる。
そして、この日から3日目。翌年の正月3日に行われる村行事。
春日神社の遷宮仮宮期の勧請縄かけに再訪した際に、再びお逢いしたIさん。
この正月の三日間。
門松の松の上から”けんぎょ”と呼ぶネコモチ或いはカレーパンやラグビーボールのような形の餅を薄く切ったヒラヒラの餅を、上からぱらぱら落としながら、こう囃した。
「としとくさん としとくさん としとくさん・・・」と、ひと摘まみなくなるまで唱える。
としとくとは歳徳さん。
その年の福徳を司る神さん。
来訪神は年徳、歳徳、正月さんでもある、と話してくれたお家の習俗。
数々の民俗事例を記録してきたが、その作法は、初見聞き。
また、I家にお伺いできますように・・
(R3.12.31 SB805SH/EOS7D 撮影)