マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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名張・大屋戸杉谷神社・熟柿祭の御供さげ

2024年05月06日 08時00分02秒 | もっと遠くへ(三重編)
滋賀県の伝統行事を主に取材してきた写真家のKさんが、奈良・大淀町大岩の地に写真展をされた。

会場は、平日だけが営業の喫茶きまぐれや。

大岩の神社行事撮影に応援してくれた写真家のKさん。

当時、身体がどうにもこうにもの状態に、大いに助けてもらった。

そのことがあって、Kさんも私同様、平日だけが営業の喫茶きまぐれや会場をお借りして写真展をされた。

そのときの作品展示を拝見し、いくつかの行事を拝見したくなった。

その一つが、「熟柿祭」と呼ばれる地域行事。

祭事の場は、三重県名張市大屋戸(おやど)に鎮座する杉谷神社である。

「熟柿祭」の読み名は、「ずくし祭」。

つまり、熟した柿である。

聴くところによれば、菅原道真公が中傷により筑紫の国に左遷された故事に因んだ杉谷神社に伝わる伝統の特殊神事。

主斎は、天神講が務め。

関係地区から世話人が参加し、執行している祭事。

古例に倣って、杉谷神社に参詣される天神講の講員に熟した富士柿に造花の梅花を添えた竹で編んだ籠ごと授与される。

併せて、小丸餅に小魚も授与されるそうだ。

「ずぐし祭」の名称の由来について、「ずぐし」は本来「筑紫」であり、筑紫に流された菅原道真をまつる「筑紫祭」がズグシに転訛したと説く人もいるらしい。

ただ、一般的に柿が熟した状態をズクシと呼ぶ地域は広範囲に亘り、奈良や京都。

広範囲に亘る、一般的に呼ばれているズクシの呼称例であるが、一度は尋ねてみたい民俗行事。

祭事される時間は不明。

特に、コロナ禍の現状では、おそらく中断されている可能性もあるが、祭事の地だけでも、覚えておくといいだろう、と思って家を出た。

カーナビゲーションに鎮座地を登録し、出発。

ここを左に曲がれば鎮座地。

その角地にあったコンビニエンスストア。

かすかな記憶に見つかったコンビニエンスストアに間違いない。

平成31年の2月7日に訪れた三重県名張・松原店のファミリーマート

その日の取材は、名張市内にある蛭子神社で行われる名張八日市。

いわゆるえべっさん行事の取材。

お昼を摂るために駐車した名張・松原店のファミリーマートから、すぐ近く。

ここからでもわかる蛭子神社の鎮座地。

なるほどの位置だったとは・・

コンビニエンスストアにご縁あり。

いうまでもなく本日もまた、お昼に摂ったテイクアウト総菜弁当の美味しさに舌鼓を打っていた。

神社に到着した時間は午前11時10分過ぎ。

人が数人おられるが、もの静かな境内の動向を伺っていた。

村の人たちであろうか。

境内に動く人の動き。

遠目でみていても、何をされているのか、さっぱりわからぬ。

可能性として考えられるのは、氏子たち。

これから行事をはじめようと、しているのか、それとも終わった状態なのか・・

すると、境内におられる人たちと違う服装の方が、停めた神社の駐車場に移動してきたその白衣姿の行事関係者と思われる男性に、「熟柿祭」のことを尋ねてみた。

その方は、杉谷神社の宮司を勤めるN氏だった。

手にしているのは、まさかの祭具。



なるほど、と思えた竹籠の中に収めていた熟した柿。

見てわかるとろとろ状態の熟し柿。

籠の柄の部分であろう、そこに5枚の紅白の梅の花をかたどった細工もの。

許可を得て撮らせてもらった造りものの梅花を添えていた。

「熟柿祭」は、午前10時にはじめたそうだ。

高齢化により、天神講は解散した。

それまで天神講がつくって、奉っていた梅花飾りの熟し柿竹籠は、神社側が引き継ぎ、形式を整えて現在に繋いでいる。

宮司が手にしていた供物の熟し柿は、神さんに奉り、神事を終えて下げた御供であった。

本数は、何本であったのか、お聞きできていないが、供物は他にもあるらしい。

それは生鰯に丸餅。

丸餅はともかく、生鰯の御供は、珍しい形式。

あらためて再訪し、大屋戸(おやど)・杉谷神社行事の「熟柿祭」を拝見したいものだ。

宮司は、他にもいろいろお話してくださる。

生まれも育ちも名張市布生(ふのう)。

旧家にあたる民家に暮らしているそうだ。

塩漬けした鯛を干してつくった干しダイがある。

2尾の干しダイは腹合わせ。

それはお家にあるえべっさんに供える。

供えた干しダイは、農耕はじめまで保存しておき、田植作業をはじめる前に供えるようだ。

その干しダイから、話題はどこで買ってきたか、だ。

なんと、購入先は、サシサバ調査に伺った名張市・中町で営業しているいしかわ魚店。

今年の令和3年8月10日に伺ったお盆の習俗に関係するホントビ(※本飛び魚)の調査させてもらったいしかわ魚店
に干しダイを売っていたのである。

お盆の習俗だけでなく、えべっさんに供える干しダイも・・

話の内容から、奈良の宇陀市室生・下笠間の民家に見たお家のえべっさんに供えるカケダイと同じ。

たしか、民家に住む高齢女性は、名張の魚屋さんで買っている
、といっていたから、一致したわけだ。

お盆のトビウオ調査をしてきたが、干しダイ(※カケダイ)も含めて、売り場から仕入れ。

カケダイつくりから流通も含めて、再調査しなければならない。

宮司のN氏は、さらに話してくれた干しダイ売りの魚屋さんは、国道16号沿いに営業している山本仕出し屋も売っているようだ。

時季が時期なので、田植えをはじめる日が決まれば、電話をしてあげる、といってくれた。

その布生に国津神社あり。

同神社にも斎主を勤めているN氏。

旧暦の八朔行事に奉納する神事相撲がある。

およそ100年前の大正時代からはじめた神事相撲は、当時の宮司が発案した奉納相撲。

相撲の取りくみは子どもたち。

対象の子どもは小学6年生まで。

氏子や外氏子に参加してもらう奉納相撲。

旧暦の八朔がいつであるのか、調べなきゃならないが、現在はコロナの禍中。

コロナ禍が収束した年に伺いたい行事である。

また、布生(ふのう)のトーヤは3人制。

椀に穴を開けたふりあげ神事をしているそうだ。

今回は、開けた穴が大きかったのか、一気に三つも飛び出した。

一瞬で判断した1番、2番、3番は、神意によって決まった、と話していた。

宮司と別れて、あらためて参拝した大屋戸(おやど)の杉谷神社。

石造りの手水鉢に刻印があった。



一部は判読できなかったが、「貞享元年(1684) 奉寄進 杉谷天神宮 □□□□□ 四月吉日」である。

手水鉢でさえ、江戸時代前期である貞享元年。

ネット情報によれば、「本殿は天正時代、伊賀の乱、兵火によって焼失後の慶長十七年(1612)に再建。

そのときの棟札から、桃山時代に建立した社殿を宝永元年(1704)に改修された
」そうだ。

中世名張郡の黒田荘。

最大勢力(悪党)であった大江氏の氏神社。



天穂日命、菅原道真公ほか十柱を祀り、国・県指定の有形文化財である北野天神縁起を所有、また、本殿なども県指定文化財を所蔵する杉谷神社

手水鉢の刻印に「杉谷天神宮」とあるから、後年の年代に菅原道真公を奉り、変遷している。

ネット情報によれば「鳥羽天皇の御代に至り、勅により菅原道真公の霊を勧請し、“椙谷(すぎたに)天満宮”と尊称された」という。



昭和57年(1982)の3月28日に行われた杉谷神社の式年遷宮造営事業。

銘板で知る式年遷宮。

それからおよそ39年。

式年遷宮は、伊勢神宮と同じ20年周期。

おそらく近々行われるものと考える


あらためて拝見、拝礼に見た牛の銅像。

各地の菅原神社や天満宮に天神社に奉納されている、

ほぼ同型の牛の像。



天神さまには、臥牛(がぎゅう)の像が数多く奉納されている。

天神さまにとって牛は神のお使いだけに、境内に牛を鎮座させて参拝者を迎えている。

現在の時刻は、午後12時20分。

正午時間にお昼をコンビニエンスストアに摂って、それから足を運びたい布生(ふのう)の里。

ご縁つなぎに、立ち寄りたい布生の国津神社。

下見を兼ねて出発した。

(R3.12. 8 EOS7D/SB805SH 撮影)