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ノーベル平和賞授賞式  サーロー節子さん演説

2017年12月11日 | 社会・経済

毎日新聞2017年12月11日

 【オスロ竹下理子】核兵器を初めて法的に禁じる核兵器禁止条約の採択に主導的な役割を果たした国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)へのノーベル平和賞授賞式が10日、オスロ市庁舎で開かれた。広島で被爆し、ICANと共に活動してきたカナダ在住のサーロー節子さん(85)が被爆者として初めて受賞演説し、「人類と核兵器は共存できない。核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ。私たち被爆者は72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできた。これ(条約採択)を核兵器の終わりの始まりにしよう」と英語で訴えた。

 ICANのベアトリス・フィン事務局長(35)と共に登壇し、メダルと賞状を受け取ったサーローさん。演説では「核兵器の時代を終わらせることは可能だという大いなる希望を与えてくれる」と受賞の意義を述べた。また、原爆で姉らを失った体験を語り、「みなさんに広島や長崎で亡くなった人々の存在を感じてほしい。一人一人に名前があり、一人一人が誰かに愛されていた。彼らの死を無駄にしてはいけない」と世界に呼びかけた。

 フィン事務局長も演説し、「核兵器が使われるリスクは冷戦が終わった時よりも大きくなっている」と指摘。「私たちの運動を批判する人たちは、私たちのことを現実に基づかない理想主義者だと言う。しかし私たちが示しているのは、唯一の理にかなった選択だ」と強調し、核保有5大国の米露英仏中に、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮を加えた計9カ国を名指しして条約への参加を呼びかけた。

 授賞式には日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳(てるみ)代表委員(85)と藤森俊希事務局次長(73)、松井一実・広島市長、田上富久・長崎市長も出席した。ノルウェー・ノーベル賞委員会のアンデルセン委員長は核兵器なき世界へ向け新たな機運を作ったことに敬意を表した。

 核兵器禁止条約は核保有国の核軍縮の停滞を背景に、今年7月に122カ国が賛成して採択されたが、米国の「核の傘」の下にある日本などは交渉に参加しなかった。この日の授賞式も核保有5大国の駐ノルウェー大使は欠席した。

 

ノーベル平和賞 

サーロー節子さん演説要旨

 

 サーロー節子さんが10日、ノーベル平和賞授賞式のオスロで行った演説の要旨は次の通り。

 

・核兵器は必要悪でない。絶対悪だ。

 ・核兵器禁止条約を核兵器の終わりの始まりにしよう。

 ・条約は光だ。この光を分かち合おう。

 ・光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いだ。

 ・米国が原爆を私が住んでいた広島に投下した時、まだ13歳だった。

 ・私の愛する都市は1発の爆弾で消滅した。

 ・住民らは燃やされ、炭になった。その中には私の家族と351人の級友が含まれている。

 ・4歳のおいの小さな体は溶けて肉の塊に変わった。

 ・広島と長崎で死を遂げた二十数万の魂を身の回りに感じてほしい。

 ・皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした言葉を繰り返す。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」

 ・核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちは、私たちの証言を聞け。警告を心に刻め。

 ・世界中の国は条約に参加し、核の脅威を永久になくしてほしい。

 

 【略歴】サーロー節子さん

  1932年広島市生まれ。トロント大大学院修了。13歳のとき広島で被爆し、姉やおいを失う。55年にカナダ人と結婚し、同国に移住して核廃絶運動に尽力。これまで国連総会の委員会など世界中で開かれる国際会議で、被爆証言を重ねてきた。カナダ政府が民間人に贈る最高位勲章オーダー・オブ・カナダを受章した。(共同)


朝の除雪車が行ってからの降雪がひどかった。
昼頃にもう一度来るかなと期待していたが、やっぱり来なかった。
きょう昼頃には雨の予報。
この雪を片づけなければ、雨で重い雪になってしまう。
日中はザクザクの雪も、夕方にはコチンコチン。