里の家ファーム

無農薬・無化学肥料・不耕起の甘いミニトマトがメインです。
園地を開放しております。
自然の中に身を置いてみませんか?

北原みのり おんなの話はありがたい なぜ怒り?SNSで知り合った男の精子提供で望まない妊娠・出産 「性被害じゃないですか」

2022年03月07日 | 事件

AERAdot 2022/02/23 

    作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、精子提供をめぐるある“事件”について。

*    *  *

「SNSで知り合った男性から精子提供を受け出産した女性が、男性が国籍や学歴を偽ったことで精神的苦痛を受けたとして約3億3000万円の損害賠償を求めた」

 昨年末に報道された“事件”だ。報道によれば、男性は京都大学の卒業生で、結婚していないと話していたが、女性が妊娠した後に、実際は京大出身ではなく、既婚者で、中国籍であったことがわかったという。生まれた子どもは現在、児童福祉施設に預けられているという。

 報道された直後から、ネット上は母親バッシングにあふれ、今もそれは続いている。京大じゃないからって何? 日本人じゃないからって何? 差別主義者か? 被害者ぶるな! という怒りである。さらに、子どもが児童養護施設に入っている事実も多くの人を刺激した。私自身も、ニュースを読んで反射的に「子どもの人権がまったく無視されてるけど?」というようなことをSNSに投稿している。「理想の子どもを産みたい」という「欲望」は、何においても優先される感情なのか? という思いがあった。

 その後しばらくのあいだ、私は友だちとこのニュースについて話し合った。私は何かにいらだっていたのだけれど、その自分の苛立ちが何かもわからなかった。あまりにもわからなく、そしてその「わからなさ」のわからなさ具合もわからなかった。子どもが「オモチャ」みたいに扱われることのいらだちかもしれないが、それだけではないような不可解さ。この「わからなさ」は出生した子の人生をどう左右するのだろうと考えると、途方もない闇に包まれるような気持ちにもなる。つまりは、この“事”件は、私が知っている事件の枠組みを大きく超えていたのだ。

 ちょうどこの1年前の2020年12月に「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律」が成立した。生殖医療ビジネスの促進を目指しているだけではないのかと疑いたくなるほど、稚拙で性急な議論のまま成立してしまった。私は国会を一度傍聴したのだが、AID(第三者の精子提供による人工授精)で出生した当事者たちが、議論を進めようとする議員に自身の体験をもとに「この法案は子どもの出自を知る権利を無視している」と訴えていた。その声は結局届かなかった。

当事者の声は切実だった。ある人は、幼い頃から父と母との関係が悪かったということを語った。成人してから両親が離婚したが「父の面倒はみなくていい、本当の父じゃないから」と母に言われたことをきっかけに、自分がAIDで出生したことを知った。そうと知った瞬間に、ぎこちない母と父の会話や、過去に味わった違和感の点と点が線になるように今に結びついたという。

 AIDで出生した全ての人が遺伝的な父親を特定したいと思っているわけではない。それでも、私が聞いた当事者の方々たちは、「自分がモノではないということを確認したい」という思いを強く持っていた。カタログから選ばれて買われてきた遺伝子情報ではなく、尊厳をもった命であるという実感を持ちたいという切実だ。またAIDで出生した人たちが、遺伝的疾患などのリスクを知る権利を奪われてしまっていることも、問題とされている。日本では、子どもの知る権利が一切認められていないからだ。一方、ニュージーランドなど先進国の一部では、子どもの知る権利が優先されており、精子提供者は将来、子どもがその権利を行使する可能性があることを理解しなければならないとされている。日本のスタンダードはまた、世界から遅れつつあり、そして常に現実は法律のずっと先をいきながら、多くの人の人生を巻き込み、時には深く傷つける。

 ……というような「子どもの権利」から考えたときに、今回の事件はどのように捉えればいいのだろうか。そもそもSNSで精子提供を受けるという状況は、日本の法律では想定されておらず、さらにそこで生まれた子どもの知る権利などというものははなから、親自身も考えていないことだろう。この事件を「どの立場」から考えればよいのだろう。そもそも、SNSで今も続く母親への激しいバッシングは、どういうことなのだろうか。「子どもの知る権利が奪われている」ことへのバッシングであれば、一昨年に政府にすべきだったろう。「京都大学じゃなきゃだめだ」という女性に対する怒りだとしたら、「京都大学です」とうそをついて精子提供した男性側はいったい何がしたかったのか。いったい皆、何に怒っているのだろうか。激しくモヤモヤしていたところ、20代の女性にこの事件についてどう思う?と聞いたのだが、その彼女が一言でこう言い切ったのだった。

「え、それって、性暴力事件じゃないですか」

 え? と驚く私に、彼女は「え? そんなことも知らないんですか?」みたいな感じで教えてくれた。SNSにはこの手の男がかなりいること。特にレズビアンカップルを狙ってくる男もいること。まるで善きことをするボランティアの体をとりつつ、セックスを目的にする男も多い。とはいえ女性のほうも、自分が男から精子を求めることに合意しており、場合によっては妊娠の確率が高いタイミング法(実際に性交すること)に合意することもある。だから「被害」に気づきにくく、それが合意の性交であるのか、わなにはめられた性暴力だったのかの区別がつきにくいというのだった。 

 そう言われると、「解けていく」謎もあるように感じるのだった。実際、後になり女性の訴状や、記者会見での弁護士の発言などを見聞きしたが、この女性は自身が性被害にあったと感じていた。この“事件”は性暴力事件として提訴されているわけではないが、実際には「望んでいた条件と合致しない相手との性交渉と、これに伴う妊娠、出産を強いられた」とし、「自らの子の父親となるべき男性を選択する自己決定権が侵害された」と女性側の弁護士は訴えている。そして、その原因となった自身の子が、性暴力被害のトリガーとなってしまったことから、自分の意思ではなく、専門家のすすめによって子どもと一時的に引き離されている状況になっているとのことだった。

 今にいたるまで、この“事件”を「性暴力」の要素がある事件として、女性の人権の観点から報道したメディアを私は知らないが、母親の傲慢な欲望として母親バッシングにつながる報道だけでは見えない真実に、実は目を向けなければいけないのかもしれない。母親も、子の人生に対する加害に荷担してしまっているかもしれないが、その背景にあったかもしれない暴力的構造や、女性の身体を巡る厳しい現実がある。なにより、現実に追いつこうともしない法律の問題、「子を産まねば」という女性に向けられるプレッシャー、生殖ビジネスに対する無批判な推進、女性の身体が常に危機にさらされ、支配され、搾取されている現実がある。

「わからない」ことはますます膨らんでいくが、その「わからなさ」の中で人生が壊れるほどもがく人たちの声に向き合うしかないのだろう。“事件”から見える「今」が含む暴力性に呆然としながらも。

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表


 先月23日の記事であったが、ウクライナの戦闘が起き今日になってしまった。戦闘はますます過激になり、一般市民の死者も増えている。まず、ロシア軍の兵士たちに言いたい。「武器を捨てよ」誰のために戦っているのか?

 天気予報によれば、今日は一日良い天気のはずだったのだが、あまり太陽は見えなかった。

 大きくなりすぎて日が当たらなくなったので、かわいそうだが切り倒した。両手で抱き着いても届かないほどの太さがあった。

この木で3年分くらい(?)の薪ができる。