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香山リカ 常識を疑え! 戦争動画を見て眠れなくなっているあなたへ

2022年03月22日 | 健康・病気

(精神科医・立教大学現代心理学部教授)

imidas 連載コラム 2022/03/22

 最近、診察室で定期診察のあと、ため息をつく人が目立つ。ある人が言った。

「先生、ウクライナはどうなるのでしょう。恐ろしいです。向こうで結婚した日本人男性のブログを読んでいるのですが、幸せだった生活があっという間に破壊されていくのが手に取るようにわかって。それから毎晩、悪夢を見るんです」

 また別の人はこう語って涙ぐんだ。

「子育て中のママたちでSNSグループを作ってるんです。ふだんは楽しい話をしているのですが、そこにもウクライナで地下シェルターに避難している子どもたちのニュース映像が流れてきて。病気の子、親とはぐれた子もいるのだそうです。もしわが子だったら、と思うと涙が止まらなくなりました」

 何らかのメンタル不調で診察室に通っているわけではなくても、似たような状況に陥っている人は少なくないのではないか。友人や知人からも「よく眠れない」「食欲が落ちている」と訴える声が聞こえてくる。

 ウクライナは、日本から決して「近い国」ではない。距離にして8000キロ以上も離れており、首都キエフはじめ、日本から飛行機の直行便はなく、トルコやUAE、あるいはポーランドなどで乗り継がなければならない。移動はほぼ1日がかりとなるだろう。コロナウイルス感染症のパンデミック前、2018年の統計では、日本からウクライナへの旅行者は年間1万人強だ。日本からアメリカへの年間旅行者約350万人、韓国への約300万人と比較するとその少なさがわかるはずだ(※1:日本政府観光局〈JNTO〉「各国・地域別 日本人訪問者数[日本から各国・地域への到着者数](2015年~2019年)」)。ちなみに同年、ウクライナからは8500人弱が日本を訪れていた(※2:JNTOウェブサイト「日本の観光統計データ」より)。

 このように、ウクライナはこれまで日本人にとっては「なじみのある国」ではなかったはずだ。それにもかかわらず、いま多くの人がそこでの状況に胸を痛め、中には心やからだの不調にまで陥っている人さえいる。この人たちに起きていることは何なのだろうか。ここで整理してみたい。

①PTSD(心的トラウマ後ストレス後遺症)なのか

 心的トラウマの問題、とくに災害や事件に巻き込まれた人の心のケアに取り組む「日本トラウマティック・ストレス学会」は、2022年3月4日、会長名で「ウクライナへの軍事侵攻についての日本トラウマティック・ストレス学会からの声明」を出した(https://www.jstss.org/docs/2022030400016/)。それに付随する資料「惨事報道の視聴とメンタルヘルス」にはこうある。

「人為災害時における惨事報道については、視聴者のメンタルヘルスに悪影響を与えうることが指摘されています。2001 年のアメリカ同時多発テロ、2011 年のノルウェー連続テロ事件、2013 年のボストンマラソン爆破事件などの人為災害では、被害者・子ども・一般人を対象とした研究結果が多数報告されています」

 そして、「惨事報道の刺激は必要最小限にしましょう」「同じ内容の惨事報道を繰り返し見ないようにしましょう」「衝撃的な映像の視聴を避けましょう」といった具体的な留意点も示されている。

 では、ロシアによるウクライナ侵攻の報道やSNSの情報を目にして起きる不調は、トラウマによるPTSDなのだろうか。実はそうとは断言できない。

「心的トラウマ後ストレス障害(Post-Traumatic Stress Disorder:PTSD)」は、①再体験症状(フラッシュバック、悪夢)、②回避・精神麻痺症状(思い出すのを避ける、自然な感情が麻痺する)、③過覚醒症状(不眠、イライラ、過剰な警戒心)の3つの症状の持続を特徴とするメンタル不全である。

 現在、世界で最も多く使用されている診断基準であるDSM-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)によれば、このPTSDの大前提になっているのは「実際にまたは危うく死ぬ、重症を負う、性的暴力を受ける出来事への曝露」だ。これには誰も異論がないと思うが、問題となるのはその「曝露の形(仕方)」である。DSM-5では、それは「直接の体験」「他人に起こった出来事の直接の目撃」「近親者または親しい友人に起こった出来事の伝聞」、そして「その出来事の強い不快感をいだく細部への繰り返しまたは極端な曝露」の4つのどれかと定められている。

 そう聞くと、「そうか、ウクライナ侵攻の報道はこれの4つめの形にあたるのだな」と思う人が多いだろう。ところが、DSM-5のこの項目には「仕事に関連するものでない限り、電子媒体、テレビ、映像、または写真による曝露には適用されない」というただし書きがあるのだ。6歳以下の子どもに関する基準は別にもうけられているが、そこでも「出来事の目撃」がPTSDをひき起こすのは、「親または養育者」に起こった心的外傷的出来事の場合のみであって、ただし書きに「電子媒体、テレビ、映像、または写真のみで見た出来事は目撃に含めない」と記されているのである。

 では、ウクライナ侵攻に限らず、災害、犯罪、戦争などの報道や情報に繰り返し触れることで起きる「メンタルヘルスへの悪影響」は、持続的なPTSDにまで至るとは言えないのだろうか。

 実はこれじたいについても精神医学の中で議論がある。とくに子どもの場合、テレビやモニターの中で目撃した映像が目の前のことか遠い場所でのことか、近親者に起きたことか他人に起きたことか、しっかり識別することができない。そのため、おとな以上に深刻なトラウマ被害が起きやすいのではないか、と主張する研究者もいるのだ。

 その医学的な議論はさておき、ここでひとつ忘れてはならないことがある。冒頭で紹介した診察室での声を思い出してほしい。私の前で「ウクライナのことを思うとつらい」などと言って涙ぐんだ人たちは、定時のテレビニュースだけを見ているのではない。「ウクライナ在住の日本人男性」や「地下シェルターの子どもたち」についてブログや動画でくわしく知り、友人や親戚を心配するかのように心を痛めているのだ。

 DSM-5がアメリカで正式に刊行されたのは2013年だが、そのドラフト(叩き台)は2010年に公表され、「電子媒体、テレビ、映像、または写真による曝露には適用されない」というただし書きも当時から入っていた。しかし、当時つまり2010年頃と現在では、「メディアによる曝露」の量や質はまったく違う。とくにSNSの普及により、誰もがスマホでいつでもどこでも、また大手メディアからの発信だけではなくて、現地のローカルメディア、ジャーナリスト、さらには個人の投稿によりありとあらゆる情報に触れることができるようになった。ツイッターなどのSNSには翻訳機能もついているので、外国語で投稿されたものでもすぐに日本語に変換して読むことができる。

 そうなると、もはや「遠い国ウクライナの出来事」ではなくなる。すぐ目の前で起きた出来事、自分の身内が経験した出来事との境界は限りなく不鮮明になる。いや、その人が日々の様子や自分の心境を写真や動画つきで報告するのを読んでいるうちに、友人や家族以上の親しみを感じてしまうこともあるかもしれない。その人がある日、「家を爆撃で失いました」「国を出るので親に別れを告げました」などと投稿したら、それがPTSDを引き起こすほどの心理的ショックになったとしても不思議ではないのではないか。

「メディアでの曝露ではPTSDは起きない」というこの約10年前の診断基準は、いま見直しが迫られているのである。

②「共感疲労」という問題

 さて、フラッシュバックが起きるようなPTSDにまでは至らなくても、「つらくてしんどい」と訴える人はさらに大勢いると思う。

 この人たちに起きているのは、「共感疲労」つまり「つらい状況にある他者に対して感情移入し、心を強く動かす状況が長く続くことによる心身のエネルギーの枯渇」と考えられる。これは精神医学的な診断名ではないのだが、福祉系や心理系などいわゆる支援職、援助職の領域でかねてから問題になっていた現象だ。

 この領域の職業に携わる人は、病人、被虐待児童、障害のある人、認知症の高齢者などさまざまな立場の当事者たちに寄り添い、その話を聞き、援助の手を差しのべるのが日常となっている。多くはそういう仕事に就くことで、弱い立場にある人のために自分の力を使いたいという志を持つ人であるために、知らずしらずのうちに「相手の立場に立つ」姿勢で仕事にのぞむ。ときには児童を虐待した親に怒りを感じたり、病の床にある人の苦しみを追体験したりもする。

 ところが、そういう共感的な態度を長期間続けると、心身は次第にエネルギーを削り取られ、ダメージを受ける場合があることが知られるようになったのだ。具体的にはそれは、不安感や落ち込み、イライラや怒り、集中力の低下、慢性疲労や頭痛、吐き気などの身体的不調として現れる。もちろん仕事の効率は下がり、ミスも目立つようになるので、それが「共感疲労」だと気づくことができなければ、本人は「私のがんばりが足りないのだ。これでは相手に申し訳ない」とさらに自分をむち打とうとするという悪循環に陥る。当然、疲労はさらに蓄積して、仕事の効率や成果も下がる。そのうち何をやってもうまくいかなくなり、「私はこの仕事に向いていないんだ」と退職したり、ついに“燃えつき状態”になって起き上がれなくなったり、悲劇的なケースでは自責の念から自ら命を絶つ人もいる。

 もちろん、今回のウクライナ侵攻では、日本の人たちのほとんどは職業上、この問題にかかわっているわけではない。しかし、前述したようにおびただしい量の情報に触れ、あたかも目の前にいる人にするように現地の人たちに感情移入しているうちに、程度の差こそあれ、この共感疲労の状態にまで至っている人が少なくないことは十分、考えられる。

 さらに、「共感」はウクライナの人たちに対してのみ起きるわけではない。侵攻が長引き、世界からロシアへの種々の経済的制裁が加えられることによって、ロシアの一般国民の生活も苦しくなりつつある。ネットやクレジットカードが使えなくなり、外資系の店の多くは閉店。外国企業の引き揚げで職を失った人もいる。そういう状況が伝えられ、「ロシア国民が戦争を起こしたわけではないのに」と気の毒に思うのも「共感」であり、その結果、「共感疲労」が起きることも当然ありうる。

③「サバイバーズ・ギルト」という問題

 いくらSNSでウクライナ侵攻や被害を受ける人を身近に感じるといっても、スマホから目を上げればそこには“いつもの日常”が広がっている。日本はとりあえず平和で、春風も吹き始めた。子どもが受験に合格したとか友人が昇進したといった、この時期ならではのうれしいニュースもある。多くの人は、心の中で「私のまわりは、いまのところ平和でよかった」とホッとするのではないか。

 ところが、そこで「ここだけ平和でよいのか」と苦しむ人もいる。災害や事故などで生き残った人たちや、被害が少なかった人たちを襲うこういった感情は、心理学で「サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)」と呼ばれている。アウシュビッツ収容所から生還したユダヤ人が戦後、抱いて苦しんだ感情として知られたものだ。

 東日本大震災のあと、津波や原発事故の被災地から離れた東京の診察室でも、「ここは無事で水も電気も食べものもあります。ふつうの生活を送っているのが申し訳ない。温かい食事を私だけ食べてよいのか」と「サバイバーズ・ギルト」を訴える人が大勢いた。今回も一部の人たちは、「日本が平和でよい季節であればあるほど、ウクライナと比較して申し訳なさを感じる。素直に喜んだり楽しんだりできない」と感じているのではないだろうか。

 繰り返すが、今回の戦禍ではSNSにより、私たちはウクライナ、さらにはロシアで生きている“個人”とつながり、その人たちの苦しみや嘆き、あるいは受けている被害をリアルタイムでダイレクトに知ることができる。職場の同僚がこんな話をしてくれた。

「インスタグラムでウクライナからポーランドに避難中の人のアカウントをフォローしている。避難する直前から見ていたので、無事に国境を越えられるか、ハラハラしながら見守っていた。いろいろ困難はあったが、なんとか向こうに着いたときは思わず涙がこぼれた。

 そのアカウントの投稿をさかのぼって見ると、わずか1カ月前まではふつうに洋服やヘアスタイルの写真をアップしているおしゃれな女性だったんだよね。それが、いまはほとんど着の身着のままで知らない場所に逃げている。本当にやるせないよ」

 こんなふうに、戦地にいる個人の現実や心情に没入しながら戦争のゆくえを見守った経験を、私たち人間はこれまでしたことがなかったはずだ。「遠い国の戦争」を身近な問題として感じるには、少ない報道から精いっぱいの想像力を働かせたり、現地でのジャーナリストのルポを読んだりするしかなかった。しかし、現代は違う。手の中のスマホをちょっとだけ操作すれば、そこにはいま空爆を受けている町からのリアルタイムの映像配信があり、住み慣れた家を離れて逃げようとしている人たちの悲痛な姿がある。場合によっては、その人たちとメッセージのやり取りをすることさえできる。

 それによって私たちの心がどんなダメージを受けるのか、わかっている人は誰もいない。今回はPTSD、共感疲労、サバイバーズ・ギルトといった従来から知られている概念を用いて説明を試みたが、その枠には収まらない“何か”が、戦地にいるわけではない私たちの心身に起きる可能性もあるのだ。

「それを避けるためにも情報には触れすぎないでください」と言うのは簡単だ。しかし、それははっきり言って無理だろう。また、ウクライナやロシアでいま「何が起きているのか」を知るのは、好むと好まざるとにかかわらず、グローバル社会を生きる私たちの責務だとも言える。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 ただ、それでもやはり知っておくべきだ。SNSによって世界の個々人に届けられるこの戦争は、これまでとは次元の違う没入感をもたらしている。戦地にいない人の心にもたらされるショックや恐怖、同情や怒り、悲しみなどの強い感情、罪悪感などの大きさは計り知れない。そしてその結果、想定外の心理的ダメージを受け、そのままメンタル不調に陥る人が出てきても不思議ではない。

 根本的な対策はただひとつ、戦乱が早く収まることなのであるが、それまでの間、それぞれがなんとか自分や家族の心を守ることも考えるべきだ。そうなるとやはり、スマホやメディアとの接触時間を減らす、自分を休ませ楽しいことに集中する時間も持つ、運動なども取り入れてからだに注意を向ける、といった常識的な対策しかないということになるだろうか。そして、不眠や落ち込みが続くようになったら、早めにメンタル専門医のもとを訪ねて相談する。現時点で思いつくのはこれくらいだ。

 とはいえ、これまでにはないことが起きているのだから、対策もこれまでにはなかったものが必要になるはずなのだ。この問題は、これからも引き続き考えたい。


 ようやく雪がやんでくれた。今朝も除雪車が来ていった。明日からは日も指すようだが、週間天氣予報を見てもまだ数日雪マークがある。これでは大幅に雪融けが遅れそうだ。