荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ザ・ダンサー』 ステファニー・ディ・ジュースト

2017-06-13 01:02:58 | 映画
 現在公開されている作品のなかで、個人的に非常に気に入っている作品がある。「キネマ旬報」の星取りレビューでも絶讃の短評を書いたのだが、あまり読まれていない可能性もあるので、ここでもう一回触れておきたい。フランスの女性監督ステファニー・ディ・ジューストの長編デビュー作『ザ・ダンサー』である。
 19世紀末、ベルエポックのパリで活躍した女性舞踏家ロイ・フラー(1862-1928)のことはじつはまったく知らなくて、映画で初めて知った次第だ。アメリカ中西部のフランス系移民の娘である彼女は、田舎でくすぶっていたが、父親の死をきっかけにニューヨークに出て、夢である舞台女優をめざす。芝居の幕間で余興で踊ってみせたところ、そこそこ喝采を浴びたことから、ダンサーに転身する。
 ロイ・フラーを演じたミュージシャン兼女優のソコが、非常に素晴らしい。通常、中性的という言葉はどちらかというと女性性を併せ持つ男性に使われるケースが多いが、ソコは逆で、ある種の男性的な顔貌も兼ね備えた女性である。それほど美貌に生まれついたわけではなかったロイ・フラーは、羽を広げた白鳥のような絹の衣裳と、強烈な照明効果を活用しつつ、肉体の酷使によってオリジナリティを見出す。ひとりのアーティストの半生記という意味では、いわゆる「芸道もの」というジャンルに属する映画である。しかしこれほどフィジカルの強調された「芸道もの」は、パウエル=プレスバーガーの『赤い靴』(1948)以来あっただろうか。「スポ根もの」のような「芸道もの」である。
 まだ時代はコルセットの時代だった。そこに彼女はみずからの肉体によってアール・ヌーヴォーを体現した。初期のシネマトグラフにも踊る彼女がいる。そういう端境にいる感覚が、この作品から伝わってくる。美と悲惨がない交ぜとなってゴロゴロと転がっていく世紀の始まりとは、こういう火のような舞いによって印をつけられた。絵画においてジャポニスムが興ったのと同様に、ロイ・フラーが川上音二郎一座を招聘して、パリで川上貞奴ブームを生み出したのは面白い。映画においても、ロイ・フラーの日本舞踊へのリスペクトの念は印象的だ。上写真は、ロートレックが彼女の舞踏公演を描いた絵である。
 最後にひとつ。本作のシナリオは監督のステファニー・ディ・ジューストとトマ・ビドガンの共同によるものである。ホワイ・ノット・プロダクションの制作担当だったトマ・ビドガンはやがて脚本にも着手するようになり、ベルトラン・ボネロの『サンローラン』(2014)も書いている。『サンローラン』は私の偏愛する作品であり、今回の『ザ・ダンサー』も含め、私はこのトマ・ビドガンというライターが好みのようである。


6/3(土)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座、Bunkamuraル・シネマほか全国公開中
http://www.thedancer.jp