荻野洋一 映画等覚書ブログ

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橋本一径 著『指紋論 心霊主義から生体認証まで』

2010-11-18 00:11:23 | 
 犯罪科学についての地味な専門書と見まがうこのタイトルを見ただけでは、私は本書を手にすることもなかったに違いあるまい。しかし、著者である橋本一径の名を見つけたとたん、俄然これは読まねばという切迫した感情を隠すことができなくなった。映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」誌(現在は存在しない)の編集委員仲間として、われわれは企画会議や食事の席でしょっちゅう顔を合わせていたし、実際その時代にすでに、彼が「指紋」という研究テーマに精力を傾けている事実を、彼自身の口から聞いていた。

 そしてこの秋、ついにその注力の個人史が、この『指紋論 心霊主義から生体認証まで』(青土社 刊)という一冊の書物となって実を結んだ。私は、大いなる隔世の感と共に、本書のページをめくり続けた。そして、単なる仲間褒めではないとはっきり言っておきたいが、本書がきわめて興奮を掻き立てる充実した内容を有しており、良質なスリラー映画か、さもなければ、ジョゼフ・ロージーの『パリの灯は遠く』を見るような陰々滅々たる危機意識と共に読むべきものであることを毎ページ確認しながら、笑みを浮かべたのだった。「やったな!」という感じである。
 ところで本書は、映画への言及がストイックに排除されている。19世紀末から現在まで、という本書の語るタイムスパンが、映画の歴史とぴたりと重なるにもかかわらずである。それだけに、本書執筆中の彼の内部で思い定められたであろう「映画の力に頼るのは、絶対にやめよう」という覚悟が、如実に感じられる。例外は、パリ市内の慈善バザー会場において、発明まもないシネマトグラフが発火し、大惨事となった経緯を語る章だけである。この火災事故で焼死した大多数の人の遺体は、原形をとどめぬほど痛ましく炭化した。そして歯科医による治療跡の照合が、遺体の身元を割り出すのに、功を奏したというくだりである。

 ここで、だらしなく昔話に花を咲かせるならば、後期カイエのメンツでは、東大の人脈がひとつの系譜を築いていた。木下千花に始まり、常石史子、橋本一径、石橋今日美といった人たちの相次ぐ参加である。やや先行する私のように大雑把な世代にくらべて、彼らはおおむね、その論旨、筆法が厳密であった。ただ、彼らの多くは遅かれ早かれ、海外への留学を控えている身であり、1人また1人と抜けていく。これは、彼らのキャリアの発展にとって欠くべからざる必然であるが、同時に、度重なる人材の流出が、雑誌の委員会制を弱体化させた面がなきにしもあらずであった。
 とにかく雑誌休刊後、私と彼は顔を合わす機会がすっかりなくなり、そのあいだ、たがいに10歳近く年を取った。そしていま、彼はここに、こういう答えを提示して見せた。これは負けられぬ。私は私なりに、そういうエネルギーをもらったのである。


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3 コメント

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先輩? (竜鳥)
2010-11-19 17:15:24
こんばんは!

中洲さんは赤門出身でしたか。
私の先輩ですね。
私の場合 学歴のわりに仕事ができないので嫌われまくりです。

中洲さんは大活躍みたいで羨ましいです。

でもこの前 朝まで飲まれた時 チョット弱気な記事を書かれてましたが…。
なんか変なコメントでスミマセン。
竜鳥さん (中洲居士)
2010-11-20 02:24:42
こんばんは。

わたくしは東大出身ではありません。ちょっと、上記事の表現が説明不足ですね。「カイエ」編集委員会のメンバーのうち私よりも下の世代は、表象文化が創設された影響からか、ぐっと東大出身者が増えていったということであります。

私の周囲でも、東大出身の方は気苦労が多いですね。ミスをしても「東大を出ているクセに、あんなことも知らないの?」とか嫌みを言われるし、「東大出身です」と自己紹介すると、「えらそうに」と陰口を叩かれる。ちょっと気の毒だと感じるときもあります。
失礼しました (竜鳥)
2010-11-20 03:02:52
こんばんは?
おはようございます?
御返事ありがとうございます。
私の読解力不足でした。

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