目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

目黒七福神コース 約7.0km

2023-01-08 16:15:18 | 東京都目黒区、品川区、港区
年はじめ恒例の七福神巡りです。正確には「江戸最初 山手七福神」で「新宿山ノ手七福神」と区別しています。「江戸最初」の枕詞の通り江戸の七福神巡りでは最古参の部類に入るようです。一部は朱引き外で江戸ではなく武蔵の国ですが、目黒不動が寺社奉行の管轄だったのでほぼ江戸といっていいのでしょう。


大鳥神社
集合は大鳥神社、区内最古の神社といわれています。お参りをし、境内をお借りしてストレッチをしてスタートです。


センリョウ

マンリョウ


蟠龍寺(弁才天)

岩屋辯天

辯天堂のお前立

おしろい地蔵
辯天堂の木造辯天像は岩屋辯天のお前立だそうです。


不動尊参道のカレー屋さん
いろいろ店が変わっていますが元のお寿司屋さんの看板が残っているようです。



蛸薬師(成就院)


比翼塚
かむろ坂の名の由来にもなっています。


滝泉寺(目黒不動:恵比寿)

大日如来

増長天
御本尊は不動明王で毎月28日に御開帳が行われ、その日は縁日で露店が並びます。不動明王は大日如来の化身といわれ、御本堂の裏に大日如来坐像が控えています。不動明王の役割についてWikipediaから一部抜粋します。
仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。

四天王で南方を守る増長天は戟(げき、ほこ)を持ち邪鬼を踏み従えています。


墓地の観音様
十一面観音菩薩像、地蔵菩薩像と弥勒菩薩半跏思惟像です。十一面観音がもたらしてくれる恵みについてWikipediaから抜粋します。
十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。

十種勝利
・離諸疾病(病気にかからない)
・一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)
・任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)
・一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)
・國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)
・不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
・一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)
・水不能溺(溺死しない)
・火不能燒(焼死しない)
・不非命中夭(不慮の事故で死なない)
四種功德
・臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)
・不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
・不非命終(早死にしない)
・從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)


ありがたや、ありがたや。



甘藷先生墓
国指定史跡
所在地 目黒区下目黒3-20-26滝泉寺内
指 定 昭和18年5月1日
 江戸中期の儒者。通称は文蔵。元禄11年(1698)に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。幕臣大岡忠相 の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、のち評定所儒者・書物奉行となる。
 彼は八代将軍徳川吉宗 の命により蘭学 を学び、長崎に遊学し、『和蘭文学略考』『和蘭貨幣考』『和蘭語訳』などを著述する。また、『蕃薯考』を著し、救荒作物として甘藷 の栽培を奨励したために”甘藷 先生”と呼ばれた。一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書を調査・収集した。明和6年(1769)歿。行年72歳。
昭和62年3月21日建設
東京都教育委員会


墓石の文字は青木昆陽先生が生前書いたものです。


椎の木・太鼓橋
椎の木
椎の木はブナ科の紅葉常緑樹で、目黒区の木として指定されている。椎の木は浮世絵師、歌川(安藤)広重(1797-1858)画の<江戸名所百景-目黒太鼓橋夕日の岡>1857(安政4)年中にも描かれている。水と緑に恵まれたここ夕日の岡一帯は、遠く富士の頂をのぞむ美しい自然の名勝として椎の木とともに親しまれてきた。

太鼓橋
太鼓橋は1700年代初頭に木喰上人が造り始め、後に江戸八丁堀の商人たちが資材を出し合って1764(宝暦14)年から6年の歳月を経て完成した。広重はこの太鼓橋を浮世絵に描いており、こうしたアーチ型の石橋は江戸の中でも他に例がなく、目黒の欧風文化の第一号とさえ言われていたが、1920(大正9)年9月1日に豪雨により石橋が濁流にのまれたため、1932(昭和7)年架設された。現在の橋は、目黒川流域の都市整備計画により1991(平成3)年11月に完成した。



大円寺(大黒天)


八百屋お七と吉三(西運)
 江戸時代、本郷駒込町に住む八百屋の娘お七は、天和2年(1682)の火事の際、避難のためしばらく間近くの円林寺に仮住まいしており、その時に寺小姓吉三に恋したという。お七が十六才、吉三が十八才でした。
 しかし、短い避難生活のこと、やがて離れ離れになってお七は吉三に会いたさゆえに乱心し、自宅に火を放ったのです。大事には至らなかったものの、当時放火は火あぶりの大罪。お七は江戸中引き廻しの上、大井・鈴が森の処刑場で火刑に処せられました。
 その後、恋人吉三は剃髪し、西運と名を改めて、お七の菩提を弔うために念仏を唱えながら諸国を行脚しました。その後、江戸にもどった西運は、大円寺の坂下にあった明王院(現ホテル雅叙園東京)に阿弥陀三尊仏を祀り、身を寄せながら隔夜日参一万日という念仏業を始めました。浅草寺までの道のりを雨の日も雪日も休むことなく、鉦をたたき念仏を唱えながら、一万日の行を二十七年と五か月かけて成し遂げました。その夜、お七が夢枕に立って成仏したことを告げたのですがその姿が今現在も阿弥陀堂に祀られているお七地蔵になります。
 西運は集まった浄財で行人坂の石畳を直し、目黒川に架かる橋を石の橋に造り替え、社会活動の数々を行いました。そのことを伝える当時の石碑があり、現在文化財指定となり、寺に伝えられています。
地蔵菩薩 ご真言
  おん。かかか。びさんまえい。そわか。




ホリプロ

目黒駅上空に猛禽類



妙円寺(福禄寿、寿老人)

プラチナ ドン・キホーテ白金台店
こちらのお店には将軍お鷹狩りウォークのスポンサーとしてお世話になっています。


地蔵堂




瑞聖寺(布袋尊)

日吉坂町会
♪白金小学校合唱団♪NHK全国学校音楽コンクール全国コンクール銅賞受賞!!おめでとうございます。


クラウン
トヨタモビリティ東京にあったのですが車種が分からず、前から見た時「マセラティ?」と思ってしまいましたが、クラウンでした。



覚林寺(毘沙門天)
前会長の腰の痛みが治ってすこやか歩こう会のみんなと一緒に歩けるように浄行菩薩様の腰をたわしでこすってきました。


旧海軍軍人白金墓地記念堂

明治学院大学

高輪消防署二本榎出張所

三菱電機高輪荘
清正公から桜田通りを高輪台まで南下します。


池田山公園

雪つり

ロウバイの蕾

石に根付く若木
池田山公園で二度目のトイレ休憩、トイレが新しくきれいになりました。ロウバイはまだ葉が落ちず開花は先のようです。


タイ大使公邸
目黒駅近くまで戻り上大崎児童遊園をお借りしてストレッチをして解散しました。

これまでこのウォーキングの後必ず寄っていた天狗目黒西口店が閉店してしまったので、この日は惠比壽ビヤホールへ。山手線外回りが渋谷駅改良工事のため運休しているのでタクシーで向かいました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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目黒七福神コース 約7.0km

2022-01-10 10:44:23 | 東京都目黒区、品川区、港区
あけましておめでとうございます。
すこやか歩こう会では「目黒七福神」と言っていますが、正式名称は「元祖山手七福神」となります。新宿にも山手七福神がありそれと区別するためかな。
このコースは二年ぶりになります。毎年新年一回目のウォーキングコースとしてすこやか歩こう会始まって以来続けていましたが、昨年はCOVID-19の対応のため別のコースを歩きました。コロナ禍は今もおさまっていませんが、一年間対応を模索し、皆さんワクチン接種されているということで七福神めぐりコースを復活させました。コロナ禍前の生活を取り戻して初めて新型感染症に打ち勝ったと言えるのでしょうが、今はまだ道半ば。しかし着実の前へ歩んでいると思っています。

年末に新しいカメラを購入したので、今回は写真多めです。カメラ機能の違いについても少しだけ触れてゆきたいと思います。



大鳥神社
集合場所は山手通りと目黒道理に交差点にある大鳥神社。こちらは七福神巡りとは関係ありませんが、すこやか歩こう会の会員の方の多くはこちらで新年のお参りをしてから歩きはじめです。この日はにぎやかだなぁと思ったら、練習を終えた少年野球チームがお参りに来ていました。目黒の由来について他で聞いたことがないような記述があったので、Wikipediaから引用します。
大鳥神社(おおとりじんしゃ)は、東京都目黒区下目黒にある神社。かつての目黒村(それ以前は下目黒村)の総鎮守。11月に行われる酉の市でも知られる。目黒区最古の神社。

部下の目の病を治癒を祈願し、無事治癒した由緒があり、盲神(めくらがみ)と呼ばれ、この「めくら」が段々と訛っていき「目黒(めぐろ)」という地名の由来の神社となっている。







蟠龍寺(弁才天)

岩屋弁天
ウォーキング際はコンパクトデジタルカメラ(以下コンデジ)を使っており、ときどき思うように撮れないケースがありました。新しく購入したのはミラーレスデジタルカメラ(以下ミラーレス)で、私が使っているデジタル一眼レフカメラと同程度の大きさのイメージセンサーを備えている割には、コンデジ同様にコンパクトで手軽に撮影できます。コンデジではこの岩屋弁天の写真は撮れませんでした。



成就院(蛸薬師)
こちらも七福神めぐりとは関係ありませんが、今年一年の健康を願って皆さんお参りしたい場所です。蛸薬師についてWikipediaから引用してみます。
蛸薬師(たこやくし)は、日本における伝承信仰。京都や東京の蛸薬師が知られているが、伝承自体は愛媛県、千葉県、神奈川県、福井県、兵庫県、大阪府、岩手県、埼玉県、栃木県、静岡県、山形県など全国各地に存在する。その由来は地方によって様々であるが、身の危険を感じると墨を吐く習性のある蛸は暗闇でも見える目を持つ生き物とされ、これにあやかって眼病を治すと言われたり、吸盤によって吹き出物や疣を取り払う効能があるとされたりする。

東京の蛸薬師
東京目黒区の蛸薬師は成就院の本尊とされ、慈覚大師(円仁)が自身の眼病平癒のために作ったものに由来すると伝えられている。慈覚大師が唐から帰朝の折に暴風雨に遭い、その際に先の像を海に投じて祈ったところ、無事帰り着くことが叶ったという。その後諸国巡礼の際に肥前松浦で投じた薬師像が蛸に乗って顕現し、小像は慈覚大師の手元に戻ることとなった。目黒で疫病が流行した際に、この小僧を胎内仏として製作した薬師如来が現在の成就院蛸薬師となっている。成就院蛸薬師の効能について、井上喜平治『蛸の国』では蛸を断食して祈ることで吹き出物・疣が治癒すると紹介されている。こうした話は松平定信の『花月草紙』にも紹介されており、民間伝承として広く信仰されていたことが伺える。





安養院
ロウバイを見るためにこちらに寄ります。葉をつけたままロウバイが咲いていますね。


比翼塚


滝泉寺(目黒不動:恵比寿)
目黒不動は広すぎて、恵比寿神にお参りをせず不動明王を拝んできました。お寺でははじめにご本尊にご挨拶することが礼儀なので、そのあと三福堂にお参りするのは導線的に難しいかな。


凍結路面
三日前に降った雪がその後の冷え込みにより凍り、ところどころこんな状態になっていました。



甘藷先生のお墓
目黒不動と言えば青木昆陽。


レトロな医院

レトロな居酒屋

目黒川

目黒雅叙園前の紅葉
雅叙園の入口に「お七の井戸」があることを地図で知りました。今度行ってみることにしましょう。








大円寺(大黒天)
大圓寺に国指定重要文化財があることは知りませんでした。庚申塔も複数ありますが、目黒区のサイトでこちらの庚申塔は紹介されていません。「ここはもしかして品川区?」と地図を確認しても、Wikipediaを確認しても目黒区となっています。重文について調べてみると私の認識が誤っていました。唯一の重文だと思っていた円融寺の釈迦堂は「建造物としては唯一」と紹介されていました。建造物の重文にはその後旧前田邸の尊經閣文庫と洋館和館が指定されています。建造物以外では大圓寺の木造釈迦如来立像が昭和32年に指定されており、青木昆陽墓が昭和18年に国指定史跡になっています。戦時中の指定には特別な意味があるのでしょうか。



妙円寺(福禄寿、寿老人)





瑞聖寺(布袋尊)

布袋尊

御本尊の釈迦如来
目黒通りを東へ向かいます。通り南側の歩道はビルにさえぎられて日が当たらないため凍っている箇所が多数ありました。
布袋尊やご本尊は岩屋弁天同様にコンデジでは撮影できなかった被写体です。写真の露出を決める要素は感度(ISO)、シャッタースピード、絞りです。フィルムカメラの場合はISOはフィルムの特性で決まってしまうので撮影中に変更することはなく、シャッタースピードと絞りのみの調整でした。プログラムオートを利用するとピントが合う範囲を工夫できないので、絞りは自分で決めてシャッタースピードをカメラ任せにする絞り優先オートで撮影していました。デジカメになりISO、シャッタースピード、絞りの三要素が可変になっても、絞り優先オートで撮っていましたが新しいカメラを導入し「プログラムオートでもいいんじゃない」と思い始め今はその実験中です。布袋尊はISO6400、御本尊はISO4000で撮影されていました。ISOが高くなるとノイズが入り画像があれるのですが、撮像部が大きいこと、設計が新しいためノイズが気にならないシャープな写真が撮れていました。明るい場所の御本堂外観などは、ISO100で撮られており手ブレの心配がある場合のみ高感度撮影が行われるようです。





覚林寺(毘沙門天)
ちょこっと顔を出した子狐様がかわいいです。



明治学院

二本榎出張所
桜田通りを南へ向かいます。夕方になり寒くなってきました。






池田山公園
マクロレンズではないのであまり寄ることはできませんが、チルト式ディスプレイがついているので地面近くの被写体が撮りやすくなりました。


タイ大使公邸
目黒駅へ戻り自転車文化センター裏の公園は子供たちが遊んでいたので、目黒セントラルスクエア森の広場の一角をお借りしストレッチをして解散しました。その後中目黒で小規模新年会。

本年もよろしくお願いします。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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