目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

代官山・恵比寿・広尾コース 約7.6Km

2020-04-29 09:30:37 | 東京都目黒区、渋谷区、港区

小池都知事が提唱する「ステイホーム週間」が始まってから初めてのウォーキングになります。参加者は4名で、ストレッチも距離を取りウォーキングも間隔をあけ、それなりの配慮をして歩いています。
8キロ弱と、すこやか歩こう会では平均的なウォーキングなのですが、活動を終えた時はかなり疲れており、体力が落ちていること実感しました。こんな時なので意識して体を動かし免疫力を高め、生活習慣病に陥らないことも、大切な人を失わないため感染症にかからないことと同じくらい大切なのではないでしょうか。


目黒川沿いのジャスミン
中目黒GTに集合し、目黒川舟入場でストレッチをしてから目黒川をさかのぼってゆきます。


みどりの鎌倉街道
猿楽町交番から目黒川方面へ下りの一方通行は私が子供の頃は暗闇坂と言っていました。現在渋谷区の施設として公開されている旧朝倉邸に忍び込んでカブトムシを探しました。私は会ったことはありませんがお婆さんが住んでいて見つかると怒られるとのことでした。目切坂として月刊めぐろに紹介されていますのでその記事を引用します。
目黒の坂 目切坂
更新日:2014年2月3日

「目黒の坂」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の坂 目切坂
東横線代官山トンネルの真上にある交差点の一番せまい道を入ると、目切坂がある。この坂は、青葉台一丁目と上目黒一丁目の境を、高い塀と住宅に囲まれて、いくつかに折れ曲がり、西に下っている。坂の形は、今も昔もあまり変わりはないという。
この坂のある位置は、東横線中目黒駅のホームから代官山の方を見るとわかるように、ちょっとした山となっている。この山を丸旦山と呼び、急な傾斜になっている。そのためふもとから山頂までは、切り通しを設けねばならなかった。ところが、この坂は、斜めに切り通しをしたので、ちょうどひき臼の目切に似ていたという。
また、明治10年ごろまで、この坂上で伊藤與右ヱ門という者が、石臼の目を切る仕事をしていたということで、「目切坂」と呼ばれたそうだ。ほかにもいくつか説はあるが、はっきりしたことはわかっていない。
また、この坂は、昔、鎌倉街道の中途にある昼なお暗い林の中を通っていた。そんなことから別名を「くらやみ坂」または「しめ切坂」などとも呼ばれていた。
坂上から歩いて下ると約300歩あるので、250メートルぐらいはあろう。坂には、4つのカーブがある。住宅建設が進み、周囲の様子はかなり変化してきているが、今でも歩く人は少ない。ときどき自転車を重そうに押して上って行く人が、目につくぐらいである。そうかといって深閑としているわけではない。坂上の大通りから、しばしば自動車が下って行く。


以前、歩道が狭く歩きにくい坂でしたが東京音楽大学のキャンパスが完成し「みどりの鎌倉街道」を歩けるようになったためとても便利になりました。すこやか歩こう会でみどりの鎌倉街道を歩くのは初めてです。鎌倉街道ですが東は並木橋を越えて金王八幡宮を通り、原宿方面へ続きます。西については同じ月刊めぐろから引用してみましょう。
目黒の坂 小川坂
更新日:2014年2月3日

「目黒の坂」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の坂 小川坂
中目黒駅から山手通りを大橋方面へ向かって歩くと、上目黒交差点から西へ斜めに入る道がある。東山一丁目と上目黒三丁目の境を、烏森小学校のほうへと上るこの道が小川坂。弓のような弧を描く緩やかな坂で、周辺に旧家小川家所有の土地が多かったのが、名前の由来ときく。
小川坂上の寿福寺辺りは、小高い丘陵地帯で、旧小字名を宿山と呼んだ。鎌倉街道のひとつがここを通過していたから、その宿駅という意味であろうか。
小川坂も鎌倉街道の一部で、坂を下ると目黒川に架かる宿山橋から目切坂を経て渋谷へと続き、坂を上ると寿福寺から碑文谷八幡宮、下野毛へと通ずる。昔、坂東武者が鎌倉目指して駆けたこの坂も、現代の馬「自動車」にとっては下りだけの一方通行路である。



新坂橋

スプリングバレーブルワリー東京
この橋跡を意識して見ている人は少ないでしょう。代官山駅近くかつて踏切があった坂にあり、三田用水の分水にかけられた橋でした。槍ヶ崎に樋が架けれていたころから何度も通っていますが、用水が流れていた記憶はありません。スプリングバレーブルワリー東京へ行くことがあったら近くの橋跡を探してみてください。


庚申塔群

庚申橋西交差点
踏切があった坂を登り、尾根を越えるとすぐ下りになって下りきった恵比寿西1交差点手前に庚申塔群があります。かつて目黒や世田谷の百姓が野菜を担いで歩いた道で、庚申橋を越えると江戸御府内に入ります。



阿弥陀石棺仏
阿弥陀石棺仏
東三丁目10-13 曹洞宗 渋谷山 福昌寺
区指定有形文化財 平成19年3月1日

石棺仏とは、古墳時代の石棺を転用して、そこに仏像を彫り込んで路傍に立て庶民が礼拝の対象としたものです。本石棺仏は、古墳時代中後期頃の家型石棺の蓋を利用しており、その内側は長方形に彫り窪められています。中心部に表されるのは蓮台上に立つ阿弥陀如来像で、船形光背を負い、来迎印を結ぶ姿が浮き彫りにされています。現存する阿弥陀石棺仏の多くが座像であり、このような立像は稀な例になります。
この石棺仏の材質は、兵庫県高砂市・加西市付近を産地とする播磨竜山石と考えられます。石棺仏が彫られた時期は、その像容や年紀を持つほかの作例から見て、南北朝時代頃と推定されます。現状は石棺蓋の上端部に物が奉置されるような窪みが穿たれていますが、阿弥陀如来像や蓮華座に破損や摩滅等がほとんど見られず、保存状態は比較的良好です。
この阿弥陀石棺仏は、和歌山県那賀郡から運ばれて来たものと伝えられ、昭和25年頃に造園業を営む東光園が入手して当寺に寄進したもので、東京では本例のみという珍しいものです。
渋谷区教育委員会



広尾商店街

広尾湯
明治通り渋谷橋から裏道に入り、東北寺の墓地脇から臨川小学校裏を抜け、祥雲寺墓地北側の道を歩いて広尾商店街に出ました。ドイツパンの東京フロインドリーブはシャッターが閉まっていました。最近閉店してしまったとのことで残念です。バウエルンブロートとプレッツェルがおいしかったのに。この場所、しかも商店街の真ん中にお風呂屋さんが健在とは嬉しいことです。


モルモン教会の天使
西をむいていると記憶していたのですが逆で東を向いていました。東日本大震災の時に逆向きになってしまったとユタ州から来た人に教えてもらったことを覚えています。そのユタ州でも最近地震があり、ソルトレイクシティのモルモンテンプル尖塔の天使は落ちてしまったようです。



有栖川公園
こちらでトイレ休憩としました。遊具がある児童遊園は港区により閉鎖されていましたが、広場では多くの子供ずれ家族が遊んでいました。百年に一度ともいわれる感染症騒ぎは、子供の成長にどんな影響を与えているのでしょう。



恵比寿ガーデンプレイス
新富士見坂を下り、天現寺交差点の歩道橋を渡って外苑西通りを南へ向かい、港区渋谷区品川区の三区界を右折し、目黒区渋谷区品川区の三区界を通りウェスティンの裏からガーデンプレイスに入りました。三越もグラススクエアの飲食店も休業中で、ガーデンプレイスは閑散としていました。


からくり時計
エントランスパビリオン前を通った時にちょうど3時になりからくり時計が動き始めました。ドイツミュンヘン新市庁舎の仕掛時計「Glockenspiel(グロッケンシュピール)」をモチーフに作ったものと思われますが、看板にはオクトーバフェスタの文字が見えます。ミュンヘンの旅をまとめたものはこちら。グロッケンシュピールはかなり大規模ですが、高いところで遠いんですよね。


先頭がもっているのはバイエルンの旗
サッカーファンにはおなじみなのかもしれませんが青い旗はバイエルン州の州旗です。ミュンヘンはバイエルン州の州都として栄えました。


からくり時計のフィナーレ
9月中頃からひと月くらい行われるオクトーバーフェストはビール会社が祭り向けに特別に醸造したアルコール度数の高いビールの樽を市長が開栓することを合図に始まります。感染症の影響で今年のオクトーバーフェストは中止が決まっています。ミュンヘンじゃなくていいから、早くビヤホールでビールが飲みたい!

コースは別所坂公園でゴールの予定でしたが、3時で閉鎖されてしまうので新茶屋坂を下りてこの日のゴールとしました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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すこやか歩こう会推奨富士コース 約7.1km

2020-04-23 10:52:29 | 東京都目黒区

このコースは「めぐろウォーキングマップ 目黒と富士の絆を歩く8.4km」のベースとなるコースです。めぐろウォーキングマップはネットに掲載されると聞いていたのですが、まだ掲載されていないようです。先日目黒区役所を訪れた際には、西口エントランスに山積みになっていました。緊急事態宣言が解除されれば各住区センターや体育館での入手可能となるはずです。裏面を見ると
めぐろウォーキングマップ
令和2年2月発行
発行 目黒区
編集 目黒区 健康推進部 健康推進課
       文化・スポーツ部 スポーツ振興課
   東京都目黒区上目黒二丁目19番15号
電話 03(3715)1111
協力 目黒ウォーキング協会
制作 (株)中央ジオマチックス

となっており、今年二月に発行されました。これまで目黒ウォーキング協会が協力して作成されたウォーキングマップは
めぐろ健康ウォーキングマップ
平成19年3月発行
発行 目黒区教育委員会

坂道ウォーキングのすすめ
平成22年3月発行
発行 目黒区
編集 目黒区健康推進部健康推進課
価格 200円

があります。この他に私の手元にあるのは、
さわやかWalkingイラストマップ
平成8年3月発行
発行 東京都健康推進財団
定価 114円

めぐろWALK
平成26年6月発行
発行 めぐろ観光まちづくり協会

があります。「めぐろWALK」は中目黒GT地下一階めぐろ観光まちづくり協会で入手可能だと思います。
めぐろウォーキングマップは東京都の事業でもあり、「トーキョーウォーキングマップ」に掲載されると聞いています。これまでのマップでは目黒区内で完結することが求められましたが、「近隣の区を訪れても良い」ということで「目黒と富士の絆を歩く8.4km」の提案が可能となりました。私が提案したコースからいくつか変更されています。変更提案があるたびに「わかってねぇなぁ」と思っていたのでその部分も含めて紹介してゆきます。


東山一丁目のフジ

東山二丁目のハナミズキ

大橋のフジ
このウォーキングは土曜日に計画されていたのですが、記録的な大雨で代わりに日曜日に歩いているものです。現在すこやか歩こう会の活動は完全自由参加なので、いつ歩いてもいいのです。翌日月曜日も雨だったので、日曜日のこの晴天は貴重でした。東山一丁目の南半分は字小川で北半分は字東山です。二丁目三丁目は字東山になります。字東山は明治初期から帝国陸軍駒沢練兵場だったため、戦後は公務員住宅やその他国の施設が多くなり、字小川だった地域や隣接する字宿山とは雰囲気が異なります。練兵場だった地域は、以前無機質な四階建て団地が並んでいましたが、高層に集約され跡地が公園になって広々としたいい環境になりました。それに対し字小川や字宿山だった地域は小さな家が多く公園はほとんどありません。鎌倉街道の宿場として古くから商業に関係した人たちが密集していたものと思います。



仰光寮
まだウォーキングスタート地点へ向かっている途中です。「仰光寮」という建物があると聞き、普段は通らない道を歩いてみました。都立駒場高校の敷地内にあり、この高校が元は女学校だったということを思い出しました。調べてみると元は東京府立第三高等女学校で、六本木ヒルズ近くにあった学校が戦後移転してきました。Wikipediaから仰光寮の項を引用します。
仰光寮(お花御殿)
敷地内には「仰光寮」と呼ばれる木造二階建ての建築物が残されている。これはもともと香淳皇后が当時の皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇)の妃に内定した際、お妃教育の場として建てられた「お花御殿」である。彼女が入内した後、当時の東京市麻布区日ヶ窪に校舎があった東京府立第三高等女学校(現在の駒場高等学校)に下賜された。第二次世界大戦後に校舎を現在地に移転した際に仰光寮を移築し、現在に至っている。
現在は老朽化が進み立ち入り禁止の措置がとられているが、学園祭の際には例外的に寮中を見学することができる。



目黒一中の井戸
校庭の隅に井戸がありました。手押しポンプがあるので現在でも枯れていないのでしょう。目黒区の標高の高い場所にありますがどれくらいの深さに地下水があるのか気になるところです。


東大教養学部正門
緊急事態宣言中なので珍しく門が閉まっています。「関係者以外立ち入り禁止」となっていますが、普段近所の人は守衛さんに挨拶をして普通に入ってゆきますし、我々も構内を歩かせてもらっています。いまは裏門がすべて閉じられていて通り抜けができないので、場所によっては20分以上回り道をしなければなりません。マップ作製のさい構内を通るルートも提案したのですが、却下されました。まあ常識的に考えればそうだろうな。


東大前商店街

三田用水跡の宅地

三田用水の点検口
三田用水の前身三田上水が1664年に開削され1724年に三田用水になり1974年に廃止されました。用水自体は1.8メートルの幅があったそうで、この奇妙な宅地は用水だった土地を宅地化したためこんな奥行きがない土地になりました。2009年5月にタモリ倶楽部で三田用水遺構を歩く企画があり、ゲストに漫画家の江川達也さんが出演していました。このとき青葉台四丁目のクリーニング店の女性が「昔は蓋を開けて水遊びした」と話をしていました。タモリ電車クラブ(2006年設立)同様に「タモ江地形クラブ」が2009年5月に設立されています。Wikipediaから引用しましょう。
タモ江地形クラブ(TAMOE GEOMORPHOLOGY CLUB)
地理企画も数多く行ってきたため、三田用水の跡をめぐる回(2009年5月16日放送分(関東地区))において「都内歩いているだけ企画」と江川持ち込み企画がシリーズ化。江川が「タモ江地形クラブ」(TAMOE GEOMORPHOLOGY CLUB)を発足させた。この企画でゲスト出演していた石田靖とビビる大木は、タモリから「1日だけじゃ三田用水の跡について分かってない」と会員札は貰えなかった。
「凹んで楽しい 東京スリバチ学会による最新研究成果発表会」(2010年2月13日放送分(関東地区))ではマギーが裏ルートで会員札を取得し進行役を務めたが、その回の最後でタモリに没収された。



駒場公園東門

前田侯爵邸和館

新設されたトイレ

前田侯爵邸洋館
前田侯爵邸は和館、洋館ともに国指定の重要文化財となっています。


駒場通りのハナミズキ

大橋通り
第三機動隊のあいだを通る道を大橋通りというそうです。コースは財務省の職員住宅であるこの入口から入り大橋へ抜けるルートを提案しました。先週ご紹介した天覧台はこの敷地内にあり、ここがかつてどんな場所だったかを知るための重要な史跡だからです。しかし公務員住宅なのでという理由で却下され、大橋通りを通るルートに変更されました。


オーパスブリッジ

天空庭園

富士山が見える気がする

おおはし里の杜
目黒と富士の絆を歩く8.4kmでは提案に含めなかった上目黒氷川神社が含まれました。富士登山道があり毎年山開きも行われているのでよい選択だと思います。オーパスブリッジは玉川通りを横断する歩道橋でエレベーターがついているので便利です。天空庭園は首都高速大橋ジャンクションの上に作られた区営公園です。公園の高い部分はクロスエアタワーの9階と接続し、低い部分はプリズムタワーの5階と接続しておりエレベーターに乗らないとたどり着かない不思議な公園です。おおはし里の杜では里山が再現され田植えなどが行われますが、通常こちらに入ることはできません。


錦鯉のかのう

菅刈公園

西郷山公園
マップのコースは目黒川沿いを歩き、STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYOがある南部橋のところで左折しますが、一本北の道を歩きました。菅刈公園西口から入り、畑の脇の坂道を登り北口から出て、さらに坂を登ると西郷山公園に到着します。このあたりには米国が占領した小笠原から引き揚げてきた人たちの住宅があったと聞きますがそれがわかるものを目にすることはありません。


エジプト大使館

カフェASO

デンマーク大使館
旧山手通り沿いには多くの大使館があります。カフェは臨時休業中、向かいのTサイトも休業中です。



猿楽塚
猿楽塚(さるがくづか)
猿楽町29番 ヒルサイドテラス内
区指定史跡 昭和51年3月26日指定
 ここにあるこんもりした築山は、六~七世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した古代の墳墓の一種です。
 ここにはその円墳が二基あって、その二つのうち高さ五メートルほどの大型の方を、むかしから猿楽塚と呼んできました。
 この塚があることから、このあたりを猿楽といい、現在の町名の起源となっております。
 ここにある二基の古墳の間を初期の鎌倉道が通っていて目黒川に下っていました。
 渋谷区のように開発が早くからはげしく行われた地域に、このような古墳が残されていることは非常に珍しいことです。
   渋谷区教育委員会


私が始めに聞いたのは源氏にまつわる話でした。抜粋するとかえってわかりにくいので、白根記念渋谷区郷土博物館・文化館で行われた特別展「渋谷に残された伝説」の展示趣旨をそのまま引用します。
 渋谷は現代の日本を代表する都市であるが、そうした中にも数多くの伝説が息づいている。本展示では、渋谷の伝説について、その内容ごとに分けて紹介する。
 中世の渋谷には、鎌倉街道や「渋谷城」と呼ばれる城館があったこともあり、中世の武将などに関わる伝説が多く残されている。源義家が旗を洗ったという伝説をもち、幡ヶ谷の地名の由来ともなった「旗洗池」、源頼朝が申楽の道具を埋めたという猿楽町の「猿楽塚」など、源氏の武将に関わる伝説、そして源義朝の家臣で「渋谷金王丸」と呼ばれる謎の人物に関わるものがとくに多い。また、常盤御前が植えたという「常盤松」や「渋谷長者」の伝説も残る。
 江戸時代に入ると、渋谷は東側からしだいに武家屋敷が広がっていく。そのため、加藤清正が掘ったといわれる「清正の井」などの伝説が生まれるが、その一方で、江戸の郊外でもあるため、大和田道玄という山賊が住んでいたとされる「道玄坂」などの伝説もみられる。近代に入っても、道玄坂の「人喰い松」という伝説が新たに生じるなど、都市ならではの伝説もみられる。
 伝説は必ずしも事実を反映したものではないが、こうした渋谷の伝説を絵画資料などを通して紹介することにより、そこから読み取れる渋谷の地域性や、意外な魅力を多くの方に知っていただければと思う。



ヒルサイドテラス

新旧豪邸

地蔵・道しるべ

目黒元富士跡
新旧豪邸は手前から旧朝倉家住宅、レンガ色のマンションがキングホームズ、その後ろにちらっと見えているのがアトラスタワーです。目黒元富士には丸且(まるたん)という富士講が持ち帰った溶岩で築山を築き富士山を見ながらミニ富士に登る場所でした。淀橋台の台地は目黒台より高いので、この辺りではどこからでも富士山が見えました。明治維新後この地に岩倉具視の別荘が建てられ、築山は壊されて上目黒氷川神社に納められそこに浅間神社が建立されました。浅間神社には丸且の石碑が残っています。


槍ヶ崎交差点
この場所は切通しです。代官山という山はなく淀橋台と目黒台の境界なのですが、渋谷川と目黒川が渓谷を形成し山脈のように高台が残ります。その高台が槍の穂先のように薄くなっていた場所が槍ヶ崎と呼ばれ、玉電中目黒支線を通すため薄くなっている部分にトンネルを掘りました。道路拡張に伴いトンネルは切通しになり、トンネルの上を流れていた三田用水は掛樋になりました。玉電中目黒支線は都電に譲渡されますが、子供の頃都電中目黒駅と、三田用水の掛樋があったことはしっかりと覚えています。


目黒新富士跡
新富士の跡は別所坂公園内にあります。元富士が作られたのが1812年で新富士が作られたのは1819年と7年しか違いません。元富士が人気の観光地になったのでそれにあやかって新富士を築いたのでしょう。歌川広重の目黒新富士には富士山、築山、三田用水が描かれています。


別所坂公園の長い階段


新道橋下の壁画
槍ヶ崎から別所橋のルートは急坂なので、皀橋へ下る玉電中目黒支線のためのゆるやかな坂は新道坂と呼ばれ、交差する道を越えるための陸橋が架けられています。中目黒駅から目黒学院へ通う中高生が多く通るこの道には、目黒学院の代名詞ともいえるラグビーが描かれています。ウォーキングは別所坂公園でストレッチをして終了し、緊急事態宣言中なのでおとなしく帰宅の途につきました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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北部公園コース 約7.0Km

2020-04-18 09:28:19 | 東京都目黒区

はじめの計画では横浜元町中華街駅から三渓園まで歩くコースだったのですが、緊急事態宣言がなされ三渓園も休園となってしまったため変更したコースです。緊急事態宣言中
・電車での移動を伴うコースは採用しない
・誘導を伴わない自主活動

という方針を打ち出し活動しています。
この日集まったのは10名で、体操をしていると「非常事態に何やってんだ」と思われているように感じるのは、私自身に染み付いた日本特有の同調圧力でしょう。実際に非難されることはありません。散歩は認められていますとはいっても、不要不急の外出自粛と、人との接触を八割減らすということが声高に叫ばれており、家から出られずにテレビを見て暗い気持ちになっている人も多いことと思います。本当に病気になってしまいそうです。


舟入場から見たソメイヨシノ

舟入場のハナミズキ


目黒川沿いのヤエザクラ
ソメイヨシノの季節は終わりハナミズキの季節となりました。ヤエザクラもいろいろ種類があるのだと思いますが、目黒川沿いのこのヤエザクラはいつもソメイヨシノが散る頃に咲き始め彩を加えます。


建設現場
青葉台一丁目にあったコカ・コーラ配送所の跡地に建設工事が進んでいます。このあたり高層の建物は建たないので、低層住宅と商店になるのだと思います。


ハナミズキ

シモクレン

ハナダイコン

ツツジ


掲示物
菅刈公園です。日本庭園は閉鎖されていましたが、公園内は子供であふれています。芝生は養生中ですがもはや芝生とは言えないかも。雑草だらけで日本では芝生は育たないのかな。人が入る場所できれいな芝生はゴルフ場くらい?桜が葉元から蜜を出してアリを誘い、害虫の卵をアリに持ち帰らせる戦略はすごい。植物の知恵ですね。


ヤエザクラ

花壇のネモフィラ
西郷山公園です。菅刈公園とともに西郷従道邸の跡ですが、西郷山公園が開園したころ菅刈公園のあたりはまだ国鉄の官舎が立っていました。菅刈公園の開園は西郷山公園から遅れること20年、2001年でした。西郷山は地元の通称ですが、菅刈は近くにある小学校の名前から来ています。目黒村の頃の字名は字菅刈だったのかなぁと思い、東京逓信管理局が明治44年に発行した地図を見ると、目黒村大字上目黒字柳町となっており、菅刈という字名はありません。菅刈の名称は十世紀初めに見られ、江戸時代には目黒区の半分と世田谷区の東半分の地域を菅刈庄と呼んだとあります。
明治8年に上目黒村初の小学校として菅刈小学校が創立されますがその場所は字宿山の烏森神社近くだったされています。鎌倉街道の宿場だった宿山が上目黒村の中心地であったことが分かります。明治44年の地図には寿福寺近くかつて伊藤忠の社宅があった場所に「菅刈小学分校」があり、これが場所を移し烏森小学校として昭和3年に開校したのです。この地図から現在の野沢通りの場所に道が通っていたことが分かりました。現在の野沢通りは昭和15年に開催予定だった東京オリンピックのために通され地元ではオリンピック道路と呼ばれていました。もともとの道は目切坂から小川坂を通る鎌倉街道で、宿山庚申塔から西の野沢通りは鎌倉街道の一部です。明治44年の地図に寿福寺の墓地と、目黒ゴルフ練習場のあいだの路地が描かれていることにびっくりします。
明治41年に現在の地に移転した菅刈小学校ですが、もとは西郷従道邸だったようです。西郷邸の東端は野沢通りのさらに東ですが、北野神社まで行かないところ。ジュン・アシダのあたりに今はなき道があったようです。西端は玉川通りを越えて大坂あたりまであったようです。ただし「西郷邸だったのだろう」という程度で、当初はもっと広かったのかもしれません。古地図を見て想像を膨らませていると飽きません。


シャクナゲ

モッコウバラ

玉川通り沿いの工事現場

うなぎの川越いちのや

井の頭線のトンネル上

ゴールドウィン

東大裏の三田用水遺構
西郷山公園から三田用水跡を歩きました。子供のころトンネルと呼んでいた野沢通り上の西郷橋は用水と車が通る複合橋です。オリンピックの建設需要がひと段落し、あちらこちらで大規模開発が行われています。井の頭線は渋谷駅から神泉駅を通りこの場所でトンネルから抜けるのですが、トンネルの上には三田用水が流れていました。東大裏の三田用水遺構も工事のために半分以下になってしまいました。


東大野球場のソメイヨシノ

コンビニの入るマンション

東大
明治44年の地図を見ると灯台の東端は現在と変わらないようですが、北西端は目黒区北端と一致しており、広大な敷地でした。地図には「東京帝国大学農科大学」と書いてあります。先端科学技術研究センターなどがあるこちらに天皇の行幸があり、前の道を行幸通りと記述する記事も見かけます。この通りも三角橋から北は狭い道でしたが、現在は環状6.5号として整備されつつあります。


駒場通りのハナミズキ


日本民芸館

駒場通り
静かな住宅地です。



駒場野公園の門扉
この門が閉まっているのは初めてで、ここに案山子が描かれていることに気づいたのも初めてだと思います。


ケルネル田圃

桜の花びら
人がいないバーべーキューテーブルのあたりでストレッチをして解散です。


公務員住宅内の天覧台
江戸時代のお鷹場であった駒場には徳川幕府がフランスの支援を受けて練兵場を作ろうとしましたが一揆により遅れているうちに明治維新を迎えました。多くの土地が帝国大学になりましたが、陸軍の練兵場も作られこの場所は明治天皇、大正天皇が天覧された碑が残っています。


東邦大学病院跡
東邦大学病院が隣の敷地に新築され、古い病院の後の解体工事が進んでいます。この後どうなるのやら。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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すこやか歩こう会活動スケジュール
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大倉山獅子ヶ谷市民の森コース 約5.4Km

2020-04-09 09:45:36 | 横浜市港北区、鶴見区

小池都知事から不要不急の外出制限を要請されていますが、この活動が三密に該当しない、心身の健康維持のため適度な運動は必要であるとの観点から引き続きウォーキング活動を行っています。緊急事態宣言後の対応については改めて考える必要がありそうです。

獅子ヶ谷市民の森がある横浜市は、急傾斜地が多くそのため天然の良港として江戸後期の開国後に大きく発展しました。これらの急傾斜地は三浦半島の影響を受けているようなのでWikipediaから三浦半島の地理を引用します。
太平洋に向けて突き出し、東京湾と相模湾とを分ける。横浜市磯子区の南西にある円海山から藤沢市片瀬にいたる線を北限とし、円海山の北麓で多摩丘陵に接続する。半島東端の観音崎は東京湾の南限であり、浦賀水道を隔てて東の房総半島とともに東京湾を囲む。半島の西には伊豆半島がある。
三浦半島は2000万年前から1500万年前の太古の時代に太平洋の深海底で太平洋プレート上に降り積もった堆積物に由来する。太平洋プレートが海溝において大陸プレートの下に沈み込む際に堆積物は剥離して積み上がり(このような地質構造を付加体という)、約50万年前には海面上まで隆起し、三浦半島や房総半島のもととなった。この後、北上するフィリピン海プレート上の伊豆半島が日本列島に衝突したエネルギーで、三浦半島は時計回りに回転し現在の形状となった。隆起は現在も続いており、関東大震災の折には城ヶ島周辺の広い範囲で海岸線が数メートル隆起している。地質的にはほぼ全域が第三紀層に属する。またおよそ西北西 - 東南東方向に走る衣笠断層帯、北武断層群、武山断層帯、南下浦断層、引橋断層の5箇所の活断層が存在し、三浦半島断層群と呼ばれる。植生は常緑広葉樹林。



太尾町のハナモモ

急傾斜地の開発
中目黒駅→東横線各駅停車→大倉山駅と移動し、東へ向かうレモンロードの一本北側にある細い道。かつては駅脇の私有駐車場をお借りしてストレッチをしてからこの道を通りレモンロードに出ていました。こんな急傾斜地も宅地にしようと開発されているのが、いかにも横浜です。


港北消防署
我々が大倉山駅の改札口を出る頃サイレンを鳴らした数台の消防車がレモンロードを西へ向かってゆきました。なので消防署は空っぽです。ここの住所が「大豆戸町」というのですが、結構難読です、わかりますか?「まめどちょう」です。由来を調べたのでWikipediaから引用しておきます。
師岡熊野神社に大豆を奉納していたからだとされる。
このほか、地形由来の「真間処」(ままど、くぼんだ場所の意)に「豆」の字を当てたとする説もある。
文字の上では難読ではないが、「大豆」を「まめ」と読むため、馴染みがないと正しく読むことができない。この読み方は当地だけではなく、日本全国に見られる。



横浜環状二号線脇のツクシ

獅子ヶ谷へ入る目印となるお蕎麦屋さん
しばらく環状二号線を歩きこちらのお蕎麦屋さんがワンダーランドへの入り口となります。


崖のスミレ

畑の菜の花

水が染み出る切通しの壁
早い時にはこのあたりからウグイスの声を聞くことが出来るのですが、この日は風が強かったためかウグイスは鳴いていません。崖脇の道まではGoogleマップにあるのですが、畑を過ぎて、水が染み出ている壁までのルートはマップにありません。泥道ですが階段があるのでそれほど歩きにくいわけではないのですが。地理院地図電子国土Webにもこの道は載っていないので、ワンダーランドへの秘密の入口です。


都会の桃源郷

春の花々
師岡町から獅子ヶ谷町へ入ったところのこの景色がいいんです。桃源郷は言い過ぎですが、我が家から出て一時間もたたないところでこの景色を見ることが出来るというのが奇跡だと思っています。まさにここが私のワンダーランド。



風になびくレンゲ花

風になびく唐辛子



みその公園横溝屋敷

肥溜め

レンゲ

レンゲ

シロバナサギコゲ

シロバナサギコゲとハコベ

ヤマブキとシャガ

シュウメイギク

スズメノエンドウ
みその公園で休憩です。横溝屋敷の中には入れないものの、公園自体はやっていました。


せせらぎの小径

ジャーマンアイリス

シェア畑
獅子ヶ谷は建設業者が多く、小路の隣が無粋な壁なのが気の毒です。「シェア畑」は今回初めて見ました。8メートル平米 10,200円/月だそうです。


横浜市のマンホール

源平咲きのハナモモ

庚申塔

歴史と緑の散歩道
庚申塔とあるこんもりとした木は一里塚の跡か何かかと思うのですが、ただ庚申塔とあるだけです。庚申塔があるくらいだから辻か分かれ道だったのでしょう。この先急坂を上り獅子ヶ谷を囲む台地の上に出ます。


やまゆりホームのヤエザクラ


ツクシ
老人ホームとゴルフ練習場のあいだの急坂を上り台地の上に出ると、ベイブリッジまで見渡すことが出来ます。


上神明神社


神社の石段

車地蔵
急坂を登ったのに急階段でまた下りです。このあと二回の登りがあり、これが獅子ヶ谷の醍醐味というか疲れるところ。こんな利用しずらい地形が自然豊かなワンダーランドを残してくれたのだと思います。


灰ヶ久保広場のタンポポ
在来種です。


急階段脇のスミレ

シロダモの新芽

レンギョウ
灰ヶ久保広場でトイレ休憩をとり、獅子ヶ谷市民の森内の急階段を上って再び台地の上に出ます。何を見に行くわけでもないのですが、この台地を越えないと菊名に出ることが出来ないのです。


菊名神社

お守り

がまんさま
灰ヶ久保広場からふた山越えて菊名神社に到着しました。境内をお借りしてストレッチをし、こちらで解散しました。この日は飲み会なしです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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