目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

【下見】古代の青龍、野川下りコース岩戸川編 約6.8km

2019-04-30 14:40:44 | ウォーキング
すこやか歩こう会では二か月分の歩行計画を作成して郵送します。集合場所、目的地、距離などウォーキングに重要な情報がすべて記載されており、この歩行計画が活動のかなめとなります。
5月6月分を4月に発行するのですが、仕事が忙しく計画の作製に割く時間がありません。どこからか時間を借りてこないとならないので、下見と計画が逆転することがあります。通常は下見をし、地図を作成して計画するのですが、下見をせずに地図を作成して歩行計画をつくり、時間が出来た時に下見をしますが、今回がそのケースでした。


清水川公園

ストレッチに最適

フジ
二か月分、8回の計画に、せめてひとつは「これまで歩いたことがないコース」を入れたいと思っていて、川を辿るシリーズ企画のコース作ります。今回は野川で、昨年源流から歩き始め、今年三月に多摩川に合流し仙川源流へ移る予定でした。野川を辿る中で次太夫堀と呼ばれた六郷用水開削のために流路が大きく変わっていることを知りました。調布市つつじヶ丘あたりから下流はかつて入間川と呼ばれていた流路が整備され野川と呼ばれていること。本来の野川は現在の二子より上流の宇奈根あたりで多摩川に合流していたことがわかります。地図で確認すると旧野川と思われる岩戸川緑地公園が確認できます。下見をし、ネットで情報を集め検討したうえでコースを決めたいところでしたが、時間がないので歩行計画作成後の下見でしたが、なかなか興味深いものとなりました。
清水川公園について、狛江市の狛ナビから引用します。
遊具はないですが、広めの敷地にベンチや東屋などがあるのでゆっくり座ってお話できる憩いの場に最適です。
昭和40年代までは泉龍寺の弁財天池を源泉とする用水路があり、「清水川」と呼ばれていたそうです。

小金橋から始まる岩戸川緑地公園、野川緑地公園は狛江市役所付近ではすでに改修後の流れを辿っており、正確な川跡を発見することはできませんが、清水川は旧野川の支流の一つと思われます。


岩戸川緑地公園の再開

スズラン
狛江市東和泉、岩戸南、猪方の境界あたりから再び岩戸川緑地公園が再開します。この東側にも川跡暗渠の公園があり、どちらを旧野川本流とするのか判断できません。


岩戸川緑地公園
右側の法面を見ながら考えました。この暗渠より前からこのコンクリート壁があったのではないか。この場所が暗渠になったのはそれほど昔のことではないのでは?
江戸時代次太夫堀と呼ばれた六郷用水が開削され、旧野川の流れがなくなったものと理解していましたが、少なくとも昭和くらいまではここに小さな流れがあったように思われます。自然にできた川の記憶は消えないものなのでしょう。


ハナミズキ

コデマリ

ツツジ

ジャーマンアイリス
たくさんの花が目を楽しませてくれます。




岩戸川の再現

スノーフレーク?

シラン

モッコウバラ
花盛りで散歩にはもってこいの季節です。


喜多見緑道
狛江市から世田谷区へ行政区域が変わると岩戸川緑地公園が喜多見緑道に変わります。ちょっとだけ違和感。この看板をテキストに起こしたいところですが、世田谷区のパンフレットにリンクを貼っておきます。


砧浄水場

荒玉水道道路
多摩川から取水して供給される水道です。



喜多見まえこうち緑道
こちらも旧野川の暗渠のようです。


宇奈根中島公園周辺案内図

宇奈根西部地域の歴史
宇奈根二丁目内の公園と緑道は、平成13年、宇奈根西部土地区画整理事業により、区に帰属されたものです。これらの公園や緑道の名称は、かつての土地の名前に由来しています。

上の地図は、明治時代おわり頃の宇奈根の様子を絵にしたものです。当時、宇奈根は養蚕が盛んで、一帯は桑畑や乾田が広がる豊かな景観を成していました。多摩川北側のこの地域は宇奈根本村と呼ばれ、対岸には宇奈根山野と称される飛び地がありました(宇奈根山野は明治45年に、神奈川県に編入されました)。そして「下ツ河原」の岸には、宇奈根本村と宇奈根山野を結ぶ渡し舟、宇奈根の渡しがあり、そこに通じる道は「渡し場の道」と呼ばれていました。人々はこの渡しを利用して、双方を行き来していました。

多摩川はこれまで、氾濫を繰り返しながら流路を変え、流域には災害を引き起こす一方で、上流の栄養分豊かな土壌をもたらしてきました。江戸時代の多摩川は、この地図に示されたものより更に北寄り、現在の東名高速道路のあたりを蛇行していました。そのころ、多摩川に接する「龍王」には、龍王淵と呼ばれる淵があったそうですが、明治時代には沼地となっています。また、宇奈根本村の西部地域は、付近に比べて土地がやや高かったため、多摩川の洪水の際にもあまり水につからず、その様子が島のように見えたことから、「中島」とよばれたそうです。

宇奈根の渡しは、その時どきの多摩川の流路に合わせ、渡りやすい場所を選びながら、昭和22、23年頃まで続いてきました。戦後、桑畑は畑地や果樹園などへ姿をかえ、更に昭和30年代を過ぎると宅地化が急速に進み、景観や人々の生活も大きく変わりました。そして昭和46年の住居表示に伴い、かつての宇奈根の大部分と、隣接する喜多見と鎌田の一部が再編され、現在の宇奈根地区が整いました。

※ 龍王〔竜王〕・・・一般に、雨や水などを司るとされ、とくに農業・漁業と結びついて信仰されることが多い。竜神。

・参考文献:「世田谷区民属調査第10次報告 宇奈根」(世田谷区民属調査団編 平成4年3月発行)



宇奈根龍王公園

コデマリ

藤棚

宇奈根下河原緑道


宇奈根渡し場道公園
東名高速をどのように超えるか、野川の川跡はどのように残っているかなど、地図ではわからなかった部分で、下見をして初めて状況がわかりました。公園も比較的新しいようで、私が使っている古い地図には載っていません。このあたりで旧野川は多摩川に合流していました。


多摩川河川敷


クサフジ

水道施設
宇奈根から二子玉川の兵庫島公園までは前回と同じように多摩川河川敷を歩きます。ちょっと退屈ですが、他の方法もないんですよね。宇奈根の渡しが残っていればよかったのですが。。。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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横浜山手・三渓園コース 約4.7Km(園内を含めると約8Km)

2019-04-21 14:02:40 | ウォーキング
前回に引き続き横浜の急峻な地形を体感するコースです。明確な裏付けは見つけられませんでしたが、この急峻な地形が海まで続き鎌倉時代から天然の良港と言われた所以でしょう。歩き始めはみなとみらい線元町・中華街駅です。


機械製氷発祥の地
開港から明治初期に至る時期、横浜にはボストンや函館から 切り出された天然氷を扱う会社がいくつも作られました。ホテルのレストランやアイスクリームサロンで氷が供されたという記録が 残っています。1879(明治12)年には、日本で最初の機械製氷会社「ジャパン・アイス・カンパニー」がこの地に設立され、その後 オランダ人ストルネプリンクらによって永く経営されました。設立当時の建物は関東大震災で倒壊したものの翌年には再建し、 1999(平成11)年12月31日まで、株式会社ニチレイの子会社である神奈川日冷株式会社山手工場として再建当時のままで稼動 していました。


フランス橋の入り口

港の見える丘公園案内図
フランス橋の入り口は昨年同様工事中で入れません。どのような工事をしているのか、長いですねぇ。案内図の方角を示すサインが錨になっています。さりげなくおしゃれ。
 港の見える丘公園の現在展望台になっている高台の周りには、幕末から明治の始めにかけてイギリス軍兵舎がおかれ、山のすそにはフランス軍が駐屯していた記録があります。
 その後高台にはイギリス総領事公邸が、山側にはフランス領事館が建てられ、現在はイギリス総領事公邸がそのまま横浜市イギリス館として市民に利用されています。フランス領事館は、既になくなっていますが、フランス領事館邸遺構、フランス橋、フランスより寄付されたバルタールパビリオン等が今でもフランスのなごりを残しています。
 本公園は昭和37年(1962年)に開園しました。噴水と緑の芝生の沈床花壇、バラや季節の花が咲くローズガーデンは多くの人々を楽しませてくれています。
 海を臨む展望台や霧笛橋からは横浜港、ベイブリッジが見え、晴れた日には房総の山々を眺めることができます。
 また、大佛次郎記念館、神奈川県近代文学館も公園内にあり、市内外より多くの観光客が訪れています。



クリーニング業発祥の地

横浜ボーリング発祥の地
ボーリングは長崎に次いでということのようです。元治元年というと龍馬が活躍していたころですね。


旧フランス領事館邸遺構

フランス山の歴史

フランス山の花壇

愛の母子像
 1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは、横浜居留地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯を決定した。
 1863年6月下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着し、山手居留地185番に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎が186番に3棟建設された。1875年(明治8年)3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交替をくり返しながら駐屯を続けた。こらがフランス山と呼ばれるようになった由来です。
 撤退により兵舎が不要となったので、海兵隊当局はフランス山の永代借地権をフランス駐日外交代表部に譲渡した。横浜駐在のフランス領事はここに領事館を建設する提案をしたが、なかなか実現しないでいたところ、1885年(明治18年)になってフランス人居留民の有志らが領事館建設の請願書を提出した。このことがきっかけとなって計画が具体化し、1894年(明治27年)にフランス人建築家サルダの設計で、領事館と領事官邸の新築工事が始まった。1896年(明治29年)3月、山手185番(フランス山下方)に領事館、12月に山手186番(フランス山上方)に領事官邸が完成する。領事官邸には、風車の付いた井戸が掘られた。
 1923年(大正12年)、関東大震災により、領事館・領事官邸ともに倒壊する。震災後、領事館は仮設の建物を使用していたが、官邸は、1930年(昭和5年)、スイス人建築家ヒンデルの設計で山手186番に再建された。その官邸も、戦後まもない1947年(昭和22年)には火災で焼失してしまう。現存している遺構は、その際に焼け残った1階部分です。




ベイブリッジ

マリンタワーと大桟橋
先日このベイブリッジの下を通ることのできない巨大な客船の仕事があって、大黒ふ頭へお客様を迎えに行きました。鶴見駅集合でタクシーに乗りましたが、大黒ふ頭は行くのが大変でした。


みなとガーデンの記念花壇

ローズガーデンの光沢のあるバラ

ジャーマンアイリス

マーガレット

スイートピー?

イングリッシュローズの庭

イギリス館

噴水広場

山手111番館
バラの季節には早いのですが、ローズガーデンは花であふれていました。この時期ソメイヨシノが終わっても、いろいろな花を楽しめます。


旧ルドルフ・ポール邸跡

ヤエザクラ

サンモール・インターナショナル・スクール
The Saint Maur International Food Fair has become one of the most eagerly awaited Yokohama social calendar events of the year. Organized and supported by the school and local community, it attracts a wide range of visitors, some of whom fly in from abroad to meet up with friends and enjoy the array of international ethnic foods, live entertainment, children’s games, and vendor items on sale.
The Saint Maur International Food Fair, which is open to the general public, takes place annually on April 29, from 10:00 a.m. to 4:00 p.m. on campus regardless of the day of the week. With an abundance of international food and beverages, a variety of live entertainment, and the many other attractions offered throughout the day, there is something for everyone, regardless of age or culinary tastes.



キリン園公園

オオデマリ?

本牧通り

モッコウバラ

本牧町の邸宅

横浜特有の斜面

沙羅双樹
本当にいろいろな色、種類の花が目を楽しませてくれます。



本牧山頂公園大鳥口

本牧山頂公園

ヤマブキ

八重のヤマブキ

東京湾を望む

シャクナゲ

ハナミズキ

シイの巨木
この時期なので少し霞がかかっているのですが、房総半島はしっかり見えていました。


本牧神社

梛の木のいわれ

お馬の茅場


縁の神 熊野速玉社

サクラ

本牧神社

信号旗

本牧神社本殿遷座に際し
 本牧神社(旧称・本牧十二天社)は、旧来、本牧岬の先端(本牧十二天一番地)に張り出した出島の中に鎮座し、巨木騒然たる杜に囲まれ、鳥居の脚元には波濤打ち寄せる風光明媚な鎮守様でありました。
 その様子は江戸名所図会にも「本牧塙 十二天社」として描かれ、江戸湾を往来する廻船からは航海安全、地元民からは守護神と崇められ、本牧十二天の地に八百年以上も鎮座してあつい信仰を受けていたのです。
 しかし、先の大戦の終戦直後の昭和二一年、この本牧地区は二十三万坪に及ぶ進駐軍の強制接収に遭い、以来、平成五年までの四十七年間、神社は本牧町二丁目に仮遷座を余儀なくされ、多くの氏子共々、苦難の時期を過しておりました。
 伝記には、建久二年(西暦1192年)、源頼朝公が鎌倉幕府を開くにあたり、鬼門(北東の方角)守護を祈念して平安時代から存せる神殿に朱塗厨子を奉納した、とございます。
 また、鎌倉将軍維康(これやす)親王より社領の寄進、中頃、両管領よりも同様に社領寄進。天正年間には徳川家康公の関東御入国に際し、高十二石免御朱印の下置、以来、徳川十五代将軍より御代々頂戴──とあり、方除け、厄除にご神徳が顕然(あらたか)として、武家や庶民からあつい信仰を受けてきたのです。
 また、室町時代の永禄九年(西暦1566年)から四百年以上も地元住民に受継がれてきた当神社の「お馬流(うまなが)し」神事は、「ハマの奇祭」として神奈川県指定無形民俗文化財、県民俗芸能五十選であり、毎年八月上旬に現在も斎行され続け、郷土の祭りとして保持されております。
 米軍の接収解除とともに、変換地域一帯は横浜市による区画整理事業が施行されました。産業道路の直線整形、消防署の建設などの公共事業計画に伴い、当神社の社有地は従前地の「本牧十二天一番地」ではなく、この「本牧和田」の新天地に換地されました。
 この新社地は、表通りに続く前面も、後背地の丘も公園であり、境内地全面が南向きのひな壇形状という、鎮守様をお祀りするには絶好の境内地であります。
 四十七年間、仮遷座を忍ばれておられた大神様に、氏子崇敬者の総意による赤誠を捧げ、浄財を募って建立されたのがこの神社殿でございます。
 権現造りの神殿は、総銅板葺きで、唐破風(からはふう)と千鳥破風の二重破風、屋根坪は百坪を超して横浜最大を誇ります。本牧地区住民の敬神の念のあつさ、郷土愛の深さを如実に現すとともに、広く慕われるご神威、ご神徳の賜物でございます。
 本牧地区の目覚ましい再開発とともに、大神様に新しいご社殿、すがすがしい聖域の境内にご鎮座いただくことは、更なる御神徳の発揚をたまわり、私達が祖先から連綿として受け継いで来た「郷土・本牧」の住民一同の「心の寄りどころ」として、また、明日を担う子供達には幼き日の懐かしいふるさとの思い出となる、と強く確信致しております。
 氏子崇敬者の皆様の、弥栄(いやさか)を弥増(いやま)しに増すために、今後も展開される神社の諸行事に、更なる強いお力添えを賜りますよう、衷心より重ねてお願い申し上げる次第です。
再拝
  平成五年十月吉日
   本牧神社復興奉賛会
   本牧神社氏子総代会
   本牧神社々務所



新本牧公園
この公園を抜けると広い通りに出るのですが、こちらもさっき横断したのと同じ本牧通りでした。本牧山頂公園が岬のように突き出していて、それに沿うように⊃字型の道になっていました。















三渓園
三渓園に入園し一通り写真を撮って、団子をつまみにビールを飲んでいるとみんな集まってきました。ひと休みして出口へ向かい、ストレッチの後タクシーに乗り込み根岸駅へ。横浜駅ジョイナス地下のライオンで、美味しいビールをいただきました。


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大倉山獅子ヶ谷市民の森コース 約5.4Km

2019-04-17 14:29:48 | ウォーキング
「大倉山獅子ヶ谷市民の森コース」は、すこやか歩こう会が、1年間に歩く約40程のコースの中でも、厳しいコースベスト3に入るのではないかと思います。何故かと言うと横浜の高台特有の急勾配の坂道が数多く含まれているコースだからです。距離にすれば5.4Kmと短い方なのですが、途中足が疲れ立ち止まりたくなるような坂の連続、大げさに言えば難攻不落と言った存在です。ゴールにたどり着くまでは筋肉疲労が原因の足の攣りや痙攣などに充分注意しなければなりません。
それだけに当日の参加者はそれほど多くないのではと予想していたのですが、爽やかな天気のせいか25名と想像を大幅に上回る参加者数となりました。


中目黒から大倉山へ
中目黒駅から東横線で大倉山駅に向かいます。大倉山駅からは東東海道方向に歩いて新幹線の高架を潜り、綱島街道から環状二号線(横浜市)を通り、都合約1キロほどを歩きます。この辺りで小さな曲がり角を右に折れますが、そこが都会と里山の境界のような場所になります。


里山の菜の花

里山のサクラソウとチューリップ
北向きの急斜面の坂道を登りだすと、早速、鶯の声を耳にする事がでしました。鶯の姿は見えませんが、近くにいるようで、さえずりの声も大きく、響きも透きとおるような美しさです。今年初めての春を告げる鳴き声を耳にする事ができました。


横溝屋敷母屋

屋敷の内部

文庫蔵

屋敷内のひな人形と武者人形

横溝屋敷のソメイヨシノ
坂を上りきり、道が下りに変わって永昌寺を左手にして里山をしばらく歩くと、間もなくみその公園に隣接する立派な茅葺二階建ての「横溝屋敷」到着します。この屋敷は一般に開放されていて、広い屋敷の中をゆっくり見学する事ができます。10分ほどの休憩をとり屋敷内を見学しましたが、のどかな一昔前の里山の生活を身近に覗い知ることができました。


黄色い花

獅子ヶ谷の菜の花畑

道端につくしを発見

やまぶきだと思われます

きつい登り坂の咲く八重桜

上神明神社

車地蔵

車地蔵の坂下の大日如来
獅子ヶ谷市民の森の中のウォーキングでは、様々な春の草花に出合うことができます。植物に詳しくない私ですが、丘陵に広がる「花桃」の林や、道端の「つくし」「やまぶき」の発見、出会いは楽しみの一つになっています。


菊名神社
ゴールの菊名駅手前にある菊名神社の境内の一遇をお借りしてストレッチを行い、疲れきった筋肉をほぐします。天候にも恵まれて4月中旬にしてはかなりの汗を流しました。これを言い訳に、ビール好きの有志6名で菊名の居酒屋に飛び込み一次会、更に勢い余って武蔵小杉の居酒屋で二次会。この日のアルコール会はウォーキング同様体力勝負となってしまいました。


吉井


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呑川コース 約7Km

2019-04-10 00:19:44 | ウォーキング
すこやか歩こう会も4月から新年度がスタートしましたが、2019年度最初のウォーキングは、毎年お馴染みになっている「呑川緑道コース」を歩くことになりました。呑川は都立大学駅付近で東横線を東西にまたいでいるのですがが、この日のコースは、東横線の西側を呑川の本流と支流をめぐりながら一周する約7Kmのコースとなっています。



呑川緑道
呑川緑道に沿って歩くコースは、複数あり、それぞれの季節を楽しんでいますが、桜の季節では、地元の方々の花見や緑道散策で普段と違い、大変な賑わいを見せています。






東光寺

風神像

雷神像
緑道を外れ、静かな佇まいの東光寺の境内をお借りしてストレッチを行いウォーキングをスタートします。東光寺は世田谷城主であった吉良家の菩提寺です。現在のご住職の御趣味なのでしょうが、境内には数多くの石像が並べられています。これらの石像を眺めるのも、いつの間にか私にとって楽しみの一つになりました。


緑道

菜の花とサクラ

緑道
緑道のソメイヨシノは幸運なことに満開となっていました。風が吹くと、あたり一面桜吹雪となります。これらの光景を眺めながらのウォーキングは、とても清々しく大変得をした気分にさせてくれます。


日本体育大学



駒沢公園


ぶた公園
日本体育大学を過ぎて、駒沢オリンピック公園に入りましたが、園内は花見客でごった返しています。花見の宴を囲む人、ぶた公園で親子で遊ぶ人、ランニングで汗を流している人、それぞれが春の訪れを満喫しているように覗われます。


工事
そんな賑わいの中、公園内では、2020東京オリンピックの練習施設として使用されるためでしょうか、あちらこちらで、整備工事も行われていました。


道ばたのネモフィラ
公園内の道端の花壇の中にネモフィラが咲いているのを見つけました。この花を見ると数年前に出かけた、日立海浜公園のネモフィラの丘を思い出します。今では、再び訪れてみたい場所の一つになっています。

吉井


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