目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

南東部公園コース 約7.5km

2020-09-30 10:34:05 | 東京都目黒区
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、九月に入りウォーキングが中止になることもなくなりました。一週目二週目は「熱中症対策をしてご参加ください」と書いたのですが、ここ二回はそれも不要になりました。


田楽橋からアトラスタワー

ヒルガオ

目黒清掃工場の工事現場
前日までぐずついた天気が続き、この日も「雨が降るかもしれないし、降らないかもしれないし」と予報の難しい状況だったようですが、朝は降っておらず曇りの予報になっていたので実施の決断は簡単で、この曇り空ですが雨は降ってきませんでした。
中目黒GTに集合して目黒川舟入場でストレッチをして目黒川下流へ向かいウォーキングスタートです。ヒルガオもまもなく終了ですね。


目黒区健康都市宣言
区民センターの掲示板に張ってあり、この宣言が活字になっているのを見たのは初めてかもしれません。平和都市宣言とかだと石碑があったりしますが、どこかに石碑を設置するようなものでもないでしょうから。
健康都市宣言は我々のウォーキングクラブ設立のきっかけになったものでこれが無ければウォーキング活動をしてなかったかもしれません。健康都市宣言を受け、スポーツ推進課の担当者はラジオ体操とウォーキング事業を企画しました。これをきっかけにスタートしたラジオ体操は碑文谷体育館グランドに三千人を集めラジオで放送されました。ラジオ体操は現在も続けられ、withコロナで参加者が増えているとのこと。健康に留意したり、おしゃべりする相手を求めてのことでしょう。
目黒健康ウォークが企画され北部地区は烏森小学校での講義と、地区のウォーキングが行われました。健康ウォークが終了した時に北部、東部、中央、南部、西部の五地区にウォーキングクラブが設立され北部地区は「すこやか歩こう会」として活動をスタートさせています。「すこやかに」生きてゆきたいという意味と「す=菅刈」「こ=駒場」「や=東山」「か=烏森」の北部を構成する四つの住区からいち文字をとり命名されました。
五地区のウォーキングクラブは協力して事業を進めてゆこうと、翌年目黒ウォーキングクラブを設立しました。目黒健康ウォークは「めぐろウォーキング塾」として今年度コロナ自粛の影響で途切れるまでずっと続けてきましたし、来年度は実施できるものと信じています。


区民センター花壇のコスモス


区民センターでトイレ休憩をとり再スタートで歩き始めると、羽が動いているんです。「なぜ動いているんだ?」とよく見てみると、アリが運んでいました。よく見ると右のほうに映っているのがわかると思います。無事巣まで持ちかえることが出来たでしょうか


今年は三の酉

七五三
私が住んでいる地域の秋祭りは軒並み中止または縮小でしたが、酉の市は行われるようですね。GoToイベントも始まるし徐々に通常モードへ移行しつつあるということですね。


ゴクラクチョウカ

お風呂屋さんの後

目黒区みどりの散歩道
大鳥神社の交差点から目黒通りを西へ向かい寄生虫会館手前で南に折れます。以前から営業はしていないような大きなお風呂屋さんでしたが、知らぬ間に駐車場に変わりました。


目黒不動尊

役行者様

縁日の予定

水かけ不動

縁日の準備
28日はお不動様御開帳で縁日です。西村知美がからくりテレビメンバーを誘ったけど、誰も参加しなかった縁日です。秋祭りの出店は皆無でしたが、お不動様の縁日はあるようですね。


三福神

恵比寿様
この神社も龍泉寺の境内案内に含まれているのですが、あまり説明もなくさらなる究明が必要なようです。


都立林試の森公園

ヒガンバナは蕾

キカラスウリ
林試の森は目黒区と品川区にまたがる都立公園です。お彼岸も過ぎたのにまだ蕾とは、今年のヒガンバナは遅いです。暑さが続いたせいかな?


マケドニア松
マケドニアもどこにあるのかすぐには思い浮かばない国です。ちょっと考えると「ユーゴスラビアか!」と思い出します。大学時代のディスカッションのテーマで東西問題が取り上げられ、チトー大統領がいなければユーゴスラビアは分裂すると言われていましたがまさにその通りになりました。調べてみるとマケドニアは国名ではなくなり「北マケドニア共和国」に変更されていました。ギリシャとの論争の結果ですね。独立宣言が1991年、国連加盟が1993年、国名の改称が2019年ということで最近の話の割には日本とはなじみが薄い。東ヨーロッパ全般に言えることですが。



ヒガンバナ
園内では咲いているヒガンバナも見ることが出来ました。


慈光院
個人のお宅のようなお寺さんで調べてみても曹洞宗のお寺ということ以外わかりません。奈良の慈光院が有名なようですがあちらは臨済宗です。


目黒七中

円融寺阿弥陀堂

円融寺釈迦堂

円融寺仁王門

円融寺参道
円融寺は目黒不動龍泉寺に次ぐ目黒区内で二番目に古いお寺で、仁王門に納められた黒仁王で知られており、古い道標にも「くろにおう」と書かれたものがあります。


立会川緑道

みどりの散歩道

たぶんキンモクセイ
ウォーキング中かすかにキンモクセイの香りがしたような気がするのですが、このモクセイはまだまだ香りを発していませんでした。ヒガンバナと並びキンモクセイも遅れているようです。


碑文谷八幡宮

小さなどんぐり
旧碑文谷村の鎮守で碑文谷の地名の由来となった碑が本殿の隣に飾ってあります。


竹林のヒガンバナ

敷居

青紅葉
すずめのお宿緑地公園で休憩。「敷居を踏むことはお父さんの頭を踏むのと同じこと」と子供の頃に言われたことを思い出します。


白いヒガンバナ
赤と黄色のヒガンバナを交配してできたものとのこと。素人考えではオレンジ色になりそうなものですが。。。


スッポン雑炊
スッポン食べたい!安心院で食べたい!


ヤナセ
以前は工場のようでしたが立て替えてギャラリーになりました。すずめのお宿から碑さくら通りを東へ進み、サレジオ通りを北上し目黒通りを横断します。


碑文谷公園のコキア
withコロナ時代のウォーキングの在り方はまだまだ手探り。すこやか歩こう会の特徴である「いろいろなところを歩く」を全開にするにはまだ時期尚早の様な気がします。鉄道で遠出をしない範囲で9月10月の8回分のウォーキングを企画しました。来年二月までこの8コースの繰り返しになるでしょう。となれば次回碑文谷公園を訪れるのは二か月後。その時にはこのコキアも赤く染まっているでしょうか。

この日も反省会なしで解散。withコロナにはなじめそうにありません。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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すこやか歩こう会推奨富士コース 約7.1km

2020-09-21 09:10:29 | 東京都目黒区、渋谷区
このコースは令和2年2月に発行されためぐろウォーキングマップの作成にあたり、健康推進課、スポーツ振興課からの依頼を受けてすこやか歩こう会が提案したものです。めぐろウォーキングマップには「コース2 目黒と富士の絆を歩く」総距離約8.4kmとして紹介されていますが、すこやか歩こう会が提案したルートとは少し異なります。


駒場東大前駅ホーム

東大駒場坂下門
集合は東大駒場教養学部正門前で、この場所を借りてストレッチをします。ウォーキングマップでは井の頭線沿いを渋谷方面へ向かいますが、お勧めは東大駒場構内を歩き北門へ抜けるルートです。
しかし坂下門同様に北門も3月27日から封鎖されており、構内を歩くことはできないので、この日のウォーキングでは駒場公園を割愛し直接駒場野公園へ向かいました。駅ホームから見える正門へのアプローチを下ることはあまりないので撮っておきました。


駒場小学校
区内最北の区立小学校で菅刈小学校の分校が昭和9年に駒場尋常小学校として開校しています。


駒場野公園

十月桜

ケルネル田圃

アオサギ

水田の碑
水田の碑
駒場農学校の跡地
近代農学研究・農業教育発祥の地
 この水田は 明治11年 ここ駒場野に開校した農学校の農場の一部でわが国 最初の試験田 実習田として 近代日本の発展を支える淵源の一をなした
 農学校は いくたびか 学制の変更により 名称を変えて その歴史を継ぐ 学校が この地で発展を重ねた
 その間この水田は 近代農学研究発祥の地にふさわしい沿革をたどり 国際的 協力のもとに初めて 本邦近代農業の研究と教育とが進められ 幾多人材の輩出を見た
 本校は 東京農業教育専門学校附属中学校として 昭和22年 開校以来 右の歴史の流れを継いで この水田を教育の場に活用する栄光に恵まれ耕作をづけて 本年創立40周年を迎えた
 そもそも 農は 人類生存の基をなす営みである 本校は この水田のもつ 歴史的意味に想いを致し 幾多先輩の偉業を想起しつつ これを永く後世に伝え たいと考え ゆかりある方々の翕然たる協力を得て ここにこの碑を建立する
 なお 建立に際し 地元目黒区の理解と協力のあったことを録して 感謝の意 を表する
        昭和62年10月  筑波大学附属駒場中学校・高等学校



淡島通り沿いの駒場野公園
1986年開園の駒場野公園とは少し離れた淡島通り沿いにあるこちらの公園は、郵政省電気通信研修所が国分寺市へ移転した跡に整備されました。ウォーキングは淡島通りを渋谷方面へ進み右折をして、第三機動隊方面へ向かいます。


天覧台
公務員宿舎の私道沿いにあるためウォーキングマップではこの場所は紹介されていません。駒場の地には江戸時代お鷹場があり、幕末には幕府がフランス式軍隊の駐屯地にしようとして地元農民が一揆をおこしたという記録があります。明治政府が保証を提示したため一揆もなく帝国陸軍の施設が設置され、この高台からは明治天皇が11回、大正天皇が4回訪れたということでこの碑が建てられました。


お花御殿
都立駒場高校のグランドの対面に香淳皇后(昭和天皇の皇后陛下)が御学問所として使用された建物が保存されています。


首都高大橋ジャンクション

オーパスブリッジ
玉川通りまで下りてくると大橋ジャンクションが見えてきます。玉川通りを横断する歩道橋はオーパスブリッジと名付けられエレベーターで昇降可能です。オーパスはジャンクションの愛称ではなく、再開発地区の名称とのこと。


目黒天空庭園

三軒茶屋方面を望む
オーパスブリッジを渡りクロスエアタワーのエレベータで9階まで行くと、目黒天空庭園の最上部に接続しています。田圃はビオトープの一部で首都高が管理しているようです。首都高のページから一部引用します。
おおはし里の杜
大橋ジャンクションの内側に位置する大橋換気所の屋上につくられた、「自然再生緑地『おおはし里の杜』」。
人と自然とのかかわりが豊かであった時代をイメージし、斜面林や草地、小川のせせらぎなどが再現されています。

おおはし里の杜が目指す自然環境 ~目黒川周辺の原風景を再現~
換気所屋上の特殊な形状(勾配約28%の斜面と上方・下方の平面部で構成)を、昭和初期のかつての目黒川の河岸段丘に見立て、斜面林、草地、湧水とせせらぎ、池、水田を設置しました。
目黒川周辺の原風景に基づく植栽景観を再生するとともに、多様な生き物の生育空間となる環境を創出することを目標として整備しました。




ムシトリナデシコだと思って撮ったのですが違いました。


シロバナキキョウ

ススキ

シロバナハギ

ガマズミの実

ハナカイドウの紅葉



みかん

ハマナスの実
天空庭園の植物だいぶ落ち着いて、秋の風情を見せています。下部ではミカンやブドウその他野菜が栽培されて、ブドウはすでに収穫済みでワインとなります。


稲わら?

トウガラシ
収穫物のようです。ここからオーパスブリッジへ出ることも可能ですが、今回はプリズムタワーのエレベータを使って玉川通りの目黒川沿いに出ます。


目黒区みどりの散歩道 玉電

大橋ジャンクション
玉電は何となく記憶にあるような気がしていましたが、気のせいのようです。未就学児にはこのあたりは遠すぎて。。。大橋図書館を訪れるようになったのは、小学生高学年になった頃かなぁ。山手通りを走っていたトロリーバスはなぜか覚えています。
大橋ジャンクションは甲子園球場のように蔦で覆われることになっていますが、覆われるようになるまではまだまだかかりそうですね。


芸映
かつては赤坂に事務所があったのですが、1998年にこの地に移転したようです。考えてみればこのあたりにポリドールレコードがあったなぁ。


錦鯉のかのう

菅刈公園

菅刈公園のフヨウ

菅刈公園のスダチ
山手通りを横断し川沿いを避けて裏道を歩き昔からある錦鯉の店の前を通り菅刈公園へ。手が届く範囲のスダチがないのはみんな取られちゃうから?


西郷山公園

スクランブルスクエア

旧山手通り
西郷山公園の脇西郷橋からスクランブルスクエアがよく見えます。旧山手通りはお屋敷が多かったのか大きなヒマラヤスギがあったり、街路樹のエンジュも立派です。左側は都立第一商業高校。このあたりから目黒川へ下る「上村坂(かみむらざか)」があり由来は「日露戦争の日本海海戦で第2艦隊を指揮した海軍大将上村彦之丞の屋敷があった」となっているので、第一商業高校の場所に上村邸があったのかなぁと想像していました。調べてみると第一商業高校の場所には古河邸、旧山手通りを挟んだ目黒区側に上村邸があったとのこと。古河邸の場所は地元の農民に請われて西郷家が購入したとなっているので、現在の高級住宅地も農地としてはあまり利用価値がなかったのかもしれません。



エジプト大使館

デンマーク大使館

猿楽塚
旧山手通りは大使館が多く二週間前に紹介したマレーシア大使館も旧山手通り沿いにあります。猿楽塚は古墳時代後期の古墳で、渋谷区に古墳が残っているのは珍しいと思いますが、目黒区との区界であまり開発が進まなかったのかもしれません。


槍ヶ崎

槍ヶ崎からの上り坂
代官山交番から槍ヶ崎交差点までは下り、その先は上り坂と谷のようになっていますが谷ではなく切通しです。私が勝手に代官山山脈と呼んでいる目黒川と渋谷川削り残した台地の縁にあたりますが、槍ヶ崎のあたりは槍のように狭くなっていたので当初トンネルが掘られました。路面電車を通す際トンネルでは賄いきれず切通しにしたのですが、駒沢通り沿いにビルが立ち並び切通しの面影はありません。このウォーキングコースを歩いていると槍ヶ崎交差点へ向かって下り、そこからまた上り坂があるので切通しを実感することが出来ます。ちなみにこの切通しの標高差は5メートルです。


渋谷区立原町公園

目黒区立中目黒一丁目児童遊園
区境の東西に公園がありました。


目黒の新富士(別所坂公園)

別所坂公園の眺め
代官山山脈の尾根道をたどると別所坂公園に到達し、その先は自衛隊の艦艇装備研究所があるので山を下って回り道をしないと先に進むことはできません。
別所坂公園は淀橋台の縁にある眺めの良い公園で、正面に中目黒のアトラスタワー(地上45階建)、右奥に大橋ジャンクションに隣接するクロスエアタワー(地上42階建て)が見えます。ウォーキングマップでは中目黒駅まで行くことになっていますが、この日のウォーキングはこちらで終了。別所坂公園でストレッチをして解散となりました。

この日は久しぶりに6名で反省会。ライオンのビールがおいしく大いに盛り上がりました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
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自由ヶ丘コース 約4.9km

2020-09-18 09:55:28 | 東京都目黒区
自由ヶ丘コース 約4.9km
都立大学駅を発着点として区内西部、旧衾村をめぐるコースです。自由が丘という町名になる前「衾」でほぼ決まっていた町名を、文化人たちが勝手に自由が丘と名付け既成事実を重ねて町名にしてしまったことは有名ですね。昭和2年東横線開通当時の駅名は「九品仏駅」で現在の大井町線九品仏駅開業に伴い昭和4年に「自由ヶ丘駅」に改称されましたが、これは昭和2年に開校した自由ヶ丘学園に由来するものです。当然のことながら「衾駅」も候補の一つでした。昭和7年に町名が「自由ヶ丘駅」に改称となり、昭和40年に「自由が丘」に変わったことをきっかけに、駅名は昭和41年に「自由が丘駅」になりました。
このコースは毎年設定されているのですが、私自身は歩く機会がなく久しぶりです。



ソメイヨシノの落葉
集合場所は改札を出て少し自由が丘寄りにある呑川暗渠でこの場所をお借りしてストレッチを行います。暑い暑いと思っていましたが、気がつけばソメイヨシノが落葉する季節になっていました。


線路わきの上り坂
呑川暗渠から線路沿いに南西へ向かうのですが初めは上り坂で登りきると線路と同じ高さになります。都立大学駅は呑川の谷にあるので高架駅となっていますが、標高は26メートルほど。同じく目黒川の谷にある中目黒駅は標高9メートルなので目黒川の谷が深いことが分かります。


ロードサイン
私は見慣れているので自転車に乗っている人にしか見えないのですが、異国から来てこのサインを見ると別の想像をするようで、イラク人がニヤニヤして喜んでいました。


自由が丘へ向かって下り坂
立源寺前の品川みちがピークで標高39メートル。下った先の自由が丘駅も高架ですが、グランドレベルは標高25メートルです。九品仏川が流れていましたが、もとは衾沼という沼を埋め立てているので、標高は呑川と同じくらいのようです。


竹林を切り開いて東横線の歴史
大正15年2月、丸子多摩川駅(今の多摩川園)と神奈川駅(反町~横浜間)間に鉄道が開通した。これが東横線の始まりである。そのと線路が延び、渋谷~桜木町間の全線が開通したのが昭和7年。目黒のこのあたりでは、うっそうとした竹やぶを切り開いて路線が敷かれたという。農村だった目黒は、東横線の開通により急速に都市開発が進んだのである。


谷畑弁財天
昔このへんにこんこんと湧き出る清水があった。村の人がその恩恵に感謝して弁天さまを祀ったのが谷畑弁財天の始まりである。地域の守護神として、今もあつく信仰されている。


谷畑弁財天
行きどまりの道の奥にあり、目黒区みどりの散歩道の案内板を見てもここを訪れることは難しいでしょう。まさに地域の守護神。キンチョール完備。


目黒区みどりの散歩道

熊野神社

みこし保管庫
散歩道のコースは自由が丘駅方面へ向かいますがわれわれのウォーキングは熊野神社にお参りした後、緑小通りをさらに西へ向かいます。熊野神社では拝殿と神楽殿が渡り廊下でつながっていました。神輿保管庫の数も多いですね。こちらの熊野神社の御由緒をWikipediaから引用します。
鎌倉時代以前の創建と伝えられている。熊野詣が盛んだった頃、地元の住民が講を作って熊野参りをして本宮の御分霊を拝受して創建したと伝えられる。寛政八年(1796年)に社殿改修棟札の写しが残っていることから、少なくともその時期までにはこの地に創建されていた。かつて一帯は「谷畑」と呼ばれ、当神社も通称「谷畑の権現さま」と呼ばれた。

境内には碑衾村村長で、村の耕地整理に貢献した、栗山久次郎(1935年建立)の銅像がある。



柴垣
緑小通りで久しぶりに見たのですが、「柴垣」でいいんですかね。緑小通りがやけにうねっているので考えてみると、自然なのは熊野神社裏の標高35メートルで学園通りとの交差点が標高33メートルになっているのは、このあたりの学園通りが切通しになったためでしょう。駅側の神社入口と拝殿前では6メートルの標高差があり、そんなに急でもないけど切通しにして坂を均したのでしょう。



よく見る花なんだけど園芸種の花の名前を探すのは山野草より難しい。


呑川の谷

農産物即売

呑川緑道
世田谷との区界付近の区内西端を北上し、目黒通りを横断すると呑川の谷へ向かった坂。写真では表現しにくいけど結構な急坂です。消防署を右折して呑川緑道へ入ります。


呑川駒沢支流緑道

オオケタデ

みどりの散歩道
呑川本流緑道から左折して駒沢支流緑道に入ります。こちら方面へ行こうとすると八雲氷川神社へ寄ることが多いので、駒沢支流はあまり歩きません。みどりの散歩道は先ほどとは違うルートで、駒沢支流緑道から駒沢公園を経由して、柿の木坂支流を通り本流に合流するルートです。


桜修館中高

ムラサキシキブ

万葉歌碑

パンパス
姪が通っていたころはまだ都立大付属高校でしたが、その後桜修館という中高一貫校になっています。駅名の元になっている都立大学があった場所でその大部分は目黒区民キャンパスで、図書館、体育館、コンサートホール等文化施設になっています。駅名も開業当時は「柿の木坂駅」で昭和6年に「府立高等前駅」に改称されています。


区民キャンパスの池
東側の柿の木坂通りに面しており、あまり歩いて通らない道なのでこの池があることは知りませんでした。


東光寺
世田谷をおさめていた吉良家の開基で区内でもかなり古いお寺で、かつては広大な寺領を持っていたようです。


八雲氷川神社
衾村の鎮守で大きな神社です。こちらは車庫として貸しているのでしょう。


八雲小学校
区内で一番古い小学校ですが、衾村の八雲小学校、上目黒村の菅刈小学校、下目黒村の下目黒小学校、碑文谷村の碑小学校はほぼ同時期に開校しています。


キバナコスモス

サルスベリ
八雲小学校から呑川本流緑道へ戻り都立大学駅裏まで戻ってストレッチをして解散しました。少し暑かったけど、ちょっぴり秋を感じさせる気持ちの良いウォーキングでした。


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北部公園コース 約6.0km

2020-09-07 09:02:43 | 東京都目黒区
8月は4回のウォーキングを予定していましたが実施できたのは初回のみで、あとは猛暑のために中止。8月の最終回は前日の予報では歩けそうだったのですが、当日熱中症情報が「危険」に変わって断念しました。高井戸から神田川沿い、玉川上水沿いを歩いて井の頭公園に至るルートだったので、高井戸の栗畑を見て井の頭公園で解散後手作りハム・ソーセージの店ケーニッヒでホットドッグをつまみに樽生白ビールを飲むことを楽しみにしていたのですが、中止になってとても残念。それだけ食しにゆけばいいのですが、withコロナの時代に、わざわざ電車に乗ってゆくかというとその決断はできないのです。

先日9月10月の歩行計画を作成し発送しました。情勢を鑑みてスタートとゴールを区内とするコンパクトなコースを選定しました。それでも「いろいろなところを歩く」という基本方針を維持し8種類のコースを選定しました。その初回として目黒ウォーキング協会北部地区の代表コースである、北部公園コースです。


ノウゼンカズラ
中目黒GTに集合し、目黒川舟入場へ移動してストレッチ。この花は花期が長く、6月にも撮影しています。さすがに少しくたびれた様子になってきました。参加者は7名です。


目黒川とアトラスタワー
定番となっているアングルです。


目黒川沿いの道
日差しが強く、影とのコントラストも強くなり暑い。暑さに関していうと「7月8月は当日朝の天気予報で、最高気温が33度以上となった場合は活動を中止」というのがこれまでの基本スタンスだったのですが、最近提唱されることが多くなった「暑さ指数」に変えてみたいと思っています。環境省のページから引用します。
暑さ指数(WBGT(湿球黒球温度):Wet Bulb Globe Temperature)は、熱中症を予防することを目的として1954年にアメリカで提案された指標です。 単位は気温と同じ摂氏度(℃)で示されますが、その値は気温とは異なります。暑さ指数(WBGT)は人体と外気との熱のやりとり(熱収支)に着目した指標で、人体の熱収支に与える影響の大きい ①湿度、 ②日射・輻射(ふくしゃ)など周辺の熱環境、 ③気温の3つを取り入れた指標です。

暑さ指数が31℃以上になると熱中症情報が「危険」となります。この日の活動時間帯の熱さ指数は予報で28℃代、実際は30℃代となりました。思ったよりも気温が上がったもののどうにか「厳重警戒」にとどまったといったところです。もう一度環境省のページから引用してみます。
[熱中症情報(運動に関する指針)]
危険(暑さ指数31℃以上):特別の場合以外は運動を中止する。特に子どもの場合には中止すべき。

厳重警戒(暑さ指数28~31℃):熱中症の危険性が高いので、激しい運動や持久走など体温が上昇しやすい運動は避ける。10~20分おきに休憩をとり水分・塩分の補給を行う。暑さに弱い人(体力の低い人、肥満の人や暑さに慣れていない人など)は運動を軽減または中止。


実際にウォーキングをしていてこの指針は納得できるもので、この日のウォーキングでは日陰を選んで無理をせず歩きました。それでも大量の汗をかきながらのウォーキングとなりましたが、ウォーキング後は気持ちよかった。


菅刈公園

タチフヨウ
一回目のトイレ休憩ですが、汗が大量に出るせいかトイレに行く人はあまりいませんでした。ポイントは給水。こまめに少量の給水がいいのですが、休憩をとりしっかり給水することを促します。


西郷山公園
山を登ると西郷山公園です。菅刈公園と西郷山公園はどちらも西郷従道の屋敷跡ですが、西郷山公園ができた時には菅刈公園の場所には国鉄の官舎が建っていて、時を経て違う公園として開園しています。


マレーシア大使館

ヤマザキカレッジ
この日は尾根伝いではなく旧山手通りを歩きました。外回り側の歩道には日影があるので、できるだけそちら側を。
本来のルートは神泉から淡島通りに入り松見坂なのですが、東大構内を歩けないことを想定し松涛方面へ。


東大裏の山手通り
中目黒付近の山手通りも建物がセットバックして歩道が広くなってきましたが、ここまでの広さはありません。広い歩道は歩きやすい。木陰があるとさらにいいのですが。。。


東大駒場北門
3月27日から閉じられたままのようです。


駒場公園東門


新設されたトイレ
せっかくなので駒場公園に新設されたトイレ前で休憩しました。旧前田家のガレージを模して造られたトイレはきれいです。


駒場公園

駒場野公園ケルネル田圃
木が多い駒場公園では蝉の密度も高いようです。ケルネル田圃では稲穂がこうべをたれてきました。

駒場野公園でストレッチをして解散となりました。暑かったけど久しぶりのウォーキングは気持ちがいい!


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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