目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

目黒健康ウォーキングマップN(緑ヶ丘コース) 約4Km

2017-09-25 14:50:29 | ウォーキング
「めぐろ健康ウォーキングマップ」。私の手元にあるものは、2007年3月に目黒区教育委員会が発行したものですが、すでに絶版になっています。初版は2002年頃に発行されたものだと思いますが、目黒ウォーキング協会に所属する各地区クラブがコースを持ち寄り冊子にしたもので、2007年に発行されたときには数コースを加えてさらに充実したものとなりました。「適度な運動をして健康寿命を延ばし、医療費を制御する」という観点から、ウォーキングマップの改訂増刷が待たれるところです。
今回の緑が丘のコースは、7月に予定していましたが、猛暑のため中止し9月の予定に再登場したものです。区内のみを巡るコース設定は大切に残してゆきたいと思います。


写真:ストレッチにお借りする呑川緑道

写真:高架下の珈琲店
集合は都立大学駅すぐ近くの呑川緑道。ストレッチをして出発です。この日は23名が集まりました。


写真:線路沿いの道を歩きます

写真:東横線90周年記念ラッピング車両
線路沿いを自由が丘方面に向かい坂を上ってゆきます。都立大学駅は開業当初柿の木坂駅で、呑川が作った谷底にあります。この谷が無ければ「柿の木坂」もなかったのでしょう。江戸へ野菜を売りにゆく衾村のお百姓さんにとって、ちょっとしんどいところだったのだと思います。柿の木坂は目黒通りの旧道、二子道を現在の環状七号線まで登ってゆく坂という説が有力です。
ラッピング車両について東京急行電鉄の資料から引用してみましょう。
沿線の皆さまに東横線の昔の情景を懐かしんでいただくため、現在の5000系電車に、緑の塗装と丸みを帯びた外観で「青ガエル」と呼ばれて親しまれた旧5000系の塗装を再現して運行します。
(1)運行期間(予定) 9月4日(月)~2018年8月31日(金)
※運行時間などは未定です。
(2)運行車両形式 5050系 8両編成

青ガエルが運行されていた当時私は小学生で、急行はステンレス車両の7000形で運行されていたため、この古臭い5000形が来るとがっかりしたものです。今となっては熊本電気鉄道で運行されていた車両や、ハチ公前広場に置かれている青ガエルを「懐かしい」という思いで見ていますが。。。青ガエルと同じ形でステンレス車両の5200形もありました。


写真:「衾」を冠したこども園

写真:「自由が丘」を冠したマンション
「衾」はこのあたりの字名で、衾村はのちに碑文谷村と合併して碑衾村になり、碑衾町になり、目黒町と合併して目黒区となります。「衾」は公園の名などに残っていますが、町名には残っていません。衾村に住み始めた文化人が勝手に「自由が丘」を名乗り、駅名や町名にしてしまったということが無ければ「衾」が残っていたのに。都立大学駅から昇る坂の途中にあるマンションに「自由が丘」の名。地元民からすると違和感があります。呑川と九品仏川の浸食から残った尾根を越えなければ、自由が丘ではなく都立大学。「ハープシール衾」ではマンションを売りにくかったのでしょう。あまり好感が持てないごまかしですね。


写真:谷桃子バレエ団中根スタジオ
老朽化に伴い取り壊しだそうです。




写真:立源寺
江戸初期に建立された円融寺の別当寺だそうです。この寺は呑川と九品仏川の浸食から残った高台に位置し、寺の前の尾根道は品川みちです。東は鉄飛坂を通り品川に至り、西は豪徳寺を通り府中に至ります。石塔に「武州荏原郡衾村」とあるように、渋谷川より外側は江戸ではなく、武蔵の国。武蔵の国の国府は府中。これは大化の改新で定められたもので、江戸という地名が見られるのは平安時代後期から。当時の江戸は武蔵の国の字名の一つでした。



写真:九品仏川へ向かう坂道
このなだらかな坂道は、切通しにしたような形跡が見られないので、九品仏川により自然にできた傾斜なのでしょうか?



写真:坂を下りきった平地
呑川の支流である九品仏川が作った平地と考えるには広すぎるようです。自由が丘や九品仏にかけて湿地が広がっていたので、こんなに広い平地になったのだと思います。


写真:大井町線踏切

写真:九品仏川緑道

写真:キンモクセイ
緑ヶ丘から九品仏にかけて、この緑道が目黒と世田谷の区界になっています。先ほどこのあたりが湿地だったのではないかと考察したところですが、区界になっているということはこの川筋自体もかなり古く少なくとも江戸時代には湿原は田んぼになっていたのでしょう。


写真:呑川
呑川と九品仏川が合流する目黒区緑が丘から呑川は開渠になります。映画「シンゴジラ」で、ゴジラははじめに呑川を遡ってくるのですね。


写真:東京工業大学


写真:呑川本流緑道
東京工業大学は明治14年創立で、当初蔵前にあった校舎が関東大震災で壊滅的な被害を受け、大岡山に移転してきました。後藤慶太が東急線沿線を文化的な香りを醸し出し、土地の価値を上げるための大学誘致戦略の一環ですね。呑川本流緑道は人道のアンダーパスで、大井町線と目黒線をくぐります。


写真:サルビア

写真:ヒガンバナ

写真:呑川本流緑道

写真:鉄飛坂庚申塔群
中根小学校の角で一度緑道に別れを告げて、鉄飛坂庚申塔群へ品川みちを歩きます。4月30日に行われる「品川海上禊祓式」についてWikipediaの「くやらみ祭り」の記述を引用します。
午後1時 神職及び所役が汐盛講中の世話により、荏原神社(東京都品川区)から品川湊(現在の品川沖)に赴き手や口を海水で身を清め、海水を樽にいれて持ち帰る。大祭期間中の朝夕潔斎時にこの海水を使用する(汐汲み・お浜降り)。この際は古くから品川道を利用する。


写真:志のぶ幼稚園
創立106年の幼稚園だそうです。現存する最古の幼稚園は明治9年開設の「お茶の水女子大学附属幼稚園」ということで、幼稚園の歴史は古いのですね。ちょっと意外でした。


写真:目黒区平町のお屋敷
築地と横須賀へ行くのに便利なこのあたりは海軍将校が多く移り住んできたので、大きなお屋敷が多いです。中根から呑川を挟んで対岸のこのあたりは平根と小字名で、そこから「平町」と名付けられたようです。



写真:桜森神社

写真:呑川本流緑道
桜森神社の鳥居は東日本大震災で壊れてしまい、建替えられましたが、その一部が残されています。都立大学駅に近いこのあたりの緑道は、自転車置き場となっています。

夏用のコースなので短い距離でしたが、気持ちよく歩けました。途中から日差しが強くなり暑かったですが。緑道でストレッチをして解散し、有志は学芸大学へ移動して天狗で一杯。ビールにとどまらず日本酒まで。イカ刺し美味しかったです!


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第15回将軍お鷹狩ウォーク、実行委員コース確認

2017-09-17 10:58:16 | ウォーキング
雨が心配された9月16日(土)午前中から、実行委員によるコース確認を行いました。今年で15回目を迎える「めぐろウォーキングマーチ 将軍お鷹狩ウォーク」は500名の参加者に、100名ほどの実行委員で対応します。実行委員とは目黒ウォーキング協会に所属する五つの地区、北部、東部、中央、南部、西部のウォーキングクラブから選出された方々で、手弁当で区内のウォーキングイベントをお手伝いしていただいています。
この日は約70名の実行委員が、日比谷公園から目黒区田道広場公園へ向かうコースと、芝公園から田道広場公園へ向かう二つのコースに分かれ行われ、私は日比谷公園に参加しました。


写真:日比谷公園の曼珠沙華

写真:健康広場脇の自由の鐘
昨年までは皇居外苑桜田門広場をお借りしてスタート地点としていたのですが、今年度から11月3日にこの場所を借りることが出来なくなり、スタート地点は日比谷公園健康広場に代わります。こちらで本日のコース確認の趣旨を再確認し、ストレッチをしてからスタートしました。


写真:日テレ宮崎駿のからくり大時計
日比谷公園を出て、銀座八丁目を通り、旧新橋停車場跡を見てから、日テレプラザに向かいます。このからくり時計、休日は午前10時に仕掛けが動くのですが、この日はちょうどその時間だったのでからくりが起動するまで数分待って確認してきました。

この後、竹芝ふ頭公園でトイレ休憩を取り、古川沿いに金杉橋、赤羽橋、一の橋、古川橋を通り、白金公園で小休憩。狸橋を渡り、天現寺橋で古川に別れを告げ、慶応幼稚舎、恵比寿社会教育館、恵比寿ガーデンプレイス、茶屋坂を通りめぐろサンマ祭りの準備が進む田道広場公園へ帰って来ました。ストレッチの後実行委員会を行い解散となり、雨に降られず、よかったです。


写真:来場予定の鷹と鷹匠
今回十五回の記念大会のため、鷹匠に来ていただき生きている鷹を参加者の方に見ていただけるようにします。広報に載せる時間が無かったので、ここだけのお知らせ。

お鷹狩ウォークは9月15日発行のめぐろスポーツニュースに詳細が載っていますので、こちらをご参照ください。目黒区在住、在勤、在学の方が対象となりますが、国際交流の観点からMIFA会員の方へ特別枠を設けご参加いただけます。先着順の受付となりますので、お早めにご応募ください。実施日は11月3日(金・祝)です。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とことん烏山川コース2 約3.9Km

2017-09-11 15:35:05 | ウォーキング
目黒川は我々にとってなじみ深い川で、小中学校両方の校歌にも歌われるほどです。世田谷区池尻で北沢川と烏山川が合流し目黒川になります。この二つの支流もすこやか歩こう会ではなじみのあるウォーキングコースなのですが、通常その源流まで行くことはありません。「とことん」シリーズは、それぞれの川の終点ともいうべき池尻の合流点から、源流へと遡ってゆく企画です。昨年北沢川は二回に分けて踏破し、今年度は烏山川をさかのぼっています。一回目は池尻から世田谷線宮の坂にある世田谷八幡宮まで、途中世田谷区郷土資料館などに寄りながら歩きました。二回目となる今回は、世田谷八幡宮から蘆花公園までの予定でスタートしました。


写真:世田谷線車内

写真:世田谷線の軌道
三軒茶屋から世田谷線に乗りました。元が路面電車なので今でも車両のサイズは路面電車サイズです。軌道を見ると、東横線やJR各線で使用されている「狭軌(1,067mm)」よりも広いように思います。まさか「標準狭(1,435mm)?」と思って調べてみると、「馬車軌間(1,374mm)」と呼ばれる狭軌でした。路面電車は馬車軌間が多く採用され、都営荒川線の軌道もこの幅です。そのほか京王本線が馬車軌間を採用しているのは、初めの計画で新宿から先、路面電車に乗り入れる予定だったため私鉄では唯一この軌道幅を採用しているそうで、相互乗り入れをする都営新宿線も1,374mmとなっています。京王電鉄井の頭線が1,067mmなのは、開業時は京王ではなく小田急の系列だったため。


写真:東急デハ80形電車
こちらの車両についてはWikipediaから引用します。
下高井戸方面行ホームに隣接して、世田谷区の宮坂区民センターがある。かつて世田谷線を走り、その後江ノ島電鉄で使用された車両が展示されている。この車両は一般公開され、日中は中に入ることが出来る。



写真:世田谷八幡宮
こちらの神社についてもWikipediaから引用してみましょう。
寛治5年(1091年)後三年の役(1083-87)の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い、天候回復を待つため、滞在することとなり今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の加護によるものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の分霊をこの地に勧請し祀った。後に世田谷城主七代目の吉良頼康が天文15年(1546年)社殿を再興させて発展させた。この天文15年が実質的な創建の時と考えられる。
明治5年(1872年)郷社に列し、社号を宇佐神社と改めたが、第二次大戦後、世田谷八幡宮の名に復した。
かつては奉納相撲の勝敗によって来年の豊作・凶作を占ったり、今年の豊作を感謝したため、境内には土俵や力石がある。今でも毎年秋の例祭(9月15日)には東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われている。
最寄駅の東急世田谷線宮の坂駅の駅名はこの神社の脇にある宮の坂に由来している。
文化10年(1813年)建立の旧本殿が、昭和39年(1964年)に建てられた現在の社殿内に納められている。




写真:境内の土俵
大相撲の土俵のように固めていないので、蝉が穴をあけています。土俵のまわりでストレッチをして出発です。


写真:緑道のキバナコスモス

写真:鴎友学園

写真:ムラサキシキブ

写真:緑道の運動器具

写真:緑道の桜

写真:緑道の看板
宮の坂駅のすぐわきにある烏山川緑道を上流へ向かってゆきます。結構蛇行しており、大きな道を渡ると緑道の先がどこなのか、わからない場所もあります。ムラサキシキブなど、徐々に秋の景色になってきますね。


写真:石仏公園

写真:ムクゲ

写真:森繁通り
小田急線のガードを超えると石仏公園です。どこかに石仏が飾られているのですが、見つけられませんでした。森繁通りについては、Wikipediaの森繁久彌さんのページから引用します。
2010年11月の一周忌に当たり、東京都世田谷区が小田急電鉄千歳船橋駅から旧森繁私邸へ抜ける世田谷区道を『森繁通り』と命名することを決定し、11月13日に命名式典が世田谷区長・熊本哲之と森繁建(次男)を始めとする関係者列席の下に執り行われた。2014年(平成26年)11月22日、千歳船橋駅前に森繁が『屋根の上のバイオリン弾き』で演じたテヴィエ役姿の胸像「テヴィエ像」の除幕式が行われた。


写真:ススキ

写真:砧公園管理事務所

写真:希望丘小学校
世田谷区の公園管理事務所は五つに分かれているようで、この日歩き始めの緑道を管理するのは世田谷公園管理事務所、途中で砧公園管理事務所の管轄を経て、ゴール付近は烏山公園管理事務所の管理となります。広さは目黒区の4倍ですから、行政組織も目黒区とはケタ違いです。「希望ヶ丘」は地名ではなく、土地区画整理事業の名称のようで、この名を冠する小中学校、団地、公園があります。




写真:公団前の公園
公園がゆったり取ってあり、烏山川をイメージしたであろう水を使ったオブジェが見られます。


写真:ヒガンバナ

写真:希望丘区民集会所前のフクロウ

写真:水際の散策路
住所が船橋から八幡山に代わるあたりで、北沢川の主な水源であった将軍池も近くにあります。もう二週間もするとお彼岸です。


写真:大学運動部の寮

写真:八幡山遺跡
運動部の寮の洗濯物は、「いかにも」という感じですね。遺跡は縄文時代からこの土地に人の暮らしがあったという証です。


写真:徳富蘆花夫妻の墓所
蘆花公園内にあります。


写真:名もなき支流の跡
都営八幡山アパートの中を流れる川の跡で、烏山川の支流か、古い烏山川と思われるのですが、情報が見つかりません。世田谷区は調べてみてもよくわからないということがしばしばあります。目黒区だとたいがい答えにたどり着くのですが、これも大きさの違いでしょうか。
アパート敷地内の公園をお借りしてストレッチをしてこの日のウォーキングは終了です。

この日有志は男性だけ。渋谷に出て24時間営業の焼き鳥屋、山家でビールを飲んで焼き鳥食べて。暑かったのでビールがおいしかったです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下見、高輪橋架道橋

2017-09-05 15:52:02 | ウォーキング
テレビで見たのか会長が「かがまないと通れないガードを、ウォーキングで行こう!」とおっしゃるので、下見をしてきました。山手線の新駅が出来るときに、このガードが無くなってしまうのではないかという話もあり、行くなら今のうちです。
高輪橋架道橋、通称高輪ガードは泉岳寺の近くにあり、セットとしてここに寄らないわけにはゆかないのですが、ルート設定に苦労しました。このあたり急坂が多いんですよね。



写真:新浜公園


写真:芝離宮恩賜庭園

写真:小便小僧
新コース下見の前に、お鷹狩ロングコースで気になっていた新浜公園の石像の確認に行ったのですが、説明書きはありません。港区に問い合わせてみます。
浜松町駅のすぐ隣にある芝離宮庭園。駅の通路から眺められる構造になっていました。この通路は初めて通ったので、こんな景色があるとは知りませんでした。窓越しですが写真に撮ってみました。駅構内を見渡したけれど小便小僧は見当たらず。レリーフだけ写真に撮ってきました。



写真:新芝運河
田町駅まで移動し、下見開始です。新芝運河脇の遊歩道を南へ向かいます。


写真:防災船着場
芝浦地区ならではですね。


写真:フウセントウワタ
この名前は初めて聞きました。「風船唐綿/ガガイモ科/フウセントウワタ属」だそうです。


写真:高浜公園
新芝運河の誘導、南端は高浜公園で終わりになります。そしてここが、高輪橋架道橋の入り口です。






写真:高輪橋架道橋
通称高輪ガードです。Wikipediaから引用します。
敷地内の芝浦四丁目と港南一丁目の境界を区道(東行き一方通行)が通っている。これをまたぐガードの高輪橋架道橋(たかなわきょうかどうきょう)は高さ制限が1.5mという極端な低さである。(中略) 東京無線など都内を走るタクシーには、天井の社名灯が通行の支障となるため、社名灯の頂上部を数cm削ったいわゆる「高輪橋架道橋特別仕様」が存在する。また、車高の高い自動車がカーナビでこちらに誘導されたり、また、自車の車高を把握してない一般ドライバーが誤って進入したために自車の屋根を損傷させたり、そこまで至らぬもののガード直前で通れないとわかってバックで戻ったりする光景が時々見られる。
元々この道路は運河へと続く水路だったが、大正時代にこれを埋め立てて道路が作られた。その際、当時の日本人男性の平均身長が165cm程度だったため、高さをそれに合わせ、現代人から見れば低く見える架道橋ができたとされる。

鉄道開業時このあたりには敷地が無く、海上に盛土をし鉄道を通しました。もともと水運を営んでいた人への配慮で、鉄道の下を通る水路が作られ、時代とともに水路がガードへと変身しました。ガードを囲む石壁は明治時代のものかもしれません。


写真:稲荷神社

写真:泉岳寺
泉岳寺から伊皿子方面へ歩いてゆくのは常識的なコース設定なのですが、坂がきついので別ルートを考えました。下見では第一京浜を歩き、品川駅構内を通って港南口に出たのですが、ウォーキングとしては面白みがありません。本番のウォーキングでは高輪橋架道橋を再びくぐって、徹底的に運河沿いを歩くことにしました。


写真:高浜運河


写真:T.Y.HARBOR
T.Y.HARBORは醸造所を併設し、クラフトビールを売りにしたアメリカンスタイルのレストランだそうです。パーティーにいいかもしれませんね。


写真:目黒川水門
埋め立てが進み運河になってしまっているのでわからなくなっていますが、ここが目黒川の河口だった場所のようです。午前中は雨が降ってウォーキングが中止になってしまいましたが、午後から晴れてお月様が見えるいい天気になりました。


写真:浦高札場

写真:鎮守橋

写真:鎮守橋から品川宿を望む

写真:荏川橋
このあたりは江戸時代の品川宿の跡なので高札場があったのでしょう。荏原神社へ向かう赤い橋が鎮守橋。古代の字名が「武蔵国荏原郡」なので、荏原というのは由緒正しい地名なのです。明治維新後目黒区を含むこの辺りは品川県を経て、東京府に編入されます。上目黒についていえば1889年に4村が合併して荏原郡目黒村。1922年に荏原郡目黒町。1932年に碑衾町と合併し東京市目黒区になり、千年以上続いた字名の荏原郡がなくなりました。荏原の由来は荏胡麻の原という説があり、荏川橋には荏胡麻の絵が描かれています。


写真:ザクロ
このコースのゴールは大崎駅に設定しますが、下見はここで終了です。いつの間にかザクロの実も赤くなり、久しぶりの下見で秋を感じる一日となりました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする