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パレンバン・マラッカ・ブルック王国5

2024年02月19日 | 観光
🌸マレーシアの歴史5

古代からヒンドウー文明圏ヘ
 ☆最も初期からマレー半島に往来していたのは南インドの人々
 *産出される責金や香料などを取り引きしていた
 ☆ヒンドゥー教の文化や社会制度が導人された
 *スマトラやジヤワで王国が成立するきっかけになった
 ☆6世紀、スマトラ島市部のパレンバンに出現したシュリビジャヤ
 *海上交易で、マレー半島各地に文化的影響をもたらした

マラッカ王国と西洋の進出
 ☆14世紀パレンバンがジャワの王国に占領される
 *パレンバンの王族と配下の民、マラッカヘ逃れ
 *マラッカ王国を創始した
 ☆商港としておおいに繁栄したマラッカ
 *海上貿易を握っていたベルンヤ、アラブ、インドからきた
 *イスラム教徒の影響を受け、イスラム化の影響を受けた
 *東アジアにおける海二交易とイスラム教の中心地となる
 ☆マラッカが香料などの交易の独占を目論んだボルトガル人に占領される
 *マラッカ王家はジョホールなどに逃れ、次第に衰退する
 *マラッカはポルトガルを駆逐したオランダ人に占領された

イギリスの植民地統治
 ☆イギリス東インド会社がケダー州のスルタンから
 *ペナン島を割譲されたことに始まる
 *20世紀初頭にはイギリスがマレー半島とボルネオ島北部を掌握
 *英領マラヤとして本格的な植民地統治が行われた
 ☆イギリスは莫人な資本を投下し、スズ鉱山とゴム農園の開発に力を注ぐ
 *中国と南インドから多くの労働者が移住して
 *現在のような多民族社会ができあがった
 ☆ボルネイ島では、部族間の争いを平定した英国人
 *ジェームス・ブルックがスルタンからラジャに任命され
 *「ブルック王国」を建設し、サバもイギリスの保護領となる
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『地球の歩き方』


「パレンバン」「マラッカ」「オランダ」「イギリス」「ブルック王国」
(『地球の歩き方』記事他より画像引用)

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