自分の見方と他人の見方は当然、異(こと)なる。その違いは見解の相違として、時には対立することにもなる。個人的な言い争いから国家間の戦争に至るまで、範囲は大きい。まあまあ…と仲裁(ちゅうさい)が入ることにより、二つの違いはお互いに歩み寄ることになる。要は違いが消える訳だ。
昼下がりの、とある八百屋の店頭である。店の主人と一人の買物客の男が話しあっている。店頭には出回り始めた苺(いちご)パックが、ところ狭(せま)しと並べられていた。
「いや、それは、いくらなんでも…」
「いいじゃないですか、もう1(ワン)パックくらい。いつも買いに来てるんだから…」
八百屋の主人が、いつも来る買物客へのサービスで、「お世話になってますから…」と、笑顔で1パックおまけしたのが、いけなかった。買物客は、このサービスを厚かましく利用したのである。店の主人は瞬間、しまった! と悔(く)やんだが、時すでに遅(おそ)し・・だった。
「ははは…私どもは日銭(ひぜに)の商(あきな)いでございましてな…」
「いやいや、ご冗談をっ! 店も手広くされたんですから、結構もうけてらっしゃるんでしょ?」
「いやいやいや…滅相(めっそう)もないっ!」
「これだけパックが並んでるんですから、1パックぐらいっ!」
二人の気分の違いは縮(ちぢ)まりそうにもなかった。そして30分ほど経過したときだった。別の買物客の婆さんが店へ近づいてきた。この婆さんが二人の思いの違いを縮める役を果たすことになった。
「分かりましたっ! も、もういいですっ! 今回だけですよっ!」
婆さんが店に入るまでに…と思ったのか、主人は折れて、もう1パック追加して袋へ入れた。男は金を支払うと婆さんと入れ違いに店頭から去った。
「いらっしゃい!」
婆さんは苺を1パック買うと、何もなかったように帰っていった。
「また、どうぞ…」
主人は婆さんにサービスしなかった。要は、婆さんへのサービス分の1パックが先の買物客へ回ったということだ。婆さんとすれば、とんだ大損なのだが、そのことを婆さんは知らない。このように、違いは見えない損得勘定で消えることが多い。
完