生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

善業こそがパートナー

2016-04-25 04:02:27 | 日々の暮らし
今日は仏教の言葉をいくつか紹介します。

「諸法無我(しょほうむが)」

すべてのものは、自分のものではない。これも、あれも、それも。

あらゆる心理現象も、そのすべては自分のものではない。

この身体も、この感覚も、この記憶も、この好き嫌いも、この意識も、この世界も、すべては自分のものではない。


これを体感するなら、君は苦しみから離れ、

君の心は清まり安らぐだろう。

死ぬときは、すべてを失う。

死ぬときに持って行ける唯一のものは、


君がこの人生で行動してきた身体の業(ごう・カルマ・行為)と、

話してきた言葉の業と

心の中で考えてきた

思考の業たったそれだけ。


君はその報いだけを受け取り、旅立ってゆく。


あたかも影が人につきまとうがごとく、

業は君を追いかけてゆく。


そのような意味があると言われています。

「四人の妻」のような話だと思いました。


死での旅立ちに一緒に行ってくれと頼むと、


一番目の妻に断られた(その妻は肉体)。

二番目の妻にも断られた(財産)。

三番目の妻にも町の境までなら行くが、その先はお断りと断られた(身内)。


四番目の妻だけがどこまでもついて行きますと言ってくれた(魂・業)。


こんな話を思い出しました。

業という魂だけがどこまでもついてくるのです。


ゆえに、常日頃から

思考、言葉、身体を整えて、

未来(次の世も含めて)に備えて


「善業」を


積むようにしたいと思います。

善の業こそが唯一の

パートナーなのですから。

そんなことを考えていたら、素敵な言葉を思い出しました。

『親切は荷物にならない土産である。

物だけがすべてではない。

心の充足感こそ

最高の施(ほどこ)しである』

(釧路市の観光客を遇する標語)

素敵な心のこもった、おもてなしの言葉だと思いました。

すると、仏教の言葉がまた浮かんで来ました。

「無財の七施(しちせ)」

お金などの物質的なものでなく、

「心施(しんせ)」

と言って優しい心、

温かい心で、

素晴らしいものを

施すという意味です。

まさに、この心施も

善業になると思いました。

今日の導きの言葉になれば


合掌
コメント
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