常世草とは理想郷の果実と言われています。
常世の国とは、永遠に変わらない国。
仙人たちが住んでいる理想郷のことです。
その昔、垂仁(すいじん)天皇は、その常世の国に、田道間守(たじまもり)を遣わしました。
そして、9年後、彼が持ち帰った果実を
「常世草」と呼びました。
いまの蜜柑(みかん)なのです。
昔は、蜜柑のことを橘(たちばな)といいました。
「田道間花(たじまばな)」が縮まって「橘」になったといいます。
その後、蜜のように、甘かったことから蜜柑と呼ぶようになったそうです。
当時の人々にとっては、まさに常世の国の果実と思えたのでしょう。
今でも京都御所には、右近の橘と左近の桜が植えられています。
また、田道間守が9年後に戻って来たときには、垂仁天皇は亡くなっていました。
田道間守は、天皇の墓の前で泣き崩れ、
橘の実を供えて、後を追ったといわれています。
『さつまつ
花橘(はなたちばな)の
香(か)をかげば
昔の人の
袖の香ぞする』
(古今和歌集)
初夏に白い花を咲かせる橘。
甘酢っぱい香りは、
胸がきゅんと締め付けられるような物語が詰まっているからといわれています。
美しい日本語より
合掌
常世の国とは、永遠に変わらない国。
仙人たちが住んでいる理想郷のことです。
その昔、垂仁(すいじん)天皇は、その常世の国に、田道間守(たじまもり)を遣わしました。
そして、9年後、彼が持ち帰った果実を
「常世草」と呼びました。
いまの蜜柑(みかん)なのです。
昔は、蜜柑のことを橘(たちばな)といいました。
「田道間花(たじまばな)」が縮まって「橘」になったといいます。
その後、蜜のように、甘かったことから蜜柑と呼ぶようになったそうです。
当時の人々にとっては、まさに常世の国の果実と思えたのでしょう。
今でも京都御所には、右近の橘と左近の桜が植えられています。
また、田道間守が9年後に戻って来たときには、垂仁天皇は亡くなっていました。
田道間守は、天皇の墓の前で泣き崩れ、
橘の実を供えて、後を追ったといわれています。
『さつまつ
花橘(はなたちばな)の
香(か)をかげば
昔の人の
袖の香ぞする』
(古今和歌集)
初夏に白い花を咲かせる橘。
甘酢っぱい香りは、
胸がきゅんと締め付けられるような物語が詰まっているからといわれています。
美しい日本語より
合掌