今日は760年以上前の古典、鴨長明の「方丈記」を紹介します。
古代も現代も変わらないものだと感じました。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶ、うたかたは(水のあわ)、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし…」。
(現代訳)
「流れ行く川の水はとだえないが、もとのままではなく、
よどみに浮かぶ水のあわは、消えたり結んだりして、久しくとどまっていることはない。
この世のなかにある人と住居(すまい)も
やはりそうである」。
ーこの後は現代訳で―
花の都の中に、棟(むね)をならべ、軒を競いあっている高貴な人の住居は、
代々続いてなくならないものだが、これを本当かと
たずねてみれば、昔ながらの家はごくまれである。
去年焼けて、今年作ったりまた、大きな家が無くなって、小さな家になったりしている。
その家に住む人間も同じことで、場所も変わらず、人も多いけれど
、昔からの人は、30人の中でほんの1人か2人である。
あしたに死に、ゆうべに生まれる人の世の
ならいは、
全くあの水のあわの通りである。
一体、生まれたり死んだりする人たちは、どこから来てどこへ行ってしまうのであろう。
また、はかないこの世の仮の住居を、一体だれのために心を悩まし、どういうわけで見栄えをよくしようとするのか。
その主人と住居とが、たがいに、はかなさを競うありさまは、
朝顔の花に宿る露と
かわらない。
ある時は露が落ちて花が残る。
しかし、花が残っても、朝日にあうとしぼんでしまう。
あるいはまた、花が先にしぼんで、露があとに消え残る。
例え消え残ったとしても夕方まではもたない。
人間のすることは、みなばかげている。
もっとも危険な都会の中に家を建てるといって、財産を使い、
心を悩ますということは、
とりわけつまらぬことである。
またつむじ風が起こって、家の中の財宝などは、
そっくり大空に舞い上がり、屋根は吹き飛ぶさまは、
まるで冬の木の葉が風に乱れ狂うようであった。
また、大きな地震があった。
山はくずれて河をうずめ、海はひっくり返って陸地をひたしてしまった。
土が裂けて水が涌き出し、岩石が割れて谷にころがり
海岸近くを漕いでいた船は、津波に沖へ持って行かれ、
道行く馬は、踏みどころが定まらず、
神社仏閣は一つとして無事に立っているものはなく、
家がくずれる音は、
まるで雷鳴のようであった。
そのあとの余震がしばらくは絶えず、3ヵ月は続いた。
なんと、古代も現代も変わらないものだと感じました。
また我々の生活に関係することが一杯あるので後日紹介します。
今日の佳き日に
合掌
古代も現代も変わらないものだと感じました。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶ、うたかたは(水のあわ)、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし…」。
(現代訳)
「流れ行く川の水はとだえないが、もとのままではなく、
よどみに浮かぶ水のあわは、消えたり結んだりして、久しくとどまっていることはない。
この世のなかにある人と住居(すまい)も
やはりそうである」。
ーこの後は現代訳で―
花の都の中に、棟(むね)をならべ、軒を競いあっている高貴な人の住居は、
代々続いてなくならないものだが、これを本当かと
たずねてみれば、昔ながらの家はごくまれである。
去年焼けて、今年作ったりまた、大きな家が無くなって、小さな家になったりしている。
その家に住む人間も同じことで、場所も変わらず、人も多いけれど
、昔からの人は、30人の中でほんの1人か2人である。
あしたに死に、ゆうべに生まれる人の世の
ならいは、
全くあの水のあわの通りである。
一体、生まれたり死んだりする人たちは、どこから来てどこへ行ってしまうのであろう。
また、はかないこの世の仮の住居を、一体だれのために心を悩まし、どういうわけで見栄えをよくしようとするのか。
その主人と住居とが、たがいに、はかなさを競うありさまは、
朝顔の花に宿る露と
かわらない。
ある時は露が落ちて花が残る。
しかし、花が残っても、朝日にあうとしぼんでしまう。
あるいはまた、花が先にしぼんで、露があとに消え残る。
例え消え残ったとしても夕方まではもたない。
人間のすることは、みなばかげている。
もっとも危険な都会の中に家を建てるといって、財産を使い、
心を悩ますということは、
とりわけつまらぬことである。
またつむじ風が起こって、家の中の財宝などは、
そっくり大空に舞い上がり、屋根は吹き飛ぶさまは、
まるで冬の木の葉が風に乱れ狂うようであった。
また、大きな地震があった。
山はくずれて河をうずめ、海はひっくり返って陸地をひたしてしまった。
土が裂けて水が涌き出し、岩石が割れて谷にころがり
海岸近くを漕いでいた船は、津波に沖へ持って行かれ、
道行く馬は、踏みどころが定まらず、
神社仏閣は一つとして無事に立っているものはなく、
家がくずれる音は、
まるで雷鳴のようであった。
そのあとの余震がしばらくは絶えず、3ヵ月は続いた。
なんと、古代も現代も変わらないものだと感じました。
また我々の生活に関係することが一杯あるので後日紹介します。
今日の佳き日に
合掌