生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

衣の裏の宝石

2018-06-13 05:19:51 | 日々の暮らし
盲目の父方の祖母に随分とお世話になった私です。

幼い頃は病弱で生死をさ迷った大病に何度もかかっていたのです。

背中を一日中さすってくれていました。

私が東京の大学に行く時、学生服の裏に宝石を縫い込んだからね、
困った時に使うんだよと言われた。

しかし、宝石など何にもなかった。

おばあちゃん目が悪いから違う兄の洋服に縫ったのかな?

と聞こうとしたら

急死の電報が届いた。

おばあちゃんは
困った時にいつも夢に出てくるのです。
手探りしながら。

そして、気づきました。

お釈迦様が説いた

「法華経」の

「衣の裏の宝石」

を思い出しました。

長いこと貧乏暮らしをつづけた人が、

かつての親友の家を訪ねました。

親友は立派な身分になっていました。

親友はごちそうを並べ、最高級のお酒を出してもてなしました。

貧しい友はすっかり飲み過ごして眠りこけてしまいました。

急用ができた親友は、酔いつぶれた友人の

着物の裏に高価な宝石を縫い込んでやりました。

貧しい友は目を覚まし、またあちこちと、
さ迷い、あいも変わらぬ貧乏暮らしをつづけていました。

ある日、ぱったりと親友に会いました。

「きみの着物の裏に

一生暮らしに困らない

値打ちのある宝石を

縫いつけておいて

あげたのに」

という話があります。

この宝石が仏様なのです。

私たちの1人ひとりにその高価な宝石が縫いつけられているのです。

それに気づいて、自分でとり出しさえすれば

、宝物はすぐ自分のものになるのです。

私も素敵な宝石を身につけていたことに気づいて手を合わせました。


皆様にもこの教えを、お分けします。

皆様の宝石に気づいて

幸せになって下さい。


今日は倒れてまだ

意識のない姉に

声かけに行って来ます。

合掌
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澪標(みおつくし)

2018-06-13 00:40:26 | 日々の暮らし
81歳になる老婦人に仙台から女学校の同級生2人が面会に来ました。

誕生日祝いに来たとの事です。

すごいですね。
仙台の話や松島の話をされて帰りました。

私もシニア会で訪れたので懐かしく思いました。

260の小島を遊覧しました。
この島のおかげで津波の被害が少なかったとか。
浅瀬が多いため、船の航路を知らせる標識として立てた杭(くい)の澪標(みおつくし)が沢山あったのを思い出しました。

私も人生の澪標になれたらといつまでも海辺を眺めていました。

カモメがどこまでもついてきていた…。

そして私はいま公私にわたり辛い事が続いています。

そこで感じたことがあります。


冷たい茶と

冷たい飯は

がまんできるが

冷たい言葉と

冷たい話には

耐えられない。

(中国の諺)

言葉はスズメではない

行ってしまったら

もう二度と捕まえられない。

(ロシアの諺)

優しい言葉で冬中暖かい。

(日本の諺)

人はみな


天与の道を持っている。

私は言の葉の道を行く。


その道は果てしなく

遠い。

それが使命と天の声が
聞こえた。

それは、皆様の温かい

言の葉で勇気を


頂いているからである。

感謝

合掌
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