年をとると失うものが多い。
両親、兄弟、友人、同僚、視力、聴力、腕力、記憶…。
全ての財産を喪失していく。
その不安や淋しさに負け、心とじる人もいます。
人は木石にあらず。
人は枯れ木や石ではない、喜びも悲しみも
持つ感情ある生き物です。
失うと言う考えでなく、生きる栄養となって
『消化』したと思えばよい。
失ったものをいつまでもくよくよする事なく、新たな喜びに感動する栄養をとりましょう。
生きるて
心の栄養
一杯とることだから。
思い出す事に、
江戸時代の女流俳人
加賀千代女の
「朝顔に
つるべ取られて
もらい水」
が有名ですが、
私は違う句が心にしみています。
「蜻蛉(とんぼ)釣り
今日は何処まで
行ったやら」
幼い子どもを病で亡くし、その悲しみを抑え、
あの子は今日も蜻蛉取りに行っていないんだと懸命に耐えている姿に心打たれています。
過ぎた事は
いつまでも引きずらない。
次のステップを
強く生きる。
日本サッカーも同じ
次のステップの
生き方で
評価は違うもの。
頑張ろう!
合掌。
両親、兄弟、友人、同僚、視力、聴力、腕力、記憶…。
全ての財産を喪失していく。
その不安や淋しさに負け、心とじる人もいます。
人は木石にあらず。
人は枯れ木や石ではない、喜びも悲しみも
持つ感情ある生き物です。
失うと言う考えでなく、生きる栄養となって
『消化』したと思えばよい。
失ったものをいつまでもくよくよする事なく、新たな喜びに感動する栄養をとりましょう。
生きるて
心の栄養
一杯とることだから。
思い出す事に、
江戸時代の女流俳人
加賀千代女の
「朝顔に
つるべ取られて
もらい水」
が有名ですが、
私は違う句が心にしみています。
「蜻蛉(とんぼ)釣り
今日は何処まで
行ったやら」
幼い子どもを病で亡くし、その悲しみを抑え、
あの子は今日も蜻蛉取りに行っていないんだと懸命に耐えている姿に心打たれています。
過ぎた事は
いつまでも引きずらない。
次のステップを
強く生きる。
日本サッカーも同じ
次のステップの
生き方で
評価は違うもの。
頑張ろう!
合掌。