生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

神の声

2021-05-19 05:11:54 | 日々の暮らし

   

私は26歳の時、誰かの声を聞くようになった。お風呂に入っている時、両手に電波のような信号を感じ、それが脳に伝わって言葉になる。私の両手はアンテナのような働きをした。人に言えば気が狂ったと言われるから誰にも話さなかった。28歳の頃から災難に何度もあうが不思議な力や突然現れた人や笛や鈴の音に救われた。29歳の時、奈良の寺で書の修行を1週間していた。その時、お坊さんが走って来て私の前で合掌しお経をあげた。聞くと私の後ろに後光がさしていたからと。私は神と通じる何かがあるかも知れない。年を重ねるたびに一つ悟りを頂けた。最近感じた事は「聖」という字にひかれていた。語源を調べたら神の声を聞き、口で伝えて大地を歩く姿といいます。それを聖人という。何年後私の耳の中に大きなホクロを見つけました。人の話を良く聞くというホクロでした。誰かが気づきなさいと教えているようでした。私は神の声や亡くなった人の魂の声を聞きながら大地を歩く自分の姿を想像したのです。いま気づかされたのは神の声を伝え歩く役目を感じています。残りの人生を大地の石となるまで歩もうと思っています。皆様の導きになれば。
  合掌  アーメン

   

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人生の節

2021-05-19 05:11:54 | 日々の暮らし

いま人生の節目に立っている貴方に贈る言葉です。古代も現代も変わらないものだと感じた和歌を紹介します。平安時代前期の
『古今和歌集』より、「世にふれば
言のはしげき呉竹
(くれたけ)の
憂(う)き節ごとに
うぐいすぞ鳴く」
憂(う)き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。
  (詠み人知らず)

今でも同感する歌だと思います。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節をみると人生の節と似ていると思います。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。負けるな人生の憂き節。
      

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